イラク戦争に関するリンク(順不同)
 リブ・イン・ピース☆9+25
 WORLD PEACE NOW
 WORLD PEACE NOW in KOBE
 ★阿修羅♪
 WOMEN IN BLACK Tokyo
オンラインコラム
戦争特集


「大東亜戦争」(2024.4.23)

 陸上自衛隊のある連隊が4月5日、X(旧ツイッター)の公式アカウントで「大東亜戦争」という用語を使って投稿したとして問題になった。
 本コラムでは、過去に「ネトウヨ」を特徴づけるものとして、「大東亜戦争肯定 ― 反東京裁判史観」として、大東亜戦争という単語を用いたが(→ネトウヨとは)、この戦争については、名称についての議論を回避して「過般の戦争」として言及してきた。

 「大東亜戦争」は、1941年の対米英戦開始後に東条内閣によって閣議決定された名称。その「大東亜」は、対米英戦開戦前に唱えられていた大東亜共栄圏からとられたもので、これは、中国や東南アジアを含む「大東亜」に日本の勢力圏を設定しようとする意図であった(大東亜共栄圏構想)。この呼称を使いたい人たちの一部は、この大東亜共栄圏構想を欧米の植民地支配から解放するものとして賛美する。
 筆者として、植民地解放とする意見に異を唱えるものでない。当時の日本人の中には、アジアの民衆を解放するという理想で行動していた人もいたはずである。しかし、それが賛美に値するかは別問題。日本は、独自の利害に基づいて行動したもので(当時の言葉では、「生存圏」、「利益圏」の確保)、そのために邪魔になる欧米の植民地支配を排除したものに過ぎない。日本の占領地域で、教育や公衆衛生などで改善が見られたことがあったとしても、比ゆ的に言うなら、欧米列強による19世紀型の古い植民地支配を、日本による20世紀型の新しい植民地支配に置き換えたものである。そして、その過程で、アジアに植民地を有する欧米諸国と対立し、1941年の対英米宣戦となり、日本自身を含むアジアにも、大きな災厄をもたらした。

 大東亜戦争の呼称は、敗戦後の1945年に、GHQ(占領軍総司令部)によって、「国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉」として、使用が禁止された。筆者としても、国家神道や軍国主義の排除には大賛成なのだが、占領軍の主力が欧米列強の一端である米国であったことは皮肉であるし、それが理由で、欧米列強への反感を有する民族系右翼の一部は、大東亜戦争の呼称を使い続けている。
 一方、戦後の保守本流となった幣原・吉田らの対米従属派は、過半の戦争を「太平洋戦争」と呼ぶ。主たる戦域の名前を付けたものだが、この呼称では、アジア諸国に対する支配権をめぐる帝国主義戦争であったという事実に蓋をするものとなる。旧日本帝国の英米への戦争責任を認めながら(開戦時の「軍部」に責任を押し付けながら)、朝鮮半島や中国への侵略への責任問題を隠そうとする戦後保守本流(裕仁ら皇室も)の卑怯さを反映するものとしか思えない。


自衛隊は合憲か(2024.3.19)

 表題の話題、憲法学の教科書に必ず出ている話で、わざわざとり上げるのも、「今さら」なのだが、これをめぐって、いくつかの政党が、その政治的立場を明確にできないまま、袋小路にはまり込んでいるように見える。本稿では、教科書的な法学議論を避けながら、この問題に関する言論の状況を概観しておきたい。

 自衛隊の前身は、第二次世界大戦敗戦後の占領中に、設置された警察予備隊・保安隊であり、その武器も米軍から供与されたものだった。この時点では、占領軍の政策は、憲法を含む日本の法秩序を超越するものなので、これらの違憲など最初から議論にならなかった。

 その後、サンフランシスコ平和条約による対日講和により、日本は独立を回復した。しかし、同日に発効した日米安保条約により、米軍の駐留は継続された。敗戦後の占領の目的は、いうまでもなく、敗戦国が戦勝国に都合の悪い行動をしないように保障すること。端的にいうなら、日本に反米政権ができたら、これを武力で転覆することである。日米安保条約は、講和条約で終了するはずだった第二次世界大戦敗戦後の占領を事実上継続するための政治的な仕掛けであった(→日米安保体制)。そして、自衛隊(保安隊を改称したもの)は、在日米軍の補完であった。
 対日講和後も、占領が事実上継続していると考えるなら、この枠組みを作る日米安保体制は、日本国憲法より上位の法規範と考えられる。自衛隊(保安隊を占領終了後に改称したもの)の違憲議論など、憲法学者の机上の空論とされ、政界ではほとんど問題にされなかったのは、このような事情からであろう。

 最近になって、自公政権の人気低迷という状況下、政権奪取を目指す野党による政策議論の中で、安保条約の改廃や自衛隊の合憲・違憲が議論されるようになった。そのひとつ、日本共産党では、自衛隊について、「党としては自衛隊を違憲と考えるが、共産党が参加する連合政権では違憲とせずに、これを活用する」などと主張。その一貫性が問われている。2009年に社民党が旧民主党政権に参加したときも似た状況で、自衛隊合憲・違憲の議論は、これらの政治勢力にとっては、クリティカルなものになっている。

 すでにサンフランシスコ平和条約から70年以上が経つ。今まで申し上げてきたことを考え合わせるなら、今でもアメリカによる事実上の占領下と考えるのかなど、現状の認識から議論を始めたほうが建設的なように思える。


北方領土(2024.2.12)

 ロシアのメドベージェフ前大統領は1月30日、「北方領土についての日本人の感情は知ったことではない。それは係争中の領土でなく、ロシアだ」とSNSで主張した。これは、岸田首相が同日の施政方針演説で、「平和条約締結の方針を堅持する」と表明したことに対するコメントらしい。
 この発言を受けて、ロシアの強硬な非友好姿勢が明確になったとして、ロシアへの反感をあおる報道が多い。

 しかし、岸田の施政方針演説は、「(対ロシア)制裁圧力を断固としてかけ続ける」とか、「ウクライナ支援を継続する」としている。要するに、制裁とウクライナ支援を続ける姿勢を見せながら、日露平和条約に言及したもの。条約交渉は、アメとムチとしても、本当に交渉に前向きなら、たとえば条約締結の際の制裁解除などに触れるはずだが、それもない。条約を持ち出したのは、北方領土の「返還」を訴える日本国内の勢力へのリップサービスという意味しかない。
 メドベージェフのコメントはこれに対する当然のものであろう。だから、わざわざ「日本人の感情」に言及して、これを「知ったことではない」と切り捨てて見せるのである。
 まあ、岸田側が本気でない条約への話題なので、ロシア側としてはまじめに対応する意味もないし、日本側もメドベージェフ発言を敵対的として報道するべきでもないというところであろう。

 それにしても、日本政府のウクライナ側への傾注は異様である。100億円レベルの「支援」が何度も報道されているだけでない。日本政府は、世界銀行(およびその融資機関の国際復興開発銀行)の対ウクライナ融資を「保証」している。保証債務の総額については、予算に計上されているわけでもなく、実際のところよくわからない。複数回の数千億円レベルの融資が報道されているので、これらを累計すると、日本円にして10兆円を超える国民負担となる(20兆円とする意見もある)。この先、ウクライナの破綻により(戦争の帰結と関係なく経済破綻は確実)、この保証債務の履行を求められることになるであろう。

 昨年末には、国会審議を経ないまま、武器輸出の原則を緩和。外国メーカーからのライセンスで生産している品目については、「軍事技術の拡散にならない」という理由をつけて、殺傷能力の有無を問わず、輸出可能に。「戦闘中の国の輸出はない」としているが、ウクライナへの迂回輸出が可能になったことに変わりはない。
 当然ながら、ロシア側は反発し、「あらゆるウクライナ向け軍事支援物資はロシアの正当な軍事標的となる」としている。これは、「北方領土」に関するメドベージェフの非公式のコメントではなく、ラブロフ外相の正式な発言である。

 アメリカの言いなりのウクライナ支援で、大きな国民負担。そして、自らを世界の軍需工場とすることで、戦争への危機。そろそろ日本の方向性を見直す時期でないかと思わざるを得ない。


能登半島地震(2024.1.9)

 1月1日の地震。被災者にお見舞い申し上げるとともに、政府や石川県当局の対応などについて、筆者の意見を申し上げたい。

 今回の地震では、過去の例(直近では2016年の熊本地震など)と比べて、初動の遅さが際立つ。
 地震の当日(1/1)は、日没も近かったこともあったのだろうが、大津波警報のニュースを聞きながら、何の救援も行わず、岸田が記者会見で、「翌朝から・・」と言っただけ。政府レベルでは、対策本部の設置も行っていない。翌日(1/2)に自衛隊員1000人規模、翌々日(1/3)に2000人規模。防衛大臣によると、地震翌日には、自衛隊は1万人を待機させていたが、実際に投入されたのはこの人数。熊本地震(2016年)の時と比べても、数分の一の人数しか投入せず、倒壊した家屋の下敷きになった人などを救助するタイミングを逸してしまった。また、台湾やシンガポールなども救援部隊を用意していたが、これらの援助も断ってしまった。
 今回の能登半島地震、規模は、決して小さいものではなく、マグニチュードは7.6とされている。死者6千人を超える1991年の阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震で、そのマグニチュードは7.3なので、これを上回る。近年のプレート内部の地震としては、最大級である。(東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震は、プレート境界型の巨大地震でマグニチュード9.0とされている。)
 実際の津波高さなどは、現場を調査して判明するものもあるが、マグニチュードなどは、地震発生直後にわかっている。やはり、被害規模を見誤ったとしか思えない。あるいは、過疎地なので、被災者が少ないと思ったのか・・。地形などを理由に、自衛隊部隊の行動が困難だったという言説も広められているが、そんなことを言い出したら、この地域に仮想敵の上陸作戦でもあれば、何日にもわたって、地上部隊を送ることができないということになる。何のためにヘリコプターや空てい部隊があるのか。言い訳としてもメチャクチャであろう。

 地震後の対応で奇妙な話を申し上げるなら、石川県と政府は地震翌々日から、「渋滞」を理由に現地入りを自粛するように呼び掛けている。このため、ボランティアなどの現地入りも一部に限られていた。
 この事態に対して、「お上」意識が強いらしいネトウヨたちは、現地入りするボランティアを非難してしてる。たとえば、日本維新の会の衆院議員音喜多は、行政と連携していないボランティアを「野良ボランティア」と呼んでいた。さらに申し上げるなら、ネトウヨに限らず、日頃は民主的な言動を行う人たちにも、「自粛警察」となって、現地入りを控えるようにと訴えていた。しかし、実際に現地入りした人からは、渋滞の話などは聞かれず、1/9現在では、この自粛コールは下火になっている。どうやら、石川県(県知事は日本維新の会顧問の馳浩)の無能だったようである。
 ついでに申し上げておくと、受け入れ態勢など、現地の負担もあるので、国会議員らの政治家がぞろぞろと現地入りすることは望ましくない。しかし、政治家の場合であっても、「お上」の要請を聞き入れるか否かより、その結果によって、行動の当否を判断すればよいことは変わらない。現地の詳細な報告を公表して、その措置を立案いただけるなら可であろうし、現地で記念写真を撮るだけの売名行為なら、批判されるというだけのことである。今のところ、行動の報告を見る限りでは、行った人を支持したい例の方が圧倒的に多い。

 最後に、万博について申し上げなければならない。関経連と日本維新の会は、被災地の復興と万博は両立するとの考え方を示しているが、リソース(資材、土木・建築の技術者)の奪い合いになることは明らか。中止決定を望みたい。


ウクライナの敗北(2023.12.5)

 ガザ地区でイスラエルによる最悪のジェノサイドが行われる一方で、ウクライナでは紛争の終結が見えてきた。
 ウクライナ大統領ゼレンスキーは、「反転攻勢」の失敗を認め、欧米各国からはゼレンスキー政権を見放すような発言が相次いでいる。アメリカも、予算不足を理由にして、ゼレンスキー政権への支援を打ち切る動きもある。

 紛争の開始時には、制裁によって、ロシア経済がすぐにも崩壊するかのような報道が行われていたが、実際には、制裁に参加したのは、西欧諸国(西欧のほか、米国、オーストラリア、・・)。国の数で考えるなら、世界のごく一部にすぎない。日本を除くアジア・アフリカ諸国は、ほとんどが制裁に参加しなかった。金融システムからも除外され、貿易の決済もできなくなるかのような報道だったが、実際には、ロシア国債などに投資していた西欧諸国の一部が大損しただけ。ロシアは、決済を自国通貨で行うことにより、難なくこの制裁を回避して、ルーブルより円のほうが下落するという事態になっている(→ロシア情勢の混沌西欧という価値観)。

 さらに、12月には、ロシアのプーチンがサウジとUAEを訪問。中東でも、その存在感をアピールしている。日本でのロシア制裁の報道も、いつの間にかフェードアウトしてしまった。というより、もともとが、ロシアの苦境を誇張する政治的で無理な報道だったとせざるを得ない。

 2023年12月時点で、アメリカのバイデン政権は、まだウクライナへの軍事援助の姿勢を崩していない。しかし、軍産を背景とする民主党政権とても、イスラエルとウクライナの両方を支えることは不可能であろう。近い将来に、ゼレンスキーの失脚が予想される。

 最後に「念のため」であるが、いつものようにお断りを申し上げておかなければならない。筆者は、プーチンを支持しているつもりはない。つい最近も、「国際的なLGBTQ運動」を過激団体と位置付けて、活動を禁止する法律などを制定している。その政治姿勢は、民族性や倫理観を過度に強調する極右のもの。日本で類例をさがすなら、筆者が嫌悪する日本会議に似た側面がある。
 それを念頭に置いたとしても、ガザでの虐殺に、ロシアがそれなりの影響を与えられるなら、筆者としも期待せざるを得ない。


西欧という価値観(2023.10.25)

 当月の7日、ガザ地区を支配していたハマスが、イスラエルを越境攻撃。イスラエル住民に多数の死傷者が出た。イスラエルは、「テロ攻撃」を阻止するためとして、ガザ地区を閉鎖して、これに大規模な爆撃を加え、現時点でも継続中である。

 いわゆる西欧諸国(西欧のほか、米国、オーストラリア、日本、・・)は、イスラエル寄りの姿勢を鮮明にした。G7のうち、地理的に離れた日本を除く6か国の首脳は、22日の共同声明で、イスラム組織ハマスと戦闘を続けるイスラエルの自衛権を支持するなどと宣言した。米国は、イスラエルへの軍事供給を増やしたり、空母を地中海に派遣しつつ、国連安保理でガザ停戦決議案に拒否権を発動して、イスラエルの軍事行動を追認した。

 ハマスが無警告でイスラエルに越境攻撃を行い、その民間人を殺傷したことは、事実である。もちろん、その背景には、イスラエルが安保理決議に反してパレスチナ国家の樹立を許さず、パレスチナ人をヨルダン川西岸とガザ地区に閉じ込めただけでなく、ヨルダン川西岸には入植者を入れ、ガザ地区には人や物資の移動を厳しく制限し、天井のない監獄といわれる状態に閉じ込めていたという事情があるが、これを「テロ」と呼ぶかはともかくとして、民間人殺傷を正当化するような話でない。

   しかし、この点では、非難がそのままイスラエルにも及ぶことになる。イスラエルの爆撃は、医療施設、学校やモスクに及び、報道されているだけでも、ハマス戦闘員といえないガザ住民に5000人近い死者という悲惨な結果になっている。また、ハマスが人質を取ったと非難されるが、イスラエルがガザ地区を封鎖して、出入りを許さないなら、ガザ地区住民の全員がイスラエルの人質になっているのと同じである。仮に、イスラエルが主張するように、「テロ」を予防する目的であったとしても、イスラエルの行為そのものを「テロ」と評するほかなく、イスラエルのみを擁護するのはダブルスタンダードである。
 また、ガザ地区への攻撃と別に、イスラエルは、シリアのダマスカス国際空港とアレッポ国際空港にミサイル攻撃を行い、両空港の滑走路が使用不能になった。これも、シリアという独立国への一方的な軍事行為であり、国際法に照らしても許されるはずもない。シリアへの攻撃は、欧米諸国の価値観に合わない独裁国家に対する攻撃として、許容されると考えるのだろうか。

 これらの考え方には、強い既視感がある。筆者がこの戦争特集を始めた機縁は、20年前のイラク戦争。当時の米大統領ブッシュが、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を言い立てて、一方的にイラクに侵攻し、結局は、大量破壊兵器が見つからないまま、イラク全土を占領され、アメリカの傀儡政権によってフセインは処刑された。

 日本の与党とマスコミは、「民主主義や法の支配、基本的人権の尊重などを価値観として共有している」などと称して、西欧(実際には米国)に追随するのを当然とするらしいが、そろそろ限界でなかろうか。イスラエル擁護のダブルススタンダードから脱して、国際社会の声に耳を傾けるべきと思わざるを得ない。


中華人民共和国建国(2023.10.3)

 10月1日は、中国の国慶節。1949年のこの日に、1920年代からの国共内戦に勝利した中国共産党の毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した日。これを記念して、中国では、秋の連休となり、春のメーデーと並んで、行楽シーズンになっている。
 筆者としても、中国共産党による抗日戦と内戦への勝利を慶賀するにやぶさかでないが、1949年時点で、中華人民共和国という新国家の建国を宣言するという政治判断には、違和感を感じざるを得ない。今回は、マイナーな私見(他所であまり聞かない)だが、この点を説明したい。

 1949年春から夏において、軍事的には、国共内戦での人民解放軍(共産党側)の勝利がほぼ確定したが、この時点の国号は中華民国。国民党も共産党も、中華民国の内部に生じた党であり、その国共内戦は、文字通り一つの国の内戦であった。
 中華人民共和国の建国宣言後の展開は、ご存じのとおり。1971年にニクソン大統領が訪中を発表するまで(実際の訪中は翌年)、中国は国際社会から排除され、国連にも加盟できなかった。国連に加盟していた「国」は中華民国で、その中央政府は北京でなく台北だったからである。そして、世界から孤立している間に、文化大革命(政治闘争の側面もあるが、軍事的には米国やソ連とのゲリラ戦を想定した軍隊の反近代化)や中ソ対立で、自らが大きな痛手を負うことになる。

 中華人民共和国の建国宣言。「新中国」を建設するという政治的意気込みはよかったのだが、結果として、中華人民共和国という国号も異なる「新中国」の成立宣言で、自ら「2つの中国」を作ってしまったのは、性急だったのではないか。国共内戦の勝利宣言なら、新国家の建設でなく、中華民国北京中央政府の成立を宣言すべきでなかったかとするのが、冒頭で申し上げた私見である。建国宣言でなく、正統政府宣言で、中央政府の正統性争いに持ち込んでいたら、「一つの中国」の中央政府(北京)と地方政府(台北)という体裁をもっと早く実現できたのでないか・・、国号の変更はその後でもよかったのではと考えざるを得ない。

 こんな古い話を今さら持ち出したのだが、今や「一つの中国」は定着した原則。台湾側も、独立を主張する勢力はあるが、大筋ではこれを認めている。すでに「一つの中国」なのだから、一国2制度といっても、現状追認で足りる。現状の変更を望まないなら、香港・マカオのような期限付きでなく恒久的なものを目指せばよい。いずれにしても、「→台湾有事」というアオリは、問題の解決につながるものでない。


解散命令(2023.9.3)

 旧統一教会への解散命令が話題になっている。政権側は、解散命令を求める国民の声に押されたのか、本年10月にでも、裁判所に対して解散命令を請求するとの報道がある。

 統一教会については、今さら申し上げるまでもない。「宗教保守」とするにも特異な存在で、政治的には「国際勝共連合」を傘下にする極右。その政治的傾向は、「旧統一教会と戦後保守(2022.8.18)」に書いたとおりだが、この旧統一教会は、壺や印鑑を商材にした霊感商法、そして、集団結婚式などによる資金集めでも悪名が高い。2022年7月の安倍晋三殺害で、犯人は、家族による統一教会への多額の献金で家庭が崩壊したことについて、安倍に恨みを抱いたと報道されている。
 この旧統一教会への解散命令がもし出されるなら(本稿を書いている時点では未確定)、資金集めの際の不法性・反社会性が理由とされるはずであるし、この種の活動の不法性を宣明するという意味で、解散命令は必須であると考えるのは当然であろう。

 やや問題に思えるのは、解散命令を求める側の人々の間にも、解散命令の効果を見誤ったらしい議論があることである。宗教法人法の解散命令は、宗教法人の法人格を奪うだけで、宗教団体としての活動になんらの制約を与えるものでない。解散命令があっても、布教もできるし、献金もできる。献金先が宗教法人(解散命令で消滅)から教祖などの個人になるだけということである。(この点では、オウム真理教のときに問題になった破防法の解散指定・・団体としての活動が禁じられる・・とは全く異なる。)
 解散命令の実際の効用は、宗教法人の現有資産を清算することなのだが、旧統一教会の場合は、この効果もあやしい。こんなに時間をかけていたら、宗教法人側は、先に資産を現金化し、必要なら国外に送金することもできたはず(債権者を害さないなら違法といえない)。今さら、解散命令が出ても、宗教法人名義の資産はほとんど残っていない可能性がある。そうすると、解散命令は、法人登記に「解散」を登録するだけの無意味なものとなってしまう。

 解散命令は、実効性に期待できるものでなく(それでも請求すべきだが、なんとも遅すぎる!)、岸田内閣の選挙向けパフォーマンスかと思わざるを得ない。


マイナンバーカード(2023.7.30)

 マイナンバーカードは、個人番号を表示したものICチップ付きのプラスチックカード。このコラムの主題「戦争特集」としては、やや矮小な話題だが、混迷を極める岸田内閣の政策の一つとして、私見をまとめておきたい。

 個人番号(「マイナンバー」と呼称させている)は、国内に居住する個人に割り当てられた12桁の数字。個人番号の目的は、金融取引などで名寄せを容易にすることであり、この意味で、主として課税目的のものであった。マイナンバーカードへの反対論には、この個人番号の問題点を指摘するものがあるが、個人番号は、2015年から全住民に附番済みである。これをカード化したマイナンバーカードに賛成するか否かとは、別に考えなければならない。

 マイナンバーカードは、わざわざコストをかけて、作られたプラスチックカード。論理的に考えて、携帯させるという用途以外にあり得ない。中国などの例を考えると、個人の行動を管理するために、カードを携帯させようとしていると推測される。公共交通機関での移動(飛行機や列車チケット)や宿泊で、身分証を提示させれば、個人の行動を完全に記録化できるが(→国民管理に使われるIT技術)、マイナンバーカードは、この身分証の偽装ではないかという疑いである。

 自公政権は、健康保険証を廃止し、その機能をマイナンバーカードに統合しようとしている。しかし、健康保険の被保険者(被扶養者)の資格確認という目的なら、現行の健康保険証で足りる。政権側も現行の健康保険証で必要十分なことは熟知しているが、わざわざ健康保険証を廃止するのは、マイナンバーカードを普及させたいからである。これで、建前は任意としているマイナンバーカードの所持を事実上強制することができる。

 マイナンバーカードの本来の目的(個人行動管理のための身分証)から考えるなら、健康保険の資格確認という目的(健康保険証の代用)は、副次的なものに過ぎない。そのため、個人の行動管理という政策目的を考えるなら、政権がマイナンバーカードに統合させたいのは、健康保険証でなく、たとえば、交通系ICカードでないか。そのために、駅改札での顔認証なども試行しているのでないか・・などと、想像せざるを得ない。

 マイナンバーカードによる健保のオンライン資格確認に反対したり、健康保険証の廃止を先送りさせたりすることは、大きな意味があるとは思えない。それより、マイナンバーカードそのものへの反対の声を上げなければならない。


ロシア情勢の混沌(2023.6.27)

 当月には奇怪なニュースが。ロシアにウクライナ侵攻で、ロシア側の兵力の一端を担っていた民間軍事組織「ワグネル」が、前線の物資補給や戦術方針に関して、ロシア国防省と対立し、モスクワに向けて進軍するという「反乱」が伝えられた。
 民間軍事組織という一般名には違和感もあるが、ウクライナ側で戦争に関与している「アゾフ大隊」の例もあるように、この地域でも、正規の国軍とは別の軍事組織が活動している(→遠のくウクライナ戦争の終結)。政権は、これらの軍事組織に装備品や人員を供給しつつ、これを利用しているらしいが、その関係は、容易にはわからない。

 ワグネル創設者のブリゴジンは、プーチンに重用されてきた人物である。これを理由に、今回のワグネルの反乱については、プーチンとプリコジンの共謀による自作自演説がある。プリコジンが、ワグネル傘下の兵員の不満を持て余し、この組織を解体するために、あえて反乱を装ったという可能性は捨てきれない。長引く戦闘で、ワグネルの兵員に不満がたまっていることは確実であろう。プリゴジンとしては、反乱(クーデター未遂)を演出し、あえてロシア政府軍に鎮圧させることで(実際には、ベラルーシの仲介で、反乱は終結した)、この不満分子を排除し、残った兵員をロシア正規軍に合流させられるからである。
 しかし、ロシア政府側は、今回の反乱やその鎮圧を利用して、プーチンの権威を高めるなどの積極的な動きは見られない。プリゴジンのベラルーシ亡命を認め、犯罪(反乱)の捜査を打ち切ると発表したのみである。これを見ると、自作自演は言い過ぎと考えるほかない。

 ワグネルの反乱が伝えられると、ロシア通貨のルーブルは、一時的に15%ほど下落したが、すぐに回復。いずれにしても、今回の反乱、ロシアにとっては、英米や日本の報道に見れれるような大きな問題でなかったらしい。


サミット(2023.5.22)

 広島でのG7サミットが、予想どおりの結果というか、なんのサプライズもないまま、終わった。

 G7サミットは「先進国首脳会議」と呼ばれるもの。なんらかの決定権を持つ国際機関ではないので、参加国を決める基準や参加資格などが、公然と議論されることはない。ロシアのクリミア占拠(2014年)以前は、これを加えて、G8と称されていたが、現在のG7構成国を見ると、日本のほかは、すべてNATO主要国(米国、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、イタリア)。結局、G7のすべての国は、東西冷戦時の「西側」である。

 某公共放送は、これらの「西側」の先進国を「日本と価値観を共有する国」と称して、中国・ロシアなど、それ以外の国との対立図式を描いている。民主主義や法治主義という言葉で美化し、国民が、この価値観を共有することを当然のこととして、刷り込みたいらしい。しかし、法治主義といっても、その言葉が暗黙のうちに仮定するような欧米の近代市民法体系だけでなく、政教合一のイスラム法まで、多様な法体系がある(→タリバンの勝利とイスラム法)。
 また、ロシアのウクライナ侵攻については、プーチンの破滅的な行動としている。しかし、ウクライナ東部でのロシア系住民への圧迫を理由とするロシアの主張は、荒唐無稽とはいえない。国連決議にも基づかない他国への軍事行動は、歴史的に考えるなら、対イラク戦争の例を挙げるまでもなく、「西側」の諸国が行ったものも多い(→「協調関係」)。そして、米国は、「テロリスト」とする者を、裁判もなしに他国領内で殺害している(→ビンラディン殺害)。今回のロシアの行動が、「西側」の諸国によって、ことさらに問題にされるのは、これが、アジアや中東でなく、ヨーロッパで行われたからとするほかない。その意味で、ロシア非難も、「西側」の価値観なのだが、世界には、「西側」と異なる価値観を有する国も多数ある。

 アジアの国である日本が、欧米の「西側」諸国と、どこまで歩調を合わせるべきか、また、G7に加えられることで、NATOの準加盟国のように扱われることが国益に沿うのか、議論があろう。東京でも広島でも、G7サミットの開催に反対するデモが行われて、機動隊と激しく対立していたが、ほとんど報道されなかった。

 G7サミットの首脳会議では、G7の参加国だけでなく、「招待」された国が加わることになる。今回は、インド、ブラジル、オーストラリア、韓国など8か国(ほかに、サミット期間中にゼレンスキーの訪日が発表され、ウクライナを含めるなら、9か国)。中国やロシアと経済的な関係が強い国が多いが、これらの国に、「西側」の価値観を共有させるのが目的だったらしい。しかし、インドのモディ首相のように、対ロ制裁の強化を拒む首脳もいれば、ブラジルのルラ大統領のように、ウクライナを支援する米国のバイデン大統領はロシアへの攻撃をけしかけているとする意見もあった(22日の広島での記者会見)。

 国際的な影響力を考えるなら、すでにG7の力は弱まっている。往年はこの先進7か国で世界のGDPの過半だったが、今では3分の1にも満たない。グローバルな問題を解決しようとするなら、G7サミットではなく、中ロを含めた国連などの場で議論したほうが建設的であるとするほかない。なお、国連については、常任理事国に拒否権があるので、これを無力と主張する者もあるが、G7サミットには、そもそもなんの決定権もないので、この代替にはならない。


「台湾有事」(2023.4.18)

 軍拡(防衛予算の大幅増額)と憲法改正(緊急事態条項)に熱中している岸田政権。この理由づけとして用いられているのが、「台湾有事」である。中国による台湾への侵攻があると、日本は軍事力で対応しなければならず、そのために、軍事力の増強と憲法改正が必要であるとする論らしい。
 ・・と、これだけ書くだけでも、ツッコミどころ満載。中国による軍事行動というリスクが現実にあるのか。仮にそうであったとして、台湾防衛のために、日本国内にミサイルを配備すれば、日本が攻撃目標になるだけでないか。それ以前に、そもそも、日本が中国・台湾間の紛争に、軍事的にかかわるべきなのか。敵基地反撃能力なんかを議論する前に、こんな疑問にちゃんと向き合わなければならないはずである。

 台湾(台北政府)は、1949年の中華人民共和国成立時に、台湾に逃れた中華民国政府である。そのため、台湾(少なくとも国民党政権の主流)にとっても、中国はひとつ。台湾側は、中国の正統な中央政府は、北京の中華人民共和国政府でなく、台北の中華民国政府としているだけ。その意味で、北京と台北の争いは、「ひとつの中国」を共通の前提としつつ、どちらを中央政府とするかの争い。両者がこの原則を維持する限りは、中国の内政問題である。
 これに関しては、北京側も承知で、「台独(台湾独立運動)」など、「ひとつの中国」に反する動きには激しく反応するが、台北政府を正統な中央政府とする主張には、冷静な対応を示している。また、いまだに中華人民共和国政府を承認せず、台北側と外交関係を維持している少数の国(減少傾向ではあるが、グアテマラ、パラグアイ、ハイチなど、10か国以上)に対しても、外交的な圧力はともかく、貿易関係なども維持している。北京側にとっても、「ひとつの中国」の原則が認められる限り、軍事的に大きな代償を払ってまで、台湾に侵攻する意思はなさそうであるし、その兆候もない。日本の報道で、「海洋進出を強める中国」などと、枕詞のようにして、中国(北京政府)の危険性をアピールするが(→公共放送の変質)、これは、マスコミを利用したアオリである。

 仮に、米国などが、本気で台湾の現状維持を望むなら、北京政府と断交し、台湾との国交を回復させることが現実的な選択肢になる。もちろん、そんなことをすれば、北京との対立が深まり、世界経済にも大きな影響を避けられないが、それでも、台湾側への軍事的支援で、中国への内政干渉とされるよりは、ずっと平穏な結果であろう。


尹錫悦政権の変節(2023.3.15)

 韓国の尹錫悦(ユン・ソギョル、n音を挿入すればユン・ソンニョル)大統領が訪日し、岸田首相と会談した。これは、徴用工問題で、尹錫悦政権が日本側の政権に妥協して、日本企業の賠償金を韓国側が肩代わりすることを決めたことで、日韓関係の懸案が解決したことによるとされている。ここでは、その背景を考えてみたい。

 この問題に関する日本政府側の主張は一貫しないが、最近では、日韓基本条約(1965年)に基づいて締結された請求権協定で韓国側の賠償請求権が消滅したので、日本企業は徴用工へ賠償すべきでないとの見解を主張し、関係する日本企業に対しても、そのような指導をしているようである。
 しかし、この協定で、私人間(被害者と企業)の賠償請求権がどんな影響を受けるのかは、損害賠償債権の存否に関する裁判所マターなので、日韓双方の政府が口出しするのはスジ違い(→徴用工訴訟に関する韓国大法院の判決)、賠償金の肩代わりは問題の解決にならないであろう。慰安婦問題でも明らかになったように、賠償金を求める側は、金銭による被害回復だけでなく、自己の被害への共感(あるいは加害者の謝罪的な態度)を求めているのであり、これは政治パフォーマンスであるが、被害者の人生をかけたものとして、切り捨てることはできない。そして、日本側では、ほとんど報道されないが、韓国では、尹錫悦政権による賠償金肩代わりの決定に対して、激しい反対運動が発生し、尹錫悦の政治的基盤が脅かされている。

 尹錫悦に対して、国内的に不利な政治的選択を迫る勢力は、米国しかない。そう考えると、尹錫悦としては、賠償金を肩代わりして、日本の偏狭なナショナリズムを満足させる代わりに、それより数桁は大きい軍事費を日本側に負担させるという「名を捨てて実を取る」という戦術かもしれない。
 現時点でそんな主張をすれば(日本のネトウヨは防衛費増額にも賛成し、韓国の思惑に気づていない)、日本側が反発する。しかし、尹錫悦は、任期後半に向けて、そんなことを言い出しそうな予感を禁じ得ない。

 そうすると、すべては、中国を敵視する米国のアジア戦略であろう。困ったものだが。


「子育て」という言葉に見える家族観(2023.2.10)

 最近、政治家や行政サイドで「子育て」という言葉が使われている。この言葉は、一見すると、育児休業や育児手当などと、法文で使われている「育児」を言い換えただけに思われるが、実はそうではない。
 「子育て」という言葉が使われる文脈は、「育児」とは異なる。たとえば、「子育て世代」などと使われるが、これは、育つという子の側の視点でなく、育てるという養育者の視点。しかも、その養育者は、祖父母や養親などでなく、実の父母に限定するものとなっている。実際にも、幼児を養育する祖父母や養親、そして児童福祉施設の職員などは、「子育て世代」という言葉の射程に入らない。「子育て」という言葉は、実親が子を育てるべきという価値観と切り離せないものであることに気づく。

 余談ながら申し上げると、「子育て」が「育児」と同義にならないのは、「子」という日本語のあいまいさであろう。子という単語には、年少者という意味と、親子関係での子という異なった意味がある。(育児の「児」は漢文や中国語ならともかく、現代日本語では「幼児」の縮約で年少者の意味しかない。)
 その結果、育児というと、年少者を育てるという意味だが、子育てというと、実子を育てるというニュアンスを帯びることになる。育児なら祖父母や養親でも可能。しかし、子育ては祖父母や養親では不可能、あるいは、可能としても実親の子育てを代理・代行しているという意味が付け加わることになる。
 「育児」と「子育て」とするのは、言葉の多義性を悪用した言い換えで、「くに(邦/国)」という日本語を用いて、郷土愛(「邦」への愛着)と国家への忠誠心(「国」の統治者への従順)を重ねるトリックと同列であろう(→「国民の敵」と愛国心)。

 付け加えるなら、この言葉は、「ニッポン一億総活躍プラン」(平成28年6月2日閣議決定)が、「子育て支援」という語句を用いたのが政治におけるデビューらしい。その内容は、幼児教育の無償化を含む教育助成などだった。それなら、「児童支援」などと名付けて、子供に対する支援とすればよいのだが、そうではなく、「子育て支援」と呼んで、あえて親に対する支援を装った。ここに、当時の安倍内閣の政治姿勢が表れているし、「こども庁」の名称を「こども家庭庁」に変更させて、その理想とする親子関係や家族像を押し付けようとした統一教会系の影響を見逃すこともできない。

 政治的に考えるなら、過去の植民地支配の「贖罪」を求める統一教会などの韓国系右翼、過去を理想視したい民族系右翼、そして、対米従属を宗とする保守本流・・。これらの政治勢力のほとんど唯一の共通項が、儒教的家族観ということであろうか。「子育て」という言葉を安易にまき散らす政治家(自民に限らず立民や共産まで)には、嘆息しかない。


新年・・など(2023.1.14)

 冒頭から申し訳ないが、筆者は「新年」を好まない。新年などといっても、人為的に作られた暦で、年の数字を改めて、月と日をリセットし、1月1日とするだけの人為的なイベント。暦の数字を操作するに過ぎないので、本来は好悪と関係ないはず。筆者が好まないのは、暦そのものでなく、マスコミによって演出された新年の雰囲気であろう。
 公共放送では、初詣などを取材し、「平穏無事」を願う群衆として、これを描写する。念のために申し上げるが、現状維持を至上として、平穏無事を願うことは、個人としては、非難すべきことではない。しかし、これをマスコミとして強調すべきかは別問題。現状に充足して、これに不満を抱かないとするのは、禅宗的価値観でもあるし、君主の徳が実現された状態とする儒教的価値観でもある。
 10年ほど前までは、派遣切りで社宅から追い出された人のために、「年越し派遣村」が設けられていたことが報じられていた。現状の不備を過度に強調する報道ば、政権への不満を煽るものになるが、逆に、昨今のように、報道を通じて、別段の変化のない日常を希求することを理想としてすり込むなら、政権への翼賛を求めるものとなる。公共放送(NHK)の報道姿勢は、著しく保守化しているように思える。

 今週には、岸田首相が訪米し、バイデン大統領と会談したらしい。その報道は、岸田が持ち込んだ新安保3文書(国家安全保障戦略、防衛戦略、防衛費倍増計画)をバイデン政権が高く評価したとするもの。
 戦後の保守本流(自民党主流だけでなく、民主党野田政権なども)が旨とする対米従属を極限まで推し進めて、「日米同盟」という政治的オブラートに公然と軍事同盟を包み込むもの。防衛費倍増などは、防衛装備などの必要性から積み上げて、「必要だから予算を増額!」でなく、先に予算ありきで、必要性などの議論は後回し・・というか、なにも議論されていない。どう考えても、アメリカ側の歓心を買うこと自体を目的とするものである。それ自体の是非は、ここで議論できるものでないが、アメリカ側が嘉納するのは当然である。
 保守本流ともいえない旧安部政権は、支持者向けの嫌中言辞にかかわらず、中国やロシア(北朝鮮も)とひそかに折り合いをつけながら、対米協力を控えめにしてきた政策(普天間基地の辺野古移設を遅らせ、ハワイ・グアム防衛の陸上イージス配備を放棄、・・)を行っていた形跡がある(→異様さを極めるバイデン政権)。保守本流を自認する岸田政権は、これを転換するつもりらしい。
 公共放送の報道では、こんな政策の議論を完全に無視して、長時間(2時間)にわたる会談でアメリカ側が岸田の提案を高く評価したことを称賛するだけ。その報道姿勢に嘆息せざるを得ない。


日本右翼の混迷(2022.12.16)

 統一教会の問題が報道されるようになってから、保守や右翼といわれる層で、矛盾が表面化してきた。ここで、日本の保守層の分析をしておこう。

 古いタイプの右翼は、民族派右翼とでもいう人たち。鬼畜米英を叫んだ戦前・戦中の価値観を引き継いで、国粋主義を奉じつつ、日本中心のアジア秩序の構築を夢想していた。現実の政治勢力としては、ほとんど問題にならかったが、ポツダム秩序(戦後のアメリカ覇権)への反感をあらわにしていた三島由紀夫など、思想的には大きな影響を持っていた。通俗的なイメージでいうなら、街宣車を繰る集団も、この民族派右翼に含まれるであろう。

 これに対して、自民党主流など、戦後保守派の主流となったのは、対米従属派といえる人たちである。この人たちは、ポツダム秩序に従順で(この点で民族派右翼の対極)、旧ソ連や中国との対抗する意味もあって、日米安保体制を積極的に支持して、アメリカの覇権を積極的に認めてきた。余談ながら、皇室は、対英米開戦の戦争責任を免れるためのフィクションであったが、戦前からの親英米的な傾向を宣伝し、結果として、戦後の保守本流に近い政治的立場になった(→厳しさを増す皇室と日本会議の確執)。

 これらの2つのタイプは、第二次世界大戦の結果(ポツダム秩序)を認めるか否か、そして、戦争責任をどう考えるかで、決定的な対立がある。
 民族派右翼は、戦前・戦中の価値観を引き継ぐものなので、過般の戦争は、アジア諸国(大東亜共栄圏)の欧米からの独立を実現する正義のものとする。その論理的帰結として、開戦の戦争責任などを認める余地がない。それに加え、戦前の台湾・朝鮮などでの植民地統治や満州経営も、未開の地に近代化の恩恵をもたらしたとする歴史観なので、日本統治からの解放を建国理念とする韓国などとの軋轢は避けられない。
 一方、対米従属派にとって、戦争責任をどう処理するかは、それなりに問題であったが、多くの場合、戦争をひき起こしたのは、国際情勢に疎かった陸軍軍人らで、天皇も含む大半の日本人は、この被害者であったとした。戦争責任を一部の軍人に押し付け、自らは戦争の加害者でなく、被害者であるとすることで、戦争責任を追及されるのを回避してきたのである。

 ここまで、日本の右翼勢力を、民族派右翼と対米従属派という2つのタイプで説明してきたが、個々の政治家は、民族派右翼のフリをした対米従属派などがいて、それなりに複雑である。たとえば、1960年の安保条約改定で日米安保体制を完成させた岸信介は、戦前に満州経営に参画し、対米開戦当初に東条内閣の商工大臣であった。そして、その孫の安倍晋三は、民族派右翼を満足させるような言辞を振りまきながら、トランプとの親密さをアピールする側面もあった。また、保守本流を自認する宏池会を率いる岸田文雄は、この安倍晋三の亜流(安部派・・清和政策研究会)の支持を権力基盤にしている。

