葬式坊主検定試験テキスト(3) 坊主経営学概論

1級葬式坊主飯澤派大僧正 飯澤昭裕 編
葬式坊主検定委員会教材部 監修


寺院と坊主

 仏教においては、古くから宗派が存在したが、これは、教理や所依の経典の違いに過ぎず、教団化したものではなかったとされている。奈良時代以前では、僧籍は国家により管理され、得度を受けた僧侶は、複数の寺院で多宗派を学ぶ体制が通例であったらしい。その後、9世紀に至って、天台宗が大乗戒壇を設立し、自前で得度を行い得るようになり、教団化の素地ができた。
 中世以降は、寺院数の増加とともに*1、封建的な主従関係を模した階層的な支配関係が生じ、本山寺院を頂点とした本末関係が形成された。「封建的」という標語からも明らかなように、最下層の寺院は、より上層の寺院に支配されるピラミッド型の関係である。多数の末寺を有する「本山」が、その末寺を引き連れて、より有力な他の本山に「帰参」する現象もしばしばであった。近世においては、すべての寺院がいずれかの本山に帰属することを強制された。いずれにしても、下級の寺院が、より上級の寺院の支配を受けるという多階層の複雑な支配関係がこの時期の宗派体制を特徴づける。中世の「本山」は、近代以降の複数の宗派を含む存在と考えることができる。
 なお、近世以前の 本山寺院住職または宗派管長は、真宗系などの一部を除いて世襲されることは少なかったが、この時期でも、末寺住職は世襲の例が多かったらしい。
 明治憲法下の宗教政策は、神社神道に特別の地位を与え、これを公有化したほかは(いわゆる「国家神道」)、仏教系、神道系(いわゆる「教派神道」)などの諸宗教について、これを宗派単位で管理した。宗派の代表者である「管長」は、文部大臣の関与を受けて補任され、宗派に所属する寺院の住職や神社の宮司の任免などを行った。この段階で、ピラミッド型の支配関係は、少なくとも形式上は解消され、すべての寺院が直接に宗派に支配されるフラットな関係に整理された。他宗派の本山に帰属していた宗派の独立もあり、この時期に、現在見られるような多数の宗派が形成された*2
 もっとも、ピラミッド型の多階層の支配関係を解消する代償として、寺格による複雑な寺院の格付けが形成されたが*3、最低の寺格の寺院であっても、上級の寺格の寺院に属することはなく、直接に宗派の支配を受ける建て前であった点で、近世以前の本末関係とは異なる。また、多階層の支配関係を解消したため、これまで上級の寺院が有した機能のすべてを宗派が独占することとなり、宗派を頂点とする集権体制は、より強まった。たとえば、従前は師僧によって個別に行われていた得度は、宗派に独占された。宗派による得度を受け、宗派の僧籍に登録された者のみが、「坊主」として、教団たる宗派の構成員となり、その宗派に終生とどまることが通例となった。「坊主」が、宗派によって与えられる資格のように観念されるようになったのは、この時代であろう。
 1939年の宗教団体法では、宗派および寺院がそれぞれ法人とされ、末寺にも法人格が与えられた。住職任免などの末寺の人事は、宗派管長の権限であった。個々の寺院は、法人として私法的な権利・義務の帰属主体となるが、その公法的な管理は、宗派管長が行い、宗派を通じて行政が監督するという体制である。仏教そして神道などの各宗派は、このような体制の下で1945年の敗戦と、それに続く新憲法体制を迎えることになる。
 1947年に成立した新憲法および宗教法人法によって、国や地方公共団体が宗派あるいは寺院の人事などに関与することは許されなくなった。管長制度は、公的な制度としては廃止され*4、宗派の管理は、すべて自治に委ねられることとなった。
 仏教系宗派のほとんどでは、宗教法人法の施行に際して、宗派は末寺などを包括する包括宗教法人となり、末寺も法人格を保有し、境内地や建物の権利主体となりつつ、宗派に包括される被包括宗教法人として編成された。末寺においては、住職が宗教法人の代表役員となるが、その住職の任免には、包括宗教法人である宗派が関与することが多い。いずれにしても、これらは、宗教法人の自治的な規則で定まり、規則の認証を除いて、行政が関与することはない。
 なお、寺院には、「本山(大本山、総本山)」と称する宗派の中心寺院と「別院」などの宗派または本山直轄寺院もある。本山寺院や別院などは、宗派と一体の宗教法人である場合と、宗派に包括される宗派とは別の宗教法人であることがある。
 坊主は、自らの名義で読経などの活動を行った場合、それによる所得は、業として行う場合は事業所得、そうでない場合はないし雑所得となろう。しかし、一般的には、宗派や寺院が法人格を有するときは、この役職員となって、法人から給料を受ける給与所得者であることが多い。これは、寺院を、宗教法人ではなく、たとえば株式会社組織とした場合でも、同じである。
 以上の関係を列挙すれば、下記のようになろう。