 こんな混迷が、統一教会系の政治団体である国際勝共連合の勢力伸長の背景である。勝共連合の戦争責任のとらえ方は、朝鮮統治などに関して、日本人の贖罪を求めるなど、日本右翼の2つのタイプのどちらとも異質である。日本右翼との協働は、「反共」だけを共通点とした野合としかいえないのだが、その反共は、いわゆる共産圏が解体した現代となっては、中国や北朝鮮などの社会主義諸国に敵対するというより(現に統一教会は北朝鮮と親和的)、近代的な個人主義への敵対でないかと思われる。LGBTQなどの性的少数者への嫌悪、選択的夫婦別姓への反対(韓国は別姓なのですがね)、男女共同参画社会への反感、・・である。これが、日本においても、封建的な家族観で、旧来の家族倫理を固守する保守層から、一定の支持者を集める理由であろうし(→個人主義を敵視する人たち)、統一教会がその名称を「世界平和統一家庭連合」に変更した動機でないかと考えている。


宗教保守(2022.11.22)

 トランプが次期大統領選への出馬を表明した。このコラムでも、移民などの少数者を敵視してこれを攻撃する政治手法について、コメントしてきたが(→分断という政治手法)、ここでは、トランプが支持基盤とする福音派などの宗教保守について考えてみたい。

 歴史的に考えるなら、フランス革命などの近代市民革命が宗教教団に敵対的であったことや、レーニンなどの戦闘的無神論が社会主義者に与えた影響もあって、反宗教主義は政治的左翼と結びつくことが多い。これらの場合、宗教教団(フランス革命の場合はカトリック、ロシア革命では正教)は、これらの政治変革に対抗する旧勢力として立ち現れた。
 しかし、こんな事情のないイスラム世界では、イスラム原理主義が、この左翼・右翼の分類にあてはまらないし、政治的には極右と思われているドイツの旧ナチスも、変革者を装って現れたこともあって、反ユダヤを掲げつつも、キリスト教系の教団にも冷淡であった。反宗教主義が政治的左翼と結びつくからといって、宗教と右翼の関係は単純ではない。

 西欧社会では、近代を迎える時期に、宗教教義のうち、たとえば天地創造について、歴史的事実でなく、神話とみなすなど、自然科学と軋轢のある部分を実質的に削り落としてきた。日本の場合は、もっと古く、中世においても、来迎往生を否定(極楽世界の実在性に対する相対化)する親鸞が現れ、霊魂や死後世界の存否などの話題まで排除してきた。禅宗などにおいても、仏を実在の唯一神や最高神と考えるのでなく、修行を通して目指すべき理想の人格とするなど、宗教者の倫理的な側面が強調された。
 その結果、宗教はもっぱら精神世界に関するものとする常識ができ上がり、宗教教団が政治に介入しないとする政教分離原則と相まって、自然科学が発達した現代においても、宗教はその居場所を作ることができた。

 しかし、アメリカのプロテスタント系の宗教保守になると、こんな常識は通じない。彼らにとっては、聖書の記述がすべて。公立学校で、進化論と並列に聖書の天地創造を教えるべきとするなど、現代の感覚では、ちょっと理解できないことを政治的に主張し、また、聖書にないという理由で、同性婚に敵対し、神の教えに反するという理由で妊娠中絶の禁止を求めている。
 日本人から見れば、自然科学や個人の自由、人間の多様性を否定する困った人たちに過ぎないが、アメリカでは、それなりの政治勢力になっている。これは、現代社会の変化に追いつかない人たちが、栄光の過去(18世紀の建国?、19世紀から20世紀の重工業の発展?、・・)を理想化する中で、聖書に関しても、その合理的解釈への変更を拒み、天地創造を事実とする原理主義に陥ったなどと説明されている。
 実際のところ、この人たちは、本当に聖書の天地創造を歴史的事実と信じているのか。友人のアメリカ人に聞いても、困惑した表情で、「いろいろな人がいる」としか答えてくれない。(どこかの国にも、「取り戻す!」などと叫んで、過去を理想化する政治勢力があったが、同じようなものかもしれない。)


Jアラート(2022.10.16)

 月初には、北朝鮮がミサイルを発射したとして、Jアラートと称する警報システムが発せられたが、それに限らず、前月末から、ミサイル発射が異様な頻度で繰り返されている。

 あらかじめ申し上げておくが、筆者としては、安保理決議に反する北の核やミサイル開発について、これを断じて容認するものではない。しかし、一連のミサイル発射を、北の「挑発」とする日本のマスコミの論調には賛同できない。北のミサイル発射は、米韓軍事演習を機縁として行われたものだからであり、「挑発」を相手方の軍事行動を誘発することを意図した行為とするなら、北を「挑発」したのは、米韓側と思えるからである。(念のために繰り返すが、これは「挑発」という言葉の問題にすぎず、米韓の徴発があったからといって、北のミサイルが正当化できるものではない。)

 米韓の前政権(トランプと文在寅)は、対北融和政策の一環として、米韓合同議運時演習を中止していた。現政権(バイデンと尹錫悦)は、この方針を撤回して、日本海で合同軍事演習を行った。
 演習名目で兵力を集中し、そのまま開戦に至るのは、歴史上に繰り返されてきた常套手段。「斬首作戦」を宣伝されている金正恩にとっては、日本海で行われた軍事演習を。生命の危機と考えたはず(→成功した朝鮮半島の非核化)。実際にも、米韓軍が北の領域に侵攻すれば、ほぼ確実に金正恩の命はない。米韓軍の軍事行動によって、直接に殺害されることがなくても、体制の崩壊に至ると、金正恩は、政治色を帯びた裁判にかけられ、処刑されることが予想される。前体制の独裁者は、その権威を徹底的に否定しなければ、新体制を維持できないからである。それだけでなく、前体制の支持者によって、奉じられる可能性のある金正恩の親族なども、同じ運命となる可能性が高い。

 ついでに申し上げるなら、この人にとって、自分の生命がすべて。国民生活なんか気にもしていない。この点を見誤った米韓の前政権(トランプと文在寅)は、制裁緩和などの経済的なメリットをエサにして、対話を試みたが、金正恩は興味を示さなかった。制裁緩和についても、利権を有するであろう北の高官が要求することもあったが、金正恩本人は言及したこともない。この人は、体制維持を求めているだけである。ミサイルをやめさせるためには、軍事演習でこの人を脅すのではなく、体制を保障するというリップサービスを与えることである。もちろん、その政治的は当否は別問題であるが。

 北のミサイル発射は、金正恩の悲鳴である。また、金正恩としても、アメリカと正面戦争で勝利するなどと考えているはずもない。その意味でも、北のミサイルを「挑発」とする日本のマスコミは、事態を意図的に歪めているように思える。もちろん、その背景には、Jアラートなどを報道させ(実際には日本上空・・宇宙空間なので「領空」でない・・を飛び越してからの報道なので、避難などには無意味)、軍事的な危機を演出したがっている政治勢力があるということであろう。


安倍国葬(2022.9.20)

 あらかじめ断っておくが、筆者は、第一次安部内閣の頃から、安倍を肯定的に評価していなかった(→最悪の内閣)。この人を国家的な称賛に値すると考えないので、当然ながら、国葬に賛成しない。しかし、国葬については、やや見当ハズレな議論も行われているようなので、筆者の意見を申し上げておきたい。

 国葬は、国が主催する儀式である。法律上の根拠はないが、それだけに、国葬を規制する法律もない。国民の権利義務に関係する問題でないので、法律の規定や国会の議決が必須でなく、行政権の属する内閣(憲65)の判断だけで行えるものとしてよい。もちろん、国民平等の原則(憲14)があるので、恣意的な特別扱いは許されないが、死後の栄典も憲法の禁じるものではないと考えられる。

 また、多額の警備費用などを理由にする批判もあるが、警備は、犯罪を防止して、国の治安を保つための措置に過ぎず、被葬者が受益者というわけではない。また、国葬でなく自民党葬などとしても、国内外の要人が参列する儀式なら、警備に費用がかかるのは同じであるので、警備費用を理由にして、国葬に反対するのは筋違いであろう。費用を削減するなら、国葬か否かにかかわらず、葬儀を簡素化して出席者を減らし、外国要人の参列目的での入国を制限するなどの措置によるしかない。

 国葬に関して、国会での議決を求める野党もあったが、これは疑問とせざるを得ない。安倍は、「あんな人たちに負けるわけにはいかない!」などと、公然と口にしていたように、国民の一部を、あえて敵に回して、これを攻撃することで、支持者の歓心を買うという政治手法を用いてきた(→分断という政治手法)。安倍にとって、「敵」への攻撃は、支持者の前で演じるパフォーマンスなので、敵との議論など考えられない。国会論戦などの議論による解決を拒んだのは、皮肉なことに、この国葬の被葬者である安倍自身である(マスコミからは「国会軽視」と非難されていた)。安倍を支持するらしい与党と、安倍の「あんな人たち」とされた人たちが、国会で議論をしても、一定の解決に至ることは期待できない。
 国葬に反対する野党の側から、国会での議決を求めるのは、政治的に稚拙であろう。与党の多数による採決で、国葬が可決されて、正当化されてしまうことになるからである。国葬に反対するなら、安倍が国葬というある種の栄典にふさわしいか否かについて、故人への弔意や儀礼などと切り離して、ちゃんと主張すればよい。安倍に対する政治的な評価は、論者個人の政治的な意見なので、国会などでの多数決に適するものでない。

 費用の問題については、警備費用を議論するのが筋違いとしたが、別の問題もある。それは、巨額の予備費である。往年の予算では、1兆円ないし2兆円、一般会計の1%ほどの予備費が計上されていた。それが、安倍内閣の末期、突然に、2020年の予算で10兆円ほどに膨れ上がった。コロナ対策を名目にしたものであったが、給付金などの費目として予算に計上するのではなく、予備費として計上した。
 これも、安倍の国会軽視の最たるものだったが、その後の年度においても、この巨額予備費が踏襲され、6兆円近い予備費が計上されてきた。そして、この巨額予備費が、国葬への費用支出を可能にしたものである。その意味では、安倍政治の暴走の最後の結末が、この「国葬」ということであろう。


旧統一教会と戦後保守(2022.8.18)

 安倍殺害に関連して、旧統一教会とこれに関連した多数の議員の名前がマスコミ各社から報道されている(→安倍殺害)。

 旧統一教会について、注目しなければならないのは、霊感商法などの反社会的な経済活動だけでく、その特異な政治主張である。この団体の政治部門である勝共連合は、日本に対して声高に植民地支配の「贖罪」を求めている。旧統一教会の日本人信者もこの立場で、日本人から金銭を巻き上げることをいとわなかった(金銭が本来の場所に移転するという趣旨で「復帰」と称していた)。戦後韓国は、天皇制日本による植民地統治からの解放を建国理念にしているので、戦前の日本統治を美化できるはずもない(「戦前の日本統治」のほうがよかったなどと言いだすと、政権維持もできない。)

 改めて申し上げるまでもないが、戦前の天皇制日本を理想化するか、それともこれへの批判を出発点とするかは、戦後政治の主要な左右の対立軸で、50年体制では、前者が自民党などの右派(当時の言葉で保守)で、後者が日本社会党(現社民)などの左派(当時の言葉で革新)であった。その対立軸の中で、「贖罪」を叫んで、戦前の天皇制日本を否定する勝共連合(旧統一教会の政治部門)のような右派政治勢力が入り込む余地はなかったはずである。右派は天皇制を理想視するし、左派は自らを戦前天皇制の暴政の被害者とする。ここに贖罪の余地なんかない。
 しかし、岸、中曽根、安倍ら、民族系右翼を自認していた一部が、反共の一点で勝共連合と野合した。その結果、たとえば安倍は、「村山談話」や「河野談話」(慰安婦強制連行)を踏襲する立場を一貫して崩さなかった。これは、表向きに「戦後レジームからの脱却」を掲げて獲得した支持基盤(嫌韓論者を含む)からみれば、裏切りであろう。安倍がいなくなったのだから、旧統一教会の選挙支援を受けてきた政治家らは、これらの立場に、どう折り合いをつけるか、真剣に考えていただきたい。

 もう一点、ここで指摘しておきたいことがある。旧統一教会の問題点指摘の合唱に、NHKがまったく参加していないことである。個々の政治家の旧統一教会への関与は報道するが、旧統一教会そのもの、あるいは、霊感商法などには触れたくないらしい。
 NHKの特異な報道姿勢は、往年の安倍内閣が人事支配を通じて作ったもの。NHKは、中国に言及するときには、ニュース内容に関係なく、「海洋進出を強める」という枕詞を付け、嫌中論者へのごますりに余念がないのに、韓国には何の枕詞も付けない。賠償問題などの特定の話題を除き、日本会議風の嫌韓に同調しないが、これも安倍の影を想起させる(→公共放送の変質)。

 ついでに申し上げるなら、NHKのテレビ・ラジオの語学番組に、「ハングル」というものがる。この言葉は、本来は文字種(いわゆるハングル文字)の名称だが、NHKは南北を対等に扱いたいのか、言語名として、この呼称を使う。もっとも、南北間の言語差異などには無頓着、実質的には韓国語と称するものと変わらない。
 ラジオ第2の語学番組の放送時間でいうなら、この「ハングル」は、中国語と並んで、英語に次ぐ第2位。ドイツ語やフランス語などの2倍近い。大学の第2外国語の履修者数は、ドイツ語・フランス語・ロシア語などのほうが、朝鮮語より何倍も多いはずだし、隣国だからといって、韓国・北朝鮮を合わせても、経済的な重要性が中国に並ぶはずもない。語学番組の放送時間が中国語と同じといわれると、異様とも思えるほどの韓国への傾注に見える。
 さらに申し上げるなら、NHKは韓国のポップ文化の紹介に熱心。NHKラジオ第1は、KPOP(韓国のポップ文化を指す造語だが、実際には現代歌謡曲のこと)を紹介する専門の番組を流したり、語学番組でもポップ芸能の場面での会話を題材にしたり・・で、これも安倍政権の影響を感じざるを得ない(岸田政権下で、むき出しの嫌韓路線に修正されていくかもしれないが)。視聴者が隣国の言語を学習する動機について、これをポップ文化への関心と設定するのは、その国にはほかに見るべきものもないというある種の蔑視を感じざるを得ない。


安倍殺害(2022.7.25)

 7月8日、元首相安倍晋三が、参院選の応援演説中の路上で殺害された。与野党とも声を揃えて、言論の自由への脅威として、非難したが、現時点の報道で、犯人の動機は、宗教団体(世界平和統一家庭連合・・旧統一教会・・韓国系極右)へ恨みを募らせたもの。安倍が標的にされたのは、この宗教団体との関係で安部を恨んだことを理由とするので、政治的なテロとするのは無理がある。

 それにしても、殺害など暴力的手段で、国家などの組織に影響を与えられるのは、その組織の指導者が、余人をもって代えがたい場合に限られる。特別な血統を正統化の理由づけとしている君主国(北朝鮮なども)や、そもそも後継者のいない零細企業などがこれにあたる。これらの場合は、その指導者(実権を有する君主、創業社長、・・)を除くことで、組織の方向を変える可能性もある。現代日本の国政において、個人を暴力的に排除しても、意味はない。安倍と政治志向を共通にする政治家などいくらでもいて、権力を求めて、政権与党の内外に群がっている。特定の個人を暴力的に排除しても、このスペアパーツで置き換えられてしまうだけである。この意味で、現代日本では、そもそも、政治テロの余地は限られると考えてよい。

 今回の殺害事件の場合、やはり宗教団体(世界平和統一家庭連合・・旧統一教会)と、その傘下の国際勝共連合に注目せざるを得ない。洗脳と信者による霊感商法、そして集団結婚式で悪名をはせた統一教会。安倍殺害の犯人は、家族による統一教会への多額の献金で、家庭が崩壊したらしい。
 安倍とこの宗教団体との関係は、これを否定することはできない。安倍の岳父、岸信介元首相からの関係で、安倍自身も、統一教会・国際勝共連合の日本の初代会長であった久保木修己の「美しい国日本」という言葉を、自らの政治スローガンに用いていた(→国粋主義)。嫌韓・嫌中言辞をアオリにしてきた安倍が、韓国系の極右と結びついているのは、違和感を感じる人もいるかもしれないが、統一教会・国際勝共連合の反共的な言辞に親和性があるらしい(→日韓関係の泥沼化?)。選択的夫婦別姓や同性婚に反対する安倍周辺の政治姿勢も、統一教会・国際勝共連合の活動によるもの、あるいは、これらの団体の支持を見込んだものである。

 もう一つの問題は、安倍の国葬であろう。岸田は、吉田茂のほかに前例のない「国葬」を選んだ(当時の内閣は、吉田の「国葬」を将来の前例としない旨を表明している)。安倍への尊崇を強要するものでないとしても、何らかの意味で、安倍を賛美しようとするもの。国葬を強行することで、安倍と政治志向を共通にするグループを味方にしたいらしいが、韓国系の極右とも近い安倍の政治姿勢、野党だけでなく、自民党内からも反発があるはずである。この岸田内閣の政治志向、どんな結果になるか、注目せざるを得ない。


バブル崩壊か?(2022.6.25)

 前稿「貯蓄から投資へ」の続編である。前稿の後段、日銀による超低金利政策の継続が、FRB(米国準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)の政策に反しているように見えながら、実はアメリカ当局の意向を反映したものらしいという理由だったが、説明がややわかりにくかったので、これへの補充稿としてご理解いただきたい。

 2022年3月以降のFRBの利上げで、米国株が下落に転じた。2022年6月時点のマスコミでは、これがバブル崩壊なのか、あるいは、近い将来に破局的な暴落に至るのか、関心が持たれているようである。株価の予想なんか、筆者にできるはずもないが、現在の株式や債券の価格は、空前の金融緩和の中で、形成されてきたものであることは確実であろう。この事情を振り返ってみよう。

 2013年ごろから、デフレ対策を名目に、日米のほか、ヨーロッパでもゼロ金利政策とQE(量的緩和)が始まった。日本では、ちょうど第2次安部内閣の時期。日銀総裁黒田東彦による「異次元緩和」として、「アベノミクス」の一環としての金融政策として宣伝された。さらに、2020年からは、コロナ対策のために、日本でもアメリカでも、給付金のバラマキ(財政支出)が行われて、大量の資金が供給された。
 ここでは、このQEの是非については議論しない。この大量の資金で、2020年初頭のコロナショックで暴落した株価は、日本でもアメリカでも、すぐにV字回復。さらに、アメリカでは数か月で一層の上昇に転じた。この株価の反転上昇は、アメリカでは、コロナ対策の給付金を受け取った個人が、株を購入したと説明され、日本でも、自公政権が「貯蓄から投資へ」という掛け声で、そのときに高騰していた米国株への「投資」がブームになった。
 このように考えると、2013年ころから2022年初頭までの株式や債券の高騰は、金融相場であったことは確実である。同時期のマスコミでは、これがバブルであることが自明のように語られていたはずではなかったのか。この高騰は、破局的な暴落で終わることもあり得るし、まだ崩壊しないと信じて、資金を投入する経済主体があれば、中銀の金融引き締めで資金が減ることで、ゆるやかに下落するだけで、いわゆるソフトランディングというシナリオもある。相場が暴落しなければ、バブルでないのか。結局は、バブルという言葉の定義の問題となろう。あるいは、株式の表面的な価格は維持されたまま、インフレが進んで、通貨の価値が下がることにより、実質的に価値が下がるという結末も想定できる。

 FRBやECBなどの先進国の中央銀行が、QEを終了して、引き締めに転じたので、株式や債券に向かう資金が急減するようにも思えるが、実際にはそうではない。日銀が突出して金融緩和を続けているからである。国内外の投資家は、円資金を借り入れてドル転して(この過程で大幅な円安ドル高が進行中)、米国株でも米国債券でも、買い続けることができる。ここで、「借り入れて」と安易に書いているが、実際にも通常の金融取引として、日常的に行われているものである。日常的に借り入れ取引のある事業者なら、買った米国国債などを担保にすれば、容易に購入資金を借りることができる。個人レベルでも、たとえば米国株式価格連動型のETF(日本の証券市場に上場されている上場投信)を信用取引で購入すれば、円資金を証券会社から借りて、間接的にこれをドル転して、米国株式を買い支える取引を行うことになる。(→貯蓄から投資へ)。
 こんな選択(先進国中央銀行群の大勢に逆らって、日銀だけが金融緩和を継続)、日本の政権レベルだけでできるものではない。日銀が超低金を続ければ、FRBやECBの金融引き締めの効果を減殺することになるからである。自国の中央銀行の資産を正常化しつつ、金融バブルの崩壊による暴落を先送りしたいアメリカ当局の意思を受けて、あるいは、その命令によるものと考えるほかない。その結末、物価高騰でインフレで生活が苦しくなるだけでなく、日銀の資産劣化による悪性インフレも警戒しなければならない。


貯蓄から投資へ(2022.6.18)

 岸田内閣の目玉政策のひとつが「貯蓄から投資へ」らしい。家計の金融資産から、現預金を減らし、株式や投信・債券などを増やすことであると説明されている。
 しかし、これは奇妙な用語法である。「貯蓄」とは将来に備えた金融資産の保有であり、その運用から見れば、同時に「投資」となるものである。この意味では、投資と貯蓄は、コインの両面。投資は貯蓄の反義語でなく、決して、「貯蓄から投資へ」などといえるものでないはずである。
 念のために申し上げておくなら、「貯蓄」という言葉で代表させられているらしい銀行預金も、銀行による資金運用益の一部を預金利息として受け取るという意味で立派な「投資」。配当や売買差益から証券会社の手数料などのコストを引いたものを受け取る株式運用と、本質的には変わらない。また、契約上は元本保証である銀行預金でも、インフレでの目減りを補填できるものでなく、銀行破たんなど影響もあるので、リスクもある。預金保険の上限を意識した預入額にするなど、リスク管理も欠かせない。こんな話は、経済学などに少しでもリテラシーのある人にとっては、アタリマエであろう。

 問題は、貯蓄と投資を反義語とするような稚拙な用語法を揶揄することでなく、株式や外債購入などを、預金と区別し、わざわざ「投資」と名付けて、個人向けに推奨する政策である。
 個人が「投資」として、株式でも外債でも主体的に選ぶのは、もちろん自由。しかし、ハイリスク・ハイリターンという言葉が示すように、収益の期待値(平均値)とリスク(平均値から乖離する度合い)は、強く相関する。積極的にリスクを取る「投資」を行えば、その結果のブレが大きくなるということである。資金規模が小さく、分散投資でリスク回避を図ることも限られる個人の資金の運用手段として、ハイリスクな運用を推奨すべきか、結論は明らかであろう。

 この政策は、預金を集めても収益にならない銀行に、手数料収入のチャンスを与えようとするものであった(→銀行ビジネスの変容)。しかし、資金の流れを考えると、それだけの話ではない。今まで銀行預金などとして集めた資金で、株式やアメリカ国債を買っていたのが、これで足りなくなり、あるいは、年金資金運用基金(GPIF)による株式運用で巨額損失が生じたことが明らかになる環境の中で、投資奨励の掛け声の下、個人の資金で、これを補完しようとするものである。

 実は、この「貯蓄から投資へ」は、最近の日銀の金融政策とも深くリンクしている。現在のところ、アメリカのFRBやEUのECBなど、各国の中央銀行は、インフレ対策のために、急ピッチで利上げを行っている。その中で、日銀だけが超低金利政策を続けている。日本だけがデフレということであろうか?そんなはずはない。資源や食料などの国際商品の高騰に、円安による輸入物価の値上がりまで加わって、激しい物価上昇であることは、日本国内でも実感できる。
 日銀が円資金を低金利で潤沢に供給すれば、投資家(銀行や事業会社・・日本国内に限らない)は、安い金利で円資金を調達し(融資で購入した有価証券を担保にする金融取引)、アメリカ国債や米国株に投資できる(米国債や米国株を購入するために、円資金をドルに換えるので、円安ドル高が進んでいる)。FRB(米連邦準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)が利上げして、QE(量的緩和)に終止符を打っても、日銀の資金によって、コロナ対策のバラマキなどで、その結果、史上最大レベルに膨らんだ金融バブルを続けられる。米国債や米国株などの破局的な暴落を、当面のところ、先送りできるということである(株式など相場には、すでに変調が見られるが、本当のバブル崩壊は、こんな軽微なものでなく、破局的な暴落が予想される)。これが、日銀が超低金利政策を続ける理由である。
 もちろん、こんな金融政策は、意図的というより、アメリカの意向によるもの。アメリカにとっては、他国(日銀)の犠牲で、自国の中央銀行(FRB)のバランスシートを正常化することができる。困るのは、円安・物価高で生活が破壊される日本国内の居住者だけということらしい。そして、金融バブルが最終的に崩壊するときに、最も深刻な影響を受けるのは、最後まで超低金利政策を続けて、通貨円をバラまいていた日本である。


「ウクライナ情勢」(2022.6.6)

 連日のニュースで、「次はウクライナ情勢です」と前置きして、断片的な戦況が報じられている。5月末以来、戦線が膠着しているらしく、ロシア側のマリウポリ占領のほかは、大きな変化がなく、戦火にさらされた人たちには申し訳ないが、やや食傷気味に感じられる。
 ニュースでは、、ロシア兵の規律の悪さや厭戦気分を織り交ぜて(しかし、ウクライナ兵の規律はよいのか?)、ロシア側の作戦失敗を強調し、プーチンやロシア国家の破たんが間近との印象(しかし、ルーブル/ドルの為替相場を見ているだけでも、ロシアの経済が破たんしているように見えない)を与えることに注力しているように見られる。
 こんな報道で、他国の危険性を印象付け、憲法改正などの機運を高めようとする政治的なアクションにも思えるのだが、それ以前に、そもそも、本当に、報道のように、ロシア側が劣勢なのだろうか?

 この話題に入る前に、あらかじめ断っておく、というより、この種の話題に不可欠な儀式になるが、筆者はプーチン政権側を支持するつもりはない・・と断言しておかなければならない。
 プーチンを肯定的に評価する言動は、もっぱら右翼政治家から発せられている。トランプのほか、橋下徹や舛添要一、そして鈴木宗男など。その傾向が読み取れるはずである。ほかにも、安倍晋三は、機を見るのに敏感なのか、それとも現政権に黙らされているがわからないが、プーチン礼賛者である。この人たちを、あえて一括りにするなら、右派ポピュリストとであろう。筆者は、民族主義者であるプーチンを嫌悪するし、これを称賛する論者と相容れるものでない。
 一方、プーチン非難に徹しているのは、毎日新聞や朝日新聞など、伝統的にはリベラルと思わてきた媒体。NATOの東方拡大が、そんなことで他国の都市への攻撃を正当化できるとは思えないとしても、今回のプーチンの軍事行動の一因であることは明らかなのだが、背景に触れないまま、プーチンへの嫌悪感を掻き立てる報道に熱心である(→異様さを極めるバイデン政権)。

 さて、本題にもどるが、果たしてロシアは軍事的に劣勢なのか。そして、制裁で経済的に窮しているのか。これは、こんな好悪や倫理的な非難ではなく、現状認識の問題である。
 戦線は膠着しているので、現時点でウクライナとロシアのどちらが優勢ともいえない。筆者は、ロシアの目的は、NATOに対する緩衝地帯の設置であり、そのために、ウクライナに親露政権を作らせることと考えていた(→ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎)。ウクライナの政権転覆まで考えるなら、東部の占領だけでは足りず、ロシアの挫折を思わせる。
 しかし、よく考えると、これは筆者の誤りだったかもしれない。プーチンは一貫して、「特殊軍事行動」と称している。これは、「侵攻」という表現を回避するための婉曲表現であろうが、ウクライナ東部のロシア系住民を救うとする建前でもある。もちろん、建前なんか、状況しだい、後付けで変えられるので、今後に、さらに戦線を拡大しないという保証にもならない。しかし、現時点では、この建前(ロシア系住民を救うための特殊軍事行動)に沿った行動をしている。
 そう考えると、ロシア側は、所期の目的を達していると考えているかもしれない。北部(首都キエフ近郊)で、ウクライナ軍の施設を破壊して(これがどの程度の効果があったのかは不透明)、そのまま撤収し、東部の占領に向かった可能性を捨てられない。

 一方、対ロシアの経済制裁に関しては、明確であろう。これは、まったく効いていない。
 原油や天然ガスの値上がりは、アメリカやサウジアラビアなどの産油国に利益をもたらす一方で、日本やヨーロッパの輸入国の負担が増えることになる。この点に関しては、ロシアも産油国として利益を得る側。ヨーロッパが禁輸しても、輸出先を変えるだけである。
 また、ロシアは、外貨に窮していない。ルーブルは、対ドルで考えても、開戦時よりルーブル高になっている。日本のマスコミでは、ロシアによる人為的な為替操作の結果としているが、ロシア中銀は、為替市場で売り浴びせられるほどの外貨を持っているということである。(タスなどのロシア国内向けのニュース、タイやインドネシアのリゾートマンションの広告が並んでいる。こんな不動産の代金ドルで払える富裕層がそれなりの数はいるということらしい。)

 プーチン政権への嫌悪感に共感するのはよいが、西欧側の「制裁」は、その少なくとも一部は、アメリカとロシアの談合でないかと疑わざるを得ない。


遠のくウクライナ戦争の終結(2022.5.2)

 2月末のロシアによるウクライナ侵攻。前回のコメントでは、中立化に応じるとのゼレンスキーの言動を根拠に、ロシアとウクライナの妥協が近そうとの感触を申し上げた(→自国賛美の報道)。しかし、キエフ(ウクライナ語の現地音では「キーウ」に近いらしいが、ここでは以前からの日本語文献に多用される「キエフ」とする。)郊外の住宅街ブチャで市民の遺体が大量に発見され、ゼレンスキーが態度を硬化させ、停戦は遠のくこととなった。
 この遺体に関しては、欧米と日本の報道では、当然のように、ロシア側による殺害とされている。ロシアの侵攻にさらされた地域なので、ロシア軍による殺害を疑うのは当然であろう。しかし、実際には、この地域では、ロシア軍だけでなく、ウクライナ側の民兵組織が、それぞれウクライナ支持とロシア支持の市民(腕章の色で区別していたらしい)が入り混じっていた。遺体の発見を受けて、ロシアが国連での中立的な調査を求めたのに対して、イギリスの反対で調査が行われまま、現場が片付けられてしまった。なお、念のために申し上げておくが、ロシア側による犯行を否定する証拠もなく、筆者もその可能性を否定するつもりはない。しかし、結局、真相は不明となってしまったと申し上げるほかない。

 確実なことは、この虐殺事件がロシア軍の行為であっても、あるいは、ウクライナの民兵組織の犯行であっても、この事件、あるいは、この事件の公表により、ゼレンスキーの政治的選択肢は狭められた。ゼレンスキーにとっては、和平の選択肢はなくなり、武器援助を求めつつ、ロシア軍の撃退を唱える広告塔としての役割を演じるしか、政治的に許されなくなったということである。
 一方、ロシア側にとっては、どのように言い繕っても、大きな政治的マイナス。親ロシア政権を作るという目的は、とりあえず実現不可能となり、ウクライナ東部の緩衝地帯化で満足するほかなくなった。
 アメリカ国防長官オースチンは、ポーランド訪問中の4月25日の記者会見で、「彼らがウクライナ侵攻でやったようなことができないようになるまで、ロシアを弱体化させたい」と語った。これは、ウクライナ支援の目的が、ロシアに侵攻をやめさせることでなく、ロシアによる侵攻に乗じて、ロシアを弱体化させることであるとするもの。図らずも、プーチンを挑発して、ウクライナに侵攻させたのは、バイデン政権の政策であったことを白状してしまったようなものであろう(→異様さを極めるバイデン政権)。

 最後に、現在の戦況について、コメントしておこう。ロシアは、ウクライナ南東部のマリウポリ(日本の報道に用いられる呼称だがロシア語発音に近い。)の攻略で膠着状態となっているらしい。日本の報道では、ロシア側の発表である「攻略」を虚言とするものがある。しかし、ロシア側の発表でも、マリウポリ郊外の製鉄所(戦争に備えたシェルター装備を有する)を制圧できていないことを認めながら、これへの攻撃を終了して、包囲しながら投降を待つとしている。そして、ウクライナ側は、製鉄所で抗戦を継続していると主張しているだけで、他の場所に残存部隊がいるとの発表はない。これに関しては、双方が同じことを言っている。
 こんなことで、ロシアへの不信を言い募っても仕方ないのだが、それより興味深いのは、このマリウポリ郊外の製鉄所を守備中の「アゾフ大隊」の名前が挙げられたことである。これは、嫌悪されていた極右民兵団であり(ロシア側が「ネオナチ」として非難していた)、その名称が公然と語られることはなかった。今でも、その性格を残しているのか、それとも、ウクライナ内務省に編入されて、性格が改善されたのか。今のところ、これを判断する材料はない。


自国賛美の報道(2022.4.4)

 ロシアによるウクライナ侵攻は、ロシア側が苦戦しているとされるが、ウクライナのNATO加盟を阻止して、これを緩衝地帯化する目的とするなら(→ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎)、これが達成されそうな情勢になってきた。
 報道では、ウクライナのゼレンスキーは、外国による安全の保障があれば、中立化に応じるとの意を示し、ロシアとウクライナの代表がこれを協議しているらしい。平時にNATO軍などの外国軍隊がウクライナに展開することなく、また、ミサイルなどの武器供与も制限できるなら、ロシアにとっては、その侵攻の目的である緩衝地帯化を実現することができる。比喩的にいうなら、安保条約はご自由だが、外国軍隊を駐留させたり、ミサイルを並べるのは困るというだけ。今後の進展はわからないが、早い時期に停戦が実現する可能性もある。

 報道で混乱が見えると思われるのは、対ロシア制裁の効果と、それに対するロシア側の対応であろう。たとえば、ロシアは、前月31日に、天然ガスの輸出代金について、ロシアの通貨であるルーブル払いを要求した。これに関しては、報道では、「ルーブルを買い支える目的」などとする評論家の意見を紹介していたが、これは見当はずれ。資金に窮した国とっては、外貨が貴重なので、外貨を欲しがるはずという通念に邪魔されて、制裁に苦しむはずの国が、外貨でなく自国通貨を要求したので面食らったらしい。

 国際送金のシステムを理解している人なら、ロシアがルーブル払いを求める本当の理由は容易にわかる。それは、制裁による資金凍結を恐れているからである。メンドウな説明になるが、お付き合いいただきたい。
 現代の送金では、現金(日銀券やドル紙幣)を輸送することはほとんどない。国内送金の場合は、複数の金融機関にまたがるなら、これらの金融機関が中央銀行に有する預金(日本なら金融機関の日銀当座預金)の振替で決済が行われる。しかし、国際送金の場合は、この役割を果たす中央銀行がない。そのために、送金する通貨の発行国の銀行に設けられた銀行間預金の振替で決済されることになる。
 たとえば、ドイツの業者が、ロシアから天然ガスを輸入するのに際して、米ドル払いなら、ドイツの銀行(輸入業者の取引銀行かそのコルレス先)が保有するアメリカの銀行(シティバンクなど)の米ドル預金(銀行間預金)の残高を、ロシアの銀行の残高に振り替えることで、最終的に決済されることになる。
 今のところ、アメリカによる資金凍結は、ロシア中央銀行の資金を対象にしたものだが、ロシアの民間銀行の資金まで凍結されたら、ロシアとしては、天然資源をタダで持って行かれて、代金を受け取れないことになってしまう。そのリスクを回避するためのルーブル払いの要求である。ルーブルの買い支えが目的ではない。
 実際にも、これ以上のルーブル買い支えは、必要ない。USD(米ドル)/RUB(ルーブル)は、侵攻後に120を超えるぐらい暴騰(ドル高ルーブル安)したが、3月上旬をピークに、今のところ、仮にロシア中銀の為替操作などを含んだものとしても、侵攻前の水準に近い80台前半というレベルに落ち着いている。また、為替介入は、タイミングが重要なので、相手しだいの貿易代金の送金が、これに代わるわけでない。

 経済の壊滅などを報じられるロシアだが、日本のマスコミによる操作を疑わせる情報が多い。筆者としても、ロシアの暴挙に対する怒りを共有するにやぶさかでないが、その感情に迎合したマスコミの情報を見て、溜飲を下げるだけでは、自己満足にすぎない。根拠のない他国蔑視と自国賛美は、事態悪化を覆い隠すだけ。実際にも、急速な円安で、JPY(日本円)/RUB(ルーブル)も、すでに侵攻前の水準に完全に戻っている。ルーブルが紙くずになったとする論調の報道もあるが正しくない。この先、日本円は、ルーブルより弱い通貨になり、物価高騰で苦しむのは、ロシアでなく日本という事態もあり得る。また、今回の制裁によって、金融凍結の恐れのある通貨は、国際決済では避けられることが明らかになった。米ドルは、基軸通貨の地位から滑り落ちようとしている。この場合、米国債を大量に抱えた日銀を含む日本の金融機関にも、資産の劣化による信用不安が及ぶことになる。


異様さを極めるバイデン政権(2022.3.24)

 ロシアのウクライナ侵攻は、その開始から1か月。日本の報道では、軍事作戦は失敗し、欧米からの制裁で、ロシア経済は破綻に瀕しているとの言説が流布されている。しかし、戦況がロシア側の企図どおりかはわからないが、侵攻の目的をウクライナの緩衝地帯化であるとするなら(→ウクライナ情勢の緊迫)、マスコミの報道とは逆に、その目的を達しつつあるように思える。また、欧米の制裁によって、ロシアの経済が破たんに瀕しているようにも見えない。

 NATO加盟を求めていたゼレンスキーは、NATO側がこれに消極的であることを理由に、加盟を断念する趣旨の発言をするようになった。これは、ロシアが求める緩衝地帯化への一歩。ゼレンスキーは、ごく近い将来の停戦協定成立に向けて、積極的な発言を行っている。これは、退任を拒みながらも、親ロシアへの転向を約束しているように見える。
 欧米の対ロシア制裁に関しては、ルーブル安でロシアの物価高は進んでいるが、ロシアは世界最大の小麦輸出国で、食料自給率も高い。日本のマスコミが期待するようなスーパーマーケットの棚から商品が消えたといった光景は見られない。原油高で苦しむ欧米諸国より、経済的ダメージは軽度かもしれない。また、ロシア政府は、3月16日の米ドル建て国債の利払いを予定通りに行った。これは、コルレス先の銀行(米ドルなので米銀)にロシア政府の米ドル資金があり、その資金が金融制裁による凍結を受けずに、利払いに利用できたということを意味する。金融制裁の報道がフェイクなのかとも疑わせる状況で、これが続く限り、ロシア国債のデフォルトは回避される。もっとも、現時点では、どうせロシア国債の国外での起債は不可能。その意味では、制裁も有効であると同時に、仮に、デフォルトで信用を失ったとしても、ロシア側に実害は考えられないという意味では、制裁が茶番に思える。

 今回の侵攻、筆者としても、ロシアの暴挙を非難するにやぶさかでない。人口の集中する都市への攻撃として、このコラムを始める機縁ともなったブッシュ政権によるイラク攻撃と比べても、少なくとも同レベルの非難に値する。(→いつか来た道)。
 イラク戦争のときは、アメリカ大統領ブッシュは、フセイン政権を「悪の枢軸」、「ならず者政権」と呼び、日本の小泉政権は、ブッシュを積極的に支持していた。今回のウクライナ侵攻では、プーチンはウクライナの極右勢力を「ネオナチ」と呼ぶが、自民党や極右の維新から、立民や共産党に至るまで、一致してプーチンを非難している。
 このなかで、やや逆風を受けているのは、首相当時に、プーチンとの親密さを強調していた安倍(余談ながら、岸田はそのときの外相)。トランプもプーチンを高く評価することを公言していたので、これも逆風・・。安倍は、嫌露・嫌中・嫌韓を国内政治向けのアオリにしつつも、安倍なりに一辺倒の対米従属を脱して、ロシアや中国(第一次安部内閣の一時期は北朝鮮とも)と、それなりの関係を作ろうとしていたもの。対米従属を是としない勢力からは、むしろ歓迎すべき政治姿勢だったはず。そのため、共産党の田村智子のように、「安倍晋三元首相のすり寄りがプーチン大統領を増長させた(3月22日の参院予算委員会の質疑)」などと非難するのも当を得たものと思えない。

 いずれにしても特筆すべきは、バイデン政権の異様さである。ロシアのウクライナ侵攻を誘発する動きを見せただけでなく(→ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎)、最近では、習近平との電話会談の際に、ロシアに対して援助しないように警告したなどと報道されている。しかし、中国にとっては、欧米の制裁から少し距離を置くだけで、欧米諸国が制裁と称して手放した原油や穀物の利権が自動的に転がり込んでくる。金融についてもロシアを人民元圏に取り込むことができる。何もしなければ、棚からぼた餅。それ以上に、ロシア側に積極的に加担する理由はないし、欧米の制裁が厳しければ厳しいほど、転がり込んでくる利権が大きいので、制裁に反対することもない。ロシアへの援助など、バイデンの言いがかりである。(この事情は、中国に限らず、BRICS各国・・そのうちの一国はロシア自身だが・・がほとんど同じ対応。積極的な対ロシア制裁に同調していない国は多い。)
 ウイグルの人権問題なので中国を攻撃するのはわかるが、こんな行動までロシアへの肩入れとして非難するのは、ウクライナ侵攻への自らの関与を隠しつつ、他国のせいにするという稚拙なトリックでないかと思わせる。バイデン政権は、アメリカ石油産業にとっては、原油価格高騰をもたらす救世主かもしれないが、ウクライナ国民にとっては、悲劇としか申し上げられない。


ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎(2022.3.4)

 ロシアによるウクライナ侵攻が現実になってしまった。
 ロシアの目的は、ウクライナを緩衝地帯化することである(→ウクライナ情勢の緊迫)。この目的のためには、ドンバス地方など、東部の小領域の切り取っても意味はない。ゼレンスキー政権を倒して、親ロシアの政権を作らせなければ、ロシアの軍事的な不安(NATOがウクライナ国境に軍を配備するのは悪夢と考えている)は解消されない。ゼレンスキー政権の要人ら多数を捕獲するか、それとも、ウクライナのほぼ全域を占領しないと、政権崩壊に導くことはできないし、仮に、親ロシア政権ができたとしても、西欧側はメンツにかけても、容易には新政権を承認しないであろうから、国外に亡命したゼレンスキー政権と正統争いとなれば、紛争の長期化の可能性にも警戒せざるを得ない。

 念のために申し上げておくが、筆者は、プーチンやロシアを擁護するつもりはない。プーチンは民族主義を訴求する独裁者。筆者が最も嫌悪するタイプの政治家。そして、ロシアの行動は、他国領域での軍事行動で殺傷を行うという極めて利己的なものである。ただ、ロシアが考える軍事的な必要性(ウクライナ国境にNATO軍と対峙するのは悪夢!)に整合した合理的な行動なので、プーチンの精神疾患などで説明しようとしても無理。個人の狂気に原因を求めるなど、事態の矮小化でしかない。
 しかし、この侵攻の責任を、ロシア側だけに帰することはできない。ゼレンスキー政権が停戦協定(2014年以来のミンスク合意)を無視して、ロシア系住民に自治を認めなかったことなども、ロシア側に侵攻の名分を与えたという意味で、今回の侵攻の遠因だが、ここで指摘しておかなければならないことは、この侵攻については、アメリカも事前に知っていたということである。早々とキエフのアメリカ大使館を閉鎖しただけでなく、バイデンは侵攻開始日を2月16日と予言していた。実際には、この日付では侵攻が行われなかったが(北京五輪の開催中)、純軍事的に考えるなら、バイデンの発言は、情報収集活動の成果をマスコミに垂れ流す利敵行為とされても仕方ないほど、不自然であった。
 また、米露交渉も不可解だった。たとえば、ウクライナのNATO加盟問題だが、NATOは軍事同盟で新規加盟は全加盟国の一致が必要。米国側から加盟を拒むこともできるので、NATO不拡大を米露交渉で決めることもできたはず。しかし、バイデンは、ウクライナのNATO加盟は、同国の主権の問題として交渉の議題にすることを拒んだ。逆に、ウクライナが、自国の領域にどんな武器を配備するかは、ウクライナの主権事項で、本来は米露交渉で決めるべきことでない。これを話し合うフリをしただけで、実際にはなんの合意もできなかった。バイデンが本気で交渉を成立させるつもりだったようには見えない。
 一方、事前に知らなかったらしいのは独仏で、ロシアの侵攻に狼狽して本気で激怒した(そのため、反ロシアの言論が国際社会に急速に広まった)。また、ウクライナも知らなかったらしく、ゼレンスキーはパトロンであるアメリカに逃げられたら困ると思ったのか、直前まで「侵攻はない」と明言して、キエフのアメリカ大使館閉鎖に抵抗しつつ、事前の軍事的な措置は、ほとんど行っていない。このような人(元喜劇俳優)を指導者にすると、ウクライナ国民が不幸になるだけと思わざるを得ない。

 日本では、ロシアによる侵攻の報道を受けて、維新の松井が「核共有」を言い出した。アメリカの核兵器を日本に配備させ、これを日米で共同管理するという趣旨らしい。
 これは、軍事的に考えるなら、ほとんど無意味。アメリカ軍は、機動力と核運搬手段がご自慢の近代軍隊の最たるもの。補給のための海軍基地などは海外に必要だが、核兵器なんかどこに配置しても、世界の軍事バランスに影響ない。わざわざ日本に配備いただくにも及ばない。また、安保理の常任理事国以外の核保有を許さないのが国際社会の大勢。これに反する北朝鮮などが非難され、核開発の疑惑(たぶん虚偽)でイランが制裁を受け・・という状況で、日本が共有(所有権の分有)などを言い出せば、西欧諸国からも批判されるし、アメリカがこれに応じるはずもない。
 このように考えると、「核共有」は噴飯モノ。安倍などの自民党の一部も維新に賛同するらしいが、現首相(もちろん自民)の岸田は、まったく相手にしていない。(現実的な政策といえるものでなく、産経系のメディアが報じただけで、数日中に消えてしまうレベルのヨタ話とせざるを得ない。)

 なお、安倍は、共産党の志位がツイッターで、「プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が憲法9条」としたのに対し、「空想の世界だ」と言い放ったらしい。憲法を改正すべきか否かは別問題だが、政府の行動を限局するのが、近代憲法の本来の使命である。最初から、憲法を遵守する意思もない人にとっては、この憲法の機能など、「空想」かもしれないが。

 プーチンの妄動に乗じて、日本でも魑魅魍魎たちが動き出したようである。目を離せない。


山岳遭難(2022.2.22)

 この季節になると、冬山登山者や山岳スキー(ボード)での遭難が毎週のように報道される。積雪期登山に経験のある記者が少ないのか、時期や積雪状態などを考えると、一般的なハイキングルートでなく、あるいは、スキー場が管理するコース外であることなどが強調され、言外に無謀な行動への非難も感じられる文章が多い。

 これらのケース、結果として遭難に至って、救助や遺体搬出にあたる人にまで、大きな負担をかけている。コース選択や状況判断など、当事者にとっても、反省を促される要素はあるはず。当然ながら、死傷などの結果を当事者自らが受け止めなければならず、その意味で自己責任である。
 ただ、それを超えて、当事者らに非難を加えるべきかは、別に検討しなければならない。冬山にそんなに経験のない筆者から見ても(→「雑記帳」)、急傾斜の新雪斜面に入るなど(ボードが多いがラッセル訓練と称する登山者の例も)、雪崩リスクの評価が甘いケースや、滑落の予想される斜面に、アイゼン、ピッケルを持たない夏山レベルの不適切な装備で挑むなどの例も散見される。
 しかし、遭難例は将来のための知見として活用すれば足りる。住宅地の裏山でも頻発する全層雪崩と異なり、新雪表層雪崩なんかは、登山中でもなければ遭遇することは少なく、リスク回避の方法は、多くの遭難例を通じて学ばれてきた。また、多くの事故が要因となって、登山装備(アイゼン、ピッケル、ロープのほか、スキー、ボードも)が改良されてきた歴史がある。

 遭難者を非難する論調では、捜索や救助の費用を公費負担とすることへのある種の被害者意識のようなものも見受けられる。しかし、捜索や救助の費用は、もちろん依頼者(遭難の当事者かその近親者のことが多いが、それに限らない)の負担。救助は、依頼者と、これに応じて救助する者との契約だからである。
 警察(山岳救助)や消防(救急搬送)の業務に関して、費用を徴収すべきかは問題があるが、救助要請をためらわせて、結果的に死傷者を増やさない程度の金額や徴収方法なら、有償としても、政策的には許容されるし、公平感を保つうえでは、そのほうが望ましいかもしれない。ただ、警察による遺体搬出などの費用を遺族に請求するなどは、交通事故の現場処理などとの整合性を考えなければならないであろう。

 この問題について、筆者がやりきれないのは、やはり、他人と異なることを試みる少数者を許さない心情であろうか(→安田純平氏の生還とカショギ氏の殺害)。整備された登山道や、管理されたゲレンデの外で、行動する者などは、社会的な規範にしたがわない異端者とされてしまう。ネットで見かける自己責任論も、結果を自分で受け止めるという上述のような意味でなく、このような異端者を非難する言辞となっている。こんな心情からは、多くの人が選ぶ被用者としての人生でなく、新たな分野で起業しようとする人など、生まれようもない。最近になって強まっている排外主義とあわせて(→新型肺炎に見る排外主義)、日本の弱体化を感じざるを得ない。


ウクライナ情勢の緊迫(2022.1.23)

 ロシアのウクライナへの侵攻が切迫していると報道されている。ロシア軍がウクライナ国境に兵力を集中している。日本のマスコミでは、これを、プーチン政権の領土欲に基づくものととしたり、ロシア拡張主義的傾向の表れとすることが多い。

 実際にも、ロシアは、2014年に、それまでウクライナ領であったクリミア半島を併合している。しかし、これを拡張主義の例証とするのは、無理であろう。
 クリミア半島は、不凍港を求めていた帝政ロシアが、トルコから奪い取ったもの。トルコ系住民が多かったが、第二次世界大戦中に、ロシア系住民の植民が行われて、ロシア系住民が多数となった。戦後には、地理的な近さから、ウクライナ共和国に属させられていたが、ロシアもウクライナも、ソ連邦の構成共和国だったので、クリミア半島がどちらに帰属するかは、実質的な問題となることもなかった。しかし、ソ連崩壊によって問題が表面化。ソ連崩壊後もロシア海軍が使用していたクリミア半島先端のセヴァストポリ軍港の租借をめぐって、ウクライナとの対立が発生し、ロシアが追い出されそうになったことが、発端となって、ロシアが軍事介入し、ロシア系住民が多いなどを理由に、クリミア半島をロシア領に併合してしまった。このクリミア半島併合について、ロシアを擁護するつもりもないが、軍事的な必要性、あるいは、優位性維持の欲求から生じたものであって、領土的拡大主義とは別の事情としなければならない。

 ロシアは、1991年のソ連崩壊によって、東西冷戦の中で築いてきた東側の衛星国をすべて失った。東西ドイツの統合で東ドイツが消滅(吸収)、ポーランドからブルガリアまでのソ連邦西縁の旧東側諸国がEUに加盟、・・)。そればかりでなく、ソ連邦の構成共和国であったバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)もEU加盟。そして、これらのEU加盟国はNATO(北大西洋条約機構)にも加盟している。
 往年の東西冷戦の時代には、EEC(EUの前身)は西側の国家連合、NATOは西側の軍事同盟であった。これに対抗する東側の軍事同盟は、それぞれCOMECONとワルシャワ条約機構だが、どちらもソ連崩壊の時期に消滅している。もちろん、軍事同盟といっても、今のNATOは、東西冷戦の時代とは異なり、実際にも、「NATO・ロシア理事会」というNATOとロシアの合議機関が作られ、ロシアも、この準加盟国として扱われている。しかし、NATOが、アメリカ主導で作られた軍事同盟という性格は、今でも失っていない。
 ここまでは、ソ連崩壊の結末なので、旧ソ連が衛星国に強要してきた社会主義体制が嫌われた結果とするなら、ロシアを擁護するにも及ばない。
 しかし、ロシアにとっては、自国防衛のための緩衝地帯となっていた広大な地域が、すべて失われたことには変わらない。仮にも、ウクライナのNATO加盟が実現してしまうと、アメリカ軍などを含むNATO軍が、ロシア・ウクライナ国境に配備されるという事態も想定しなければならない。これは、ロシアにとっては、看過できないというより、悪夢であろう。ちなみに、ロシア・ウクライナ国境は、モスクワから500キロメートルfあまりしか離れていない。

 最近の報道では、すでにイギリスがウクライナに対戦車ミサイルなどを供与しているらしいが、これは、ロシアが最も嫌うことであり、ロシアによる侵攻の可能性を高める危険がある。一方、仮に、ロシアがウクライナに侵攻しても、親ロシア政権ができる可能性は低い。ロシア系住民が多いドンバス地方(ウクライナ東部)だけ奪取しても、ロシアにとっての軍事的脅威は解消しない。そんなことをすると、ウクライナのゼレンスキー政権(ウクライナの民族意識に訴求する右派ポピュリストで、ロシア系住民と対立的)は、NATOへの接近をより進めるだけである。
 緊張を緩和するためには、緩衝地帯を作る方法を考えるしかない。イギリスのように武器供与ではなく(ロシアが脅威と感じれば逆効果)、厳しい制裁を具体的に提示しつつ、軍事的関与を控えたほうがよい。EUのメンバーであり、地理的にも影響の大きいドイツやフランスが、口先介入にとどまるのに反して、イギリスのやり方を見ていると、むしろ軍事紛争を歓迎しているように見える。


夫婦同姓(2021.12.23)

 ご存じのように、民法では、夫婦同姓の原則が定められている(民750、条文では「氏」)。
 この原則は、1898年のいわゆる明治民法で、「家」(条文では「戸」)の制度として規定されたことに始まる。明治民法の家制度(家長たる戸主がいる)は、天皇を首長とする国家になぞらえたなどと説明されることがあるが、その淵源をたどるなら、前近代的な企業(武家、農家、商家、・・)が「家」を生産単位としたことから生じたもので、明治民法は、この形式をすべての国民に押し付けたものに過ぎない。その意味で、家制度は、近代というより、前近代の制度であり、天皇制に関連付けるより、生産単位たる家の尊重(家長への尊崇、祖先崇拝、・・)を説く儒教倫理に結びつけて理解すべきものであろう。戦前において、すでに近代企業の発展と賃労働の一般化によって、少なくとも都会では「家」という生産単位が崩壊し、形骸化していたはずである。
 一方、姓は、近世以前においては、武家などの一定の階層に限定されていたもので、ほとんどの国民に関係なかった。現代に続く夫婦同姓は、明治民法が、家制度と結びつけ、家の全員に同姓を強制したことから生じた副作用である。
 現行民法において、家制度は廃止されたが、「家」を通じて同姓とする原則は、「夫婦同姓」や「養親・養子の同姓」などとして、現代においても残され、それを通じて、家制度が同姓集団という形式で温存されることになった。現代においても、「嫁」、「婿」など、「家」を前提とする呼称(親族呼称としては明治民法にもない前近代のもの)や、「家に入る」という意識に基づく「入籍」などという言葉も、平然と使われている。(婚姻の場合は、通常は新戸籍が編製されるのであって、誰かの既存の戸籍に入るわけではない。また、戸籍実務では、別の意味で「入籍」を使うので、婚姻の意味でこの言葉を使うなら、誤用とするほかない。)

 現代の生活で考えるなら、そもそも大半の家族で、「家」が生産単位にならないのだから、これへの帰属を姓で表示しても、経済活動に資することもない。経済活動のためには、姓を名乗ることでなく、たとえば勤務先企業の名刺のほうが有用である。その意味で、夫婦同姓に合理性はない。
 それだけならよいとしても、問題は、婚姻(離婚、養子縁組、離縁、日本国籍取得なども)ごとに、改姓しなければならないことである。これは、当事者が、面倒な役所や銀行等での手続き(印鑑登録、変更届、・・)を求められるというだけでなく、姓の変更によって、個人の同定という姓名の最も重要な機能を害することになる。たとえば、犯罪者や暴力団員として周知されてしまったので姓を変更するなどということを許すべきかは、その事情に応じて、個別に検討すべきで、そのために、「やむを得ない事由」という厳しい限定で、家裁の許可によらせているのである。
 しかし、婚姻や養子縁組による改姓は、婚姻届や養子縁組届という当事者の意思だけで作成できる書類で、姓を変えることになるので、姓名による個人同定という機能を、一気に飛び越えてしまう。姓名の変更による届出などの処理と、信用情報などの修正にも、膨大な社会的コストがかかる。(筆者は、選択的夫婦別姓にも、積極的に賛成できない。個別の事情による許可改姓を認めつつ、別姓とすべきと考える。その意味で、筆者の意見は、夫婦別姓。もしくは別姓を原則とする選択的夫婦同姓。少なくとも漢字圏では、日本以外はすべて夫婦別姓が原則である。)

 最後に、夫婦同姓を日本古来の美習などと主張し(これは前段までに説明したとおり、近代の制度)、選択的夫婦別姓にも反対する人たちについて言及しておく。どんな人たちがこれを主張しているのかは、今さら申し上げるまでもなかろう。ある自民党議員の発言は、「別姓を認めるとなると、家族のファミリーネームの廃止を意味し、家族のいろんな文化やきずなが壊れていくのではないかと思う。ファミリーが個人個人に分断され・・」である。この発言では、「ファミリー」という単語で婉曲化しているが、同姓集団としての家を個人に対置しているらしい。「個人より国家」ではなく、「個人より家」ということである。筆者などは、隣人の夫婦が、同姓でも別姓でも、そして事実婚でも気にもならないが、そうでない人たちもいるということらしい(→個人主義を敵視する人たち)。
 さらに申し上げるなら、「護憲」を主張するリベラルについて、これを改革反対の旧守派として攻撃している改憲派のウヨが、この人たちが理想視する戦前に、すでに形骸化していた古い家制度を守りたがるのは、滑稽な自己矛盾としか思えない。


現実となった改憲(2021.11.22)

 前稿、「牙をむいた維新」の続編である。

 前稿の末尾で指摘したように、大阪維新の会は、大阪都構想で二度も住民投票を行った。これは、府と市の並立を二重行政と称して、これを解消するというものであった。しかし、都道府県と市町村の並立など、大阪府と大阪市に限らない。この構想は、実際には、大阪市を複数の特別区に分割するもの。地方公共団体(市)の配置分合なら、住民投票など無用なのに(いわゆる平成の大合併といわれた市町村合併は、一度も住民投票など行われなかった)、大阪維新の会は、わざわざ自民党に働きかけて(維新を取り込みたがっていた安倍はこれに応じた)、住民投票を必要とするように法律を改正。また、さらにいうなら、仮にも法改正によるなら、府と市の権限などを調整して二重行政を解消する道もあったはずなのだが、この政党がやりたかったのは住民投票。「都」という太平洋戦争中の戦時体制で特設された名称を含めて、筆者としてもウンザリしたものである(→大阪都構想)。
 要するに、この政党は投票を党勢拡大のイベントと考えているのである。住民投票だけでない。大阪維新の会の初代代表であった橋下徹は、任期途中で大阪府知事を辞職し大阪市長に立候補し、知事と市長のダブル選挙(2011年、知事は現代表の松井一郎に)。さらにこの選挙で当選した任期途中で大阪市長を辞職し(2014年、知事の松井一郎も辞職)、またダブル選挙・・と、一度も任期を全うしないまま、辞職と選挙を繰り返してきた。当選して公職に就くことが目的でなく、選挙そのものが自己目的であったと評されても仕方ない。
 考えてみれば、住民投票も公職選挙も、その費用は公金。弁が立ち、大衆宣伝(アオリ!)が得意な政党にとって(→分断という政治手法)、党勢拡大の絶好のチャンスということだろう。住民投票も、そして恣意的な途中辞職による選挙も、何度でも繰り返すことができる。本当にメイワクな話とは思うが。

 これらのやり方を前例とするなら、維新(大阪維新の会、おおさか維新の会、日本維新の会、・・)にとっては、憲法改正についても、改憲のための国民投票で盛り上げて、党勢拡大を図ることが予想される。改憲そのものより、改憲のための国民投票が自己目的になる可能性も高い。
 そうすると、維新の立場からは、改憲といっても、議論のありそうな大きな項目は後回し。改憲項目を細切れに小出しして、毎回の国政選挙ごとに、改憲の国民投票を行いたいなどと考えそうである。現に、松井一郎は、来年の参院選と同時投票を言い出しているので、自民党などがこれに応じる姿勢を見せると、日本憲政史上初の国民投票が実現する可能性も否定できない。

 自民党が改憲項目として検討中してきたものは、軍備保有の合憲化などであった。これは、すでに自衛隊による軍備と、いわゆる有事法制の整備で、着々と実績を積み上げ、自民党では、今さら改憲などの必要性を唱える人は、改憲に熱意を持っていたらしい安倍を例外として、多くなかった。
 この先、維新と国民民主党(往年の民社党の流れを引く旧民主党の右派)がねらう改憲。とりあえずは、一見すると無難なものであろう。しかし、現憲法について、これを占領憲法として、その意義を全否定する往年の民族系右翼のような言動をする議員もいる。また、武力衝突や今般のコロナ騒ぎのようなときに、国民の権利を制限する必要があるとして、これを憲法に明記すべきとする議論もある。民主主義の価値観を守り切れるか、しばらくはこの問題から目を離せない。


牙をむいた維新(2021.11.7)

 総選挙が終わった。野党では、立憲民主党や共産党などが議席減の一方で、日本維新の会が大幅に議席を増やした。
 商業サイトなので、筆者は政治主張を控えめにしてきた。しかし、この維新という昭和の街宣車好みの名称を名乗る政党だけは、どうしてもコメントしておきたい。それは、この政党が、その政治主張への賛否とかかわりなく、人気取り(アオリといえることも)という手法を駆使する非常に危険な存在に思えるからである(→分断という政治手法)。

 今回の総選挙について、立憲民主党と日本維新の会の議席増減について、簡単な分析をしておこう。

 まず、立憲民主党の議席減だが、これはある意味で仕方ない。前回の総選挙(2017年)では、小池百合子が希望の党で野党再編を試みた際に、極右姿勢を鮮明にし、これに同調しない議員らを「排除」すると言明した。その結果、排除された議員らの受け皿(避難先)として、設立されたのが立憲民主党だったからである(今回、小池は病気入院で選挙から逃避)。立憲民主党の前回の当選数は、小池からのを避難によって生じた一過性のものであり、今回の議席減はこれを修正したものと考えられる。
 今回の議席減について、これを共産党との「共闘」を原因とするのは、少なくとも結果としてはあたらない。政権交代に近づいたわけでもないので、共産党との政策協定などは画餅であった(問題があったとすれば、実現性のない政権交代などを前提として、閣外協力などを言い出した共産党側の現状認識の甘さで、枝野にダメージを与える結果となった)。
 共産党との「共闘」で意味があったのは、小選挙区での立候補調整に限られる。立憲民主党の一部の支持者が、共産党を嫌悪したとしても、それは小選挙区での共産党候補への投票を拒んだだけ。一方、共産党支持者にとっても、小選挙区ではどうせ当選の可能性のない共産党公認の泡沫候補に投票するかわりに、自民党などよりマシと思える他党候補に投票したに過ぎない。その結果、立憲民主党側は、いくつかの小選挙区で当選。立候補調整がなければ、立憲民主党の当選者数はもっと減っていたはずである(共産党との「共闘」は立憲民主党の敗因ではない)。なお、共産党側は、指定席(共産党では「オール沖縄」と称しているが、沖縄返還前の沖縄人民党から引き継いだ地盤)ともいえる沖縄1区を除いて、小選挙区での当選はない。
 余談ながら申し上げておくと、小選挙区制は、二大政党を育てる意図だったらしい。しかし、現実には、濫立していた野党に合党を促すのでなく、政権与党の最大勢力である自民党の内部から、新鮮味を訴求する亜流を出現させるだけとなった。維新の創設者であった橋下徹は、大阪府知事選挙で自民党がタレント候補として立てたのが政治へのデビューであったし、小池百合子は小泉チルドレンのタレント候補であった。少なくとも日本では、小選挙区制にかかわらず、積極的に分断を作り出す勢力(小池百合子は前回総選挙で有名な「排除」発言で失敗したが、これも新鮮味の訴求であったはずである)が次々と生み出される状況が続いている。
 いずれにしても、小選挙区に限っては、与野党を問わず、立候補調整は今後も避けられないし、これを「共闘」とするにも及ばないであろう。

 一方、日本維新の会の議席増は、次のような事情である。政権が極右の安倍・菅から、保守本流を自認する岸田へ移り、安倍ロスに陥った極右の票を、維新が集めた。ここまでならよいが、注目しなければならないのは、日本維新の会は、選挙の間、極右的な言動を控えていたために、自民批判票も、これに合流してしまったことである(立憲民主党も、国民民主党も、自民批判票を集めるのに失敗)。この維新の沈黙は、ばらまき型の主張を繰り返していた他の野党や、連立与党内でも公明党の主張と比べても、際立っていた。そして、選挙が終わった途端に、代表の松井が「自民より右の野党になる」と言い出して、「来年の参院選と同時に改憲の国民投票」を打ち上げた。
 行政区画の切り直しに過ぎない「大阪都構想」で、二度も住民投票に訴えて党勢拡大の手段とした維新(大阪市の広報を使って都構想の宣伝)。この政党にとっては、国民投票が自己目的で、その名目は何でもよい。憲法改正も国民投票が必要なので、党勢拡大の機会とでもとらえているはず(この話題は、すぐに採り上げなければならなくなるであろう・・困った話であるが)。


個人主義を敵視する人たち(2021.10.28)

 「寛容さを失う社会」で話題にした内親王の婚姻が成立し、皇籍を離脱した。この結婚に対する反対デモまであったらしい。
 筆者としては、他人の結婚に対して、その配偶者選択に共感できないからといって、口出しをしようとする心性が不可解。金銭トラブルや親族関係に問題のある婚姻なんか珍しくもないのに、わざわざ声を上げて、知人でも親族でもない他人の結婚に反対する人たち。問題の内親王を個人的に非難する口調もあって、皇室崇敬を建前とするいわゆる民族系右翼でないらしいとは思っていたが、正直に申し上げると、結婚に口出ししようとするのが、どんな人たちなのか、まったく見当がつかなかった。

 ところが、今回の婚姻の成立後に、保守系新聞がまとめている記事(たぶん予定稿として事前に書いてあった論説)で、皇室制度の理想と、個人の自由を対比させた解説があった(この新聞は、皇室制度の理想を説いて、皇族を含む個人の自制を求める論調)。
 こんな単純化が許されるのかはともかく、この保守系新聞は、国家主義者(日本会議などの極右)と個人主義者(リベラル)の対立のひとつとして描いているのは間違いないし、そう考えるなら、今回の婚姻さわぎにおいて、内親王の父親(皇位継承第一位)も、非難の対象とされていることも説明できる。この人は、リベラル風の言動もあって、日本会議などの極右にウケがよくないからである(→厳しさを増す皇室と日本会議の確執)。

 こんな騒ぎ、距離を置いて観察するなら、皇室崇敬は国民の美徳かもしれないが、他人の結婚に共感できなくても、これに口出ししないのは、個人的自由を尊重する社会人の常識というだけの話であろう。もちろん、マスコミやネットの言論で、傷つけられた婚姻の当事者にとっては、本当に困った話とせざるを得ない。個人的な自由に価値を認めず、あるいは、価値を認めるとしても、自らが理想とする国家観を優先する国家主義的な思考は、個人に対して決して優しくない。(この点では、生活保護受給者への風当たりとも共通する原因、そして、弊害を感じざるを得ない。)
 ついでに申し上げるなら、皇族やこれと婚姻しようとする人たちは、目立つことを職業として選んだタレントでない。本来なら、恋愛段階での実名報道などは避けるのが、マスコミの慣行のはず。婚姻によって皇籍を離脱する皇族女子の婚姻報道など、事後で足りる。報道すべきは、皇籍離脱の旨と皇族費一時金ぐらい。配偶者の個人情報など無用のはずである。(宮内庁が予定配偶者の個人情報を早々と公表し、マスコミがその粗さがしに走ったのが、今回の騒ぎの発端。皇室会議の議を要する皇族男子の婚姻と異なり、皇族女子の婚姻は、個人的な問題。公務員たる宮内庁職員が関与すべきでない。公務員なら、公務員本来の仕事をしてほしいものです。)

 ・・と書き連ねたが(選挙期間中なので、生の政治話題は回避)、いずれにしても、今回の婚姻さわぎで、ネトウヨと呼ばれる騒々しい保守層の実体に少し迫り(相変わらず理解不能だが)、この人たちがどれだけ個人の自由に無神経なのか、その醜悪さをじっくり観察できたことが、筆者にとって収穫とするほかない。(→ネトウヨとは)。


極右と保守本流(2021.9.30)

 総選挙が近いので、街頭には政治団体のポスターがあふれている。その中には、「強い日本を取り戻す!」などというものまである。
 「取り戻す」は、「美しい国、日本」(→国粋主義)を唱えて、自民党総裁になった安倍晋三が、その翌年の総選挙で用いた政治スローガンであった。過去を理想とするような復古主義に辟易したものであるが、そのときは、何を「取り戻す」のか、あいまいにしていた。表面上は、民主党から政権を奪還して、自公政権の復活を訴えたものであったかもしれないが、その後の安倍の言動を見ていると、そして、冒頭の「強い日本を・・」を見ていると、戦前の体制(アジア各国への植民地支配なども)を理想視する反動的なものだったらしい(→今年は明治150年か?)。ネトウヨが叫ぶ中国や韓国などのアジア諸国への蔑視は、この戦前体制を正当化するうえで避けられない要素であった。

 今回の自民党総裁選挙では、宏池会を率いる岸田が新総裁に。臆面もなく国粋主義や復古主義を振りかざす極右の政権は、一応は終わりを迎えそうである。
 これまで、安倍・菅の極右路線を支えてきた産経新聞系の媒体は、宏池会について、「リベラル色」とする(気に入らないらしい)。しかし、宏池会は、幣原・吉田などによって形成された戦後の保守本流を受け継ぐ団体。決して、リベラルなどという性格ではない。幣原・吉田が戦前に属していた親英米派を引き継ぎ、財務省・外務省官僚のほか、戦後においては、皇室なども、その権力基盤に取り込んできた(対米英宣戦布告を行った昭和天皇が、親英米だったという神話が作られた)。

 筆者にとっては、安倍・菅政権のように、その権力基盤がネトウヨを含む新しいタイプの極右であっても、あるいは、岸田のように、古いタイプの利権団体と官僚機構を権力基盤とするものであっても、それ自体は大きな違いに思えない。
 ただ、政策として考えるなら、それなりの変動を予想せざるを得ない。いつの間にか、政治スローガンから外された「デフレからの脱却」。実際には、先進国でワーストの財政赤字を嫌気した円安もあって、インフレが進行中(→破綻する財政)。日本国内では、賃金の上昇がないので、インフレは政治的に隠蔽されているが、間もなく表面化するであろう。アベノミクスの「金融政策」や「財政政策」は、日銀に紙幣を増刷させ、財政赤字を無制限に日銀に引き受けさせようとするもの。そして、安倍や菅が、中国や韓国などへの蔑視を撒き散らしている間に、日本のGDPは、中国の1/3レベルにまでになり、日本の平均賃金はOECD加盟国の中で22位に落ち込み、19位である韓国よりも年間で円換算で40万円ほど安くなった。これが、アベノミクスの「成長戦略」の正体である。

 財務省官僚も支持基盤に含む保守本流の岸田政権ができると、こんな政策を続けられるはずもない。財政支出を抑制しようとするだけでなく、(困ったことだが)近いうちに消費税増税の声が出てくるであろう。さらに言うなら、アジアからの撤退を進めていたトランプ政権に迎合し、(たぶん意図的に)滞らせていた辺野古の工事などが、促進されることになると予想せざるを得ない。何せ、日米安保体制などの対米従属政策は、保守本流の表看板である。在日米軍を引き留めるために、(これも困ったことだが)沖縄の自然を破壊することなど、この政権にとっては、朝飯前であろう。


タリバンの勝利とイスラム法(2021.8.24)

 筆者が、この話題を書いている間に、アフガニスタンの情勢は急速に進展。8月15日には、タリバンが首都カブールを掌握し、米国の傀儡とされてきたガニー政権の崩壊がほぼ確定した(情勢把握のためもあって、原稿のアップが遅れた)。これから政権に就くことになるタリバンの過激なイスラム原理主義を危惧されている。実際にも、タリバンは、1990年代、女性の行動制限など、近代的なヨーロッパ風の価値観と相容れない統治をおこなって、非難された前歴がある。イスラム法では、聖典の記述が、信者の倫理規範となるだけでなく、民事・刑事の裁判規範になるなどと聞くと、違和感が大きいはずである。これについて少し説明しておかなければならない。

 日本人がなじんでいる法体系は、多かれ少なかれ、国家と宗教団体を分離するという政教分離原則に基づいている。この政教分離原則は、西欧風の民事法典が、非宗教的であった古代のローマ法にその源流を持つという理由もあるが、近代の市民革命が、封建領主でもあったキリスト教会勢力への抵抗という性格もあった。そのため、刑事法などの分野についても、キリスト教会による介入を嫌い、その結果、政教分離が統治の原則として成立した。市民革命を経ず、封建制の実質を残した絶対王政の国家でも、少なくとも表面上は西欧の近代法制に倣った。たとえば、明治の日本は、神道と国家の強い関係にもかかわらず、神道側からの国政への関与は限られていた。
 一方、イスラム法の場合、根本的にこれと異なる。現代においても、政教分離原則はない。というより、そもそも、宗教と世俗を区別する意識もない。聖典や預言者の言行に至上の価値を置き、これが世俗の法律関係をも支配すると考える。一部の国では、民事法のほか、刑法や訴訟法、国際法分野に至るまで、イスラム法(シャリーア)に基づいて運用される(おそらく、今後のアフガニスタンの法制度は、現時点ではわからないが、タリバンの原理主義的傾向を考えるなら、イスラム法の全面適用が予想される)。
 歴史的な経緯に照らして考えるなら、イスラム教は、アラブの商人を中心に広がったもの。イスラム法は、当時においては、封建的な農業社会であった西欧キリスト教諸国の法制と比べても、一定の合理性のあったはずで、これが中世におけるイスラム教の急速な教勢拡大の理由であろう。
 しかし、何世紀も前に成立した聖典の記述に価値を置くものなので、国王や議会などの世俗的権力によって制定される法律と比べると、時代による価値観の変化に、すぐに対応できないという保守性を有している。たとえば、一夫多妻制は、中世において砂漠での戦闘行為でイスラム教の教勢を拡大していた時期には、戦争未亡人救済だったし、利息禁止は、未発達な金融制度のなかで収奪を行っていた高利貸しへの禁圧として機能したはずであるが、現代の西欧的な価値観からは、否定的にみられることが多いであろう。

 今回のタリバンの勝利は、大きな視点で見るなら、米国のブッシュ政権が一方的に始めた「対テロ戦争」の結末といえる。イスラム原理主義(というより、イスラム教の価値観)への嫌悪感を強調して、西欧風の価値観を押し付けることを表向きの理由として(当時はこれを掲げる右翼政治家や文化人をネオコンと呼んだ)、他国での軍事行動を行ったものだったが、今回の撤退で米国による世界覇権の退潮が明らかになった。そして、米国の穴埋めに、中国などが進出を強めることになる。(この点では、1975年のベトナム戦争終結時に似ているが、当時の中国には、米国の穴埋めとして、進出を強める余裕はなかった。実際にも、ベトナム戦争終結の数年後の中越戦争で、中国は実質的に敗北している。)
 一方、日本は、独自にタリバンと接触し、交渉する余地もあったはずだが、タリバンが外交官らに危害を加える危険性があるか否かを判断することもなく、大使館の現地従業員や外務省関連以外の在留邦人は放置したまま、大使館員を全員退避させてしまった。タリバンとの戦争当事国であった米国が、在外公館を閉鎖するのは当然としても(タリバン側から退去を求められるはず)、日本がこれに追随しなければならない理由はない。日本の国益を守るという在外公館の仕事を放棄したといわざるを得ない。


公共放送の変質(2021.7.20)

 筆者はテレビを持たないが、移動中にラジオを聞くことが多い。NHK(日本放送協会)の最近のニュース報道について、異様な傾向が感じられるので、指摘しておきたい。
 その異様な傾向とは、ある種のニュース(主として国際関係の話題)について、そのニュース原稿の本文に含める形で、「解説」を付加することである。

 例として、当月14日付のニュースを採り上げよう。東京オリンピックの開会式に、アメリカは大統領夫人のジル・バイデンを出席させると報じた。これ自体は、他の媒体もほとんど同旨の報道だが、NHKのニュースで際立っていたのは、NHKのニュース編集者がつけた解説。NHKは、このニュースの本文に含める形式で、「専門家」のコメントとして、「大統領夫人を派遣するのは、バイデン大統領のオリンピックへのとても強い思い入れの表れ」などとしている。
 筆者は、バイデンの東京オリンピック重視を否定するつもりもない。言うまでもないことだが、国際的なイベントに、誰を派遣するかは、その国の国際政治の問題である。大統領夫人の派遣は、対日関係ないし東京オリンピックを重視していることを示す目的であることは間違いない。しかし、同時に、国家元首である大統領本人の訪問より、格下であるという二面性も、あわせ持っている。
 こんな二面性のある事象に関して、バイデンの日本重視という側面(繰り返すが、これは否定しないが、自明の事実であるだけに、わざわざ述べる意味もない。)のみを、記者のコメントや「専門家」の意見として、ニュース原稿に加えるのは、やはり政治的な背景を疑うしかない。(開会式の出席者というニュース性のある事実報道に、意味のない解説を付け加えている。一部の聴取者に媚びる意図が明らかで、耳障り。それだけに、ニュース原稿の品位を下げるものだが、実際の効果は、いわゆるネトウヨを喜ばせるだけ。それも、アメリカ政府の政治的傾向が、実際以上に現在の日本の政権に好意的との自己満足をもたらすだけ。空喜びにすぎない。)

 ほかに、NHKが好む解説は、「中国」に関するものであろうか。当月18日付では、外相の茂木が中米を歴訪とのニュース。グアテマラでの会合の記事では「中米でも影響力を強める中国を念頭に・・自由で開かれた国際秩序の維持・強化に向けて連携を呼びかけました。」、パナマでの会談の記事では「パナマが4年前の2017年、台湾と断交し中国と外交関係を結んだことなども念頭に・・連携を呼びかけました。」とある。(アンダーラインは筆者)
 このニュースでも、NHKはニュース性のある事実報道(茂木の中米歴訪)に、茂木の脳内を推測したふりをしつつ、解説(「中国を念頭」)を付け加えている。これに関しては、もちろん中国に対する危険視を広めるという政治的な背景であろう。(中国に関する表現には、NHK自身の特異な性格に起因するものもありそうに思える。この18日付ニュースにはないが、「海洋進出を強める中国」という決まり文句、もしかするとNHKが案出したものかもしれない)。
 中米に限らず、中国がその影響力を強め、アメリカとも競合状態であることは事実である(→中国の台頭)。しかし、実際には、中米は、中国だけでなく、ロシアなど、それ以外の国も影響力を競っている(もちろん、最大の影響力はアメリカ)。日本の外相として、中米の国に連携を呼びかけ、日本の影響力を高めるのは、当然の行動である。しかし、この発言をするときに、茂木が中国を念頭に置いていたか、否定できる話ではないが、なんの根拠もない(少なくとも、記事中に根拠となる事実は指摘されていない)。

 最後に申し上げておくなら、NHKのこのような報道姿勢(上段で「政治的な背景」と申し上げたもの)は、ネトウヨに媚びること自体を目的としたものでなく、おそらく官邸というより、安倍前内閣の意向を反映したもの。NHKに対する執拗な人事介入の「成果」であろう。今のところ、NHKは、ネトウヨが一丁目一番地とする嫌韓には、積極的に与しないが、この姿勢にも、戦前体制に批判的な日本国内の勢力(いわゆる左翼から、保守本流まで)を「反日」などと決めつけて敵視しつつ、韓国政府に対する直接の非難を避けたがる安倍などの意向を疑わせる。


ワクチンの効用と副反応(2021.7.3)

 陰謀論とフェイク情報などの話題は、これを積極的に利用したトランプ前大統領に結びつくものが多い。筆者としては、これらの言説(というより、これに乗せられる人たち)に対して、興味が尽きないが、トランプが言い立てていたアメリカの選挙制度などに、話題を拡大すると筆者の手に負えるものでない。ここでは、トンデモ言説の一例として、そして、ただちに対応しなければならない言説のひとつとして、主として日本国内で出回っている新型コロナのワクチンに関する陰謀論などに、簡単にコメントしておきたい。

 ワクチンに関する典型的な陰謀論は、「ワクチンは殺人兵器」や「ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれている」だろうが、これは荒唐無稽である。兵器は、保有や使用によって、相手を屈服させ、何らかの政治目的を達する道具であるが、ワクチンは、商品化して、それも膨大な数量を出荷してしまえば、誰が(どの国が)誰に使用するか、ほとんど制御不能。兵器として使えるものではない。また、ワクチンは化学物質に過ぎない。透明の液体なので、マイクロチップに限らず、ミリ単位のサイズの固形物を入れられるはずもない。マイクロチップを体内に注入するとしたら、マイクロチップは、ワクチンではなく、注射器に仕掛けなければならないが、注射器は、各国が、手持ちのものや、あわてて複数のメーカーに発注したものの寄せ集め。そして、注射を実行するのも、設立母体も多様な病院の医療従事者に自衛隊の医官まで。これらを繰って、マイクロチップを埋め込ませるなど、考えられない。
 陰謀論といえないレベルのフェイク情報も、多様である。「mRNAワクチンはヒトのDNAを改変する」は、DNAからmRNAに一方的に転写されるというセントラルドグマに反する(RNAウイルスの逆転写は、ヒトのDNAに組み込まれるのでなく、ヒトの体内で、そのウイルスのDNAを作るという別の反応)。このような言説は、高校レベルの生物・化学の知識で反論できるのでわかりやすいが、「ワクチンを打つとX年以内に死ぬ」や「不妊になる」は、どうであろうか?これらは、直接に反証できる言説ではない。出荷からわずかな期間しか経たず、長期的な影響を見極めることなど不可能だからである。そして、これらの言説は、反証不可能であるのと同じ理由で、検証も不可能。フェイクであることがわかる(検証できる可能性のないことを、事実として述べているので、虚偽であることがわかる)。

 筆者は、ワクチンに副反応がないなどと申し上げるつもりはない。ワクチンは、体内で抗体を作らせるもの。これは、本物のウイルスに感染したときと同じ経過を、生体内で再現するものなので、発熱などの副反応は想定される。ただ、病原体を弱毒化した通常のワクチンでも、病原体による抗原たんぱく質の生成のみを再現する目的で設計されたmRNAワクチンでも、その副反応は、本物のウイルスに感染したときの症状より軽度。本物のウイルスへの反応の一部(抗体産生)のみを再現するものだからである。
 もちろん、なるべくなら副反応も避けたいので、ワクチンを打たずに済むなら済ませたい。そんな意識が原動力となって、信じたい情報に飛びつき、それを拡大しつつ拡散しているのが、陰謀論やフェイク情報らしい。ワクチン(新型コロナに限らない)に関して申し上げるなら、ワクチン拒否は、感染を完全に避けられるという理由なら、合理的な行動だが、感染しても大したことがないという理由なら、論理的な矛盾であろう。本物の病原体感染による症状は、ワクチンの副反応より深刻だからである。