  • 宗派(寺院を包括する包括宗教法人、法人税法7により原則として非課税)
  • 寺院(宗派に包括される宗教法人、法人税法7により原則として非課税)
  • 坊主(以上のいずれかの宗教法人の役職員、給料は給与所得として課税)

 最後に、「お布施」について説明しておく。よく知られているように、僧侶団体への寄附が布施(財施)の原義である。現在においては、布施は葬儀における読経などの対価として観念されることが多いが、施主の側も「寺院への寄附」とする感覚を失っていない。また、布施を受けた坊主の側も、課税上の問題もあり、その全額をいったんは宗教法人たる寺院の収入とすることが通例である。このため、寺院に所属しないフリーの葬式坊主が、その事実を告げないまま、布施名目の金員を受領すると、施主の側の感情にも反することとなるので、注意を要する。

まとめ
  1.  宗教法人法は、信者に公開された礼拝施設を有する寺院などと、それを包括する宗派などの態様の宗教団体に法人化の道を与えた。仏教系宗派では、宗派が包括宗教法人、寺院が宗派に包括される被包括宗教法人である例が多い。
  2.  寺院が法人である場合、坊主は所属宗教法人の役職員として、給与所得者である。
演習
  1.  ある宗派の本山で正式の得度を受けていない葬式坊主が、信徒から「にせ坊主」と呼ばれたとき、どのように応答すべきか。
  2.  宗教法人である寺院が、宗派に包括される関係を設定し、あるいは、この関係を廃止する方法を説明せよ。
  3.  法人税法が、宗教法人の収益事業から生じた所得以外の所得に課税しない立法趣旨について説明せよ。
  4.  宗教法人である末寺(宗派に包括されているものとする)の住職および代表役員の任免に関する規則を、具体的な例をあげて説明せよ。
・   ・   ・   ・   ・

1* 近世の寺檀関係は、否定的に考えられることが多いが、全国を網羅する末寺網が形成されたという意味で、寺院の大衆化に重要な役割を果たしたことを無視できない。
2* もっとも、上からの管理には、宗派数は少ない方が望ましく、この時期においても、宗派の「新設」は容易には認められなかった。しかし、新宗派設立は、敗戦後の新宗教法人法施行時と並んで、明治初年にも顕著なピークがある。「真言宗何派」などの伝統宗派の多くの「派」は、近世以前に属していた上位の「本山」の支配を断ち切り、この時期に独立している。
3* 多くの研究が示すように、「寺格」は近代に至って複雑化した。近世以前にも、「門跡」、「院家」などの寺格を示す語句はあったが、原則としてすべての末寺が寺格によって格付けされたのは、近代であろう。
4* 本文中で説明したように、明治憲法下では、「管長」は、宗派・教派の代表者の法令に定められた公的な名称であった。類似の「公的」な名称を現宗教法人法に求めれば、「代表役員」となろうが、旧宗教団体法では、管長の補任に国家機関の関与が規定されていた。なお、仏教系に限らず、教派神道の統理者も管長の名称で呼ばれた。今日においても、宗務の最高責任者にこの名称を用いる宗派がある。



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伝統仏教の寺院経営

 本山級の寺院の一部は、集客力にすぐれ、拝観料を徴収し、あるいは初詣などの機会に多額の賽銭収入を得る例もある。しかし、拝観料もせいぜい数百円であり、賽銭の平均金額はそれを下回ると思われる(調査不能)。参拝者数は公表されないことが多いが、年間数十万人程度の参拝者数では、これらによって、宗派または本山寺院の経営基盤とするには足りない。宗派もしくは本山は、末寺からの上納金が収入の相当部分を占める。宗派ないし本山は、宗派に所属する僧侶の得度や僧階の昇進を管理し、僧侶向けの研修などのサービスを実施している。また、宗派の広報センターの機能も有しているので、末寺から上納金を集めることも、一応の合理性はある。なお、宗派や本山クラスの寺院については、所属末寺の数に著しい違いがあるので、その経理は、簡単には推測できない。
 一方、末寺においては、収入のほとんどは、檀家からの布施に頼っている。布施の名称を用いているが、実質的には、檀家が施主となる葬儀などの各種法要に対する報酬である。ここでは、ごく小規模の末寺を想定して、粗い収入推計書(年額)を作成する。推算根拠は以下である。