中国の台頭(2021.6.21)

 本年6月のG7サミット、合意文書に「台湾の防衛・現状維持」を掲げるなど、中国への対決姿勢を示した。これは、バイデンが自由主義と専制主義の対立を演じたものに、G7各国が賛同したものらしい。

 今までも、個別の国が対中対決姿勢をとることは珍しくなかった。しかし、中国との決定的な対立になれば、深刻な経済的なダメージを受けるのはどこの国も同じ。対中対決姿勢は、国内政治向けの人気取りと考えられていた。
 たとえば、米国のトランプ前政権は「米国第一」を掲げて、中国に対して、ほとんど言いがかりといえる攻撃をしたが(→Huawei製品の排除)、これは、米中双方とバランスの取れた関係を模索していた各国を、中国の側に押しやる結果を招くもの。トランプの側も、これを熟知していたはず。北朝鮮の金正恩との和解を急いで、朝鮮半島から撤退しようとしていた同政権の動きを考えると、この表面的な対中強硬姿勢は、世界の覇権から手を引こうとしていた同政権の孤立主義の一環であったと考えられた。中国の側も、前年の米大統領選挙に際して、トランプの「孤立主義」が自国に有利と考えたらしく、トランプから激しい口先攻撃を受けていたにもかかわらず、トランプ再選への望みを隠さなかった。

 その文脈で考えるなら、今回のG7サミットの合意文書も、バイデンの国内政治向けのフェイクとも考えられなくはない。実際にも、今のところ、米中貿易額に減少の兆しはない。というより、中国の対米輸出額は、コロナの影響もあって、対前年比で大幅増。米国は、今や中国にとっては、最大の輸出国である。
 しかし、伝統的なアメリカを考えると、1990年代に東西冷戦が終結したあとも、米国は、対テロ戦争など、なんらかの名目を見つけては、対立構造を作り、戦争に訴えてきた。その是非はともかくとしても、膨大な軍事予算で、軍需産業を潤しつつ、軍用技術の開発を通じてIT産業を育て、それによって、米国を中心とする世界秩序を保ってきた。その意味で、「覇権主義」である。バイデンの政策は、これへの回帰に見える。
 もちろん、政治のかけひきは単純なものでない。激しい対立は、妥協点をさぐるためであるし、協調的な姿勢も、交渉が決裂すれば一転して厳しい対立関係に陥ることを前提としている。しかし、対中対立にG7各国の賛同を求めた米国のやり方を見ていると、バイデンは、トランプのように激しい口先攻撃をせずに、貿易関係などを通じて、米国の存在感を維持する政策が予想される。(トランプ政権が始めたHuawei製品の排除も、拡大して維持するつもりらしい。)

 今回のG7サミットでは、これに首脳が招待された韓国・インドなど(G7の構成国でない)は、積極的な賛同を控えたらしい(日本国内では、韓国の対米従属からの離脱を嫌韓に結び付ける論者もある)、これらの国は、今となっては、対中関係を対米関係以上に重視しなければならないので、今さら米国の覇権主義に追従することなど、現実の選択肢にはならないということであろう。


ネトウヨとは(2021.5.10)

 このコラムでは、ネトウヨという言葉を、厳格な定義なしに用いてきた。わざわざ定義しなくても、社会的な存在としては明確だし、仮に軽蔑的な評価を含意する単語であったとしても、当のネトウヨがそれを自認することもまれなので(ネット保守などと自称する例はある)、抗議される心配もないという意味で、安易な言葉であるのだが、ネトウヨとは何か、それを特徴づけるものについて、一応の考察をしておこう。

 ネトウヨの定義として、よく引用されるのは、古谷経衡氏の論である。同氏は、ネトウヨについて、右翼言論人の言説を受け売りし、これをネットに拡散する存在と説明する。同氏自身もかつては、これに属していたと自認しているので(同氏は「ネット右翼」と称している・・念のため)、その経験にも裏付けされた的確な描写であろう。
 しかし、これは、まとまった文章を作ることもなく、短いメッセージを発するだけという「ネット民」の描写ではあっても、「ウヨ」の説明にはならない。問題は、ネトウヨが拡散している言説が、どのようなものかである。換言すると、どのような言説が、この人たちの耳に心地よいかである。

 この点は、横のつながりが明確でないネット民、それぞれの好みとする言説が千差万別であることは当然であろう。先に挙げた古谷経衡氏は、嫌韓・反中・反朝日新聞で特徴づけるが、これらの属性で右翼を特徴づけるとしたら、異説が多いはずである。
 たとえば、嫌韓だが、日本の伝統的右翼は、反共政策を掲げる朴正熙などの韓国の軍事政権と親和性が高かった。往年の安倍政権にも、韓国財界との人脈を誇るサポーターも支持基盤に包含していて(→徴用工訴訟に関する韓国大法院の判決)、安倍本人は嫌韓的な言辞を避けている。反中にいたっては、中国政権への反感を最も明確にしているのは、現在の政党レベルでは、日本共産党。香港やウイグルに関しても、中国を厳しく批判している。友党などの存在を認めず、他党をすべて批判対象にするこの党の独善性も要因の一つだが、自民党などと異なり、中国進出企業や中国貿易関連の商社などを支持基盤としないので、これへの配慮が不要ということであろう。そして、反朝日新聞だが、この新聞が1970年代に掲げた原発推進論(同紙科学部記者大熊由紀子の「核燃料---探査から廃棄処理まで」)で、いわゆる左翼からも敵視されることが多い。嫌韓・反中・反朝日新聞のどれもが、決して右翼を特徴づけるものではない。

 やはり、嫌韓などのノイジーな言説をもって(在特会はこれが専門らしいが)、ネトウヨを特徴づけるのは難しく、その基層にある「大東亜戦争肯定 ― 反東京裁判史観」(ここでは、第二次世界大戦を肯定的にとらえた往年の呼称をあえて用いる)が、ネトウヨをウヨにする所以であろうか。
 旧日本軍の戦争犯罪や大日本帝国の植民地経営(朝鮮、台湾、・・)への非難なんか、どうせ現代日本人の大半が生まれる前のこと。現代日本への敵意とも関係ないので、反日などとするに及ばず、歴史的事実として検証すればよいだけなのだが、右翼言論人の一部は、これの正当化に腐心しているらしい。ネトウヨが、この言論人に同調しているのは、現代の日本と戦前の天皇制日本を区別する思考がないからではないのか(意図的に混同させているのは日本会議)。そして、安倍・菅政権は、これを積極的に利用して支持基盤を広げてきた。

 ネトウヨのノイジーな言説という意味では、生活保護受給者に対する反感(→寛容さを失う社会)や、同調圧力が強いこと(山岳事故などに対して持ち出される「自己責任論」)なども挙げられる。このあたりは、前述の「右翼言論人の言説を受け売りし・・」にあてはまらないであろう(言論を業とするプロは避けたがる話題)。筆者からすると、生活保護受給者への非難(羨望の感情?)など、ちょっと感覚的にも理解できず、これを発するネトウヨが、そんな社会階層なのかも容易に想像できない。人物像について、強いてイメージを申し上げるなら、中年以上の学校教員、町内会役員などかもしれないが、現時点では、憶測に過ぎない。もっとも、菅義偉が唱える「自助、共助、公助」も、これと重なる価値観である。ネトウヨについては、さらに考察する必要がありそうである。


ミャンマーと北朝鮮(2021.4.13)

 ミャンマーのクーデターで、軍部が政権を掌握してから、2か月になる。軍事政権は、民主化勢力とされる国民民主連盟(NLD)などを弾圧、これに抗議する民衆を殺傷しているので、国際社会の反発を受けている。といっても、制裁などの実質的な措置は、アメリカが軍事政権関係者の資産を凍結したぐらいで、日本などは口先の非難だけにとどまっている。

 これに関して、国連安保理が対応を取れないのは、中国が軍部を支持して、ミャンマーへの制裁に反対しているなどという言説が流布されている。中国が積極的にクーデターを非難しないのは、この国の人権意識欠如の問題とする価値判断はともかくだが(筆者も否定しない)、中国は、民主化以前から、軍部を支持してきたわけでもないし、今も積極的に支持しているようにも見えない。中国とすれば、隣国のミャンマーに、外国勢力の介入を望まないだけである。わかりやすく言うなら、アメリカ軍などの外国軍隊がミャンマーに侵攻して、中国との国境でこれらの軍隊と対峙するという事態は避けたいだけである。そのために、軍事制裁などに反対して、情勢が安定することを望んでいるに過ぎない。

 この点では、実は日本も同類とするしかない。2010年以降に、当時ミャンマーを支配していた軍事政権が、軟禁中だったアウンサンスーチーを釈放したことを理由に、民主化が進展したとして、ミャンマーへの経済制裁を撤廃。実際には、今回のクーデターでも明らかになったように、軍部が、憲法規定上もそして実力としても、その勢力を保持したままの偽りの民主化だったが、中国やベトナムでの賃金高騰に悩まされていた日系企業が、低賃金労働力を求めて、続々とミャンマーに進出した。すでにヤンゴンには、日系企業がオフィスを並べている。今さら、ミャンマーへの本格的な経済制裁などを行い、これらの企業の存立基盤を失わせることもできない。
 ついでに申し上げるなら、2013年に来日して、安倍と会談して「経済援助」を求めたアウンサンスーチーは、本人の意図とは関係なく、今となっては、その実際の役割は、軍部の広告塔だったのでないかという疑いも仕方ないであろう。

 ミャンマーと似た状況にあったのは、北朝鮮である。2014年には、北朝鮮への独自制裁のうち、人的往来や送金の規制を解除していた。この時点で、当時の首相安倍は、金正恩との劇的な和解を演出したがっていたらしい(このときの官房長官は菅義偉)。もちろん、背後には、北朝鮮への進出を図っていた日系企業もあったはずだが、その動きが具体化する前に、北朝鮮の核実験などで、和解の動きは雲散霧消してしまった。

 最近になって、北朝鮮は、また短距離の弾道ミサイルなどを誇示し始めた。しかし、アメリカにとっては、アメリカ領土まで届くミサイルでなければ、気にもならない。どちらにしても、アメリカは、在日・在韓米軍を含めて、撤退したがっている(アメリカは、以前から一貫して、この問題を、中国を議長とする6カ国協議に委ねようとしている)。わざわざ金正恩と張り合う必要もない。また、韓国にとっては、軍事境界線に並べられた火砲のほうが気になる。数十キロしか離れないソウルを攻撃するのに、ミサイルなんかいらない。短距離の弾道ミサイルなんかに、いちいち反応する気もないらしい。

 ミャンマーも北朝鮮も、大きな情勢変化は、すぐには期待できない。


銀行ビジネスの変容(2021.3.15)

 最近、メガバンクといわれる大手銀行の一角で、システムトラブルが続発している。サイバーテロなどに言及する人もいるが、報道では、合併を繰り返してきた銀行のシステム統合が、うまく行っていないことを原因とされる。
 筆者も、システム開発の経験はあるので、システムの統合が大変な作業であることはよくわかる。各行のシステムは、それ自体、何度もの改造で、機能を追加された継ぎはぎのようなもの。それを、銀行の合併などで、複数のシステムを集めると、どんなことになるか、容易に想像できる。

 このシステムトラブルで、要求払い預金の払戻しが適時に受けられないだけでなく(もちろん銀行側の契約違反)、異常を検知したATMが、カードや通帳をロックして、数千人に影響が及んだらしい。そして、その処理を巡って、銀行側に非難が集中することになる。
 ただ、筆者の見るところ、「客」として上から目線で銀行を非難するなど、少し見当ハズレなものが多い。あらかじめ申し上げておくが、筆者は、この銀行を擁護するつもりはないし、なるべくなら、零細庶民の預金者の側に立ちたい。しかし、預金者の側でも、意識の変革が必要と思われる。

 この銀行に限らないが、近年のゼロ金利政策の下、メガバンクは法人相手の投資銀行業務に傾注し、個人客を意図的に切り捨てようとしている。給与振り込みなどは、雇用主企業との取引が期待できるので歓迎するが、それ以外は排除。今の金利水準なら、数千万円の個人預金を滞留させても、コスト(システム維持費、通帳の印紙税、カード郵送費、・・)に見合わない。特に、高齢者の年金受取口座なんかは、手数料収入も見込めず(年金振込は伝統的に無手数料)、相続でも発生したらメンドウなだけと考えている。
 今や、銀行にとって、預金者からの口座解約は大歓迎(たぶん、数年で、支店数半減、口座数3割減ぐらいの目標を目指している)。渉外担当者が頭を下げて個人預金を集めていた時代とは様変わり。今の銀行は昔の銀行でない。

 利用者の側でも、早くこれを察して、メガバンクから離れて、ネット専業銀行などに移ったほうがよい。もっとも、ネット専業銀行は、メガバンクなどの出資で作られた別動隊。いまのところはメガバンクから離れる預金者の受け皿になっているが、これも一段落したら、やはり手数料(ネット専業銀行のほとんどすべての収入源)の値上げを予想せざるを得ない。そうすると、店舗数の少ないネット専業銀行。コンビニなどに設置された店外ATMでの入出金ごとに手数料を取られることになるが。

 なお、念のために申し上げておくと、普通預金や口座振替など、最低限の金融サービスは、生活に欠かせないものである。その意味で、銀行業務には公共性もありそうだが、日本ではこの公共性を認めない(アメリカなどでは認める)。公共交通機関などは公共性(誰でも一定の条件で平等に利用可)を理由に、暴力団員などの利用も拒まない扱いだが、銀行は、「反社会的勢力」とされる暴力団員との取引を一律に拒否している。これを敷衍すると、銀行の収益に寄与しない個人や零細企業との取引を、公共性を理由に、銀行に強要することもできない。儲からない相手との取引拒否は、銀行のご自由ということである。
 逆に、メガバンクに、担当者なんか付けられて、大切な「客」と扱われる大口の顧客はもっと悲惨。外貨建債券(為替手数料だけで1パーセント近い)や仕組債(系列証券会社から数パーセントの販売手数料)を買わされたり、不動産担保のビジネスローン(スルガ銀行で有名になった商売)を借りさせられたりという地獄のセールスが待ち受けていることになる。もちろん、銀行の収益となる高額の手数料分は、顧客側の期待収益から差し引かれることになるので、結果は見えていると申し上げるほかない。

 メガバンクの目指す「投資銀行業務」は、法規制(銀行本体では証券業ができない)もあって、今のところ、系列証券会社の代理店業務にすぎない。といっても、販売している商品は、国内の上場株式などではなく、もっぱら債券。それも、アメリカ国債などを含めて、アメリカの投資銀行が関与しているものが多い。対米従属に着々と組み込まれていることになる。


破綻する財政(2021.2.28)

 現代貨幣理論(Modern Monetary Theory/MMT)という理論がある。政府はいくらでも通貨を発行できるので、財政赤字などは通貨発行で補填すればよく、通貨発行高はインフレ率に基づいて調整すればよいとする言説である。
 ラリー・ランダル・レイやステファニー・ケルトン(MMTという名称はたぶんこの人に由来)などのアメリカの学者と結びつけられて理解されているが、この根源にあるのは、通貨そのものを価値の源泉とみなす考え方。通貨(現金)自体に価値があるので、これを発行する政府は、自在に価値を生み出すことができるので、財政赤字(借金)を気にする必要がないとするもの。経済学理論というより、経済思想としては、19世紀以前から存在している。伝統的な経済学は、むしろ通貨(現金、不換紙幣、・・)が価値の根源とする考え方を俗説として、これを打破しつつ発展してきた歴史がある。
 そんな理論的な問題を離れても、現代貨幣理論は、積極的な財政赤字を許容する政治主張として機能している。もちろん、主唱者たちもそれを意図していたことは間違いない。

 この現代貨幣理論(MMT)は、アメリカ以外ではほとんど相手にされていないらしいが、前述のステファニー・ケルトンが、日本の財政赤字について、「インフレも金利上昇も起こっていない成功例」と称賛したこともあって、日本においては一定の勢力がある。
 支持者の多くは、伝統的な経済学の素養を身に着けた人たちでなく、善かれ悪しかれ、それから自由な人たちで、日本では、自民党若手の議員グループと、そのブレーンとなっている経済評論家(経済学者とは区別されている)などである。それだけに、俗耳に通じやすい表現が用いられ、「自国通貨建てで借金できる国は、悪性インフレ(物価上昇)にならない限り、どれだけ借金が膨れ上がっても問題ない」などとされる。

 理論的にこれを議論するためには、19世紀初頭からの伝統的な経済学の理論を再構築することにもなるので、この場でできる話でない。ただ、結論から申し上げるなら、「悪性インフレ(物価上昇)にならない限り」という限定辞をつける限り、主流となっている経済学から、そんなにかけ離れたものではない。主流経済学でも、節度のない通貨発行は、「悪性インフレを招く」とするからである。同じことを、裏から述べるか(現代貨幣理論)、それとも表から述べるか(主流経済学)の違いしかない。

 重要なことは、こんな言説(理論的には伝統的な経済学の言い換え)を理論的に批判することではない。現代通貨理論が賛美する財政支出の拡大が、どんな結末をもたらすかである。現代貨幣理論自体もその可能性を告白するように、金利の急上昇など、悪性インフレそのものであると考えざるを得ない。

 [追記:ロシアのインフレ(2021.3.10)]

 最近のロシアでの報道は、「物価」が大きな話題。統計の精度を疑う人もいるらしいので、あえて数字には言及しないが、原油高(これも世界的インフレの兆候)を反映したルーブル高にもかかわらず、食料品から住宅に至るまでの広範囲な物価上昇で、明らかな金余り現象。その上昇速度は加速気味である。
 嫌ロシアを振りまく向きには、プーチンの経済政策の失敗として宣伝したくなるかもしれないが、筆者の見るところ、資源関連の堅調を含めて、ロシア経済に変調はない。インフレは、日本やアメリカの近未来として、注目するしかない。


スポーツの暗部(2021.2.12)

 オリンピックの話題が多い。組織委員会の会長森喜朗が、女性蔑視とされる発言で混乱させた責任を取るとして、辞意を表明した。

 スポーツファンの人たちには申し訳ないが、筆者は、オリンピックなどを含むスポーツ興業を好まない。
 スポーツ自体を嫌悪するわけではない。スポーツといえるものでもないが、登山(単なるハイキングだが)にもよく行く。しかし、プロ野球などのスポーツ観戦を娯楽としないし(プロ野球の球団数も知らないレベル)、自国選手の活躍に高揚感を感じない(NHKアナウンサーがスポーツ中継でナショナリズムを煽る甲高い声に辟易)。

 さらに申し上げると、筆者は、スポーツで強調される精神主義や集団主義などになじめない。一部で民族系右翼の様相を呈する体育会系を別格として、これを除いて考えたとしても、学生スポーツでは、学業を「文」に、課外スポーツを「武」にたとえられることが多い。学業とスポーツを対立的に表現するなら、本来なら「知」と「体」であろうが、往年の武士や近代の軍隊に結びつく「武」という表現を好む人がいるらしい。文武両道などという言葉が、平然と用いられている。

 そして、日本の場合は、その「武」への傾注は、儒教倫理や軍隊組織などへの親和性を通じて、政治的には右翼に直結する。それも、現代のネトウヨからも嫌悪される顔役タイプの古い体質の極右(政治的には、妖怪や魑魅魍魎といわれることが多い人たち)である。冒頭で触れた森喜朗の発言も、このような背景で理解せざるを得ない。
 ここまでは、もちろん日本の話。しかし、旧ソ連などの社会主義国では、国威発揚のために国費で選手を養成し・・と(現代のロシアがドーピングで問題を起こしたのもこの名残か)、左右の対立と関係ないが、これらの国でも、軍隊(というより全体主義ないし国家主義)との親和性は否定できない。

 一方、ヨーロッパ発祥の近代オリンピック。往年はアマチュアリズムを強調して(無報酬という美辞だが、現実には、余暇としてスポーツを楽しめる階層以外は排除)、貴族主義を色濃く反映したものであった。これは、今日でも、オリンピック関係者に、貴族や旧貴族が多い。日本でも旧皇族竹田宮家の竹田恆和がJOC会長だった。
 また、聖火はオリンピックの小道具だが、火を神聖視する宗教性はともかくとしても、ギリシャからオリンピック会場まで、聖火を運ぶという儀式は、1936年のベルリン大会で始められたもので、ギリシャ文明の継承者がゲルマン民族であるというナチスの思想に基づいて案出されたものであった(火は、常に新しい燃料で更新される化学現象にすぎないので、ギリシャで採火された火とオリンピック会場の火が同一ともいえないはずだが)。決して、美化された平和の祭典ではない。

 とりとめなく書いたが、オリンピックに関して申し上げるなら、最近では強烈な商業主義。筆者には、その暗い面が際立つように思える。規模や開催方法を見直しつつ、開催国も、オリンピックを社会インフラ整備の機会にしたいという発展途上国の持ち回りが適切かと思う。


また慰安婦・・(2021.1.16)

 ソウル中央地裁は、元慰安婦が日本政府に損害賠償を求めた民事訴訟で、本年1月8日、元慰安婦側の請求を認める判決を言い渡した。
 産経新聞などの右翼媒体は、これを韓国政府(文在寅政権)の「反日」と宣伝するが、これはさすがに無理であろう。この判決を書いたのは、ソウル中央地裁の裁判官であり、文在寅政権の当局者ではない。また、主権免除(主権国家は他国の裁判権に服しないという原則)に反する非常識な判決などとも非難するが、この原則を適用すべきかの判断も裁判官マターである。日本でも、たとえば、日米安保条約の効力が東京地裁で争われたこともある。主権免除が国際原則であるのと同レベルで、裁判官の独立も国際的に通用する原則である。(すべての法制度でとはいえないが、少なくとも、日本でも韓国でも、裁判官の独立は統治の原則となっている。)

 筆者は、これまでにも繰り返し慰安婦問題に触れてきたが、再説しておこう。戦前の天皇制日本を理想視する日本会議などにとっては、従軍慰安婦の存在そのものを否認したいらしいが、さすがにそれは無理(人数でいうなら慰安婦の多くはいわゆる日本内地の女性)。そのために、慰安婦は自発的な売春であったと主張し、慰安婦問題の存在そのものを否定するが、実体は前借金などを用いた管理売春であり、この正当化は論者の人権意識の低さを露呈するだけである。(→歴史認識)。

 その意味では、いわゆる慰安婦問題、筆者としては、この問題を繰り返し採り上げる韓国側に同調的にならざるを得ないのだが、やや釈然としないのは、韓国側の運動が、愛国心誇示のパフォーマンスと化していることであろう。
 今回の民事訴訟にしても、日本政府から賠償金を取り立てるのは、おそらく二義的。他国の政府相手の訴訟なんか、勝訴の困難さはもちろんながら、敗訴した被告(日本政府)が自発的に判決に応じる可能性はほとんどないし、日本の在外資産への強制執行になると、外交関係に関するウィーン条約など、さらに高いハードルが待ち構えていて、事実上は望みがない。

 一方、日本政府側は、今回の訴訟に対して、積極的に応訴していない。そのため、いわゆる欠席裁判となって、日本政府側の敗訴となってしまった。仮に欠席しても、裁判権の存否など、公益にもかかわる問題については、裁判所は職権で判断して、訴訟を却下することなどができる。しかし、そうだとしても、被告側がまったく争わないとすれば、その不利は明らか。さらに、損害額などの認定については、被告側が争わなければ、原告の主張を認めたことになる。結局、この訴訟では、被告の日本政府が全面的な敗訴の判決となった。
 これに対して、日本政府は、外交ルートで抗議などとしているが、裁判官の独立を考えるなら、抗議を受けた韓国政府にできることはない。抗議は、もっぱら、日本国内向けのアピール(ネトウヨへのアオリ)。そして、控訴もしなければ、このままソウル中央地裁の判決が確定してしまうことになる。困ったものだが、日本政府は、韓国との紛争のタネを意図的に残しておきたいらしい。


オリンピック(2021.1.9)

 国内の新型コロナウィルス新規感染者数は、今のところ、1日5000人超で推移している。菅内閣は、再度の緊急事態宣言を発したが、飲食店の営業時間短縮を要請する程度。実際には、感染を積極的に拡大させてきたGoToキャンペーンを、一時的にせよ停止する効果のほうが大きいだろうが、いずれにしても、近い将来には、欧米諸国と同様に、1日数万人の新規感染者と数百人規模の死亡者を予想せざるを得ない。マスクや手洗いを呼びかけるだけで、沈静化するようなものでない。

 この状況でも、菅内閣や東京都知事は、東京オリンピック・パラリンピックを本年8月(本来の2020年8月から1年延期)に実施しようとしている。いわく、中止したら経済に影響が大きいと。
 しかし、これは、ほとんどフェイクである。波及効果とかでかさ上げされた皮算用について、議論するにも及ばないが、仮に、この波及効果を信用するとしても、すでに競技施設などの箱モノは完成し、工事代金はゼネコンに支払い済み。ゼネコンは社員と下請けに支払い済み。社員は給料を消費生活に回し・・で、今さら、この大会を強行しても、中止しても、お金の流れは、ほとんど変わらない。また、スポンサー企業は、何年も前から、「2020東京」の協賛表示とロゴを商品に表示して、これも本来の開催時期(2020年夏)までには、売上が実現済みのはずで、中止しても影響はない。
 結局、オリンピックの経済効果は、すでに実現済みで、今さらの強行か中止かで異なるのは、せいぜい数週間分の旅行関連業(運輸、交通、宿泊など)の売上と放映権料や入場料ぐらいということになる。

 マスコミにとっては、スポーツ中継はビジネスチャンス。中止論を盛り上げる様子はないが、ネトウヨを含むネット世論では中止論が大勢。聖火リレーなど、一連の行事は、今春から開始しなければ間に合わない。今の状況で可能か否か、誰の目にも明らかに思える。

 また、ワクチン接種に期待する向きもある。大雑把に言うと、ワクチンは、開発に1年。量産に1年。そして、集団免疫レベルの大量接種に数年・・が、最短であろう。新型コロナウィルスが問題になった2020年の初頭から起算すれば、ちょうど1年。すでに、イギリス、アメリカ、中国などで始まっているが、量産はこれからで、東京オリンピック・パラリンピックに間に合うはずもないし、2020年初頭に北京で予定されている冬季大会も間に合わないであろう。
 「新型コロナの清浄国と汚染国に二分される世界」でも指摘したが、中国・台湾を含む東アジア諸国(オーストラリア、ニュージーランドも)では、新型コロナウィルスはほぼ制圧状態で、国内の新規感染者がほとんどゼロである。(韓国では、昨年後半以降に、残念ながら再燃したらしい。)
 これらの国は、おそらく日本に選手団や観客を送ることもないはずで、いずれにしても、東京オリンピック・パラリンピックの実施が現実的と思えない。


寛容さを失う社会(2020.12.2)

 某内親王の結婚をめぐる話題について、一部の媒体が書き立てている。どうやら予定配偶者やその家族の借金に関係する話らしい。ちょっと考えるだけでも、政治家(公選による職)やタレント(目立つことを職業に選んだ人)でもなければ、こんなゴシップを書き立てるなど、ストーカーもどきに思える。少なくとも、他人の恋愛関係を好んで話題にするのは趣味がよいとも思えない。
 筆者としても、こんな話題(封建的な「家」意識に基づく議論は聞くだけでも不快であるし、繰り返し掲載されるこの内親王の顔写真にも失礼ながら食傷気味)に付き合うよりは、アメリカ大統領選挙とか、菅内閣の新型コロナウィルス対策とか、もっと重要な問題を考えたい。結婚などという話は、当事者の意思が優先するのは明らかで、この人の結婚について、皇室の慶事などとして祝福を強要される理由もないが、封建的な家族倫理に基づいて、非難する気にもなれないだけである。

 ただ、この恋愛報道がややメンドウなのは、これを皇籍離脱に際して支払われる皇族費一時金と関連付けて話題にされていることである。皇族費が、予定配偶者の借金返済に使われるとして、嫌悪感を煽る論調。そして、この内親王や、その一家(皇位継承順位1位の親王を含む)が非難されている。
 「分断という政治手法」でも指摘したが、適当な「敵」を設定し、これを攻撃するパフォーマンスが、政治手法として有効らしい。そして、この場合に、その敵が某内親王であり、その父親(皇位継承順位1位であるが、リベラル風の言動もあって、極右にはウケがよくない(→厳しさを増す皇室と日本会議の確執)であるらしい。

 この機会に、皇族制度について、筆者の意見を申し上げておく。日本国憲法には、天皇の規定はあるが、皇族の規定はない。皇室という言葉があるので、皇族という存在を許さないと解釈するのは行きすぎだろうが、平等原則(憲法14条)の例外で、皇位継承との関係で認められたものとするしかない。
 そうすると、たとえば、皇位継承を前提としない女性宮家の創設や、婚姻で皇籍を離れた「皇女」を公務員として儀式への出席など、一定の業務を委嘱するなどは、憲法の平等原則から考えても問題がある。そもそも、国事行為を行う天皇を除いて、皇族に公務はない。公益団体の名誉職などを公務と称しているが、これはマスコミ用語に過ぎず、国や地方公共団体の業務でなく、公務という名に値しない。また、公の支配に属しない公益団体に、元皇族が公務員として関与するのは、憲法89条の趣旨から考えても、望ましいものでない。

 この内親王が、婚姻による皇籍離脱に際して受け取るとされる皇族費一時金は、年額で計算されている皇族費の打ち切り支給。皇族制度や皇族費の金額を議論するならともかく、一時金だけを問題にしても仕方ない。また、皇族は営利企業から隔離する慣行で、この内親王も、30歳近くになっても、いわゆる就職の機会がなかったはずである。皇籍離脱に際して、皇族費一時金を支給するとの皇室経済法の規定が不合理とも思えない。
 ついでに申し上げるなら、婚姻費用を分担するのは双方の責任。たとえば、配偶者の借金を払うことも、婚姻生活の維持に必要なら、婚姻費用から除外する理由はない。その原資が婚姻前の自分の収入(皇族の場合はほとんど見込めないが)であっても、国から支給された皇族費一時金であっても、それ自体が問題と思えない。

 大阪維新の会の代表であった橋下は、(カジノ法案推進の文脈で)「生活保護として支給されるお金はパチンコに使えないように制度改革すべき」などと主張して、生活保護費受給者がパチンコに行くことをやり玉に挙げたが、これは自らの政治目標(カジノ)のために、生活保護への敵意を利用したものである(市町村レベルでは、兵庫県小野市、大分県大分市などが、生活保護受給者のパチンコを制限する条例を制定したが、これも首長の人気取りの性格が強い)。皇族費にしても、生活保護費にしても、受給者を非難する論調は同質のものである。筆者にはちょっと理解できないが、この種の論には、なぜか被害者意識をかき立てられるらしい。他人のことの対して、寛容さを失っているとしか申し上げられない。


日本の感染爆発が始まった(2020.11.18)

 新型コロナウイルスの感染の拡大が止まらない。新規感染者数が、連日のように、過去最大を更新し、最近では1日あたりの新規感染者が1500人以上の数字になっている。(この原稿を書いている11.18は2000人超えが報じられている。)

 GoToと称する旅行と外食を補助金で推進するキャンペーン。本年春の緊急事態宣言などの移動制限(タテマエは自粛だが・・)で、影響を受けた業者を救済する名目で、観光旅行や外食に公費補助を行うものであるが、旅行や外食が安くなるので、業者のほか、利用者にも、それなりの人気があるらしい。今回の感染拡大に際しても、このGoToキャンペーンは継続するつもりらしい。
 また、本年春の流行拡大に際しては、記者会見で緊急事態宣言を求めた東京都知事や大阪府知事も、最近では口を閉ざしている。この人たちにとって、国民の健康なんか二の次で、行動制限を求めた記者会見は人気取りの場にすぎなかったらしい。ここで口を出して、感染拡大を指摘し、政府にその対策を求めることは、そのままGoToキャンペーンに反対することになる。それでは、自らの人気にマイナスということであろう。
 現時点で、GoToキャンペーンの見直しや適用除外に言及しているのは、北海道ぐらいだが、ここでは、本年春を比べて5倍水準で(250人/日程度)、新規感染者が出ている。

 冷静に考えるなら、このキャンペーンは、本年春の移動制限を、巻き戻しているに過ぎない。移動制限は、経済へのダメージを承知で感染症対策を行うものだったが、今度は、経済を名目に感染拡大という代償を見て見ぬふり。ネトウヨを動員して(経済専門家でもないので場違いだが)、その経済効果を声高に宣伝している。マッチポンプという言葉があるが、GoToキャンペーンは1兆円もの公費を投入して、このマッチポンプを行っていることになる。

 まともに考えるなら、本年春よりひどい感染拡大なのだから、GoToキャンペーンはただちに中止して、移動制限を復活させるしかないはずである。どうせ、インバウンド需要の一部は、数年間は戻らないと予想されるので、航空関連や宿泊などの業者の一部は、転廃業も避けられない。公金を投入するなら、これらの業界への激変緩和と、雇用維持に向けなければならない。一部業者の転廃業によって、需給関係を改善すれば、これに至らなかった業者にも、中長期にわたって広く恩恵が及ぶはずである。

 最後に、この病気に関して、風邪並みで大したことがない。少なくとも、日本では、諸外国と比べても、致死率も非常に低く、せいぜいインフルエンザ程度の病気であるとする言説が、(おそらく意図的に)流布されているので、これにコメントしておく。
 この病気については、筆者に確実な知識はない。というより、未解明のことが多く、おそらく誰にも確実なことは言えないであろう。しかし、諸外国と比べて、日本で致死率が低いとするのは、明らかな誤りである。連日の報道では、日本国内の死亡者は15人/日ぐらいとされている。検査件数も少なく、また死因の把握も確実とは言えないが、日本でもおおむね1%前後の致死率で、本年春に報道されていた諸外国の数字と符合する。これは季節性インフルエンザの致死率の10倍以上である。
 この病気を風邪にたとえるのは、病原体の性格からいっても、根拠がない。病原体の類似からいえば、たとえるならSARS(重症急性呼吸器症候群、2002年-)であろうし、だからこそ、初期の報道では「新型肺炎」と名付けられ、SARSにならった完全撲滅を目指していたはずである。(もちろん、10%近い致死率とされるSARSより、新型コロナウイルスの致死率は1桁低いが、これで大したことがないといえるのか。そして、肺胞などの肺組織が死ぬと、生涯にわたって回復せず、後遺症として残ることになる。)

 病気の危険性について、安易な言説を流すのではなく、正当な対処を行うのが政治の責任である。


分断という政治手法(2020.11.6)

 本年の11月になって、重要な投票が2つあった。ひとつは、都構想の是非を問う大阪市の住民投票、そして、他のひとつは、アメリカ大統領選挙である。
 本稿を書いている段階で、アメリカ大統領選挙の結果はわからないが、大阪の住民投票で都構想が否決された。

 都構想は、大阪市を廃止し、特別区を設置するというもの。実質的には市の分割である。本来なら、市町村の合併や分割などの境界変更に住民投票はいらない(地方自治法7条など)。平成の大合併では、一度も住民投票が行われなかった。
 しかし、大阪維新の会の代表であった橋下は、「都構想」などという立派な名前で呼んで、人気取りの材料にしたかったらしい。国政政党に働きかけ、法改正して住民投票を必要にしてしまった。この時点でも、もし、橋下が大阪府と大阪市の二重行政とかを解消したかったのなら、法改正によるなら、政令市の権限見直しなど、もっと合理的な手段も選べたずだが、橋下がやりたかったのは、住民投票。二重行政の解消など二の次で、住民投票が自己目的だったということである。公費を使った住民投票のキャンペーンで、政党の人気を盛り上げたかったらしい。

 およそ政治主張であれば、賛否が分かれるのは当然。多数決原理に基づく民主制を前提とすれば、賛成者を増やすのが政治活動の目的で、敵を作るのは得策でない。しかし、大阪市維新の会(もちろんこれを母体とする日本維新の会も)に特徴的なのは、積極的に分断を作り出すことである。民衆の一部をあえて敵に回し、このマイナスをカバーするだけの支持を、他の民衆から得るという政治手法である。
 その一部は、敵とするのに手ごろな少数派なら何でもよい。敵を打倒するのは目的でない。人気取りのためのスケープゴートに過ぎないからである。戦前のナチスは、反ユダヤ主義で勢力を伸ばした。少し前では、小泉政権が、特定郵便局の局長などを抵抗勢力と名付け、自らを改革者に擬して、選挙で大勝している。トランプは、移民への敵意を煽ることによって、労働者の一部から支持されている。(念のために付言しておくと、こんな話は、左右の対立とは関係ない。毛沢東が行った文革は、実権派と名付けられた最高幹部との権力闘争だったが、紅衛兵を動員して、その敵意を鼓舞するため、権力闘争と何の関係もない学校教師などの末端の幹部まで、文革の標的にした。これも、意図的な分断の例であろう。)
 大阪維新の会で申し上げるなら、当時の橋下は、議員から市バスの運転手に至るまで、すべての公務員を特権階級とみなし、これを攻撃するパフォーマンスで、急激に党勢を拡大し、国政進出の足がかりにした。

 分断を積極的に作る政治手法では、敵とされた民衆からの支持が期待できるはずもなく、この点では不利になる。そのため、他の部分から、それを補うだけの強い支持を集めなければならないので、どうしても熱狂的な支持者(サポーター)を生んでしまうことになるし、そうでなければ成功しない。そして、その政治主張も、熱狂的な支持者を冷めさせないような過激なものに偏ることになる。二重行政の排除を主張した大阪都構想は、そんなところから生まれてきたと考えるしかない。
 冷静に考えるなら、大阪府立大学と大阪市立大学の併存を二重行政の例とするなどは、噴飯モノに思えるが(この政党の広報紙によると、大阪府立中央図書館と大阪市立中央図書館の併存も二重行政というらしい!)、公務員を攻撃するパフォーマンスがこの政党の成功体験。その象徴が大阪市役所であり、大阪市立大学らしい。現実の大阪には、これを熱狂的に支持する人たちもいる。アメリカのマスコミは、トランプの手法を反知性主義などと批判するが、維新の主張にも当てはまりそうな言葉である。

 大阪都構想は、10年ほど前の大阪維新の会誕生以来、繰り返されてきた(→大阪都構想(2011.4.14))。維新という昭和の街宣車が好む名前を付けた最悪のアオリ政党には、そろそろ退場ただきたいものである。そうでないと、この政党の政治手法なら、何度でも住民投票を繰り返すこともあり得るし、仮に次回の住民投票で大阪市の分割が成立してしまったら、今度はその数年後に、経費削減のため特別区を合併して、「大大阪市」を作ろう!などと言い出しかねない。何しろ、この政党にとっては、人気取りのための住民投票が自己目的なのだから。
 商業サイトなので、政治主張は控えめにしてきた。しかし、これだけは、声を大にして申し上げておきたい。「大阪に維新いらない!」、「日本に維新いらない!」


国民管理に使われるIT技術(2020.10.8)

 菅内閣の看板政策は、はんこ廃止。行政手続きのデジタル化らしい。これだけを聞くと、政府部内の問題に聞こえるが、実際には役所への提出書類のデジタル化などで、国民にも影響がある。一方、菅は首相就任前から、携帯電話料金の値下げを口にしている。これを考え合わせると、この内閣の考えていることを推測することできる。
 政策として考えるなら、どちらも合理性が不明確。行政の非効率は、はんこなどの小道具の問題でなく、多数担当者の利権がらみの同意を要件とする意思決定の複雑さによるもの。デジタル化で飛躍的に効率化するものでない。また、携帯電話料金の値下げでは、スマホのヘビーユーザーに便益が偏ることになる。公平性を考えるなら消費税減税のほうがよい。ネトウヨを支持基盤と見極めたのか・・とのツッコミはともかく、この内閣が目指すのは、IT技術を利用した国民管理らしい。

 この点では、中国が世界の最先進国であろう。中国では、IT技術をフルに活用(悪用)して、国民管理を進めている。これをユートピアとするか(治安にはプラスかも)、ディストピアとするかはともかくとして、日本も同じ方向を目指しているらしいので、この国の実情を少し紹介しておこう。
 中国では、列車は、市内の地下鉄などを除き、身分証明書(外国人ならパスポートなどだが、一般の中国人は写真・ICチップ付きの身分証を携帯している)がなければ、チケットを買えない。その番号などがシステム上に登録され、チケットにも印字される。管理は徹底していて、同じ身分証明書で、同時に利用できない複数のチケットを買おうとすると、エラーになってしまうので、二重購入も許されない。指名手配犯などは、この段階で容易に発見できる。また、駅の入り口では、身分証明書とチケットを検査しているので(ICチップの埋め込まれた中国国内の身分証で使える顔認証の自動ゲートもある)、他人の身分証明書でチケットを買っても、使うことはできないシステムである。
 最近では、この管理が長距離バスにまで拡大されているので、身分証明書がなければ、国内移動も事実上不可能。自家用車の場合も、給油ごとに身分証明書と運転免許証、そして車検証をチェックされるほか、随所(交通渋滞を招かない配慮なのか、都市から離れた場所に多い)に検問所(有料道路の料金所のような建物だが、通行料金を徴収するのででなく、身分証明書を検査するステーション)があり、自家用車の同乗者やバス乗客を調べている。
 余談だが、北朝鮮からのいわゆる脱北者は、中朝国境を越えて北朝鮮を脱出した後、長距離バスなどを乗り継いで中国本土を縦断して、陸続きのインドシナに向けて国境を越え、ラオスやカンボジアなどの韓国大使館に駆け込むのが、往年によく使われたルートであった。しかし、ここ数年の中国の厳しい管理の下では、身分証明書なしには、列車にも長距離バスにも乗れない。これを持たない脱北者が、中国国内を長距離にわたって移動するなど、到底不可能であろう。すでに、「脱北」も過去のものとなっている可能性が高い。
 さらに、中国では、数十円単位の少額の買い物まで、Alipay(支付宝)の2次元バーコードによるスマホ決済が主流になりつつある。すでに、スマホ決済のみに対応した無人コンビニなどがあるだけでなく、軽食の屋台でも、現金を受け付けずにスマホ決済を求められることがある。
 近未来は、バスや地下鉄も、その運賃はスマホ決済・・となって、最少額の買い物から、市内の移動など、個人行動の隅々まで、データとして残されてしまうことになるであろう。そうでなくても、2020年の新型コロナウイルス騒ぎでは、スマホによる行動履歴の管理が行われた(外国人は入国時に専用アプリをインストールさせられる)。訪問先や居住ブロックの入り口でバーコードを読み取らせられると、個人行動のデータ化が進んでいる。

 日本では、前の安倍内閣で、消費税増税のタイミングに合わせて、「キャッシュレス化」と称するキャンペーン。クレジットカードなどの現金を使わない小口決済に対して、国費でポイントを付与するという政策であった。ポイントの是非などが話題にされたが、国民がそんなことに気を取られている間に、日常の買い物まで個人別のデータとして記録化されるようになり、その行動管理は着々と進められていると思わざるを得ない。


内閣交替の既視感(2020.9.2)

 安倍首相が辞任の意向を示した。表向きの理由は健康状態らしい。
 もちろん、健康状態も理由のひとつであることは疑いないだろうが、入院治療を要する状態でもない人が、後継を指名することもなく政権を放り出すという選択を、それだけで説明できるものではない。実際にも、「病気と治療を抱え、大切な政治判断を誤ってはならない(8.28の記者会見)」としながら、後任が選ばれるまで首相の執務を続けるのは、論理的にも整合しない。現時点では、議員を辞職することもないらしい。
 この安倍の辞任、筆者には既視感がある。2010年の鳩山由紀夫の辞任である。鳩山は、普天間基地移設の公約を果たせなかったところに、政治資金問題を言い立てられ、党内外の支持を急速に失い、政権を放り出さざるを得なくなった。

 安倍内閣は、旧日本軍の戦争責任を否認するなどの極右言動で、ネトウヨを含む右翼層を支持基盤としてきた(→最悪の内閣(2013.8.15))。一方の鳩山内閣は、一見すると、これと対極に、戦争責任などに関して、アジア諸国との整合性を意識した言動を行ってきた。(もっとも、これは支持基盤を意識した鳩山のパフォーマンスだった可能性もある。鳩山自身は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に属していた。)
 この2つの政権について、政権初期の人気と唐突な幕引きという政権の消長だけでなく、その政策にも、表面的な右・左の対立を越えて、大きな類似点を指摘できる。

 たとえば、鳩山政権下で叫ばれた政治主導と称した官僚支配の打破と、安倍政権の官僚人事の官邸主導など、見事に符合する。鳩山は、官僚体制から反撃を受け、完全に敗北した。その結果、政権を失っただけでなく、政治生命までも奪われた。その後の選挙に、旧民主党の候補として出馬することもできず、政界から引退せざるを得なくなった。一方の安倍政権は、これに一定程度は成功したようで、森友や加計学園問題などの報道では、「忖度」という単語を用いて、官僚側が官邸の意向に迎合的であったとされる。ただ、安倍は、検察のトップ人事で、検察庁側に敗北し、一気に政権基盤が失われることになった(鳩山も、公設秘書の起訴で政権を失っているので、少なくともこの2人にとっては、検察は踏んではならないトラの尾であった)。

 もっと根源的な問題として、鳩山も安倍も、戦後の保守体制(対米従属路線)に抗しようとした形跡がある。
 鳩山は、普天間基地の移設に関して、「国外」も選択肢とする発言を行い、アメリカ海兵隊をグアムに追い帰そうとしていた。一方の安倍は、欠陥商品とされるF35の大量買い付けなどで、アメリカの歓心を買うことはあっても、トランプに要求された駐留経費(いわゆる「思いやり予算」)の大幅増額に応じない。そして、陸上イージスの配備(秋田・山口に配備してそれぞれハワイ・グアム防衛のつもりだったらしい)を拒否した。

 いずれも、対米従属(というより日米安保体制の軍事バランス)から離脱しようとする意図を明確にしたもの。鳩山に対しては、当時のオバマ政権は賛否を示さず静観。安倍に対しては、トランプ政権はむしろアジアから手を引くきっかけとでも思ってるらしく、これに何の反応もないが、トランプが安倍の辞任表明を「残念」とするところから判断すると、安倍に協力させて、在日米軍の撤退をしたかったのかも・・その場合は、駐留経費の増額拒否はトランプの望むところであろう(→アジアから撤退するアメリカ(2019.12.18))。

 対米従属からの離脱に抵抗する勢力は、アメリカ側でなく、実は、日本側にいる。やや陰謀論めくが、官僚組織などの隠然たる日本の権力機構がこれにあたるらしい。対米従属路線を築いたのは、幣原・吉田などの戦後自民政権なので、おそらく皇室(戦後の政権によって、対米宣戦を行った昭和天皇まで、戦前からの親英米派にされてしまった)や検察などを含む勢力であろう。だからこそ、対米従属からの離脱を考える鳩山も安倍も、まず官僚組織の制圧を試み、結局は、これに失敗して政権を追われることになったのでないかと考えている。この点は、また、後日に書き加えたい。

 自民党内の派閥バランスから考えて、安倍の後継として有力とされるのは、官房長官の菅らしいと報道されている。筆者は、自民党内の情勢に明るくないので、この真偽はわからないが、最後に、この人についてコメントしておく。
 菅は、安倍内閣の官房長官として、その支持基盤を意識した極右的な言動を行ってきた。今さらこれを修正できないはず。
 しかし、安倍と同じ路線(対米従属からの離脱)を進めると、検察を使った政治スキャンダルなどで、日を置かずに、この人も失脚させられることになる。この人の選択肢は、アメリカ大統領選挙までの暫定政権としてふるまうか、それとも、駐留経費増額などに応じてアメリカの歓心を買うか(トランプ政権には効き目がないはずなので選挙後)・・だと予想される。
 後者の場合、日本の国益にも決定的なダメージとなるので、しばらくは目が離せない。


新型コロナウイルス感染の第2波(2020.8.1)

 7月後半になってから、1日あたりの新規感染者数が1000人規模。緊急事態宣言が発せられていた本年5月頃の数字を上回っている。PCR検査の件数は、最近になってようやく増えてきたらしいが(それでも諸外国に遠く及ばないが・・たとえば韓国より1桁以上少ない)、それを考慮しても、新型コロナウイルス感染拡大の第2波といわざるを得ない。
 これは、移動や飲食店営業の自粛などで、一時的に抑えられた感染拡大が、その緩和で、元来の増加ペースに戻っただけ。誰でも予想できる結果であり(→日本で現実になる感染爆発)、その意味で、行動制限緩和の論理的な帰結である。

 この感染拡大に対して、政府側の反応は鈍い。・・というより、何の反応もない。政府側が熱心なのは、いわゆる経済対策で、感染症拡大防止に関しては、再度の緊急事態宣言の発出も拒んだままである。
 今回のコロナ禍で、仕事を失い、あるいは、収入が激減した生活者への支援は欠かせない。これは、いくら強調しても、強調しすぎることはない。
 しかし、中小企業者を含む産業界に対しては、少し違う考え方が必要ではないかと思わざるを得ない。そもそも、産業界の苦境は、行動制限によるものである。筆者は、3月から5月に行われた行動制限を、必要な措置だったと認めるにやぶさかでない。しかし、これによって産業界の苦境を招いたことは事実である。行動制限を必要とする状況に何ら変化がないのに、産業界の苦境を理由にして、7月以降は行動制限を行わず、国費で救済となると、古い言葉で表現するなら、「マッチポンプ」と申し上げるしかない。

 集団免疫によって感染拡大を防止するという汚染国シナリオによるなら(→新型コロナの清浄国と汚染国に二分される世界)、今後数年間は、行動制限を続けざるを得ないはずである。仮に、早期にワクチンができたとしても、それを量産し、人口の過半数ぐらいに接種するには、数年はかかる。安易に日常生活を取り戻せるはずもないし、「コロナ前」に戻ることを前提とした産業界への救済措置は、適切と思えない。
 必要な激変緩和措置を施しつつ、「withコロナ」の時代に向けた産業構造の転換にこそ、国費を使わなければならないはずである。在宅勤務を支える通信インフラの整備とセットで、旅客輸送などに関しては、通勤やインバウンド観光の縮小を見込んで、過剰設備の整理を進めるべきであろう。また、一部の都道府県は、接客を伴う飲食店に対して、営業の短縮や休業を求めて協力金を支給しているが、これなども、むしろ転業への助成に切り替えるべきでなかろうか。


朝鮮半島の緊張(2020.6.19)

 新型コロナウイルス感染拡大の第2波について、書こうとしていたら、朝鮮半島軍事境界線の北側、開城(ケソン)で、南北共同連絡事務所(北側は「南北」でなく「北南」と呼んでいる)が「爆破」されたとのニュースが入ってきた。
 これは、数日前に、北朝鮮の金与正(金正恩の実妹とされている)が、談話で予告していたもの。この理由とされたのは、気球で北朝鮮向けの宣伝ビラを飛ばした脱北者団体と、ビラ散布を禁止しない南の政権への反発である。

 この爆破については、北朝鮮側の意図が憶測されているが、説得力のある説明はない。金正恩の後継者に擬される金与正の権威を誇示するためとしても、激烈な言辞と行動では、対外的に不興を買うだけ。対内的に考えても、「敬愛する指導者」であることが求められるこの国では、爆破などの破壊行為は、必ずしもプラスにならない。また、北への融和姿勢を維持してきた文在寅政権を敵に回すような行為は、この国にとって有利とは思えない。
 こんなことを考えると、今回の爆破は、北朝鮮側が冷静に考えた行動ではなく、むしろ、脱北者団体のビラに感情をむき出した対応と考えたほうが、わかりやすいかと思う。少なくとも、金与正の談話(脱北者団体を「屑」と呼んでいる)を無視して、勝手に論者の思い込み、(たとえば、「北でも新型コロナが蔓延し、軍に不満が高まっているので、対外強硬策が必要・・」など)を盛り込んだ憶測をすべきではなかろう。また、金与正は南との交渉も拒否しているので(文在寅の特使派遣の提案を激烈な言葉で拒絶)、制裁解除とか経済援助の要求に結び付けるのも、根拠がない。というより、交渉を求めるために、破壊活動に至ったなどと考えるのは、荒唐無稽な憶測であろう。

 日本のマスコミでは、あまり報道されないが、脱北者団体が飛ばしたビラの表現は強烈で、金正恩を「人間白丁(歴史上の賤民の呼称)」などという差別用語で呼ぶだけでなく(この用語は北が南の大統領クラスに使ったこともあるが)、合成写真を用いて、金正恩一族の裸体を表現するなど、卑猥(というより醜悪)なものまで含まれる。筆者が見ても、脱北者団体の政治的な主張や、体制の優位性のプロパガンダなどというレベルでなく、金ファミリーを侮辱して、これを感情的に怒らせることに主眼を置いているとしか言えない。日本刑法で考えるなら、政治主張が含まれるわけでもないので、公益性は認められず、名誉棄損罪がストレートに成立というレベルである。
 金ファミリーの神聖性を削ぐという政治的な意図を読み取れなくはないとしても、エロ本に政治指導者を登場させたようなものなので、このビラを見ても、北の住民の賛同や共感を集められるとも思えない。怒りと嫌悪感を買うだけで、政治的にはマイナスであろう。

 北の指導部(金正恩、金与正、・・)は、ビラに反発して、激烈な行動を行ったが、その実際の効果は、南の文在寅政権の政治的成果である南北和解の成果物を、物理的に破壊してしまったということである。文在寅政権のダメージは大きい。
 この結果については、ビラ配布を行った脱北者団体も予期していたに違いない。だからこそ、北住民に対する政治プロパガンダとしては効果のないビラを配布して、もっぱら、北を感情的に怒らせる挑発を行ったのではないか。そして、それは、脱北者団体(というより韓国の右翼)が、北に対する静観を基本方針とする文在寅政権に反発した結果ではないか。「動機」を議論するなら、金正恩、金与正などの気まぐれな破壊活動のそれではなく、脱北者団体がビラの表現をエスカレートさせている理由(これに資金を提供したらしい韓国ウヨの意図)を話題にしたほうが建設的であろう。
 この脱北者団体と文在寅政権の闘争の第一ラウンドは、南北関係悪化によって、文在寅政権の支持率が低下したという形で、脱北者団体側の勝利である。南北関係悪化は困ったものだが、アジアから手を引きたがっているトランプ政権は(→アジアから撤退するアメリカ)、これにほとんど関心を示していない。中国などからも、何の反応もない。今回の件で、朝鮮半島情勢が、大きく変わると考えていないらしい。

 [追記:金与正は後継者か?(2020.7.30)]

 この一連の北の暴挙、金与正の後継者としての地位固めなどと憶測する論者がいる(日本にも韓国にも)。しかし、完全に見当ハズレであろう。(いい加減な評論家に嘆息せざるを得ない。)
 本稿の本文で書いたとおり、この暴挙が、金正恩らの怒りから発したものとするなら、これを自らの名前で行った金与正は、金正恩のかわりに、汚れ役を演じさせられたにすぎない。
 仮に後継者であるなら、もっと大事にされなければならず、口汚くののしる役ではなく、人民に恩恵を施す指導者として演出されるはず。現時点では、金与正は、後継者に程遠い存在と考えるしかない。


新型コロナの清浄国と汚染国に二分される世界(2020.4.20)

 新型コロナウイルスに関して、筆者は、封じ込められることないと予想した(→新型コロナウイルスに終息はない)。これは、3月初旬時点の判断だったが、その時点ですでに、日本社会には、未検査の感染者が相当数いると見込まれ、積極的な検査でこれを発見し、隔離しなければ、感染者をゼロにすることはできないとする判断である。

 論理的に考えるなら、感染症の流行を沈静化させるためには、封じ込めによって感染者をゼロにして、病原体を集団から完全に取り除くか、それとも、感染者の拡大やワクチンによる免疫の集団化によって感染を沈静化させるかしかない。前者は、SARS(重症急性呼吸器症候群、2002年-)の解決法であり、後者は、新型インフルエンザ(2009年のブタ由来のH1N1)の結末である。感染症対策の出口戦略は、基本的にこの2種類。国の政策として考えるなら、病原体の完全な封じ込めを目指す清浄国シナリオか、それとも、封じ込めをあきらめて、感染拡大やワクチンの大量接種によって集団に免疫を獲得させる汚染国シナリオかの二者択一ということになる。

 現在のところ、世界のほとんどの国は、少なくとも表向きは、清浄国シナリオを追及している。すでに、中国(本土、香港、マカオ)や台湾、そして韓国では、厳重な行動制限と広範囲の検査で、これらの地域内での封じ込めの成功に、見通しをつけているらしい。たとえば、新型コロナウイルス発祥の地とされる武漢でも、外国からの入国者(一定期間の隔離が強制されている)を除いて、新規の感染者ゼロが報じられている。韓国などの他の国・地域でも、これに近い状況らしい。
 もちろん、感染者数などの情報には政治的バイアスもあるはずで、それには注意が必要。また、ごく少数でも感染者(人畜共通の感染症らしいので感染動物を含む)が残っていると、行動制限の緩和とともに、流行が再燃する可能性もある。しかし、中国などは、多大なコスト(2か月ほどの全国民自宅軟禁と産業の停止)を払って、清浄国を目指してきた。(念のために申し上げておくが、今回の新型コロナウイルスに関して、一部アメリカ系の媒体では、中国が意図的に散布したものとの報道もあるが、中国が払ったコスト・・というより破滅的な被害・・を考えただけでも、中国政府による故意はあり得ない。もっとも、習近平指導部に反対する中国人某の犯罪・・や、アメリカがこれをスパイに仕立てて・・などと、謀略論に走るなら何でもアリだが、状況証拠を含めて、今のところ何の根拠もない。)
 中国としては、今さら汚染国シナリオに移行することなど考えられないであろう。もちろん、これは、中国に限らず、封じ込めのために、多大な労力(たとえば韓国では日本より2桁も多い検査件数)を払ってきた国や地域にも共通する。

 一方、アメリカやイギリスを除くヨーロッパ(フランス、北 欧の一部・・)、そしてブラジルなどの政府指導者には、早々と封じ込めをあきらめた言動が見られる。産業の停止などのコストを払うより、適当な速度で感染を広げ、集団に免疫を獲得させるほうが現実的とする考え方である。そうなると、世界は清浄国と汚染国に分けられてしまうことになる。
 日本が目指しているのは、清浄国シナリオなのか、汚染国シナリオなのか、政権サイドからは何の発信もない。安倍政権は、そんな出口戦略を明確に意識する余裕もないらしい。ずるずるとトランプ政権などに引きずられながら、汚染国シナリオ以外の選択肢を失いつつあるのが、日本の現状である。(筆者の予想は、最初に申し上げたように、汚染国・・)。
 清浄国は病原体を持ち込ませない水際対策として、汚染国との往来を制限するが、この分断は短期間で終わらない。ワクチンができ、清浄国の国民にも大量に接種などが実現するまで、少なくとも数年は、清浄国と汚染国の分断が固定化されことになる。その間、世界経済への影響は絶大であろう。

 この稿の最後に、WHO(世界保健機構)の動向に関してコメントしておきたい。日本やアメリカのマスコミの一部では、この組織が中国寄りであるとの話が流されている。トランプに至っては、これを理由に、WHOへの拠出金を支払わないと言い出した。世界的なパンデミックのさなかに、なんとも困ったものである。
 WHOは、後追いで現状認識(「まだパンデミックでない」、「今はパンデミック」、「潜伏期間は・・」、・・)を示してきただけ。当然ながら、たとえばアメリカの政策に対するなんの権限もないし、アメリカにも中国にも、政策的な影響を与えていない。中国は、国境閉鎖を不要とするWHOの意見にも反して、1月下旬には都市封鎖と海外旅行の禁止。日本は、検査の拡大で封じ込めを求めるWHOの意見に反して、検査件数を絞り込んだまま。いずれにしても、ウイルスの危険性は世界中で知れ渡っていたはずで、各国の政策は各国政府の責任。アメリカの政策的失敗(2月になってもトランプは大したことないと言い続けていた)を、WHOのせいにするのは見苦しいと思わざるを得ない。

 興味深いのは、そのWHOが4月中旬になって「ワクチン待望」を言い出したこと。これは免疫に期待するもので、汚染国シナリオの許容と考えられる。清浄国シナリオに成功している中国のハシゴを外し、アメリカにすり寄ろうとしているのか、今後の動向に目が離せない。


日本で現実になる感染爆発(2020.3.20)

 新型コロナウイルスの感染者数が、全世界で刻々と増え、本日(2020.3.20)の時点で感染者が約244,500人、死者が1万人超に達しているらしい。これは、もちろん、各国がそれぞれの基準で感染を確定した人数の合計である。
 一方、日本国内の感染者は900人ほどで、そのうち死者が33人とされている。この死者数は、3000人を超えるイタリア・中国や、200人超の米国、94人とされる韓国と比べ少ない。この結果をもって、感染防止の「日本方式」が有効だった証拠とする意見がある。これを検証しよう。

 日本政府は当初、感染者を全員、半強制的に指定医療機関に入院させるという政策をとっていた(現時点でも本質的には同じ)。1月下旬の段階で、すばやく政令を改正して、新型肺炎を指定感染症に指定し、強制入院を可能にした。この時点では、外出自粛の呼びかけや感染地域(この時点では中国湖北省など)との交通制限など、それ以外の措置は何もとっていない。
 感染者全員を、入院させるとの政策のために、隔離場所が間に合う件数にまで、検査の件数を絞り込まなければならなくなった。隔離場所の有無で検査を決めるという本末転倒だが、御用学者を動員して、検査件数を絞り込むことの理由をあれこれと言い立てている。いわく、抗体法の簡易検査は精度が悪いので、PCR法によらなければならないが、手間と時間がかかる。(他国・・たとえば韓国ではPCR法でも10倍以上の件数を実施している。) いわく、PCR法は精度が悪いので、検査件数を増やしたら混乱を招く(抗体法より高精度だからわざわざ選択しているのじゃないですかね。こんな理由でPCR法の検査が使えないなら、検査なんかできなくなる。)・・・
で、いずれも検査しないための言い訳に過ぎず、まともに相手にするにも足りない。問題は、このために、市中には無検査の感染者が何人いるか、数字もわからなくなったことである。

 3月に入って、日本政府もさすがに国境管理の厳格化や、イベントの自粛や学校の休校を要請するなど、他の対策らしいことも始めた。しかし、移動制限や行動制限で、感染拡大のスピードは抑えられるが、制限を緩和したら、また大量の感染者発生なので、本質的には時間稼ぎにすぎない。問題は、その稼いだ時間で何ができるかだろう。
 中国は、厳しい移動制限の間に、短期間で仮設病院を作り、大量の病床と隔離場所を用意した。韓国は検査件数を増やして感染者を積極的に探し出して隔離(大半は自宅待機)。日本は「今後X週間が瀬戸際」などと言い続けるだけで、何もしないので、状況が好転するはずがなく、瀬戸際の延長戦を延々と続けるしかない。

 それだけならよいが、筆者は、もっと不気味なことを予測せざるを得ない。現時点で無検査の感染者が市中に相当数いることは確実。積極的な検査で、これを隔離(自宅隔離含む)しなければ、週に2倍などのペースで指数関数的に感染者が増えることになる。それに比例して、入院を要する重症者(人工呼吸などの適応)も増えるので、数週間後には本当に医療崩壊が現実になりる可能性がある。イタリアの例で考えるなら、医療が脆弱と報道されているが、先進国レベルの体制があっても、急速な患者数の増大に対応できない医療崩壊が発生し得る。日本でも、同様の事態をを恐れざるを得ない。


新型コロナウイルスに終息はない(2020.3.8)

 前月の時点で、新型肺炎という名称で報道されていたが、現時点ではその病原体の呼称である「新型コロナウイルス」がよく使われているので、これにしたがうこととする(英語圏では「novel coronavirus」、中国では「新冠病毒」、韓国では「コロナ19(WHOの名称COVID-19によるもの)」が、報道用語として一般的である)。

 安倍内閣は、3月以来、イベントの自粛要請、学校の休校要請、中国・韓国などからの入国者への14日間の検疫隔離。そして、これらの国民に発給していたビザの効力停止など、矢継ぎ早に打ち出している。これらの政策(どうやら安倍氏個人、あるいはその側近の思いつきらしいが)の当否は後で考えるとして、ここで確認しておきたいことがある。
 新型コロナウイルスの感染症に関して、その終息はあり得ないと予測せざるを得ない。SARS(2002年に始まった重症急性呼吸器症候群)は、感染者数をゼロにすることによって、病原体を封じ込めて、終息させることができた。しかし、この新型コロナウイルスは感染力は強いが、そんなに強毒性でなく、無症状あるいは軽症のまま推移する感染者が多いので、感染者をもれなく発見し、これを完全に隔離することはできない。少数でも潜在感染者が集団の中に残ると、そこから指数関数的に感染者が増えて、すぐに再燃することになる。
 そのため、この種の強毒性でないウイルスの場合は、ある程度の拡散を許容しつつ、最終的には、集団中に免疫保持者が占める割合が大きくなることによって、人から人への感染が抑制され、新規感染者数が小さな規模で安定する状態を目指すしかない。
 これは、ちょうど、新型インフルエンザ(2009年に問題化した豚インフルエンザ由来のH1N1タイプ)が、終息することなく、現在では、季節性インフルエンザの一種として広く定着しつつ、予防接種(複数のタイプのインフルエンザに対するワクチンを混合している)などで、コントロールされているような状況である。もっとも、新型コロナウイルスの場合は、ワクチンが開発されているわけではない。そうすると、感染者が回復するほかは、免疫獲得の方法はないので、免疫保持者が増えるのを待つとすれば、やや時間がかかることになる。

 これを前提に、安倍内閣の政策の当否を検討しよう。感染者の完全な隔離による終息が無理としても、行動制限で、感染拡大のスピードを抑えることはできる。市中に潜在感染者が相当数いると見込まれるので、今さら水際対策に意味があると思えないが、適当な行動制限で感染拡大のスピードを抑え、それによって、医療体制などを整える時間稼ぎになる。何よりも、医療機関のキャパを超える数の感染者が押し寄せて、対応不能(医療崩壊と呼ばれる)となることを避けなければならない(1月〜2月の武漢市内はこの状況だったらしい)。そのためには、感染地域の封鎖などの移動制限や、学校の休校、集会の自粛などは、感染の機会を減らすという意味で、有効な手段である。中国においては、ほとんど自宅での隔離(外出禁止)レベルで、この移動制限が行われていた。

 一方、移動制限は、厳しければ厳しいほど、長期にわたって続けることができないという性格のものである。学校をいつまでも休校にすることもできないし(現時点では「春休みまで」)、また、隣国との往来遮断も長期化すると経済活動に壊滅的な影響を与えることになる(現時点では「3月末まで」)。これらは、いずれも短期間限定の劇薬と考えるしかない
 気になるのは、この政策を立案した人たち・・誰よりも安倍が、今後2週間程度が「瀬戸際」で、それを乗り切れば、事態が好転してくれると考えているらしいことである。そのため、イベントの自粛要請に関しても、2週間などと、期限を限っていた。しかし、数週間で医療体制が整うのか、なんの見通しも示されていない。もちろん、そんな短期間で治療法が確立するわけでもない。中国では、生産活動も学校も、ほとんど完全にストップさせるほどの厳しい行動制限を行ったが、その間に、仮設の病院を何箇所か建設し、医療体制を整えてきた。医療体制の充実なしに、「今後の数週間が山場」などとするのは、単なる先送り。根拠のない希望的観測に過ぎない。
 新型コロナウイルスに対しては、そんな思いつきの激烈な措置でなく、数ヶ月以上の続けられる緩やかな対策をとりつつ、それで稼いだ時間に、全力を挙げて、医療体制の充実を図るしかない。(短期間で終息することはないので、東京オリンピック・パラリンピックは、まず無理である。これも、聖火リレーの始まる3月下旬までに、中止の可能性に言及し、スポンサーなどと調整するのが、結果として、最もダメージの少ない選択であろう。)


新型肺炎に見る排外主義(2020.2.4)

 前月(2020年1月)に入って、中国湖北省の武漢から発生したとされる新型肺炎が話題になっている。2月4日現在で、全世界の感染者数が20000人、死者が400人を超えたらしい。
 この数字では致死率が高そうも見えるが、実際には、急激な患者数の増大と交通遮断で、医療体制が整わない武漢市内での死者が多く、それを除けば、現時点の致死率は1%未満らしい。もちろん、発生から日が浅く、発症しただけで転帰の定まらない患者も多いので、正確な致死率を算定できる段階でない。しかし、それを考えても、致死率10%近くに及んだSARSよりずっと軽く、通常のインフルエンザとと比べても、致死率が高いわけではない。
 なお、感染者数や死亡者数に関して、中国政府が過少な数字を発表していると疑う向きもあるが、これには根拠がない。初動の遅れなど、中国政府あるいは武漢市当局の対応に問題があったらしいが、その後、前月(2020年1月)の23日から、感染拡大を防止するためとして、武漢市当局は、鉄道や長距離バスの運行を停止し、交通を遮断している。武漢市民の不満を抑えるためにも、感染者数などに関しては、むしろ誇張したいはず。少なくとも現時点では、過少な数字を発表しているとは思えない。

 この新型肺炎の発生を受けて、各国は中国との交通を遮断し、自国民の中国からの退避を始めた。アメリカでは、アメリカ人の中国(武漢や湖北省に限らず中国全土)からの退避勧告と帰国者の米軍基地への隔離、中国に滞在歴のある外国人の入国を禁止した。
 言うまでもなく、交通の制限は、感染拡大のスピードを遅らせる時間稼ぎには有効である。しかし、厳格な交通の制限は、いつまでも続けられるものでない。厳しければ厳しいほど、経済への影響も大きく、長期間続けられないという性格で、数週間後には、なし崩しで元に戻すしかない。その間に、医療体制などを整えられるかが、この疫病を征服するカギになるはずである。
 ところが、アメリカなど(対米従属の顕著なオーストラリアやイギリス)の対応は、感染地域ともいえない湖北省以外の中国全土まで、交通遮断の対象にする。これは、感染防止などの合理的な理由でなく、もっぱら自国の排外主義者を満足させる政治パフォーマンス。もちろん、感染地域への医療援助(自国のための防疫措置にも有益なはずだが)などは皆無である。

 この点では、日本と韓国は少し違う対応。日韓はそれぞれチャーター機を派遣して、自国民を武漢周辺から帰国させたが、湖北省を除く中国との交通を遮断していない。日本では、排外主義者が政府の対策を「後手」として騒ぎ、韓国では感染地域からの帰国者(もちろん自国民)に卵を投げつけるなどの暴行にも及んでいるが、日韓政府の対応は、筆者には、少なくともアメリカ政府の対応より合理的に思える。(ネトウヨを支持基盤の一部とする安倍政権だが、政治パフォーマンスより財界への配慮の方が優先なのだろう。)
 ついでに申し上げておくと、世界保健機関(WHO)は「中国人の入国禁止は不必要」としている。これも、病勢や感染力から考えて、中国全域の交通遮断に、現実的な効果がないとする意見。日本のマスコミでは、これを中国に対する配慮などとしているが、見当はずれであろう。交通遮断を最初に行ったのは中国で、今でも海外への団体旅行を全面的に禁止するなど、世界でトップレベルの規制。WHOの意見は、中国への批判にもなるからである。

 狭い生活領域を守る生活者にとっては、外来の疫病など、単なる迷惑で、これが排外主義を育てる地盤。この人たちにとって、海外は観光旅行先に過ぎない。自国民の海外での活躍で、自国の経済、そして自分たちの生活が支えられているなど、思いもよらないらしい。チャーター便で感染地域からの引揚者(もちろん自国民)に、高額の費用を負担させて当然とする。普通運賃相当額など、満席近いチャーター機の運賃としては説明できるものでなく、外務省職員の費用(邦人引き揚げのための中国当局との折衝など通常の領事業務のはずだが)や検疫費用(受益者は引揚者でなく日本国内にいる人のはずだが)を、引揚者に負担させるつもりですかね。武漢にいたことは、引揚者の過失といえないはずだが。
 財界(武漢周辺に投資した自動車メーカーなど)への目配りには長けた安倍内閣(安倍本人は何年も前から嫌中アオリをやめてしまった)も、個人へのサポートはゼロ。引揚者を半強制的に14日間の隔離・・などと、防疫対策として不合理で非人間的なことを平然と行う(そんなに強い病勢でないので、帰宅させて適切にフォローすればよいだけだが)。
 同じ右翼といっても、1930年代に中国東北地方(ペストなども蔓延していた)に競って飛び出そうとした当時の大陸浪人(結果としては天皇制日本の大陸侵略の先兵になっただけだが)と比べても、あまりに大きな精神的退化。困ったものとしか申し上げられない。

・ ・ ・ ・ ・

 [追記:新型コロナウィルス(2020.2.10)]

 現時点までの報道などから推測される特徴だが、このウィルス、そんなに強毒性でないらしく、軽症例が多い。潜伏期にも感染するということは、ウィルスが体内で増殖しても、症状がほとんどない例もあるということを示唆している(免疫反応で微熱はあるはずだが)。これが、感染が拡大する要因にもなっている。
 ただ、肺胞などに感染が広がると(全例でない・・現時点では確率を見積もれない)、重篤な肺炎に。これも、酸素吸入で呼吸を確保し、点滴で脱水を止めつつ、自然治癒を待てば、救命率は高いらしい。(その設備の整わない武漢市内だけでは、高い致死率)。


カルロス・ゴーンの「逃亡」(2020.1.6)

 前年末に、保釈中の刑事被告人カルロス・ゴーン氏が、レバノンに逃亡したらしい。

 このような事案が発生し、これが、保釈を請求した弁護人や、保釈を認めた裁判所の不祥事とされるようなら、今後は保釈の運用を厳しくするしかない。執行猶予が確実な事案で(逃亡のおそれがない)、自白していて有罪がほぼ確実(証拠隠滅のおそれがない)でない限り、保釈は認められなくなりそうである。
 日本の刑事訴訟では、犯罪事実を否認して争えば、判決が出るまで年単位に長期化することもあるが、否認を理由に保釈が認められないなら、その間はずっと未決拘留が続くことになる。執行猶予付きや実刑でも1年程度が想定される事件なら、虚偽の自白でも罪を認めたほうが、早く自由になれる。冤罪の温床とされる日本の人質司法が、さらにひどくなると懸念するしかない・・と書こうとしたが、今回の逃亡劇、もっと別の裏もありそうに感じられる。

 一部のマスコミでは、「桜」の話題から目をそらすための演出などともいわれているが、そうでなくても、この逃亡事件、筆者は日本政府サイド(特に法務省)の意向が影響していることを疑わざるを得ない。日本の刑事司法制度への世界からの批判をかわし(司法制度への批判で逃亡を正当化できないが、逃亡への批判で司法制度を正当化することもできないはずだが・・)、同時に、万一にでも主要な罪状で無罪の判決が出たときに、赤恥をかかされる可能性を排除できる。ゴーン氏側の主張も、その全容が報道されているわけでない。すでに失脚した元経営者に過ぎないゴーン氏に対して、刑事訴訟を続けるメリットより、リスクの方が大きいという判断は合理的。ゴーン氏側にとっても、完全無罪の確信はない(検察のメンツにかけて、証券取引法違反などの微罪でも、有罪判決を取ろうとするはず)。事実上の国外退去に応じる理由はある。
 念のために確認しておくが、保釈中の刑事被告人が逃亡することは、保釈条件違反として、保釈の取消や保釈金没収の原因になるだけで、犯罪ではない。もちろん、出国手続き(入管法25条)なしの出国は犯罪で、法務大臣は、わざわざ記者会見を開いて、記者会見で不法出国を強調する。ただ、本件がこれにあたるとしても、行政手続違反の軽罪にすぎない(罰則は入管法71条)。また、仮に、保釈中の刑事被告人が旅券を提示して出国を求めるなら、入管当局としては、出国させるしかない。もちろん、ゴーン氏の場合は、ニュースなどでよく知られた刑事被告人なので、入管の係官が気が利くなら、任意で出国をしばらくお待ちいただいて(入管に身柄拘束の正式通知がなければ強制できない)、その間に検察官に連絡、検察官は急いで保釈条件違反を理由にして、裁判所に保釈の取消を申請・・となるかもしれないが、裁判所が保釈取消を決定して、検察官が勾留を執行しない限り、入管サイドでは出国を阻止することもできないはず。ゴーン氏に出て行ってほしい日本政府にとって、この程度のお目こぼしなら、大きな問題なくできるはず。

 最後に、もうひとつの観点を指摘しておく。ニュースでは、ゴーン氏が逃亡にプライベート・ジェットを使用、大型ケースに隠れて乗り込んだとされている。そうだとすれば、出入国検査や税関検査、そして検疫など(今回は人が隠れられるケースの内容物を確認しなかった)の遺漏である(筆者は官の故意を疑う)。
 マスコミでは、このケースに対して、X線などの保安検査を行わなかったことが問題視されているが、これはすじ違い。保安検査は、ハイジャックなどの加害行為を防止する目的で、その要否は、航空会社(航空機を所有して運行させる者)の判断。たとえば、プライベート・ジェットにそのオーナーが乗るなら、自分の飛行機をハイジャックしても仕方ないので、保安検査の意味はない。一般客(不特定の人)を乗せる旅客機の場合は、国土交通省が保安検査を求めているが、その検査の主体はあくまで航空会社(実際には航空会社が共同で雇った警備員)。保安検査は、出入国検査(プライベート・ジェットでも、手こぎボートでも必須)とは、異質なものであり、粗雑な出入国検査の責任をあいまいにするために、保安検査を持ち出したとしたら、問題のすり替えである。
 また、国土交通省は、今回の事件を受けて、プライベート・ジェットの荷物も検査するように指示したらしいが、これは、大衆を検査慣れさせ、厳しい検査がなければ、かえって不安な心理に陥れるという大衆操作でないか。テロとの戦争を宣言して保安検査を厳重化したアメリカが嚆矢だが、今や地下鉄などの乗り場で保安検査行う中国などが、この大衆管理の「先進国」。戦争などの緊張感を利用するイヤな政治手法と思わざるを得ない。


アジアから撤退するアメリカ(2019.12.18)

 北朝鮮をめぐる和平プロセスが停滞している。本年の後半になって、金正恩は飛翔体の発射デモを行い、トランプも北朝鮮上空で無人偵察機を飛ばしているらしい。
 2018年6月のトランプ・金正恩のシンガポール会談の時点で、トランプと、これに追随する安倍、北との和平をビジネスチャンスと考える韓国財界に押された文在寅が、さらに劇的な和平プロセスに進むことも予想されたが(→北朝鮮情勢の急展開)、本年2月末に行われたトランプ・金正恩のハノイ会談では成果なし。トランプが方針を転換したようにも見える。

 しかし、北朝鮮と融和も、その停滞も、実はアメリカの行動として、一貫している。
 アメリカは、アジアから手を引こうとしている。そのために、北朝鮮との緊張関係は緩和しなければならない。同時に、アジアから手を引く目的のためには、将来にわたって、北朝鮮の管理を引き受けるようなことはしたくない。この仕事は、他国に押しつけたい。
 他国といっても、アジアで存在感を増しているのは中国。トランプとすれば、北朝鮮との融和の前提として、中国と折り合いをつけなければならなかった。それに時間を要した結果が、本年後半の朝鮮半島情勢の停滞と思われる。
 アジアからの撤退、トランプ政権になってからの新たに出てきた流れではない。民主党政権のときは、対米直接交渉を求める金正恩の意向を無視して、六カ国協議(中国が議長)に解決を委ねようとしていた。これも、アメリカが手を引いて、北朝鮮問題の解決を中国に押しつける戦略であった。アメリカの政権交替にも関わらず、この戦略は、一貫したものである。
 トランプは、最近になって、中国の習近平との親密さを演出するようになった。それに応じたのか、韓国と中国への蔑視を国内政治の手法としてきた安倍も、いつの間にか嫌中アオリをやめてしまった(それに比例して、嫌韓アオリは激化しているが)。

 アメリカにとって、次のプロセスは、間違いなく、在韓米軍の撤退であろう(そのための金正恩との和解)。そして、その次の段階は、在日米軍の撤退。とりあえず、日本と韓国に対して、駐留経費(日本では、いわゆる思いやり予算)の大幅増額を要求しているが、日韓がこれを拒否したことを名目に、在韓・在日米軍を撤退するのが本心と考えるしかない。(以前にも指摘したが、機動力がご自慢の米軍、どこにいても世界の軍事バランスに影響ないので、アメリカとしては、わざわざアジアに駐留させる軍事的な理由はない。)


政教分離原則(2019.11.18)

 2019年の当月、新天皇の即位にともなって、大嘗祭が行われた。平成度に続き、現行憲法施行後、2度目の大嘗祭である。
 その式次第について、筆者は詳しく知らないが(というより、神秘性を演出するために意図的に秘儀化された所作など、あまり知りたくもないが)、神前に神饌を供えるものらしい。いずれにしても、その宗教性は明らか。国費で大嘗宮を造営し、宮内庁職員の楽人などを動員するなどは、憲法の政教分離原則(憲20条3項の国による宗教活動の禁止など)に反するおそれがある。
 例年に行われている新嘗祭などの宮中祭祀は、天皇の私費(実際の財源は手許金として支給される内廷費)で行われ、儀式に関与するのも掌典(公務員でなく天皇の私的使用人とされる神職)らである。新嘗祭などの祭祀にも、公務員である侍従などが参拝することはあり、勤務時間内にこれが公務員の職務として行われるのなら、政教分離も不徹底といわざるを得ないが、政教分離原則に一応は配慮している。
 平成度の大嘗祭に際しては、これへの国家関与や国費支出を違憲と主張する複数の訴訟が起こされた。最高裁は、例によって、目的効果基準(「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる」)を用いて、大嘗祭への国家関与を合憲とする。このうち、目的については、天皇の神格化を目指すものではあっても、教団としての神社神道の振興を図る意図はないであろう。この点に関しては、戦前からもおそらく一貫している。しかし、効果について考えると、神社神道と、神社関係者も多い日本会議などの右翼団体の側では、これを、その勢力拡大の機会ととらえていることは間違なく、目的効果基準がいう「その効果が宗教に対する援助、助長、促進・・」に照らしても、違憲の疑いが排除できない。
 皇室の内部からも、神社神道と日本会議などの新しい右翼と距離を置こうとする動きがある(→厳しさを増す皇室と日本会議の確執)。将来の天皇が、個人の宗教的信条などを理由に、大嘗祭を拒否することなども、あり得なくはない。


香港の凋落(2019.9.22)

 アヘン戦争以来のイギリス植民地や租借地であった香港、1997年に返還されて以来、中国の特別行政区とされてきた。
 最近では民主化運動が注目されている。しかし、最初に申しあげておくが、仮に、民主化で一定の成果があったとしても、香港が中国から独立するという展望はない。軍事バランス(中国人民解放軍の実力)などを持ち出すまでもなく、香港は、水道や電力を中国本土に頼っているので、中国が送水管のバルブを閉め、送電線のスイッチを切れば、香港に対抗手段はない。水や電力の問題なので、東西冷戦中のベルリン封鎖(ソ連が西ベルリンへの陸路を封鎖し、西ベルリンが東側領域に残された陸の孤島となった事件)のときのように、空輸で対抗できるわけもない。数日で、香港は枯死する。おそらくこれが、イギリスが租借期限切れにあわせて、香港を返還せざるを得ないとした理由である。その意味で、香港は、中国大陸の端に置かれた鉢植えに類似した存在と言わざるを得ない。
 中国が香港の大幅な自治を認めたのは、イギリスからの返還をスムースにするという必要性もあったが、中国にとっても、香港は、アジアの金融センターとして(世界3位とされている)、これを維持する利益があったからである。巨大なオフショア市場として運用するためには、人的な交流などを遮断して、通貨なども中国内地とは区別しなければならない。一国二制度は、中国の利益にも適合していたわけである。
 しかし、今や、この香港の地位は、危うくなりつつあるように思われる。