法要平均単価(万円)年間施行回数年額
葬儀3010300
年忌550250
命日・彼岸など1500500

 以上を合計すると1050万円となる。地方都市では、檀家数250程度で、この収入が達成できると思われる。
 一方、支出の方は、本山への上納金などで100万円から200万円、本堂や什器の維持費を200万円程度と見ると、僧侶の給料として500万円程度を支払うことができる程度であろう。ほぼ最小に近い規模の寺院である。
 この表では、彼岸などの大量巡回法要が末寺の収入の大きな部分を占める。春秋の彼岸や命日などの機会に、定期的に坊主が檀家を訪問する関係が前提となる。各檀家は、葬儀などがなくても、平均して年3万円程度を負担する計算である。
 寺檀関係が崩壊した大都市周辺では、このような巡回法要による収入は望めない。この表より葬儀の比重が高くなるであろう。一般に、大都市周辺の葬儀単価はずっと高い。寺院側は、「寺の維持に協力しない檀家が多いから、収入を葬儀に頼らざるを得ない」と説明する。
 この説明は、一面では事実であり、寺院経営者の立場に立つと、首肯できることが多い。しかし、これは、寺院を経営する立場からの一方的な説明に過ぎない。寺檀関係にない葬儀依頼者は、寺院の維持に関心がない。仏壇を設置しない「檀家」に彼岸などの法要の需要は少ない。訪問したこともない寺院の維持費用を負担させられて当然とする説明は、葬儀依頼者の立場に立つと、容易に受け入れられるものではない。寺院が地域あるいはその住民に求められているのか。この疑問に気が付かず、あるいは気が付かないふりをして、「寺の維持」の費用を葬儀依頼者にすべて負担させようとすると、上述のような説明となってしまう。葬儀単価の高騰の原因は、寺檀関係の希薄化のみではなく、一般信徒の需要が葬儀に偏在することにある。
 誤解を招かないために、一言だけ断っておくが、本テキストで問題としているのは、寺院維持の費用を、葬儀依頼者に負担させて当然とする寺院側の説明である。本テキストは、決して寺院の解体を薦めているわけではない。布教という宗教者の社会的使命を果たしつつ、信者のための礼拝の場所として、寺院の重要性は、積極的に宣揚されるべきである。寺院としては新規の信徒ないし檀家を獲得する努力を惜しんではならない。また、寺院は、寺院墓地を提供する存在としても、地域住民の生活に関係している。問題は、寺院活用の努力が尽きた先である。大都会周辺の寺院の多くは、信徒が求めているのは、葬式坊主であって寺院ではないという現実に直面しているのではなかろうか。
 葬式坊主は、この事実を直視して、仮に寺院経営に困難を感じるなら、安易に葬儀依頼者に高額の負担を求めるのではなく、寺院を解体し、フリーの葬式坊主に特化するか、寺院を解体しない場合でも、所属宗派を離脱して上納金の負担をなくすなど、あらゆる手段で葬儀依頼者の需要に応えることも考えなければならないのではなかろうか*1

まとめ
  1.  末寺の維持費は、檀家からの布施に頼っている。本山へは上納金が求められる。
  2.  葬儀依頼者が求めているのは、葬式坊主であって寺院ではない。収入が伸びないときは、安易に葬儀依頼者に高額の布施を求めるのではなく、寺院そのものの解体も考慮するべきである。
演習
  1.  年忌法要などによる収入が期待できない場合についての小規模寺院の損益計算を試算せよ。
  2.  年忌法要などによる収入が期待できない場合に関して、損益計算を試算せよ。
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1* 地域社会において、寺院が果たすべき最も重要な機能は布教と地域住民のための礼拝施設である(宗教法人法2条参照)。仮に、住職が宗派の定めた勤行を日常的に厳修していても、訪問者がいなければ、寺院は、本来の機能を果たしているとはいえない。寺院は、この意味でも存立意義が問われなければならない。


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