 筆者は、香港返還の少し前、1990年代に、所用でこの地域を頻繁に往復していたことがある。地下鉄などのインフラが整い、先進国の体裁をした香港中心部から、九広鉄路で中国本土との境界に着くと、入出境手続き。そして、中国本土に入ると、2階建ての貧弱な駅舎が深セン駅。駅前ロータリーから発着するマイクロバスが、市内の主要交通手段であった。経済特区で、建設中の高層ビルは複数あったが、地下鉄建設も始まっていなかった。せいぜい人口10万人前後の地方都市の雰囲気であった。
 現在では、それが様変わりである。現在の深セン市は人口1400万人などといわれ、コンピュータ産業の一大拠点(Huaweiの騒ぎで有名になったが、規模で比べるなら世界トップレベル)となっている。見るべき製造業がない香港と対照的である。また、遅れていた交通インフラも整備され、深セン地下鉄は、総延長で比べるなら、東京より長大となった。そして、人民元が国際通貨となるにともない、今や、深セン市内の銀行で、人民元を米ドルやユーロに、ほとんど制約なく交換することができる。香港のオフショア市場としての意義は小さくなったというしかない。
 筆者は、今月になって、一度香港に。詳しくは書かないが、街も以前にはなかった雰囲気で、やはり香港の地位低下を実感せざるを得ない。

 香港の今回の民主化騒動、中国の中央政府による直接的な軍事介入はおそらくない。中央政府とすれば、仮に鎮圧部隊を投入するとしても、香港警察の制服で、目立たないように行動させるであろうし、その必要性も高くはないはずである。民主化運動の過激化は、香港の地位低下という危機感を背景にしたものであろうが、香港が鉢植えであるという事実を熟知する香港人(特に財界)が、中国の中央政府と対立する民主化運動に積極的に関与することもない。それだけに、民主化運動、筆者としては心情的には応援したいとしても、その未来には暗い予想をせざるを得ない。


日韓関係の泥沼化?(2019.8.17)

 日本の対韓輸出規制を機に、韓国内では、安倍政権を非難する激しい大衆運動が起こっている。
 問題の対韓輸出規制は、表向き(官房長官などの公式の説明)は、安全保障のため輸出管理などとしているが、実際には(保守的な論評を通じたアオリ・・閣僚もツイッターでは)、徴用工問題などへの対抗措置とされ、折りから行われていた参院選に向けた安倍内閣の人気取りであった。徴用工問題に関して、再説しないが(筆者の見解は「徴用工訴訟に関する韓国大法院の判決」)、ここでは、産経新聞などの保守系マスコミでいわれている「反日」について、筆者なりの意見を申し上げておきたい。

 朝鮮半島などのアジアの旧日本植民地や、中国東北部(「満州」)などの日本の旧支配地では、日本の敗戦と同時に、入植者などの日本人を追放し(原則として残留は許されなかった・・引き揚げ)、日本統治に協力した現地の人を、場合によっては民族・国家への裏切りとして処罰したり・・と、旧日本支配の清算が進められた。これは、前政権への批判が、現政権の正当性につながるという政権交替(この場合は国家機構の変更)に際して、よく見られる現象に過ぎない。前政権のほうがよかったなどと言い出すと、政権の維持もできない。前政権を批判するのは政権維持の常套手段である。
 朝鮮半島について申し上げると、その北側では、抗日パルチザンの実績(真実性が疑われているが)をアピールする金日成が政権をとり、旧日本支配の清算は、徹底して行われた(しかし、実際に形成された政権は、日本の天皇制を模した金一族の王朝支配であることは皮肉だが)。南側でも、戦前から、日本支配を認めず、亡命政府を組織していた李承晩が韓国の大統領になったので、旧日本支配の清算は、それなりに徹底していた。李承晩は、「親日」を犯罪化する特別法を制定しているが、ここでの「親日」は過去の日本統治への加担のことであり、同時代日本に対する好悪と関係ない。(念のため)
 ただし、韓国では、1960年代に至って、旧満州国軍将校で、日本の陸軍士官学校を卒業した朴正煕が政権をとり(クーデターによる政権奪取は1961年)、日韓請求権協定や日韓基本条約などを締結することになった。これらは、当時から、植民地問題を金で解決したなどと、日韓両国の国内で反発が強く、結局、国際条約(請求権協定の解決文言)の私人間効力などに関して、両国政府があいまいな解釈をとり、それが今日の問題にもつながっている。

 日本敗戦後に進められた日本支配の清算、1980年代末になると、少し流れが変わってきた。韓国では民主派の金大中が大統領に就任。この政権にとっては、批判すべき前政権は朴正煕・全斗煥の軍事独裁政権であった(金大中自身も、朴政権によって、日本から不法に拉致されたことがある・・金大中事件)。その批判の理由付けとして使われたのが、まさに日韓請求権協定や日韓基本条約に示された朴正煕の対日姿勢であった。いずれにしても、前政権(朴正煕)への批判が、政権維持の常套手段という政治力学の典型的な表れに過ぎないので、「反日」などと称して、嫌悪感を募らせるにも及ばないはずである。
 ついでに申し上げておくと、台湾でも同じ時期に、蒋介石・蒋経国父子による外省人政権が終了。本省人李登輝の政権が成立。ここでは、前政権を批判する理由付けとして、戦前の日本統治のほうが、戦後の国民党よりましだったという政治主張が行われた。これも前政権(蒋介石父子)への批判が、政権維持の常套手段という政治力学である点では、韓国の「反日」とまったく同様。国内政治のロジックのひとつにすぎない。

 現在(2019年8月)の韓国の大衆運動は、朴正煕など、過去の政権のあいまいな植民地支配への対応の批判、そして、植民地支配を美化する安倍政権への反感を示すもの。「親日派清算」が叫ばれることがあっても、これは、前述のように、旧日本支配の協力者追求の意味である。韓国では「反日」という言葉は用いられていない。(産経新聞さんは、文在寅を敵視するのはよいが、まさか、朴父娘の政権を賛美しておられるのですかね。)


日米安保体制 (2019.7.14)

 1951年のサンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安保条約(発効は両方とも1952年4月28日)。この日付を見るだけでも、安保条約が戦後占領の代替であったことは明らかで、アメリカにとっては、日本の自立を形式的に認めつつ、アメリカ軍による占領を実質的に継続させるための仕掛けであった。冷戦時代は、日本はアメリカの世界戦略に組み込まれて、離脱は事実上不可能。その意味で、日米安保条約は、日本防衛の一助にはなったが、仮に(もちろん仮定だが)、ソ連側に近づくなど、アメリカに都合の悪い政権ができたら、アメリカ軍主導のクーデターもあったはずで、そのための戦後占領の事実上の継続であった。

 この日米安保体制が、今や終了しようとしている。トランプは東アジアから関心を喪失。北朝鮮とさっさと和解し(どうせアメリカ本土までの運搬手段がないので核の一部は黙認)、日韓の対立なんか気にもしていない。だから安倍は、フッ化水素などの半導体製造に必要な物資の輸出規制という選挙対策のパフォーマンスができた。韓国側は、これを不当とアメリカに訴えたようだが、トランプ政権側は韓国の訴えを無視している。いずれにしても、慰安婦合意を日韓双方に強要したオバマ政権とは様変わりである。

 次の段階は、在韓米軍と在日米軍の整理のはず。すでに朝鮮半島での合同演習(軍事演習名目で兵力を集中しそのまま開戦・・が常套手段なので金正恩が緊張する)は無期限中止。日米安保は、4兆円の思いやり予算では不足といいながら、実際には決裂で撤退を目論んでいる。アメリカ軍は、機動力がご自慢の近代軍隊の最たるもの。世界のどこにいても、東アジアの軍事バランスに影響はない。もちろん、いわゆる有事に、日本のために参戦いただけるかは別問題だが、仮に条約上の義務があったとしても(最初に申し上げたように日米安保条約は日本占領のためのフェイク)、消極に考えるしかない。結局、辺野古の海に土砂を投入するという壮大な自然破壊が残るだけだろう。


万世一系のトリック (2019.5.3)

 5月3日は、日本国憲法の施行を記念する憲法記念日。主権の所在が天皇から国民へ。そして、国家体制も全面的に改められた。いわば、新国家成立の記念日である。論理的に徹底するなら、戦前の大日本帝国と、戦後の日本国は、同名の「日本」という国号を用いるが、法的な連続性のない異質なもの。天皇も、戦前・戦後を通じて同名の国家機関であるが、その性格が異なるので、代数を数えることも、在位年数を通算することもできないはずである。(→今年は明治150年か?)。

 今年は、その憲法記念日を含む期間に、一連の天皇代替り儀式。新聞紙上でも、ネットでも、皇室関連の報道であふれ返っている。この報道では、「明治、大正、昭和、・・」の変遷を強調しつつ、国家としての同一性や伝統を強調しているが、このような考え方の極めつけが、「万世一系」であろう。皇位継承に関連して、折に触れてこれに言及する論者もいる。
 この言葉は、戦前において、日本の皇室の特異性を強調するために案出されたものであった。その趣旨は、日本では現皇室に数千年間の伝統があるが、他国では王朝の交替があって、日本のような長期の伝統はないとするもの。過般の戦争を可能とした神権的な天皇観を基礎づけるロジックのひとつである。

 しかし、この考え方は、単純なトリックにすぎない。およそ、人間(人間に限らず有性生殖をする動物すべて)は、父系と母系の祖先を持つ。それらの祖先を数え上げるなら、誰でも「万世一系」。こんな属性が、決して日本の天皇や皇室に限るものでない。たとえば、筆者にも数百代前の祖先がいるという意味では、筆者も万世一系。・・で、結局、この言葉の言わんとするところは、遠い過去、たとえば古墳時代の日本の支配者が現在の天皇家の祖先であるということらしい(この条件を無視するなら、天皇家でないX家・・たとえば安倍家や麻生家・・も万世一系)。
 中国史書に「倭五王」として言及されているため。一応は実在と信じられている5世紀の天皇たち(応神、仁徳、・・)は、現皇室の直系の祖先でないことは、極右論者の一部も主張するところだが(百田尚樹「日本国紀」)、たとえば伝仁徳天皇陵古墳の被葬者が現天皇と血縁関係があるのかという問題とすれば、考古学的な検証の対象にもならないであろう。結局、「万世一系」は、言葉のトリックにすぎない。

 改元や皇居一般参賀で盛り上がるより、憲法記念日の行事でも報道いただいたほうが、日本国憲法の体制とは整合的でないかと思わざるを得ない。


北朝鮮情勢の急展開 (2019.2.16)

 本日になって、やや些末に聞こえるニュースが2件、突然に飛び込んできた。1件は、北朝鮮が拉致被害者とするT氏の生存を2014年に日本政府に伝えていたとする共同通信の報道。もう1件は、安倍がトランプをノーベル平和賞に推薦したとする時事通信の報道である。
 これらのニュース、この時点で公表されたことに、何らかの意味がありそうなので、あえてとり上げておきたい。

 まず、2014年に日本政府に伝えたとするT氏の生存。この2014年は、安倍訪朝が話題になっていた時期である。この時点で、安倍は、サプライズ的に訪朝し、拉致問題を解決しようとした形跡がある。制裁の一環として行われていた日本人の渡航自粛も、一時的に解除していた。(その後、核・ミサイル問題が発生し、また渡航自粛に逆戻り・・。そして、T氏生存の情報は、日本政府内で握りつぶされたらしい。)
 もう一方のノーベル平和賞への推薦は、トランプが、北朝鮮の核・ミサイル問題の解決したことを理由とするものである。こんな手紙の存在と公表は、ノーベル財団を当惑させるものと思うが、問題は、安倍の政治姿勢であろう。
 ここで、北朝鮮の核・ミサイルに関する筆者の見解を確認しておくが、筆者は、この問題は、すでに解決済みと考えている。金正恩(キム・ジョンウン)にとっては、体制の崩壊は、自己の死を意味するので、核・ミサイルでアメリカに要求するものは、体制保証(=生命の保障)が第一である。これが満たされたなら(米軍の撤退・・金正恩のいう朝鮮半島の非核化・・を念頭にしているが、米韓共同演習の中止などで部分的には達成済み)、金正恩にとっても核やミサイルを保有する理由はない。この点については、すでに申し上げたとおりである。(→成功した朝鮮半島の非核化)。

 今までのところ、自公政権は、Jアラートというミサイル警報システムを宣伝するなど、北朝鮮への嫌悪と恐怖を煽ることを政治手法としてきた。
 しかし、冒頭で申し上げたニュース、端的に申し上げるなら、北朝鮮敵視を煽るという政治手法が限界に来たことを示しているのではないか。安倍にとって、ネトウヨの支持より、財界の支持のほうがずっと重要。そして、その財界は、嫌韓や嫌朝鮮で声を張り上げるより、ビジネスの機会(対北朝鮮の商売も考えられるが、陸路で北朝鮮領域を通過する対中・対ロシア貿易なども)を求めているはず。現に、韓国の政権などは、完全にこれに前のめりになっている。
 ごく近い将来に、安倍政権による対北朝鮮和解(たぶん劇的な演出つき)を想像せざるを得ない。

・ ・ ・ ・ ・

 [追記:ハノイ会談の決裂(2019.3.2)]

 2019.2.27-28の日程でハノイで行われていたトランプと金正恩の会談について、トランプは合意に達しなかったと発表。トランプにはしごを外されることを恐れていた日本のマスコミには、これを歓迎する論調がある。
 しかし、体制の崩壊(=自らの生命の危機)を恐れる金正恩にとっては、合意なしの継続協議(その間は武力行使の恐れにつながる米韓共同軍事演習などなし)は、むしろ望んでいた結果。アメリカとの戦争で勝てるとも考えないので、体制保証が確実なら核を保有する動機もないが、過早にこれを放棄すると、イラクのフセインやリビアのカダフィの運命(どちらも大量破壊兵器の保有を疑われて軍事攻撃を受けたが、大量破壊兵器は発見されなかった)を恐れざるを得ないからである。
 今回の決裂は、政治的ダメージで言うなら、選挙の心配をしない独裁者金正恩より、国内人気が本質的なトランプ、そして、財界から制裁解除を迫られていた文在寅(と習近平)にダメージが大きいのではないか。なお、制裁解除は、韓国・中国の財界の願望で、経済規模で小さい北相手のビジネスより、中韓が陸路で結ばれる利益を見据えたもので(→成功した朝鮮半島の非核化)、たぶん水面下では、北の領域での高速道路や鉄道の受注競争だったはず。これも制裁解除しだいだが、これもお預けになってしまった。
 そう考えると、今回の決裂と継続協議は、アメリカ企業がこの利権に参入できるまでの時間稼ぎかもしれない。


安田純平氏の生還とカショギ氏の殺害 (2019.1.7)

 シリアの反政府勢力に拘束されていた安田純平氏が、昨年の11月に解放された。続報を期待していたが、結局、この人を拘束した勢力の名称すら報道されないまま、この事件が忘れ去られようとしているようでもあるので、あえて、筆者の推測を含めて、コメントしておきたい。

 報道によると、安田氏を監禁していたのは、シリアの反政府(反アサド)勢力。その背後は、周知のようにアサド政権の転覆を企図するアメリカとサウジ。日本のマスコミは、アサド政権軍の化学兵器疑惑などを報道して、反アサド勢力に好意的であったが、実際には、ISやアルカイダも含む雑多な集団である。
 一方、これに敵対していたのがシリアのアサド政権。その背後はトルコ・カタールのほか、ロシアなど。この対立図式は、トルコのサウジ総領事館でのカショギ氏の殺害事件と重なる。

 安田氏の解放は、この対立の力関係の結果と考えるほかない。シリア国内では反アサド勢力が軍事的に劣勢。そして、カショギ氏殺害で国際的に追い詰められたサウジなどが、安田氏を持て余した結果と考えられる(殺害しても政治的なメリットにならず非難を浴びるだけ)。

 日本の一部では、解放に際して、身代金が支払われ、あるいは、日本政府(実際には外務省職員)が労力をかけたとの憶測から、安田氏を非難する論調がある。
 しかし、状況から判断すると、身代金は動いていないと推測できる。安田氏の解放に協力したとされるカタールと、シリアの反アサド勢力は、相互に厳しく対立する当事者で、身代金交渉を斡旋するような関係でない。また、仮に、身代金の授受があったとすれば、受け取った側は戦果であり、払った側は日本政府なり、この人の親族なりに求償する必要もあるので、その事実を隠す動機もないからである。このような議論は、他人と異なる行動をする人に対する不寛容という日本社会の偏狭さを示すに過ぎないであろう。
 さらに申し上げるなら、日本政府は渡航書(旅券など)を発給して、帰国を援助しただけ。解放後に即座に本人確認をした旨が報道されているが、これは邦人の旅券喪失などの対応のひとつで(何年も人質になっていたので有効な旅券を持たない可能性が高く、その再発給のためには本人確認が不可欠)、通常の領事業務というほかない。

 安田氏とすれば、所期の取材にも失敗しているので、賞賛と無縁かもしれないが、この種の活動に熱心な人がいなければ、真実を報道することもできなくなる。いずれにしても、安田氏を非難するにはあたらない。


Huawei製品の排除 (2018.12.17)

 通信機器メーカー、というよりエンドユーザーには、スマートフォンやタブレットのメーカーとして知られる中国のHuawei(華為技術、ファーウェイ)だが、アメリカ政府は同社の製品を政府の調達品目から排除し、民間企業に対しても、取引の自粛を求めている。
 その理由とするところは、この会社が中国の軍や公安当局の影響下にあり、同社の製品がセキュリティー上の危険をもたらすとするもの。製品の意図的に組み込まれた悪意のある機能により、通信内容が中国当局に流出する危険性があることなどを指しているのだと思われる。

 あらためて言うまでもないが、通信機器は各国で作られた半導体チップを用いて作られている。価格競争の厳しい民生用の製品の場合、コストが重要なので、Huawei製品もアメリカを含む多様な国で製造されたチップを組み合わせて作られ、また、その従業員の国籍も多様なはずである。日本に工場を設けようとする計画も発表されている。要するに、中国で設立され、中国で登記された中国法人であっても、実際には多国籍企業で、中国敵視の時流に乗って、その製品を排除するのは、それ自体に合理性がない。

 その一方で、チップの組込みソフトウェアなどに、通信漏洩などの悪意のある機能を隠すことは、技術的には可能で、いわば、ウィルスソフトに最初から感染した製品を出荷するようなものである。
 現実に、Huaweiの製品にこんな仕掛けがあるかは、確認の方法もないが、スマホなどの端末で実際に情報漏れがあれば、すぐに発覚するはずで、今までのところ、現実の情報漏れはないと思われる。

 もっとも、これは、悪意のある機能が隠されているが、それが起動していないだけとの疑惑を完全に排除できるものではない。
 しかし、そんなことを言い出せば、安倍がトランプの歓心を買うために大量調達しようとしているF35戦闘機なんか、日本向けにその性能が調整された劣化バージョンであることは周知の事実だが、それだけに限らず、アメリカ政府がスイッチを入れたら、全戦闘装備が無力化するような仕掛けがあるかもしれない。航空機産業や軍需産業は、その国の政府の影響下というより管理下なので、Huawei製品と同じ疑惑が排除できないはずである。

 Huawei製品の排除は、トランプ政権流の人気取り。本来なら、この機会に、日本政府も、戦闘機などのハイテク機器の調達でも見直したほうがよいと言わざるを得ないが、実際にそんなことをするはずもなく、日本政府のHuawei排除は、アメリカに媚を売るパフォーマンスにすぎないということであろう。


厳しさを増す皇室と日本会議の確執 (2018.11.30)

 将来の天皇に擬されている秋篠宮氏が、大嘗祭への公費支出に疑義を示したらしい。
 公費支出は、国政の問題なので、皇族の意見に左右されるべきでなく、行政権の属する内閣の責任で処理すればよい(もちろん、国会の議決した予算の範囲内で・・)。しかし、大嘗祭は宗教性を否定できない行事で、憲法の規定上からは(国家による宗教的活動の禁止・・20条3項)、国家の行事として行うことはできず、皇室の私的な宗教行事とするほかない。天皇の私的な行為なので、秋篠宮氏が大嘗祭の費用などで釈然としないなら、これへの関与を控え、あるいは、将来に即位したときに新天皇として大嘗祭を行わないなども、この人のご自由とするほかない。
 なお、大嘗祭が皇室の私的な宗教行事としたときに、これへの公費支出が許されるかは、秋篠宮氏に指摘されるまでもなく、問題としなければならないが、前例としては、昭和天皇の葬儀に際して、大喪の礼(皇室典範に規定された国家行事)と葬場殿の儀(皇室の宗教行事)に区分して行いながら、これらに共通の式場を用い、その設営などはすべて公費とした例がある。仮に、皇室が費用を支出するとしても、内廷費(天皇その他の内廷の皇族の生活などの費用として支出される公費)などにその原資を求めることになるので、公費支出の議論そのものは、あまり実益がないかもしれない(それでも、違憲などを理由とする行政訴訟なども予想される)。

 いずれにしても、皇室と日本会議などとの確執、いよいよ厳しくなってきたらしい。昭和天皇のころから、靖国参拝などで対立が見えていたが、戦跡訪問に熱心な天皇と、戦争責任を想起させるような行為に神経質な安倍内閣との確執が先般の退位さわぎ。その上に、大嘗祭(宗教行事)への国費支出などに、皇族(次期天皇)から疑義など、天皇崇敬を看板にする日本会議や、これを支持基盤にする安倍にとっては、自らがかつぐ神輿に反旗を翻されたようなものであろう。

 この対立は、日本の国家体制に関して、戦前と戦後を連続する同質のものとするか、それとも、これらを連続しない異質のものと見るかである。
 前者は、戦前の天皇制日本を理想視する日本会議などの立場で、安倍も(少なくとも表向きは)これに属する。戦前と戦後を重ね合わせるので、この立場からは、たとえば、アジア諸国からの旧日本軍の戦争犯罪へ非難は、現代日本への批判と同一視され、「反日」となる。
 後者は、幣原・吉田など、戦後の保守本流も取った立場で、過般の戦争を軍部独走によるものとして、自らを含む日本国民を戦争被害者に位置づける。この立場からは、アジア諸国からの戦争批判などに気分を害する必要もない(自らは戦争の被害者であって加害者でないから)。宣戦の詔勅を発した昭和天皇まで、戦前から親英米派であったことを強調して、戦後は一転して戦争被害者の立場に立つことで、戦争犯罪への免責としていた。そして、現在の皇室もこの立場らしい。

 現在は、日本会議などの新しい右翼が、戦後保守本流などの古い右翼を乗り越えようとしているらしい。


徴用工訴訟に関する韓国大法院の判決 (2018.10.31)

 韓国在住の元徴用工が、戦前・戦中に徴用され、日本で過酷な労働を強いられたとして、慰謝料を含む損害賠償を日本企業に求めた訴訟で、韓国大法院が、個人の請求権は消えていないなどとして、その請求を認める控訴審判決を支持し、日本企業側の上告を退けた。

 徴用工が厳しい労働を強いられたことは事実だが、その賠償に関しては、日本政府は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」との立場で、韓国政府もこの立場に合意している。
 首相安倍や外相河野は、「国際社会の常識では考えられない」などと、この判決に不満を示し、産経新聞などの一部メディアは、これを繰り返し報じつつ、「韓国が国際協定を守れない前近代国家だと自ら宣言しているに等しい」(産経新聞の記事中の表現)として、韓国に対する反感をあらわにしている。

 しかし、これは、他国の裁判所で争われた私人間(韓国人と日本法人)の民事訴訟に関する裁判所の判決であり、日本でも韓国でも、行政機関の権限外。また、国際条約といっても至上のものではなく、日本でも何度も、違憲などの理由をつけて、たとえば日米安保条約の無効が裁判所で争われている(幸か不幸か、日本の場合は、最高裁レベルでは、国際条約を無効とする判決は今のところ出ていないが)。いずれにしても、韓国政府などが行政レベルで対処できない裁判所の判決の問題なので、安倍や河野の「抗議」は、韓国政府を相手とする限り、筋違いと言わざるを得ない。もちろん、安倍や河野も、そんなことは百も承知であろうから、これらの発言は、実質的には、日本国民向けの政治宣伝とするほかない。
 ついでに申し上げておくと、韓国政府もこの判決に当惑しているらしい。日韓関係の悪化を懸念する朴槿恵前政権下で判決の言い渡しが不当に遅らされたとの疑惑で逮捕者も出ている。判決を遅らせたがること自体、韓国側の当惑を表していると考えられる。

 50年以上前にさかのぼって考えてみるなら、当時の佐藤内閣が、日韓の請求権交渉で、軍事独裁を強めていた朴正煕政権を相手に、国民の請求権を含めて、「完全かつ最終的に解決」として、3億ドルの無償供与などを行う内容であったが、政治的な理由で、その趣旨をあいまいにしたい日韓双方とも、何の賠償なのか、あるいは、そもそも賠償なのか、単なる経済援助なのかなどについて、国民に向けて説明することはなかった。実質的に考えるなら、ベトナム戦争を含む東西陣営の対立の中で、対米従属を深めていた自民党佐藤政権が、アメリカの意向を受けて、反共の防波堤を自認していた朴正煕政権(もちろん北は交渉からも除外)への援助としたもの。被害者補償に使われることのない金銭を朴正煕の軍事政権に与えたことは、問題を残す結果となってしまったと考えるほかない。

 日本の政権にとっては、他国への反感をかきたてつつ、対外強硬策を人気取りの材料にできる千載一遇の機会と考えているかもしれない(いまのところ確証はないが、繰り返し報道する産経新聞などの姿勢を見ていると・・)。しかし、問題の複雑化は、日本企業への影響も大きいのみでなく、安倍が進めようとしている北との対話などにも影響が避けられない(北朝鮮在住の人・・韓国法では法的には韓国人・・にも日韓請求権協定が及ぶのかなど、問題が大きい)。過去の日韓請求権交渉を慎重に振り返りつつも、将来に関しては冷静な対応を望みたい。


成功した朝鮮半島の非核化 (2018.9.20)

 平壌で会談していた文在寅(ムン・ジェイン)と金正恩(キム・ジョンウン)は、「非核化の方策に合意した」との共同声明を発表した。

 例によって、日本のマスコミは、北の核放棄が本当に進むのか、そして、アメリカのトランプが求めるはずの「完全かつ検証可能で不可逆的(CVID)」ができるのかなどで、懐疑的な見方を示している。しかし、筆者が見るところ、朝鮮半島の非核化は、すでにほとんど達成されている。

 金正恩が核とミサイルに狂奔してきたのは、斬首作戦などを宣伝され、生命の危機を感じていたからである。戦争になれば敗北必至なことは、理解しているので、体制保証が確実なら核もミサイルも保有する理由はない。(→成功しつつある朝鮮半島の融和(2018.3.8)
 その反面、制裁の強化も融和も、核放棄の動機にはならない。生命の危険を感じている金正恩にとっては、制裁解除による国民生活の向上なんかより、体制保証のほうが重要なのであろう。このあたりの事情は、第二次世界大戦の末期に、国民や兵士の犠牲をかえりみず、「国体護持」(実質は天皇一家の安泰)を名分として、最後まで抗戦しようとしたどこかの国の軍部を彷彿とさせるが、いずれにしても、「核放棄の履行まで制裁を緩和しない!」などと言い募るのは、滑稽でしかない。

 一方のトランプは、6月のシンガポールでの米朝会談で、「完全かつ検証可能で不可逆的(CVID)」に言及しなかった。CVIDは、「(検証可能でないので)大量破壊兵器があるはずだ」という言いがかりを通じて、イラクのフセイン政権を倒す口実にされた。「完全」とはいっても、国土の隅々まで調べることもできないし(フセイン政権のときは大統領官邸に武器を・・という疑惑で開戦。実際にはもちろんなかった。)、「不可逆」とはいっても、少数の技術者がいれば開発を再開することができるので、CVIDは、現実には不可能である。
 体制保証のみを条件にする金正恩と、政治的言いがかりにすぎないCVIDに一貫して言及しないトランプで、文在寅が仲を取り持つまでもなく(今さら!)、彼らの間には、すでに核放棄の堅い合意があると考えるしかない。金正恩が表立って希望するとおり(「朝鮮半島の非核化!」)、核装備可能なアメリカ軍の撤退まで含めて、ごく近い将来に実現すると思われる。

 今回の文在寅の平壌訪問で注目しなければならないのは、サムソン財閥の実質トップなどの財界関係者を同行させたことである。これは、北に対して、制裁解除後の開発プランを見せるためなどと説明されているが、体制保証と生命保持に余念のない金正恩が、そんなことに関心を示すとも思えない。実際にも、財界関係者は同行しただけで、会談に参加したのかもわからない。この同行は、むしろ、韓国財界の融和への期待と考えたほうがよい。韓国の財界にとっては、北の領域を通過して、旅客や貨物が陸路で中国・ロシアと往来できれば、アジア・ヨーロッパ圏との貿易に有利。ソウルから中国・ロシアまで伸びる高速道路や高速鉄道の建設でも受注できれば・・と、夜も眠れないほど期待しているであろう。もちろん、北の安い労働力も・・で、これは、おそらく、中国・ロシアだけでなく、アメリカ企業なども関心を持っているはず。

 この点では、世界中で、日本だけが後れを取りそうである。在日米軍の駐留を維持し、陸上イージスを購入してまで、アメリカに媚を売りたがっている日本政府にとっては、マスコミを通じて、「北の脅威」を言い募ることが、重要な国内政治なのだろうが、そんなことをしている間に、平壌には韓国企業やアメリカ企業のオフィスが立ち並ぶことになる。
 日本政府も、そろそろ対北政策を改めないと、日本企業へのダメージを考えるだけでも、国益に反するが、安倍は、金正恩との劇的な会談を演出したがっているようなので(たぶん菅などは拉致問題を持ち出して反対している)、しばらく静観するしかないかもしれない。


歴史の客観視 (2018.6.30)

 「潜伏キリシタン関連遺産」が文化遺産に登録されるとのニュースが入ってきた。関係する地元にとっては、観光資源ともなるので、素直に喜ぶべきことと思う。
 しかし、これは見方を変えると、キリスト教徒弾圧(というより虐殺)の歴史でもあって、南京大虐殺(真偽は問題外)に激しく反発する安倍内閣が、これを積極的に世界遺産に推薦したことは、論理的に考えるなら一貫しない。
 江戸時代のキリシタン弾圧も、戦前の旧日本軍の戦争犯罪(真偽に争いのあるのは承知)も、歴史として客観的に検証すればよいだけ。いずれも、現代日本人の生まれる前のことで、政治体制も異なる徳川幕府や天皇制日本への批判にすぎない。現代日本の評価とも関係ないし、仮に、これらを否認しても(南京虐殺不存在論など)、現代日本の誇りなどとは関係ない。

 安倍や自民党の一部政治家は、江戸時代のことには冷静に対処するのに(キリシタン遺産の申請は、「明治日本の産業革命遺産」を優先した結果、後回しにされたが)、戦前日本への批判に対しては、激しく反発する。この人たち(というより日本会議)にとっては、理想は戦前の天皇制日本。戦後の民主日本は否認したいらしい。その復古主義が「取り戻す!」という政治スローガンでないかと疑わざるを得ない(→今年は明治150年か?(2018.2.8))。


板門店宣言 (2018.4.27)

 板門店で南北首脳会談が開かれ、共同宣言が発表された。日本のマスコミでは、例によって、日本政府というより安倍内閣が、かねてから言い募ってきた政治主張に整合するように、都合よく解説しているが、共同宣言を発表する両首脳の記者会見を聞く限り、日本のマスコミの論調は、見当ハズレではないかと思わざるを得ない。

 記者会見での文在寅(ムン・ジェイン)の言葉は、朝鮮戦争の終結宣言に向けた強い意欲を語り、それに向けて、将来の首脳会談などに言及するもの。
 非核化については、「核のない半島を」とするが、北の核放棄には直接に言及していない。「核のない」も「核放棄」も、同じことでないかと思われるかもしれないが、「核のない半島」は、アメリカ軍の核も視野に入れた表現である。もっとも、北の核放棄が、在韓アメリカ軍の撤退を現実の条件とするものなのか、それとも、単に、北の立場に配慮したリップサービスなのか不明。ミサイルに関しては、何らの言及もない。
 いずれにしても、北の核は、斬首作戦などを宣伝され、生命の危機も感じていたはずの金正恩(キム・ジョンウン)の苦し紛れなので(→成功しつつある朝鮮半島の融和(2018.3.8))、その放棄は、アメリカによる体制保証にかかっているはず。韓国による保障では足りない。この点では、韓国は交渉の当事者にならないはずである。
 また、韓国の利害から考えても、韓国の首都ソウルは、軍事境界線に並べられた北の火砲だけで壊滅する。北の核やICBMなどのミサイルは、この攻撃には無用。韓国にとっては、核とICBMは黙認(現状維持)でもよいので、軍事境界線付近の緊張緩和(非武装化)のほうが重要。このために法的な戦争状態を終わらせることにも熱心ということだろう。

 一方、金正恩は、核やミサイルの放棄について、記者会見では、まったく触れていない。「平和と繁栄」に言及しつつも、制裁の解除を求めることすらない。制裁解除による経済発展、さらに南北統一は、体制の危機にもなるので、望んでいるかも不明。短い記者会見を聞くだけでも、統一への前進を政治的得点にしたい文在寅とは、立場の相違が際立っていた。
 アメリカのトランプは、この共同宣言とほぼ同時に、核(とミサイル)放棄が制裁解除の条件などとコメントしたが、記者会見を聞く限り、金正恩が求めるものは、制裁解除などではなく体制保証。仮に制裁解除されなくても、体制保証があれば、非核化は前進しそうである。

 筆者は、この会談で緊張が緩和されるなら、素直に評価できると考えているが、「具体的な行動」を条件に圧力緩和とする安倍の発言も、トランプと同様に、状況を見誤っている(あるいは、国内政治向けに、見誤ったふりをしている)。北は制裁解除などの圧力緩和を求めていないし、日本政府は体制保証の相手方にもならない。そして、予想どおりだが、拉致問題(国家犯罪であることは確実だが生存者の存否は疑問)に何の言及もない。


「国民の敵」と愛国心 (2018.4.20)

 民進党の参院議員が、国会近くの路上で、現役の幹部自衛官から、「お前は国民の敵だ」と繰り返し罵倒されたらしい。
 自衛官などの職種の公務員の場合、政治的な発言は、その職務の政治的中立性を疑われるので、望ましいものではない。しかし、自衛官も政治的意見を持つ人間。罵倒といっても、この内容では、名誉毀損罪や脅迫罪が成立するようなものではない。制服着用など、自衛官であるという身分を明示した上でのものでもなければ、職務に関連した行為とも言えず、実際にも、勤務中でなかったらしいので、それ自体を問題にするには足りないかもしれない。しかし、「国民の敵」という発話内容に、筆者は、やり切れなさを覚えざるを得ない。

 これは、自らを「国民」の側に置き、これと立場の違う者を、その「敵」と決め付けるというもの。「国民」という言葉は、本来は、国籍で限定される人間の属性であろうが、これに、「理想的な国民」という二重の意義を付与して、反対者はその国籍などを問わず、「国民でない」(往年の言葉では「非国民」)とするものであろう。修辞上の問題として考えるなら、語義の多重性を濫用したトリックである。(念のために断っておくが、こんな語義の多重性の濫用は、文革期の毛沢東が政敵を「人民の敵」とした例もあるように、いわゆる右翼に限らない。もちろん、筆者は、毛沢東の言葉にも違和感を禁じ得ない。)

 こんな例はいくらでもある。たとえば、日本語の「くに(邦/国)」という言葉は、郷土や国土などの風物と民族を表す意義(漢語では「邦」、英語ではcountry/nationに相当)と、政治機構としての国家を表す意義(漢語で「国」、英語でstate)など、複数の語義が区別できるであろうが、これらの意義を意図的に混同させると、「国」の政策に反対する反政府運動が、「邦」に敵対するものとして、郷土愛の欠如や民族への反逆と同一視されてしまうことになる。さらに、「くに(邦/国)」に現在の国家統治機関としての意義を持たせてしまうと、ある内閣に反対する運動まで、これと同一視されることになろう。安倍内閣が推進する道徳教育において、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を・・」と愛国心を位置づけ、国(国家)と、郷土・文化とを、あえて混同させつつ、「愛国」としているように思えることに、危惧を抱かざるを得ない。

 「国民の敵」という自衛官の言葉にコメントするにも、国民という単語の意義を分析して説明しなければならず、それなりに面倒な手続きを要することになる。ここには、日本の国土、戦争被害者も多い民衆、・・など、複雑で重層的な概念構造(基本的には、前段の「くに(邦/国)」と同様)を持つ「日本」を、すべて同一視して、たとえば、戦前の日本軍への批判を「反日」とする日本会議のような安易さはない(→今年は明治150年か?(2018.2.8)、→中国の「抗日行事」(2015.9.3))。筆者が、自衛官の言葉に感じたある種のやり切れなさは、こんなことかもしれない。


成功しつつある朝鮮半島の融和 (2018.3.8)

 オリンピックを機に急速に韓国と北朝鮮が接近。相互に特使が訪問し、南北朝鮮だけでなく、米朝首脳会談の実施も、お膳立てをしたらしい。

 この融和ムード、突然の情勢の変化として、韓国(およびアメリカ)は、金正恩(キム・ジョンウン)に騙されているなどとの論調が、日本のマスコミにある。しかし、筆者などから見ると、この流れは、従来からの延長線上として、至極当然のように思える。
 北朝鮮の対応は、従来から一貫している。核とICBMの開発に狂奔しているが、これを先制使用する可能性はない。戦争になれば敗北必至なことは、金正恩も理解しているはず。その反面に、圧力をかけても、核放棄の可能性はほとんどない。斬首作戦などを宣伝され、核を放棄すると、生命も危ういと感じているので、口先で、放棄を言い出したとしても、開発を凍結するだけ。よほどの保障(アメリカとの直接対話による体制保持の確証)がなければ、核の保持は譲れない。こんな事情は、数年前から何ら変わっていない。
 一方の韓国は、やや無理に北との融和を演出しているが、これは安保上の問題が理由。ソウルを滅ぼすには、核もICBMも不要。韓国にとっては、軍事境界線に並べられた火砲のほうが問題で、アメリカや、これに追従する日本の口先の強硬策なんかに、同調できるはずもないし、同調するフリをするだけでも、自らの首都を危うくするだけである。
 また、トランプのアメリカ、人口密集地の東アジアで戦争を始めれば、周辺国への影響が大きすぎるので、実際には手が出せない。石油も埋蔵する中東の砂漠と異なり、得られる利権もない。北朝鮮に核を保有させたくないが、運搬手段(ICBM)のこれ以上の開発を凍結するなら、核の保有を黙認したとしても、やむを得ないと考えているはずである。
 この点では、実は、中国やロシアも同じ。アメリカ軍に中朝国境まで来られると困るので、北朝鮮の崩壊は阻止しなければならないが、隣国は従順な衛星国が望ましい。核保有国である中国・ロシアにとって、北朝鮮に核を保有させるメリットなど皆無で、わざわざ国連決議に反してまで、北朝鮮の制裁のがれに協力する理由もない。
 ・・で、これらの利害がからまった結果が、今回の融和ムードであろう。

 これに慌てているのは、安倍などの日本の一部の政治家。「対話拒否」を政治的アピールとしてきたので、対話を進める文在寅(ムン・ジェイン)やトランプにハシゴを外された格好になっている。しかし、実際にそうなのだろうか?圧力と対話は、ムチとアメで、これらは併用するから効果がある。圧力は対話を有利に進める手段で、圧力を対話と対置させる論法は成り立たない。少なくともアメリカは、「圧力」を口にしつつ、今まで一度も、「対話拒否」などと言ってない。安倍もこのことを知っているので、「対話のための対話」などと、意味不明の語句に言い換えてきた。「対話拒否」は、安倍(と産経新聞などの一部マスコミ)の国内向け政治スローガン(というよりアオリ)に過ぎない。

 今回の融和ムード、一時的かもしれないが(北のミサイル発射や、米韓軍事演習などで、一発リセット)、少なくとも、交渉中は核実験などない。軍事衝突となると、地理的に近い韓国と日本で死傷者が予想されるほか、株式の暴落などを通じて、日本経済も壊滅なので、とりあえず歓迎としたい。


今年は明治150年か? (2018.2.8)

 明治元年は1868年(正確には太陽暦でないので何日かのズレはある)。そこから数えると、2018年は明治150年。これには、なんの疑問もないように感じられるかもしれない。そして、政府主導でイベントなどが企画され、内閣官房は「明治150年ポータルサイト」のWebページまで作っている。

 しかし、本当に2018年を明治150年などといえるのだろうか?年数だけを数えるなら、数年前は「大正100年」だったが、公的なイベントは何もなかった。また、「江戸開府400年」など、キリのよい数字を観光振興に活用しようとした地方自治体(23区の一部)はあったが、内閣官房などが関与するものではない。「明治150年」という標語が際立っている。

 安倍内閣は、折に触れて、「明治」を強調。たとえば、数年前に安倍が行った「戦後70年」談話(内閣決定)では、その冒頭で明治維新に言及し、これを欧米の植民地支配を打破した偉業とした。そのほか、公共放送(政治的中立を旨とするはずだが、経営委員などに安倍肝いりの面々)では、幕末や明治初年のドラマを積極的に・・と、この動きは、枚挙に暇がない。「明治150年」も、その一環と考えられる。
 ここに通底する歴史観は、明治維新によって形成された天皇制国家と、現代の日本国を連続性のある本質的に同一のものとするものであろう。これは、戦前戦後を通じて、「日本」という同じ国であることは、アタリマエと考えがちだが、これと対置されるもうひとつの歴史観もある。

 もうひとつの歴史観とは、戦前の天皇制日本と戦後の日本は、連続性のない異質なものとするもので、たとえば、戦後の憲法学では、この考え方が主流であった。国体(主権の所在・・往年は天皇主権とされた)が変更不能とする憲法学のドグマに基づくものでもあるが(変更不能なはずの主権の所在が変更されたので、以前の国が断絶して、新しい国!)、戦後の国民や政治家たちが、戦禍を引き起こした旧天皇制日本の指導層と、自らを区別する心情にも由来した。

 この考え方に基づくなら、天皇を主権者とする大日本帝国は、国家としては敗戦によって断絶し、現代の日本国は、その後に主権を掌握した国民によって作られたものとなる。天皇も、戦前戦後で同名だが、戦前戦後で異質な別の国家機関となろう(連続しないので、「昭和60年」などと考える余地はない)。日本共産党系の勢力は、「新日本」という言葉を好んで用いていたが、左翼勢力に限らず、戦後の保守本流を形成した政治家たちも、戦前との断絶を強調していたはずである。戦争は陸軍などの好戦的な勢力が引き起こしたものとして、保守政治家や皇室までもが、自らを戦争被害者と位置づけていた。この立場からは、自らも戦争責任を追求する側となるので、連合国やアジア諸国からの軍国主義非難などに、同調的であった。(戦後の保守本流とされた政治家は故人になったが、皇室に関しては現在でもこの傾向が見られる。今般の生前退位さわぎも、戦跡訪問などに積極的な天皇と、戦争責任を想起させるような行動を嫌う安倍との軋轢と思われるが、この点は、別に・・)

 安倍や日本会議などは、これを乗り越えたいらしい。「明治150年」などという標語で、天皇制日本と現代日本を連続性のあるものとすることによって、天皇制日本の戦争責任を追求するアジア諸国の声などを現代日本への敵意と同視。これを「反日」として、反感を煽るのが安倍の手法である。

 戦前日本などをどう評価するかは、各人の政治的な立場の問題であるが、少なくとも、国家予算を使って「明治150年」を宣伝し(Webページだけでも大手広告代理店経由で巨額の費用)、小中学校などの公教育でこれを強調するのは、教育基本法で禁じる政治教育とされるおそれもあることを指摘しておく。


日韓慰安婦合意 (2018.1.6)

 2015年末に締結されたいわゆる日韓慰安婦合意は、慰安婦問題の解決を確認するとともに、元慰安婦を支援するために、日本側が10億円を拠出するという内容。合意発表当初は、日韓双方で最悪の評判だったと記憶している。
 日本側では、右翼論者の多くまでが反対に回り、官房長官の菅は、慰安婦像の撤去(合意の明文には含まれない)とからめて説明して、国内の理解を得ようとしていた。韓国側としても、(被害者ビジネス論にご熱心な日本のネトウヨ諸氏には申し訳ないが)政権の人気を落としてまで受け取る金額でない。日韓双方の政権には、この慰安婦合意を積極的に進める動機がないので、この慰安婦合意は、日韓の対立に手を焼いたご主人のオバマ政権に、日韓双方の政権が強要されたものと考えてよい。
 いわゆる慰安婦問題に関して、念のために、ここで筆者の私見を簡単に再説しておくが、筆者は、慰安婦問題の否認や正当化は無理と考えている。慰安婦が、営業性のある売春だったとしても、日本軍が積極的に慰安婦を利用したことは明らか。そして、その扱いが人間的なものであったかは、個別の事情もあろうが、少なくとも、今日の基準で許されるものでない。従軍慰安婦は「自発的」などの正当化は、売買春が人格を傷つける行為として、その防止に努めてきた近代の常識に反し、論者の人権意識の低さを露呈するだけ。(→歴史認識(2012.11.11)
 その一方で、これが、国家間賠償に適するかは疑問で、すでに戦後の諸条約で賠償済みとも考えられるし(日本政府はこの立場)、そうでなくても、被害者にも日本人女性が多く(慰安婦の数からすればたぶん日本人が最大)、加害者(旧日本軍人や慰安所の経営協力者)にも朝鮮半島出身者がいるはずで、国対国の問題ではない。ついでに付言するなら、現代日本人にとって、この問題は生まれる前のことなので、これに関する「反省」は意味がない。必要なことは、過去を正当化するのではなく(旧体制を理想視して、自らをこれに重ねる安倍などの極右論者はともかく・・)、これを批判的に対処することである。(→従軍慰安婦(2013.5.25)
 今さら、合意の完全実施なんかを言い出すのは、ちょっと違うはず。アメリカの政権も変わったのだから、完全破棄(もちろん全額返金)でよいのじゃないですかね。


原子力発電と安全保障 (2017.10.9)

 原発は、地元対策や事故後の廃炉まで、税金をバンバン投入しているので、一見すると、火力などより、発電コストは安い。で、これを推進して、地元に金を引いて・・に積極的な知事や議員も多い。
 しかし、安全保障の点では、これほど困った存在はない。若狭湾岸に並ぶ原発に対して、某国が漁船アタックをかけるだけでも、原爆(核物質はせいぜい数十kg)より桁違いに多量の高レベル廃棄物(商業原子炉1基あたり数百kg以上)が撒き散らされ、中部日本は住めなくなる。また、某国の軍隊が尖閣諸島への上陸するおそれなどを煽っているが、尖閣諸島でなく九州に上陸すれば、福岡などの市域の防衛を放棄してでも、米軍(本当に日本防衛に協力いただけるかは別論)と自衛隊の使える地上戦力すべてを投入して、川内原発を防衛せざるを得なくなる。仮に原発が攻撃を受け、原子炉を破壊されるようなことになれば、やはり多量の高レベル廃棄物が撒き散らされる。そうなると、季節にもよるが、地理的に考えると、撒き散らされた放射性物質は、偏西風に乗って、西日本一帯を覆うことになるからである。
 本気で日本の安全保障を考えるなら、米軍を駐留させ、そして、自衛隊装備を・・という以前に、防衛の観点から、原発や多目的ダム(これも破壊されると下流の都市で大きな人的被害)の立地などから見直し、特に原発(軽水炉は海岸か河岸にしか設置できない)は最小限にすべきと申し上げるほかない。
 ついでに申し上げておくと、米軍を駐留させるための思いやり予算は、4兆円に達している。一部の扇動政治家が主張する議員定数削減で、仮に国会議員を100人減らしても、浮く経費はせいぜい30億円程度・・で、この巨額の思いやり予算を放置しつつ、民主主義の装置である議員を攻撃するのは、ナチス流の扇動政治を思わせるが、これは余談としておく。
 いずれにしても、原発再稼働を進める現内閣や一部の知事など地方の首長たちは、近隣諸国の脅威を、煽っているだけで、本気では考えていると思えない。あるいは、考えていても、それより、アメリカや日本の原子力産業の利益のほうを優先させているとしか、申し上げられない。自民党の選挙用のスローガン、「この国を守り抜く」も、空虚に響く。


教育勅語 (2017.3.31)

 「我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に・・」とする皇国史観に基づき、「緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」として、天皇制国家への服従を求めるこの歴史的文書は、戦前教育の基本理念とされた。戦後においては、一転し、軍人勅諭と並んで、戦前日本を戦争の道に追い込んだ元凶として、国会では、その「失効」が決議された。
 幣原・吉田など、戦前の親英米派の流れを引き継ぐ戦後の保守本流は、過般の戦争を軍部独走によるものとして、自らを含む日本国民は、戦争の被害者と位置付けた。望まない戦争による被害者として、敵国であったアメリカなどや、旧日本領・日本軍占領地のアジア諸国の民衆と同じ立場に立つことで、戦争責任への免責とした。政治的発言を封印しているので明確でないが、おそらく戦後の皇室この立場で、陸海軍大元帥で、宣戦の詔勅を発した昭和天皇まで、戦前から親英米派であったことを強調していた。このような立場からすれば、教育勅語を奉じる余地などない。
 一方、近年において、この悪名高い歴史文書を復活させようとする動きがある。明治維新を賛美し、戦前の天皇制日本を理想視するらしい安倍首相と、稲田防衛相などの閣僚、教育勅語を園児に暗唱させる幼稚園の経営者と、それに感銘を受け、小学校の設置認可に前のめりだった松井大阪府知事・・で、教育勅語の復活は、彼らの復古主義のシンボルとなっているらしい。
 教育勅語には、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し・・」など、現代においても、ある程度の普遍性をもつ倫理項目ともいえる内容を含む。しかし、この倫理項目で教育勅語の正当化ができるなら、ナチス党綱領(1920年)なども同様である。教育勅語やナチス党綱領が排除されなければならないのは、そこに、現代にも通じる価値観が含まれるか否かではなく、現代では絶対に排除しなければならない価値観、皇国史観(教育勅語)や他民族排斥(ナチス党綱領)が含まれるからである。
 折しも、この3月31日、政府は、教育勅語について、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定したらしい。また、稲田防衛相は、過般の国会答弁で、「親孝行や友達を大切にするとか、そういう(勅語の)核の部分は今も大切なもの」と発言した。しかし、教育勅語の「核心」は、そんな普遍性のある倫理項目でなく、何度も言うように、皇国史観に基づく天皇主権である。(現代的な倫理項目を道徳授業で教えるなら、古色蒼然たる教育勅語なんかでなく、現代の道徳書で足りるし、そのほうがずっと内容も充実している。)
 教育勅語を復活させようとする論は、一部分の肯定をもって、全部を肯定しようとする復古主義者の稚拙なトリックとしか申し上げられない。


急速に高まる改憲議論 (2016.7.14)

 参院選が終わったとたんに、なんと天皇が退位の意向を示しているとの報道があった。
 これは、政治に権能を有しない天皇の政治的発言(本件では皇室典範の改正要求を含む)。天皇も政治的意思を有する個人なので、発言は自由とせざるを得ない。しかし、たとえば特定の人物を首相として好ましくないなどとする発言を報道すべきでないのと同様に、天皇の政治的発言を報道するのは、ちょっと問題。今までも、このような法律改正に関する発言は、報道を避けるのが慣例だったはず。

 天皇の退位は、現行の皇室典範に規定がないので、この改正が必要なほか、憲法との関係でも問題になる。憲法は、退位を明示的に禁じるものでもないが、現在の皇族の範囲のほかに、元天皇という皇族を作ることにもなり、皇族の範囲拡大につながり、法の下の平等から考えても問題があるほか、摂政を置くとする現憲法の規定との整合性も問題になる。

 時系列から判断すると、皇室典範(旧憲法下では法律でなく憲法と並ぶ欽定の最高規範)とセットで、憲法改正の機運を盛り上げたいらしいが、そのために天皇の発言をリークしたのであれば、天皇の政治利用とせざるを得ない。


北朝鮮の「水爆」 (2016.1.7)

 新年早々に、北朝鮮の核実験のニュース。数時間後には北が水爆実験に成功したと発表した。もっとも、アメリカと韓国の当局は、この発表を疑っているのか、それとも、北朝鮮の技術水準を低く見せたいのか、水爆でなく原爆でないかとの説を流布している。しかし、筆者は、状況から考えて、水爆でないかと判断している。

 水爆には、重水素やトリチウムが必要だが、この分離はウラン濃縮より容易。そして、これらが少量でもあれば(原爆のように臨界量・・最低必要量の制限はない)、原爆の高温で核融合反応を起こすので、「水爆」と言える。
 今回の爆発、TNT100キロトン程度(韓国内の報道では、この数字が出た後、時がたつにつれて、数字が小さくなり、TNT数キロトン同等とする数字もある)とすれば、数十キログラムの濃縮ウランによる原爆と考えるより、ごく小規模な水爆と考えたほうが自然に思える。黒鉛炉停止中らしいのでプルトニウム保有も少量で、大量の濃縮ウランを用いる余裕もないはず。北が言う「小型化した水爆」は、ミサイル搭載などを考慮して軽量化したものではなく、原料不足で仕方なく小規模になった水爆ということだろう。

 ミサイルに搭載できるか否かは不明。そして、大型の爆撃機も保有していないはずなので、現実に他国への攻撃に使用できるとも思えず、現在のところ、軍事的な意味では、現実の脅威ではない。
 しかし、これで、軍事的な危機感をあおる安倍内閣と支持率低下の韓国の朴政権を喜ばせ、その基盤強化を助けることになりそうで、困ったものとしか申し上げられない。


中国の「抗日行事」 (2015.9.3)

 北京で記念式典と軍事パレードが実施された。これには、ロシアのプーチンや韓国の朴槿恵など、首脳級を含む49カ国の政府代表団や潘基文国連事務総長ら国際機関の代表らが出席している。

 日本の一部マスコミでは、これに関し、「反日」と決めつけている。さらには、日本対中国という構図を作り、国連関係者がこの行事に出席することを「中立性に反する」などと騒ぎ立てる。国際法的な意味では、国連は「中立」でなく、国連軍を組成して戦争当事者にもなるという自明の話はともかく、国連職員の行動として、問題とすべきものとは思えない。(これに乗じて、国連への嫌悪感をあおり、「国連よりニチベイドウメイ」という政治宣伝ですか。)
 そもそも、この行事は、「中国人民抗日戦争と世界反ファシスト勝利70周年」で、抗日といっても、70年も前の日本や今は存在しない日本軍を対象にしたもの。現代日本にも現在の日本国家にも敵意はない(もちろん好意もないが)。
 余談ながら、申し上げておくと、この日(9月3日)は、日本が降伏文書に署名した日なので、アメリカもワシントンで「第二次世界大戦終結70周年」の記念行事を行っている。(奇妙なことに、これを「反日」と報道するマスコミはいないらしい。)

 「取り戻す!」と呼号して、戦前日本を理想化するらしい安倍は、これに反感を覚えるらしいが、戦前の親英米派の流れをくむ往年の自民主流(幣原・吉田・・)らも、日中戦争に反対し、ファシストへの勝利なら歓迎のはず。
 安倍が出席しないなら、祝電でも打っておけばいかがですか。


安保法制 (2015.7.17)

 安保法制が強行採決で衆議院を通過した。政府与党は、中国脅威論をまき散らしながら、日本の防衛に不可欠と称するが、現実には、安保法制と日本防衛とは関係ない。

 現在の国際社会で、核保有を公認されているのは、安保理常任理事国の5か国のみ。非公認だが核保有を確実視されているのは、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮ぐらい。日本は、核兵器を持った中国と戦争できるはずもない。安保法制は、政府与党も認めているように、アメリカ軍を支援するためであり、アメリカ従属の仕掛けのひとつでしかない。
 もちろん、日米安保体制という軍事同盟、というより、アメリカによる軍事支配を前提にすれば、アメリカ軍を支援することが日本の防衛と無関係でない。しかし、仮に、アメリカ軍支援は、こんな法制を作って自衛隊を出動させなくても、事後的な費用分担等でも可能。アメリカ軍支援と自衛隊の軍事行動に、論理的な関連はない。

 アメリカご用達の案件は、政治生命を終わらせても、通さなければならないのが、60年安保の岸内閣以来の伝統・・というか、アメリカ従属国の政治ルール。
 鳩山は、国民向け公約よりアメリカ向けの「トラストミー」を優先して、辺野古受入れで政治生命を失い、野田は、不人気必至のTPPを開始して、民主党政権を再起不能にまで壊滅させ、そして、安倍はアメリカ議会で勝手に約束した安保法制とTPPの強引な妥結でたぶん退陣に追い込まれる。もちろん安倍ご本人も、これはご承知で、この後は、勲章でも待つだけの引退老人になるはず。

 安倍後継と目されている政治家は、安倍の手法から距離を置きつつも、安保法制に異を唱えず、アメリカのご機嫌を損ねずない狡猾さを示している。
 安倍内閣の命脈は長くない。しかし、その前に、安保法制(とTPP)というアメリカ案件は、通してしまうと予想せざるを得ない。困ったものではあるが、現実の展望を持ち得ていないことを告白するしかない。


翼賛マスコミ (2015.3.12)

 元首相の鳩山由紀夫が、ロシアが支配するクリミア地域に入域、ロシアによるクリミア併合を支持する発言をしたらしい。これに関して、一部のマスコミは、「クリミア併合をめぐり対露制裁で足並みをそろえる欧米諸国から日本政府への不信感が増幅すれば、今後の外交にも影響しかねない」(産経新聞)などとして、日本がロシア側とみなされ、「欧米諸国」との関係に問題が生じるかのように報道している。

 しかし、冷静に考えれば、この種の懸念はまったくあたらない。鳩山は、元首相として国際的にも知名度がある。しかし、この人の発言によって、日本政府(自公政権と安倍内閣)の政治的意思に、「誤解」が生じる懸念など、ほとんど想定できない。政権が交替して、鳩山が現在の日本政府と関係ないことは知れているはずであるし、仮に、外国の一部に誤解があっても、ロシアにも、ウクライナにもある在外公館を通じて、容易に訂正できる。対日経済制裁などを考慮する「欧米諸国」の国など、あるはずもない。

 鳩山の発言は、ロシア側報道の伝聞にすぎないので、その真意もわからないが、筆者は、ロシアによるクリミア併合を支持するつもりはない。しかし、政治家(元政治家)、あるいは、一般国民が、この問題に関して、いろいろな意見を持つことは想像できる。国際法上の適法性だけでなく、ロシアとEUとの対立構造の問題でもあるからである。この種の意見表明を理由にして、旅券返納命令で出国を禁じるなど、論外であろう。
(ついでに申しあげるなら、「イスラム国」を支持する日本人についても、テロ行為などに従事するおそれがなければ、出国を禁じる理由はないと考えている。)

 自公政権や安倍色に反する多様な意見を許容せず、政治的な意見の相違を、日本への敵対行為と決めつける翼賛マスコミには、嫌悪感を禁じ得ない。


幼稚な愛国主義 (2014.11.11)

 韓国・北朝鮮と中国の「反日」は有名であるが、これには明白な理由がある。韓国・北朝鮮は日本による統治を経験し、中国も、広範囲にわたって、日本による占領を経験している。韓国・北朝鮮と中国の現政権は、日本による支配を打倒して成立したものである。現政権が前代の政権(日本)を非難するのは当然であろう。「前政権のほうがよかった」などと言っていては、政権維持なんか、できないからである。

 この事情は、「親日」と扱われている台湾も変わらない。台湾も、ごく最近まで、厳しい「反日」であった。これが転換したのは、1990年代になってから、蒋父子(蒋介石・蒋経国)の政権が終わり、その後継政権(李登輝などの台湾人)が、前政権(蒋父子)を非難するなかで、「日本統治時代のほうがマシ」というロジックが出てきたのである。

 このように、前政権への非難は、現政権の正統性そのもの。現政権である自公政権が、前代の民主党政権を非難するのと同列で、政治の世界では、ごく自然な現象というほかない。また、「反日」といっても、過去の日本統治を非難しているだけであって、現代日本と直接の関係はない。戦前の日本軍国主義への非難なら、多くの日本国民の生まれる前のことに過ぎず、反論(誤解への訂正欲求)も共感(日本国民の軍国主義被害者も多い)もあるはずだが、現代に生きる日本人の感情を害する問題とは思えない。

 その一方で、日本製品や日本料理店を破壊する反日デモなど愛国心を誇示するためとしか思えないパフォーマンスを繰り広げる個人レベルの「反日」には、感情的にも違和感を覚えることがある。もちろん、嫌韓デモなど、日本で行われていることも、これと同列で、失礼ながら、幼稚な愛国主義とでも申し上げるほかない。


最悪の内閣 (2013.8.15)

 安倍首相は、本年の8月15日の戦没者追悼式の式辞において、「反省」を口にしなかった。安倍の式辞には、「世界の恒久平和に」との文言はあるが、これは第二次世界大戦の対米英宣戦布告詔書の「東亞永遠ノ平和ヲ確立シ」と重なる文言としか思えない。

 ネトウヨ諸氏には、誤解しておられる向きもありそうだが、戦争の被害者には日本国民も含まれる。そして、「反省」は、精神的な内省などではない。生まれる前の戦争について、安倍首相の内省などを求めても意味がないからである。「反省」とは、無謀な戦争に導き、日本の兵士を含む多くの人命を損なうに至った往年の戦争政策(「軍国主義」との標語で語られることもあるが、政策全般を問題にしたい)を厳しく批判して、これと決別することである。植民地支配(第二次世界大戦の直接の原因である)を受けたアジア各国のほか、元兵士を含む日本国民にも、日本政府の「反省」を求める正当な権利があろう。

 この「反省」は往年の戦争政策との決別なので、靖国神社などの往年の戦争推進装置にも目を向けさせることになる。戦争被害者でもある兵士を「英霊」として祭ることは、宗教団体が行うべき宗教行為かもしれないが(同意なく合祀された兵士の遺族から訴訟も起こされていることを忘れてはならない)、往年の政策決定者(東京裁判のA級戦犯を包含するが、それに限らない)を合祀した神社への参拝(安倍本人は参拝しないことを無念として「玉串料」を出したらしい・・確認不能)は、「反省」と相容れるものではない。そして、すべてを否定すべきでないという意味で、その対応には個別の問題があるが、君が代、日の丸、そして天皇制などへの批判も、当然のこととせざるを得ない。

 日本国民の中にも、「二度と戦争を繰り返さない」との強い思いで、たとえば君が代を忌避する人が少なくないはずである。これを安易に「反日」などの標語で攻撃するネトウヨの単純な思考には、筆者としても、辟易とせざるを得ない。

 首相安倍の異様さは、「反省」への不言及など、ネトウヨに迎合したかに見える政策を意図的に推進し、隣国から総スカンを喰らい(中韓とは首脳会談すらできない)、アジアでの緊張を好まないアメリカからの制止で、靖国神社参拝だけを思いとどまったらしい・・など、もちろん、意図的に行っていることであろう。その「意図」については、次の機会に申しあげたいが、とりあえず、この内閣には、戦後「最悪」との標語を奉っておきたい。


従軍慰安婦 (2013.5.25)

 「維新」という復古調の名称を名乗る政党の「共同代表」が、「従軍慰安婦は強制でない」などと主張し、国際的な非難を浴びている。

 戦前の売春は、いわゆる公娼制度として、公的な管理の下で、適法化されていたが、前借金などで従業者を縛るシステムで、従業者の廃業も、事実上は制約されていた。こんな管理売春を強制でないなどと称することは、人権意識の低さを露呈するだけでなく、元従業者の人格を傷つけるを侮辱的言辞である。

 「従軍慰安婦は強制でない」との論は、小林よしのりなど一部の論者が声高に主張し、産経新聞(イザ!)系の右翼マスコミに乗って、ネトウヨの世界では通説化しつつあるらしい。従軍慰安婦に関して、強制連行などの暴行・脅迫の「証拠がない」というが、これは、警察や軍の管理下で適法な営業を装った従軍慰安婦と、南京などの占領地で日本軍が実際に行った戦時強姦などとを意識的に混同させるスリカエの論であろう。従軍慰安婦に「強制」がなかったかは、往年に適法だった軍隊相手の売春業において、甘言や前借金など、不当に人身を縛るシステムがなかったかの問題。そして、軍が関与したかは、従軍慰安婦を積極的に「利用」したのは自明の(もちろん恥ずべき)事実として、この組織化、そして、その管理売春の運営に、どの程度、主体的に関与したかの問題である。結論は、申し上げるまでもないかと思う。

 戦争犯罪を含む往年の日本帝国の国家犯罪の否認が日本の誇りにつながるとは、とても思えない。また、これを追及することは、決して、「反日(ネトウヨ用語)」ではない。
 ここで、突然に、「日本帝国」という言葉を用いているが、これは、1945年までの国家体制を指称している。戦後の新憲法下の「日本国」と、往年の憲法学の概念を用いるなら、「国体」に同一性はない。「日本帝国」は、現在の日本との違いを強調するために、あえて筆者が用いた言葉である。決して、往年の「帝国」を賛美しているわけではない。
 過去との断絶を強調し、この批判を現国家の正統性とするか(たとえば、ナチの第三帝国との断絶を強調するドイツ連邦共和国)、それとも、これをなし崩し的に認めるか(建国記念日の祝日化、国旗・国歌の法定化・・)の違いが、他国からは、「反省」の有無に見えるのではなかろうか。

 過去の国家犯罪(日本帝国の犯罪を含む)について、厳しい態度を保持することによってのみ、連合国側の戦争犯罪や残虐行為(アメリカによる原爆投下やソ連によるシベリア抑留など、日本人を被害者とするものも多い)を、正当に追及し得る立場に達することができるはずである。過去をあいまいにすることは、日本国民を含む多くの戦争被害者に対する裏切りであろう。


意図的に作られた近隣諸国との緊張関係 (2013.4.25)

 本年3月、靖国神社の春季大祭にあわせて、安倍内閣の閣僚数名と、過去最大数の百数十名におよぶ国会議員が参拝し、安倍首相は真榊(まさかき)を奉納した。

 安倍首相は、「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」と称して、閣僚の靖国神社参拝を奨励ないし容認。「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由を確保している。」とするが、仮に、閣僚がナチスの戦犯やアルカイダのテロリストを賛美すれば、国際的に非難を浴びることは間違いない。問題は安倍首相が「確保している」とする「自由」の内実である。合祀されているA級戦犯等も一括して「英霊」と称しつつ、「尊崇の念を表する」では、「死者にムチを打たない」という日本的な倫理で説明しようとしても、国際的に通用しないであろう。

 批判を「脅かし」とされた韓国・中国、そして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、当然ながら、激烈な怒りのコメント(靖国参拝に関しては、日本国内からの批判・非難も多い)。韓国は予定されていた外相の訪日を中止した。アジア諸国の対日感情は悪化した。北朝鮮問題などで日中韓の足並みが乱れるのを恐る米国が、訪日中の米バーンズ国務副長官を通じて事情説明を求めるほどの事態である。

 ご自分の人気にしか関心のなさそうな一部の国会議員を除いて、閣僚各位はこんな結果を予期していたはずである。諸外国の反応を計算しつくした政治家としての行動と考えるしかない。近隣諸国からの批判は、安倍内閣の閣僚らが自ら望んで招いた結果である。北朝鮮の恐怖を過大に宣伝する操作と合わせて考えると、軍備増強などの口実作りのため、近隣諸国との関係悪化を仕掛けたのではあないかと疑われる。

 やや穏当を欠く比喩かもしれないが、銃撃で死傷者が出た場合に、主として責任を負うべき者は発砲した側であるとしても、銃口が向けられていることを知りながら、その前に立つことは、自ら被害を招く行為と評価するほかない。
 閣僚や国会議員らの行動は、国際的な非難という銃撃を予期しつつ、自らが銃口の前に立つだけでなく、多くの国民を国民を銃口の前に立たて、道連れにする行為である。アジア諸国に進出している日本企業を含め、多くの国民に深刻な被害を及ぼしている。


尖閣諸島 (2013.1.16)

 最初に申し上げておくが、問題の島が日本領なのか、台湾に属する中国領なのか、筆者にその知識はない。日本政府の政治的立場は承知しているつもりだが、領土の帰属を決めるのは、どちらが先に占有したかなどの歴史的事実の問題であり、筆者にはその史料を判読する能力もないからである。
 こんな門外漢の筆者であるが、日本のマスコミや非専門家向け書物などでは、尖閣諸島が日本領であることは自明の真理として語られていることには、違和感を禁じ得ない。日本領であることが、そんなに自明なのだろうか?根拠として、マスコミに流されているのは、主として、次の2点であろう。

 論拠A「1895年に、清朝の支配が及んでいないことを確認し、閣議決定で領土に編入した」
 論拠B「その後、1970年台まで、中国側から領有権の主張がなかった」

 一読すると、説得力があり、尖閣諸島が日本の領土であることは、法的にも疑問がないように感じられる。しかし、少し注意深く考えると、こんな論拠では、「自明の日本領」などとはいえないことがわかる。
 たとえば、論拠Aは、無主地の先占によって領土権を取得したとの主張で、これが成立するなら、尖閣諸島は日本領といえる。しかし、「1895年」は日清戦争中である。この島に「清朝の支配が及んでいないことを確認」といっても、付近の制海権が日本海軍にあったなら、戦争中に清国が実効的な支配などできるはずもない。中国人(清国人)の居住者は退避していたかもしれない。「戦争(日清戦争)のどさくさに紛れて強取」との中国側の主張に反論するには、戦争中の一時点ではなく、それ以前の来歴が問題になるが、この点は日本側で多く語られることはない。
 論拠Bのバリエーションはたくさんある。たとえば、「1950年台に中国で尖閣諸島を日本領とする地図が出版されていた」などである。この種の「事実」の発掘に熱心な人もいるが、これらはすべて状況証拠に過ぎない。仮に、中国側が、ある時期まで、尖閣諸島の領有権を主張しなかったとしても、あるいは、ある時期まで、その紛争の存在すら知らなかったとしても、それによって、当然に領有権を失うということはない。
 なお、論拠Bにいう「1970年台」は、日中の国交が正常化した時期であり、それ以前は、第二次世界大戦(日中戦争)での敵国、そして、東西冷戦での仮想敵国である。領土問題に関する正常な議論がなかったとしても、必ずしも、不自然ではない。あるいは、領土権不主張の言い訳を中国側に許す事情がないとはいえない。
 念のために付言するが、筆者は国内マスコミの決め付け論調に疑問を挟んでいるだけで、中国の領土主張を認めているわけではない。中国側も、論拠Aにいう「1895年」以前に、尖閣諸島を支配していたという確実な証拠を提示できていないようである。仮に、日本が「戦争(日清戦争)のどさくさに紛れて強取」したとの中国側の主張が正しいとしても、それ以前の権利状態を証明できなければ、中国側の領土主張は、その根底から覆ることになる。

 政治的に考えた場合、現実の解決策は、「未来志向」、換言すれば、棚上げしかない。現在のところ、実効支配しているのは日本側である。現状維持は、日本側にとっては不利な選択ではない。無用の紛争回避が「国益」であろう。


人工衛星 (2012.12.12)

 北朝鮮が人工衛星の打ち上げに成功したらしい。「南向き発射」など、人工衛星の打ち上げとしては、やや不利な選択をしていたので、衛星軌道に乗せる目的ではなく、弾道軌道の実験かと疑ったが(北朝鮮の人工衛星(2009.4.2))、この憶測は外れた。

 米軍は、この人工衛星について、「物体を乗せたミサイルが軌道に乗った」などと称している。しかし、英語でも日本語でも、「ミサイル」は標的を想定した飛翔体を指称するのが通常。弾道ミサイルや巡航ミサイルはあっても、たとえば、スペースシャトルを「ミサイル」とはいわない。「ミサイルが(地球周回)軌道に乗った」は、言葉としておかしい。軌道に乗ったなら、それは人工衛星と呼ぶほかない。
 日本の一部マスコミは、「事実上の弾道ミサイル」と称していたのが、「軌道に乗った」とのニュースを流す際に、「事実上のミサイル」に呼称を変更した。しかし、弾道ミサイル、巡航ミサイルのほかに、新種の「ミサイル」があるとしても、「軌道に乗った物体」をこれに含めるのは、やはり言語の乱用である。
 言語的に無理をして、「人工衛星」を「ミサイル」と言い換えても、その本質は変わらない。北朝鮮が世界で何番目かの人工衛星打ち上げ国となったことを認めざるを得ない。打ち上げた人工衛星自体が故障していて、たとえば通信衛星などとして所期の機能を果たさないとしても、ロケットエンジンで、ペイロードを地球周回軌道に乗せたのだから、「人工衛星の打ち上げに成功」という評価は変わらないだろう。

 誤解を招かないために申し上げておくが、筆者は衛星軌道に乗った飛翔体を「人工衛星」と呼ぶべきと主張するだけで、これが「ミサイル」開発の一環であることを否定しない。問題は、北朝鮮の国威発揚にお付き合いすることでもないし、呼称を変えてそれを否認することでもない。核開発も進める危険な国の技術力を正視して、それに対して、適切な措置を講ずることである。人工衛星を打ち上げる技術があれば、地球上のどこにでも、ミサイルを落とすことができるはずである(命中精度を問わなければ、射程距離は無限大)。また、「南向き発射」とすれば、極軌道(北極・南極を通過する軌道で、高緯度地域の上空も通過することができる)への投入に成功し、北朝鮮の偵察衛星なども現実になったと考えるしかない。


歴史認識 (2012.11.11)

 領土問題に劣らずホットな議論となるのは、いわゆる歴史認識の問題である。ここでいう「歴史」は、主として明治維新以降の近代史、特に、第二次世界大戦の時期における日本軍の行動や植民地・占領地の行政を問題にするもので、「南京大虐殺」や「強制連行」、そして、「従軍慰安婦」などが採り上げられている。

 日本側では、これを否定する論調がある。たとえば、南京大虐殺。これを南京市民の死者数が通常の戦闘行為で発生する程度の少数だからという理由で、「存在しない」としたり、「従軍慰安婦」について、朝鮮人を含む業者の営業行為で、軍は通常の公娼制度(「公認」という意味でこの言葉を用いる)を利用しただけなどとする。日本人としては、この種の論調が耳に心地よいかもしれない。
 そればかりではない。「通常の戦闘行為」、「通常の公娼制度」に帰着させてしまうと、中国や朝鮮半島など、一部の地域で発生した特殊な現象とは言えなくなり、これを否定的に評価されることは、日本軍の行動全体が問題とされることとなってしまう。全肯定か全否定か、往年の戦争について、その一部でも肯定的に評価したい論者にとって、これらの問題の否認は、決して譲れない一線になってしまう。

 念のために申し上げておくが、この種の問題は、二国間交渉を有利に進めるために相手国から持ち出されたのであれば、日本としては、誤った事実の訂正を求めるのは当然である。死者数によって賠償額も変わるはずなので、主張すべきは主張すればよい。また、賠償等によって解決済の案件については、再賠償を拒むのも当然で、これは国際政治のテクニックの問題である。
 しかし、これを超えて、国際社会に向けて、「犠牲者は少数」や「軍の慰安所は自発的な営業行為」などと宣伝しても、日本側に有利になるとは思えない。仮に、南京占領時の死者が少数であったとしても、これは日本軍が南京で起こした事件であって、中国軍が東京で起こした事件ではない。一般市民に犠牲者を出すことも(少数としても)、売春婦を従軍させることも(自発的としても)、少なくとも、現代の基準に照らせば、許せない行為とせざるを得ないであろう。従軍慰安婦は「自発的」などの正当化は、売買春が人格を傷つける行為として、その防止に努めてきた近代の常識に反し、論者の人権意識の低さを露呈するだけ。買春は、売春の相手方となる行為を指す近年のマスコミ近年の用語だが、この適法性を声高に叫ぶことが、「日本人の誇り」につながるわけもなかろう。日本人として恥ずかしく思えるだけである。

 第二次世界大戦の時期の話題とすれば、日本が声を大にして叫ぶべきは、日本側の行為の否認や正当化ではなく、原爆投下や東京大空襲を含む都市爆撃などの被害であろう。これらについては、行為者(主としてアメリカ)の側にも、正当化の論理があろうが、非戦闘員が殺害されたことは、争いようのない事実である。実体不明の「日米同盟」などに遠慮せずに、その不当さを堂々と主張することが、戦争の悲劇を二度と繰り返さないためにも、必要ではないかと思える。


国粋主義 (2012.9.28)

 安倍晋三元首相が自民党総裁に就任した。折しも、日中関係は、東京都知事の石原慎太郎の尖閣諸島に対する無責任なお節介が発端で、国交正常化後で最悪の状態となっている。
 本題から外れるが、非国民呼ばわりされるのも心外なので、東京都知事を無責任とする根拠を申し上げておく。東京都知事らの行動は、尖閣諸島の土地所得などを呼びかけることによって、これらが日本の領土であることを、近隣諸国に示すねらいと考えられる。筆者は、これらの島々が、国際法上どちらの領土であるかについて、知識はないが、仮に中国などが、東京都知事を含む日本側の行動に対して、対抗措置を行わず、これを容認すれば、日本による実効支配が認められたことともなり、国益にかなうと考えてもよい。
 しかし、現実には、東京都知事らの目論見は外れ、中国国内での激しい抗議行動だけでなく、中国船の活動などを誘発した。多数の巡視船を繰り出さなければ守れないこと自体、日本側の実効支配が脅かされた証左であり、結果として、国益に反したと評するほかない。
 成功すれば、政治家としてお手柄である反面、失敗したときには責任を取るべきである。しかし、この東京都知事は、日中関係の悪化が表面化してから、沈黙を決め込んでいるらしい。第二次世界大戦当時の戦争扇動者にも例を見ない無責任漢とせざるを得ないのではなかろうか。(街宣車を繰る右翼諸氏にお願いする。筆者の小論などに目クジラを立てるのではなく、国益に反した結果を引き起こした東京都知事らの責任について、ちゃんと追求していただきたい。)

 さて、冒頭に申し上げた安倍晋三の問題に戻ろう。この人が以前に首相だったときの政治スローガンは、「美しい国、日本」。これだけでは、無内容な美辞麗句に聞こえるが、安倍内閣が平成18年当時に国会に提出し、強行採決で成立させた改正教育基本法から語句を拾うと、「伝統を継承し」、「我が国と郷土を愛する」・・で、この言葉は、「国粋主義」を言い換えたものらしい。
 この人が首相になると、靖国神社へのご参拝などで、アジア諸国との関係悪化は必至であろう。困ったものである。


北朝鮮の人工衛星 (2012.3.20)

 北朝鮮が4月中旬に人工衛星を発射すると発表した。日本などの多数の国からは、「ミサイル」として非難されている。北朝鮮の人工衛星打ち上げは、2009年4月以来の、3年ぶり。前回も、「ミサイル」と非難されたが、このときは、衛星軌道に乗せることを目的としたらしいので、その意味では、本物の「人工衛星」であった(迎撃ミサイル(2009.4.2))。
 しかし、今回は、少し違いそうである。

 衛星を打ち上げ、これを周回軌道に乗せるためには、8キロメートル/秒ほどの速度にまで加速しなければならない。このためには、地球の自転方向である東に向けて打ち上げたほうが有利である。自転の速度(北緯40度付近で0.3キロメートル/秒ほど)を利用することができるからである。
 それなのに、今回は南に向けて打ち上げるらしい・・となると、周回軌道に乗せるのが目的でなく、弾道軌道のテストではないかとの疑念を禁じ得ない。特に、打ち上げに「失敗」して、フィリピン付近にでも落下すれば、軌道だけをみれば、弾道ミサイルと区別できない。

 仮に、これが「人工衛星」であったとしても、ミサイル技術を用いたもの、あるいは、ミサイル技術の開発を目的としたものには違いない。しかし、「ミサイル」と決めつけて、過剰に反応べきはなかろう。なお、その破片が日本付近に落下するとしても、「命中」する確率はゼロに等しい。


北方領土 (2011.10.15)

 筆者は、竹島や尖閣の領土問題について、その判断を避けてきた(たとえば、→「竹島」)。先発見や支配実績の証拠されているのは、中世の古文書。筆者には、その真偽判定はもとより、判読もできないからである。たとえ、ナショナリスト諸氏に非難されても、竹島や尖閣の帰属問題は、「わからない」と申し上げるほかない。
 これに対して、北方4島の問題は、近代の条約やポツダム宣言などの問題なので、論理的には明白な結論が導き出せる。過去の条約等に照らせば、これらの島は、日本政府が主張するように、日本領である。しかし、これで話が終わるわけではない。これらの島を自国領とするロシアの主張も、荒唐無稽とはいえないからである。
 ロシア側も、過去の条約等で、北方4島が日本領とされることは百も承知。その上で、これらの島は、第二次世界大戦の結果、ロシア(往時のソ連)領になったと主張しているのである。戦争の結果は、平和条約で定まるのが通例だが、日本とロシア(ソ連)の間には、この条約がない。そして、ポツダム宣言も、降伏条件を定めるだけで、必ずしも、講和条約の内容を拘束するものでない。
 ロシア(ソ連)は、第二次世界大戦の参戦国の中で、死者2000万人という突出して大きな被害を出した国で、これらの島を「戦利品」としなければ、平和条約を締結しないとの立場を一貫してとっている。その当否はともかく、これを一概に否定し去っては、交渉にも入れない。

 戦後、65年以上経過しているが、「第二次世界大戦の結果」は確定したものではない。


見苦しい居座りの功績 (2011.8.24)

 菅首相が、ついに退陣を表明した。この首相については、「思いつき」、「会議の乱立」・・と、評判がよくない。しかし、人気を落とした本当の理由は、潔さを至上とする日本的価値観に反して、居座りを続けてきたことであろう。その結果が、マスコミの調査で15%程度という歴代内閣でもほとんど例を見ない低支持率である。

 この首相は、その不人気を挽回するためか、人気を至上とする政策をつぎつぎに実行してきた。原発関連では、浜岡を停止し、玄海の再開をストップ。その反面、人気に悪影響のありそうな沖縄海兵隊の普天間移転などは、震災対策の影に隠れて、忘れたフリをすることで、凍結し、対米従属を至上とする政治家・官僚に抗してきた。その動機が自らの延命のためであったとしても、結果としては、世論の大勢に沿った政治と評してよい。これは、人気絶大だった小泉元首相が、世論の大勢に逆らって、アメリカの対イラク戦争に加担したのと逆の構造であろう。

 筆者としては、この首相の見苦しい延命を見続けたい気がしていた。残念ながら、菅のほうが、海江田や野田、そして前原などの後継候補たちより、そして、谷垣などの野党党首らより、少しでもマシに思えたからである。

 菅の後継首相には、就任早々に、「辺野古移設の日米合意」などと言い出さないことを願うしかない。


経済の縮小 (2011.5.30)

 報道されている数値では、東電の電力供給量は、最大で4000万kW(キロワット)程度。関東圏の人口で単純に計算すると、人口一人あたり約1kWで、原子力発電の比率を30%とすると、一人あたり300Wほどを原子力に頼っていることになる。発電用原子炉1基あたりの電気出力を60万kW(稼働中のものと、燃料の入れ替えや定期点検のために休止中のものを含めた平均なので、公称最大出力よりは低い値)とすると、人口200万人(出力60万kWを各人が300W使うから60万kW/300Wで200万人)ごとに1基の原子炉が必要という計算になる。

 一方、国内にある発電用原子炉は、60基弱。日本の総人口約1.2億人で60基とすれば、この計算からも、人口200万人ごとに1基の原子炉という結果が導かれる。この数字には、稼働中の原子炉だけでなく、休止中のものも含まれるが、原子炉に連続的に燃料を供給する方法はなく、一定期間の後、運転を止めて、燃料の入れ替えをしなければならない構造。稼働率100%はあり得ないので、休止中の原子炉を算入するのは自然であろう。これが現在の生活水準を維持するために必要な電力量(もちろん産業用電力を含む)らしい。

 さて、この先は仮想の数値。世界の人口は、近い将来、100億人に達するとされている。この人口に、「人口一人あたり1kWの電力」をあてはめると、出力50万kWの発電所が20000箇所必要になる。「人口200万人あたり原子炉1基」を適用すると、原子炉が5000基も必要になる。こんな数を実現するためには、世界の海岸を発電所で埋め尽くさなければならない。全世界のすべての人に、先進国並みの生活水準を考えるなら、この荒唐無稽で危険な数値を想定せざるを得ない。

 日本政府(というより与野党の大半と御用経済学者たち)は、再生可能エネルギーや省エネルギーに関する投資で、経済を拡大させようと提唱する。地球温暖化でも、電力不足でも、何でもビジネスチャンスとする発想だが、その論理的帰結は、「発電所が20000箇所」、「原子炉が5000基」である。(今回の震災に際して、「自粛」という経済縮小策で応えた庶民のほうが、ずっと現実的な経済感覚であろう。)

 「経済学」が社会科学の看板を掲げ続けたいなら、いい加減に、経済成長のドグマから離れ、縮小の経済学でも研究いただきたい。


ビンラディン殺害 (2011.5.7)

 アメリカの特殊部隊がビンラディンを殺害した。最近において、この人物がどのような役割を果たしていたのかわからないが、アルカイダにとっては、せいぜい指揮者ひとり分の損失・・とすれば、その戦力にほとんど影響しないはず。(軍最高司令官のオバマ大統領を殺害しても、アメリカ軍の戦力に影響しないのと同じである。)

 アメリカ司法長官は、武器を持たないビンラディンの殺害について、第二次世界大戦中に、山本五十六(日本海軍の指揮官)の乗機を撃墜して、これを殺害したことを引き合いに出しつつ、戦闘中における敵指揮官の殺害として、正当だったと主張した。敵の戦闘員を無警告に殺傷してよいとする往時の戦時国際法を髣髴とさせる論理だが、今回の殺害に適用しても、失笑を買うだけである。

 というのは、この論理は、アメリカとアルカイダが戦争状態であることを前提とする。しかし、アルカイダは、国家でも交戦団体(国家に準じて戦争当事者となることを承認された内乱兵力)でもなく、これとの戦争状態は、考えられない。アメリカは「テロとの戦い」を標榜するが、これは政治上のスローガンに過ぎず、国際法上の宣戦布告ではない。

 また、仮に、アメリカとアルカイダが「戦争状態」とするなら、アルカイダにとっても、アメリカ軍の戦闘員を殺傷することは正当な戦闘行為となる。その結果、身柄を拘束されても、戦時捕虜の待遇を受け、犯罪者として処罰されることがなくなる・・

 アメリカ司法長官も、こんな論理的帰結を望んでいるわけでもなかろう。「テロリスト」、「犯罪者」とするなら、国際法を無視した他国領土での殺害作戦でなく、正当な裁判を経た処罰を試みていただきたい。こんな殺害は、軍事的にはほとんど無意味だが、政治的には、反米感情を煽り、更なる混乱を惹き起こすだけである。


大阪都構想 (2011.4.14)

 統一地方選挙の前半戦、大阪では、「大阪都」構想を提唱する知事の地域政党が圧勝した。これは、戦争と何の関係なさそうな話題だが、そうでもない。

 現在のところ、「都」は東京都だけ。そして、これは、第二次世界大戦中の1943年に、当時の「東京市」と「東京府」を解体してできたもの。戦時体制整備の一環である。

 戦後においても、東京都の区は、憲法上の地方公共団体でないとされていたが、地方自治強化の流れの中で、首長公選など、市町村に相当する地位を認められるようになった。「市」の存在を認めなかった都制度を、事実上修正してきたわけである。

 行政手腕のある知事にとって、議会や市の存在など、行政の効率化を妨げる元凶にも思えるはず。しかし、意思形成に手間と時間のかかる「非効率」こそ、民主主義の本質ではないのか?これを、安易に上位下達のシステムに置き換えてよいのか?「市」を抹殺する「大阪都構想」は、議会無視の専決処分を繰り返した鹿児島県の某市長を思い起こさせる。

 この種の政治手法には、戦争のにおいが・・は、ちょっと言い過ぎかもしれない。しかし、首長個人の人気に頼りつつ、議会などを、首長の「政治」に反対する非効率な団体として敵視していることなどを考え合わせると、「ファシズム」に通じる政治手法であることは否定できないであろう。ついでに申し上げると、問題の知事が率いる地域政党は、「大阪維新の会」で、街宣車が好みそうな「維新」を名乗っている。

 震災を「天罰」と言い放った東京都の困り者知事に続き、特異なキャラクターの大阪府知事、・・と続き、地方政治にも目が離せない。


疑惑を呼ぶマグニチュードの上方修正 (2011.3.23)

 「戦争」特集とは、やや外れた話題だが、ご容赦いただきたい。広島型原爆で使われた放射性物質は、せいぜい数十キログラムだが、発電用の商業原子炉で使われている核燃料は、1基あたり数トンである。ある意味では、核兵器より何百倍も危険なのが原発。世界の関心が集まるのも当然である。

 原発の問題について、日本政府は口先でつくろいつつ(「(検出されている放射性物質は)健康にただちに影響ない!」など)、小手先の遁辞で、責任逃れを図っているように思われる。表題の話題も、この一環ではないか。マグニチュードの値は、地震後しばらくして発表されたが、そのマグニチュードは、「7.9」から「8.4」。そして、「8.8」と何度も上方修正され、ついに「9.0」。日本周辺での観測史上最大の地震とされてしまった。

 マグニチュードには、複数の算出方法があり、大地震では、互いに少し違う値となることはよく知られている(小地震では、同じ数値になるように較正されている)。何度目かの上方修正からは、観測された地震動の強さから算出される「気象庁マグニチュード」でなく、巨大地震で大きな値となる「モーメントマグニチュード」で算出するようになった。大きな値となるように、モノサシを取り替えたわけである。

 そして、「9.0」とされた最後の上方修正は、「3つの巨大な破壊が連続して発生」、「当初は1番目の波形に注目して8.8と発表したが、やや南方で発生したと思われる2、3回目の波形と総合的に再解析した結果」らしい。換言すると、「マグニチュード8.8の地震と、その直後数分間に発生した別の地震のマグニチュードを合算すると9.0になる」ということであろう。こうなると、地震の数の数え方の問題。5分以上もの長時間(単独の地震としては例のない長時間)に発生した複数(当初は「3個」と数えていたらしい)の地震のマグニチュードを合算すれば、数値が大きくなるのは当然。ついでに、その後の余震のマグニチュードまで合算したら、際限なく大きな値になろう。

・・・

 前置きが長くなったが、本題に入りたい。これらの上方修正は、その発表の時期などから判断して、次の「疑惑」を感じざるを得ない。

 気象庁は、何らかの政治的圧力を受けて、マグニチュードの値を上方修正したのではないか?そして、その政治的圧力の根源は、原発事故を不可抗力に見せかけ、これを推進してきた人たちを免責するためではないか?

   今回は、疑惑の提示だけとしておきたい。(筆者は、数値に小手先の細工を加えることで、「想定を超える災害」とする免責のロジックを問題にしているのであって、決して、今回の災害や被害を小さく評価しているわけではない。念のために、付言しておきます。)


「抑止力は方便」 (2011.1.15)

 鳩山前首相は、マスコミとのインタビューで、普天間基地の移設問題に関連して、「辺野古移設しか残らなくなったときに理屈付けしなければならず・・(米海兵隊の抑止力は)方便」と発言したらしい。「米海兵隊の抑止力」を維持するために、沖縄駐留が必要とする公式見解を、前首相自らが否定したことになる。

 短時間で全世界に展開できる海兵隊の機動力を考えると、駐留場所が問題でないことは、軍事的な常識。沖縄駐留と抑止力は関係ないという意味で、「抑止力は方便」である。しかし、政治的に考えると、不用意な発言に見える。辺野古移設の閣議了解を拒んだ社民党の福島党首は、「方便」のために閣僚を罷免されたと、怒り心頭らしい。民主党の国会運営にも大きなダメージとなった。

 これを鳩山氏の政治感覚の悪さに帰するのは簡単。しかし、同氏の政治感覚は、そこまで低レベルなのだろうか?政権についてから、「国外」や「県外」を呼号して時間をかせぎつつ、何ヶ月もの間、辺野古移設の言い訳を考えていたとするのも、想定に無理がある。鳩山氏なりに、「国外」や「県外」を目指したが失敗。今回の発言は、これを阻んだ勢力へのダメージをねらった政治的発言と考えたほうが、ありそうなシナリオである。

 現在の管首相、そして民主党政権は、先が長くないことは、衆目の一致するところ。鳩山氏は、そんな党の利益を考えるより、対米従属を利益とする党内外の勢力に追い詰められたことを暴露して、菅内閣崩壊後の自らの立場を、少しでもよくしたかったのかもしれない(もっとも、沖縄県民の怒りに火をつける結果となり、この思惑は失敗に思える)。

 前代の最高政策責任者の貴重な暴露発言である。民主党攻撃の材料の単なる材料ではない。外国軍隊の基地を国内に維持・・というより、日本を半占領状態に保ちたがっているのは誰なのか?検証のための重要な材料であろう。


軍事演習 (2010.11.25)

 軍事用語というより、政治性を帯びたマスコミ用語は難解である。たとえば「演習」。本来は、「訓練」と似た語義で、兵員の行動や作戦用兵の訓練のはず。純粋の訓練なら、地形や地理的条件が想定される戦場と似ていればよいので、兵力展開にともなう不測の事態を避けるためにも、仮想敵国に近くない訓練場所を確保するのが便宜であろう。

 しかし、実際の「演習」は、仮想敵国に近接した地域で行われることが多い。これは、「演習」を装った兵力展開(開戦準備)か示威行為を疑わせるものである。たとえば、往年の日本軍は、関東軍特別大演習などと称して、旧満州のソ連国境付近に兵力を展開していた。その当否はともかく、これが後日、ソ連による対日参戦の口実に利用された。

 朝鮮半島では、北朝鮮による砲撃で韓国側に死傷者が出たらしい。北朝鮮側は、この砲撃を韓国軍の「演習」への対抗措置としている。そして、先に発砲したのは韓国側であると主張する。日本ではほとんど報道されないが、この点に関しては、韓国側も歯切れが悪い。発砲を自認しながら、「北朝鮮側でなく西に向けた発砲」などとしている。

 仮に韓国側の「演習」に挑発されたとしても、都市・集落への砲撃が絶対に許されるはずもない。しかし、韓国側の「演習」が口実を与えたことは、否定できない。今月末からは、米韓の軍事演習が黄海で行われるらしいが、北朝鮮のみならず、中国も刺激し、更なる軍事衝突の口実とされないことを望むほかない。


「国益」 (2010.9.30)

 領土問題(2010.9.24)で申し上げたことに関して、少し誤解しておられるらしい方から、メールをいただいたので、「国益」に関して補足しておきたい。筆者は、尖閣諸島などの小島を支配することが日本にとって有利と単純に考えるわけでもないが、仮に、これを「国益」としたとき、日本側にとって、最善の行動が何かを思考実験することには、日本政府(もちろん、菅や前原らの民主党政権)の意思を検証するという意味もあろう。

 日本政府は、中国漁船の衝突事件に関し、「東シナ海に領土問題は存在していない。尖閣諸島は日本固有の領土であり、主権をしっかり守っていく(前原)」と主張する。「国益」に敏感な国民の中には「領土問題は存在していない」などの主張を、耳に心地よいと感じる人がいるかもしれない。

 しかし、このような主張は、明らかに国益(もちろん尖閣諸島の領有を日本の「国益」とする)に反する。尖閣諸島に関して、合理的に考えるなら、最善は、「現状維持」である。中国側がその領有権主張を引っ込める可能性がない限り、これ以上の選択肢はあり得ない。領有権を積極的に主張すれば、問題が表面化する。そして、その結果、すでに得ている支配を失う可能性が生じるからである。

 「国益」を考えるなら、ベストの解は「(双方の領有権主張に決着をつけないまま)今後も日本が支配を続けるので、静観してくれ」というスタンスを保つことである。そして、中国側も、強硬な領有権主張とは裏腹に、一貫して要求していたのは、漁船や船長の解放に過ぎず、尖閣諸島そのものの引渡しを求めていたわけではない。

 念のために付言すると、日本が現実に支配していない竹島(韓国などと領有権争い)や北方領土(ロシアが支配)については、これと逆の構造である。これらの領域を、現実に支配していない日本側にとって、問題化させても、失うものはない。「竹島の日」や「北方領土の日」などを制定し、定期的に領土問題を蒸し返すことが、日本の「国益」であろう。尖閣諸島との違いは、「どちらが現実に支配しているか?」、「争ったときに失うものを持っているのはどちら側か?」である。


領土問題 (2010.9.24)

 中国の漁船が、周辺海域にいた日本の巡視艇に衝突したとされる事件が発端で、尖閣諸島の領有権に関して、日中の政府間で緊張が高まっている。

 尖閣諸島は、領有権に争いのある領域だが、仮に中国側の主張を認め、これを中国領であるとしても、そこを平穏に航行する日本の公船に対して、故意に船舶を衝突させる行為は犯罪であり、その処罰など、適切な措置が必要であろう。(もちろん、日本側に違法な先行行為があって、正当防衛などが成立し得る可能性も否定する根拠はない。念のため。)

 日本政府は、「領土問題は存在しない。国内法にのっとって粛々と対応」とする。後段の「国内法」云々は、犯罪処罰の準拠法の問題なら、別段の問題はない。しかし、前段の領土問題の否認は、明らかに事実に反する。領有権争いを前提にすると、領土問題は厳然と存在するとせざるを得ないからである。犯罪処罰が目的なら、「領土問題と関係なく犯罪である。」と主張し、日本自らが処罰、あるいは、中国に引き渡しつつ、厳重な処罰を求めるだけで足りるはずである。犯罪事件に乗じた日本側の政治的な主張と非難されても仕方ない。

 領有権の争いのある領域(尖閣諸島)について、これを支配する側(日本)には、他国と領有権で争いを起こす利益は、一般的にはないはず。争いを棚上げして、領有を続けるだけで足りるからである。支配権を持たない側(たとえば、北方領土に対する日本側)が、折に触れて問題を再燃させたがるのと、逆の構造である。「領土問題は存在しない。」などの言辞で挑発するのは、何か別の動機を考えなければならない。と考えると、菅内閣は、中国との緊張を演出して、アメリカ海兵隊を沖縄に駐留させ続けたいのか?・・などと、邪推したくもなる。


日米同盟 (2010.9.12)

 民主党代表選挙の終盤戦。小沢・菅ともに、「官僚支配の打破」を唱えている。彼らだけではない。みんなの党は、参議院選で「脱官僚」を掲げて大勝している。少し前に戻るなら、例の小泉も「官から民へ」。「官」をたたくパフォーマンスは、ウケがよいらしい。

 官僚組織が効率的とも思えない。しかし、だからといって、「政治主導」にすれば、何かよいことがあるのか、それは政治家が実行しようとする「政策」しだいであろう。もちろん、「官僚支配の打破」は、この文脈では「政策」に含まれない。政策提言なしで、「官」を非難するだけでは、政治家の責任転嫁に過ぎない。

 政策提言があいまいな中で、ひとつだけ、「官僚」と「政治家」で、完全に一致しているらしい政策がある。「日米同盟」である。普天間基地の国外、あるいは県外移設を唱えていた民主党は、鳩山政権の成立後、数ヶ月間、時間かせぎをした後、自公政権の辺野古案に戻った。時間かせぎの間も、当時の岡田外相は、アメリカのご機嫌うかがいに終始していた。傍目からは、政権についたとたんに、「誰か」から因果を含められたように見える。

 この「誰か」を、戦前から続く「親英米派」、戦後の「対米従属派」などと称する陰謀史観もあるが(「ユダヤ」や「フリーメイソン」も!)、筆者は、これにコメントするつもりはない。正体不明の「支配層」などを相手にしても、政治的に意味があると思えないからである。しかし、東アジア共同体構想(鳩山政権が発足時にブチ上げたが、もう忘れ去られている)を封印しつつ、尖閣諸島などで中国との緊張を高めてまで、アメリカ海兵隊に駐留いただきたいのだろうか?政治家には、その提言する「政策」をご説明いただく責任があろう。


哨戒艦沈没 (2010.5.26)

 2010年3月に発生した韓国の哨戒艦沈没について、韓国政府はその原因を北朝鮮の魚雷と断定した。物証もありそうなので、韓国側の発表が真実に近いと思われる。ただ、動機の点で、不自然な点があるほか、水中音響をモニターしているはずの哨戒艦に探知されず、浅海で標的に向けて発射するという高度な潜水艦の運用が、北朝鮮にとって可能かなど、軍事面でも疑念が残る。

 これらについて、ここで断定することはできない。ただ、確実にいえることは、韓国・北朝鮮とも、「制裁」や「反発」など、緊張を激化させる方向を選んだことである。そして、何らかの理由で、沖縄にアメリカ海兵隊を駐留させたい日本政府にとって、この緊張は好都合らしい。「日米同盟」や「抑止力」という空虚で抽象的な文言に、何らかの裏づけを与えるような錯覚を誘う効果が見込めるからである。しかし、冷静に考えれば、緊張が高まっているのは、朝鮮戦争の休戦ラインであって、琉球列島や東シナ海ではない。貧弱な海軍力や航空兵力の北朝鮮軍が、沖縄上陸作戦を考える可能性はない。また、仮にテポドンが発射されても、海兵隊にその防御能力はない。

 蛇足であるが、この緊張に対する最善の解は、普天間のアメリカ海兵隊に、朝鮮半島へ移動していただくことであろう。海兵隊は本質的に陸上部隊なので、想定戦域に近いほうが実力を発揮できる。もちろん、機動力を重視するので、安全な滑走路が必要だが、韓国軍の航空基地を共用すれば、この問題も解決する。訓練施設にしても、仮に、北朝鮮を仮想敵国とするなら、できるだけ地形や植生の似た場所での訓練が望ましいので、朝鮮半島内がベストである。そして、韓国政府にも歓迎されるだろう。当然ながら、中国などが反発する可能性もある。しかし、アメリカの実戦部隊がソウル近郊に復活すれば(現在、在韓米軍は、司令部要員とごく少数の兵力のみを残し、朝鮮半島から撤退の計画)、現実の軍事衝突の危険性が下がることは間違いなかろう。北朝鮮などがアメリカ軍基地を直接に攻撃することは、軍事的な実力から判断しても、ちょっと想定できないからである。これが「抑止力」ではないのか?

 朝鮮半島の緊張を国内政治に利用して、「辺野古」などと拙速に決めることは許されない。


普天間基地 (2010.5.2)

 鳩山政権は、普天間基地の移設先について、訓練施設を鹿児島県に・・などと苦心しつつも、辺野古沿岸に滑走路を新設するという前政権と大差ない結論に達したらしい。

 鳩山は、就任直後に「抑止力の観点から、国内に基地が必要」と明言している。鳩山本人が気づいていたのか否かわからないが、何ヶ月かけても、他の移設先が国内に容易に見つかるはずもない。こんな発言をすれば、最初から海外移設の可能性が封じられる。「辺野古沿岸」は、ほとんど予測された結論だろう。うがった見方をすれば、最初から決まっていた結論を、時間をかけて小出しにして、世論の反応をさぐっていただけかもしれない。

 機動力を活用し、小兵力を効率的に運用し、できるだけ広範囲の戦面を確保するのが近代的軍隊の用兵である。もちろん、普天間基地も、宜野湾市や沖縄島を防衛する要塞ではない。アジア全域を含む広大な戦面を制圧すべく設置された米軍の軍事拠点のひとつである。これが、グアムやカリフォルニアでなく、沖縄や徳之島でなければならないかは、制圧すべき戦面と機動力との関係である。

 「県民の負担」やその「軽減」の問題は、鳩山なんかに説明してもらわなくても、現地にとっては明らかである。そんなことに言を費やすより、日本政府が説明すべきは、基地の軍事上の必要性である。仮想される敵は誰なのか?どのような軍事情勢を想定しているのか?この設問を抜きにして、沖縄に基地を置くべき必然性など、説明できるはずがない。

 たとえば、ありえない想定だが、北朝鮮による沖縄上陸作戦が現実に迫っていて、その防衛に海兵隊が有効なら、珊瑚礁の保護より軍事基地建設を優先すべきという結論もある。その一方で、少女強姦事件を惹き起こすような他国軍隊を沖縄県内に受け入れるよりは、中国の軍艦が尖閣諸島付近にご来航いただくのを甘受した方がマシという選択肢もあろう。その判断基準は、軍事上の必要性しかない。「日米同盟」や「抑止力」などというあいまいな言葉で、具体的な説明を回避しても、誰も「理解」しないし、「負担のお願い」を承諾することもなかろう。


迎撃ミサイル (2009.4.2)

 北朝鮮の「ミサイル」に関して、発射台に3段ロケットらしい物体が設置された衛星写真が公開されている。長射程の弾道ミサイルとしても2段式で足りるから、3段式ロケットとすれば、本物の人工衛星の可能性が高い。

 迎撃については、「日本に激突しそうな場合」とトーンダウンした。正常に飛行すれば、日本上空の飛び越すだけなので、迎撃の対象にはならない。打上げ失敗による落下物が心配といっても、日本国内、それも人家のある都市や集落に落下する確率はゼロに等しい。航空機が空港周辺に落ちる確率のほうがずっと高い。沖縄県では、ヘリコプターが学校に落下したことがある。横田基地でも、昨年には機体の部品脱落事故があった。国民の生命・財産を落下物から守る目的なら、羽田空港の航空路の下にでも迎撃ミサイルを配備したほうが役に立つはずである。

 報道では「人工衛星名目によるミサイル」と決め付けられているが、標的に激突させることを目的にしない人工衛星を「ミサイル」とするのは、適切な表現ではない。ミサイル開発を目的とすることを疑えないとしても、「人工衛星打上げによるミサイル技術の開発」が正確な表現である。

 ミサイル技術の開発が好ましくないのは当然としても、その機会を利用して、今にも日本国内に落下してくるかのような言辞で、迎撃ミサイルを陳列するのは止めていただきたい。


再びテポドン (2009.3.25)

 「人工衛星」の打ち上げを予告している国がある。日本政府は、「仮に人工衛星としても国連決議違反」などと称していたが、最近では、これを「ミサイル」と決め付ける論調になっている。

 「衛星」なのか「ミサイル」なのかは、打上げの角度と速度の微妙な違いに過ぎない。衛星打上げ用のエンジンを使っても、推力を少し小さく調整すれば、あるいは、燃料を少なめに搭載すれば、弾道軌道で地表に激突することになる。弾道ミサイル用のエンジンでも、重い弾頭のかわりに、たとえば最終段のロケットを搭載すれば、小さな衛星を地球周回軌道に乗せることもできる。ロケットの外見では、これらの違いを判別することはできない。人工衛星と軍事技術は極めて密接、というより、ほとんど同義。「テポドン」と同じ時期に、「日本人宇宙飛行士」が宣伝されているのは、皮肉としかいえない。

 仮に、某国の飛翔物体が「人工衛星を装ったミサイル」とするなら、計画通りであったとしても、数千キロ先の太平洋に落ちるはず。そして、これは、その軌道を注視している全世界に対して、衛星打上げ失敗の外観を与えることになる。この結果は、メンツを重んじる某国には堪えがたいであろう。このような理由からも、某国の飛翔物体が「ミサイル」とは、単純に考えることはできない。

 日本政府は、ミサイル防衛(MD)システムを使って、これを破壊することを決めたらしい。MDシステムは、命中率が非常に低いとされているが、今回のように、日付や発射地点まで、ほとんど判明しているケースで、迎撃に失敗すれば、巨額の税金を投入して購入したシステムの無能さが明らかになり、政治問題にもなる。

 もし、日本政府に迎撃の自信があるとすれば、発射時刻の事前通知など、何らかの密約もありそうに思える。うがった見方をすれば、衛星打上げの「失敗」を日本政府の責任にしたい某国と、MDシステムの実証に成功させたい日本政府との競演も疑われることになる。「脅威」を宣伝しても、軍事産業を利するだけであろう。冷静に「衛星」の失敗を見定めるべきである。


「竹島」 (2008.7.15)

 文部科学省は、日本と韓国が領有を争っている竹島について、「わが国が正当に主張している立場に基づいて」との記述で、中学校地理の指導要領解説書に記載するらしい。

 この日本海に浮かぶ小島が、どちらの国の「固有の領土」かは、(その後に割譲などの条約がないとすれば)「先に発見」あるいは「先に占有」という問題。日本側がその証拠としているのは、毛筆に造詣のない筆者にとっては、読解も困難な古文書。もちろん、韓国側にも韓国側の主張があり、その証拠とする文書などがあるはずである。

 そう考えるなら、この問題は、国際法で考えるなら、歴史上の事実認定の問題で、真偽があるはずだが、それを確かめるのは歴史学者の専門的な仕事。歴史学の高等教育以外では、教育現場に持ち込むに適しない。一方、政治的に考えるなら、日本と韓国の政府見解の不一致で、これは、政治的な意見なので、どちらが「正しい」などという問題にならず、そもそも真偽なんか決められないはずである。教育現場でも、一方の政治的見解に沿った教育ではなく、両方の見解を平等に紹介しなければならない(学校の政治的中立性。教育基本法14条)。

 中学校では、こんな専門的な問題について、日本政府の見解に沿わない意見を「誤り」と教えるのだろうか。日本国民には、あるいは、中学生には、政府見解に反する政治的意見を持つ自由はないのか?また、日本の中学校には、韓国国民である中学生も多数通学している。これらにも、日本政府の見解を押し付けるつもりなのだろうか?適切な教育行政をお願いしたい。


チベット問題(2008.5.2)

 このページでは、マスコミで話題の「聖火リレー」に触れなかった。ビジネスへの支障を恐れたわけではない。また、中国政府に近い関係者の反目を恐れたわけでもない。中国に関する知識があるつもりでも、チベットに関してはまったくの門外漢。チベット専門家諸氏の失笑を恐れたというのが本音に近い。しかし、「中国」を表題とするページである。このようなホットな問題に対する「沈黙」は、それ自体、一定の政治的主張と理解される可能性もある。このスペースを借りて、沈黙を破っておきたい。

 中国政府側は、1959年のチベット侵攻を「農奴解放」としている。そして、その後のチベット統治をすべて「内政問題」として、国外からの批判に耳を貸さない。その一方で、ダライラマ14世を暴動の扇動者のように言い募っている。

 「農奴」云々は、たぶん一面の真理を含む主張。欧米の一部では、「解放」以前のチベットを「理想郷」と漠然と考えているようだが、往時のチベットは、近代以前の社会であったことは確実である。また、ダライラマは、歴史的に考えると、チベットを支配した複数の氏族の妥協の産物で(有力氏族から交替で後継者を出せるから)、民主的に選ばれた指導者ではない。こんな事情で、侵攻を正当化できるかは別論だが、侵攻は半世紀前の事件である。決して歴史を忘れてはならないという意味と、そして、歴史を戻すことはできないという二重の意味において、(現在の問題なく)歴史上の問題である。

 一方、現在に目を転じると、抵抗運動(中国側は「暴動」とする)とそれに対する厳しい弾圧は、進行中の問題である。ダライラマ14世を扇動者とする主張には、何の根拠もない。ダライラマ14世は、公然と「非暴力」を唱えている。仮に、ダライラマ14世を含むチベット亡命政府が、裏で暴動を扇動していたとしても、ダライラマ自身の言動でその効力を減殺していることになる。そんな「扇動」に呼応するチベット人などいないだろう。抵抗運動は、自発的に行われていると考えるほかない。

 チベットの「独立」は、現在の国際情勢では、現実的と思えない。これは、経済的に考えると、中国からの投資を拒絶して、インドの衛星国となる途であろうし、そんなチベットの選択を、インドと友好的ともいえない中国政府が許すはずもない。「自治」なら、中国政府との妥協の余地もありそうだが、それでは解決しない。チベット人は、政治的自治だけではなく、漢人を進出させ、固有の文化を破壊する経済的な「改革」のストップを求めているように感じられる。

 ・・・ここまで、中国政府とチベット人(亡命政府)など、双方の主張にコメントしただけになったが、「聖火リレー」には、もっと興味深く、そして「戦争」とも深く関係する問題がある。少し日を置いてから書きたい。


イラク派遣に違憲判断(2008.4.18)

 わけのわからない「改革」で人気を得て、郵政解散時の総選挙で大勝した小泉内閣も、イラク戦争への対応では、国民の賛同を得られなかった。それでも、小泉元首相は「世論は間違えることもある」と称して、戦争支持を積極的に表明。開戦の口実とされた大量破壊兵器が見つからないことを問われると、「フセイン大統領が見つからないから、イラクにフセイン大統領が存在しなかったとはいえない」と詭弁を弄していた。

 今さら、5年近く前の小泉元首相の国会答弁を採り上げたのは、昨日(4/17)の名古屋高裁判決の報道で、あらためて無責任な発言を思い起こされたからである。報道によると、自衛隊が現にイラクで行っている「後方支援」活動について、憲法違反とする判断が示された。違憲確認と派遣の差止め、そして損害賠償を求める請求を却下ないし棄却しつつ、その理由中の判断で、「他国による武力行使と一体化した行動」であり、「武力行使を禁止した憲法9条1項とイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反」とする判決らしい。

 イラク特措法は、「戦闘行為が行われておらず」云々で「非」戦闘地域を定めるが、その対立概念であるべき戦闘地域を定義することがない。これは、戦闘行為の現場でなければ派遣可能というトリックだろうが、そんな現場に軍用機で他国の兵員や武器を輸送すること自体が「戦闘行為」である。もっと申し上げるなら、仮に何も輸送しなくても、軍用機が上空を通過するだけでも、戦闘行為となり得る。武器は、それで殺傷するだけでなく、その存在で相手を威嚇することも、その本来の用法だからである。

 今回の判決については、「結論に関係ない傍論で憲法判断を行うのは、下級審として越権」とする意見が流布されている。「蛇足判決こそ違憲」などとする一部マスコミ(もちろん、学者先生の言葉の引用)と、映画「靖国」を問題視した例の国会議員(-->「映画『靖国』」)などが、この判決の影響を減殺しようとしているらしい。「具体的な権利や義務に関する紛争ではなく、訴えは不適法」などとする判断なら、本案(訴えの実質的内容)に踏み込んだ判断は無用。しかし、損害賠償請求に関しては、「違法性」と「損害」の両方を審理し、判断しなければならない。本件では、「損害」を否定されて、原告の請求が棄却されているが、自衛隊派遣の違法性を先に審理したとしても、「蛇足」とはいえないだろう。

 政府は、判決で示された意見に反論があるなら、その内容に反論していただきたい。そして、その内容に正面から向き合っていただきたい(「自衛隊のいる場所が非戦闘地域」などという小泉流の詭弁は勘弁いただきたい)。


映画『靖国』(2008.4.3)

 本日までの報道では、複数の映画館がこの作品の上映を取りやめ、上映予定は、ついに大阪市の1館のみになったらしい「靖国」(表題の映画ではなく東京の神社の名称)は、政治的な問題(-->「靖国神社」)。これに関する「ドキュメンタリー」と称する映画なら、内容に賛否があって当然であろう。しかし、東京在住の筆者としては、国際的にも評価の高い作品を、できれば東京で見る機会を与えていただきたかった。

 上映をとりやめた映画館では、「近隣商業施設に迷惑が及ぶ」などとしている。「表現の自由」の問題ともされるが、映画館の側も上映作品を選ぶ自由がある。仮に、まったく理由を示さないまま、上映を拒否しても、それ自体を不当とすることはできない。(契約と裁判所の仮処分命令に反して、教研集会の会場提供を拒否した某ホテルとは、規模も、公共性の程度も違う。)

 この作品に関しては、自民党の国会議員らが公費助成を問題視していたらしい。国会議員によって、「反日的で中立性に問題がある」などとレッテルを張られた映画など、街宣車を動員する勢力にとっては格好の標的になる。国会議員の側も、この種の勢力からの支持を期待していることを疑われる。

 そもそも、助成金が「中立性」なんかと関係あるのか?助成金は、大学などの教育機関などに広く配布されているが、これらの研究発表の内容も、国会議員殿にチェックいただかなければならないのか?米軍基地に反対する自治体には、補助金を交付しないというやり方そのものを改めるべきでないのか?当の国会議員は、「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。」としているが、歯の浮くような白々しさを感じるのは、筆者だけだろうか?映画館などを責めるのではなく、この議員殿の政治行為を検証するほうが建設的であろう。


「国際公約」とは、憲法違反の密約 (2008.1.20)

 新テロ特措法が成立した。これでインド洋での給油が再開されることになる。筆者は、この是非には言及しないが、インド洋での給油を「国際公約」あるいは「対外公約」としてきた政府与党の説明には、疑念を禁じえない。

 筆者の理解では、「公約」とは、国会議員など公選による職に就くものが選挙民に対して行うもの。これがおそらく「公約」の原義であろう。この意味の公約は、選挙民の意思を実現する手段として機能している。もちろん、現実には、公約を守ったかどうかを判定する公的な機関があるわけでなく、また、国会議員の場合には、公約に違反したからといって、選挙民によるリコール(解職)もない。それだけに、公約の遵守は、政治家の責任である。

 しかし、安倍氏や福田氏は、国際社会の選挙で選出されたわけではない。選挙民に対する約束という意味では、「国際公約」など、ありえない。「公約」という言葉を、「公的な場での約束」と拡大解釈するなら、外国との公的な約束は、「条約」として国会の承認を必要とするはず(憲法73条3号)。この手続きなしに、たとえばアメリカと密約をしたなら、それは憲法違反と評するほかない。

 政治家各位は、ブッシュとの密約などでなく、選挙民との公約を遵守していただきたい。


核実験 (2006.10.13)

 北朝鮮の「核実験」発表によって、アジアの緊張が高まっている。イラクのフセイン政権が、大量破壊兵器の「疑惑」だけで崩壊させられた一方で、国際社会から核武装を認められた常任理事国は、他国からの軍事攻撃にさらされたことがない。アメリカが開戦の口実としてきたのは、海外ににいる船舶への攻撃(第2次トンキン湾事件など)や国内のテロ。いずれも、今日では、アメリカ側の捏造(当時の国防長官マクナマラの著書)や自作自演(WTCビル爆破説もある)が疑われている。

 このような「現実」に接したとき、核保有によって戦争を未然に防止するという「核抑止論」にリアリティー感じる国家の存在も、残念ながら否定できない。しかし、仮想敵国の核保有を理由とした核武装は、自国の防衛のために、人類を破滅させる兵器を保有するという背理に過ぎない。核の拡散を防止しつ、核保有国にはその廃絶を求めていく以外に解決の道はない。

 安倍首相は、「最も影響を受けるのは日本」などと発言しているが、難民の流入についても、軍事的脅威についても、「影響」は韓国に突出して表れる。韓国は、首都ソウルが以前から北朝鮮の火砲の射程内である。一方、北朝鮮のもうひとつの隣国中国は、仮に北朝鮮体制が崩壊すれば、中朝国境でアメリカ軍と対峙することになる。

 国の意思を示すため、政治的なパフォーマンスも必要であろう。ドル紙幣偽造に接したアメリカが、金融制裁にこだわるのがわからなくはない。しかし、経済制裁で北朝鮮国民を困窮に陥れるだけでは解決しない。この種の体制が、国民の飢餓などで崩壊しないことは、中国からの撤退を拒みつつ、石油禁輸で開戦し、その後食糧難に陥っても戦い続けた第二次世界大戦当時のの日本を見ても明らかであろう。国際社会は、北朝鮮の暴発と自滅など望んでいない。日本政府に求められるのは、アサリやマツタケの輸入停止ではなく、緊張緩和への努力ではなかろうか。


テポドン (2006.7.6)

 北朝鮮のミサイルが発射された。同国は、これを「国の権利」と主張している。その言葉にウソはない。直接の殺傷行為でもない限り、ミサイルの発射実験など、各国が自由に行うべき問題で、今までも行われてきた。バグダッドの人口密集地帯にミサイルを落したアメリカような明白な国際法違反はない。

 こんなことを書いているが、筆者は決して北朝鮮を擁護しているわけではない。「国際法」という観点では、北朝鮮の貨客船の入港を禁止するのも各国の自由。貿易や送金を制限するのも自由。もちろん、北朝鮮に「食糧支援」をする義務など、どこの国にもない。ミサイル発射の現実の効果は、厳しい「経済制裁」による報復である。当然ながら、ミサイル発射が国際法違反でないのと同じレベルで、経済制裁も国際法違反でない。ついでに申し上げると、北朝鮮が軍事力をアピールすればするほど、ブッシュや小泉のような戦争屋を喜ばせるこことになる。

 中国外交部ではないが、双方に冷静な対応を望みたい。「脅威」を宣伝して利益になるのは軍需産業だけであろう。


イラク撤退 (2006.6.28)

 日本政府もついに、陸上自衛隊をイラクから撤退させ始めた。地上軍派兵は、どんな成果を挙げたのかまったくわからない。報道されたのは、宿営地の建設と給水活動の訓練だけ。まあ、宿営地建設と解体にイラク人労働者を雇用したらしいので、雇用対策にはなったかも知れない。結局、ばら撒いた金だけが評価されたということなのだろうか?

 一方、日本国内では、大戦果。首相小泉は、1945年の敗戦後はじめての「海外派兵」という実績を作ることに成功した。

 撤退の理由も疑念を誘う。報道では、「治安権限のイラクへの委譲」にともなう措置とされている。しかし、派兵理由は、治安維持なんかではなかったはず。治安維持は、同地域を占領する他国軍に任せ、日本の陸上自衛隊は、「復興を支援」するはずではなかったのか?

 ブッシュ政権が徹底的に破壊したイラクである。わずか3年で復興が完成したなどとは、到底いえるはずもないだろう。復興を支援する気があるなら、治安権限を回復したイラク軍に、武器弾薬の管理を委ね、自らは武装を解除して、イラク人のために、郵便配達でもさせたらどうなのだろうか?その方がイラク人に喜ばれるはずである。

 最初から、国内向けの「実績作り」であった地上軍派兵は終わった。しかし、航空自衛隊は、今後も活動範囲を拡大させて、アメリカ軍の物資を運び続けるそうである。


少子化 (2005.10.19)

 日本の人口が減少に転じた。労働人口の減少など、少子化の弊害が指摘されている。小泉内閣は、少子化担当大臣まで設置したが、「富国強兵」を想起するのは筆者だけだろうか。「進め一億火の玉だ」と呼号された1940年代の日本の人口は、せいぜい8000万人台。誇大な数字を並べたのか、それとも当時の植民地の人口を加算したのか、真相はわからない。そして、この標語は、戦争末期には「一億玉砕」に変わる。

 少子化は、ほとんどの先進国に共通の現象らしい。18世紀末に、人口の指数関数的増大を予言した経済学者(?)がいたが、実際には経済発展にともなって、食糧に比例して人口増加。そして、ある段階で、増加がストップするのが世界史的な法則なのだろうか。

 ヒトには、子を作ろうとする欲求があるはず。これは、倫理観や価値判断でなく、「仮に子を作りたがらなかったら、種として絶滅しているはず」という生物学的な問題。これに反して、人口が減少するのは、社会のゆがみ(社会の一部で食料不足)も疑われるが、日本で餓死者はほとんどない。生物学的なレベルで考えるなら、「増えすぎた人口を調整する欲求」とでも考えておくしかない。

 一方、世界的に考えると、現在の人口は推計で60億人程度。増加の一途で、人口対策の方が話題になっている。少子化担当大臣閣下のご活躍も結構だが、「先進国の身勝手」は、長い目で見て、国にとってもマイナスとならないか、心配である。


靖国神社 (2005.10.19)

 10月17日、小泉純一郎が靖国神社を「参拝」した。国内のほか、中国や韓国などから強い非難を浴びることに配慮してか、恒例であった記帳などを行わず、拝殿前で礼拝するだけという一般参拝者と同じ形式の礼拝となった。

 首相も個人として、内心の信仰に限らず、礼拝や布教の自由を有する(信教の自由)。首相であるという理由で、宗教施設での礼拝を制約すべきではない。また、個人としての礼拝が、ただちに政教分離原則に反するとも思えない。神道を信仰しない筆者であるが、この点には異論がない。憲法訴訟などで「首相公式参拝」が争われてきたが、今回のように「一般参拝者と同じ形式の礼拝」までを、「違憲」とするには無理があろう(公用車を使用したことなどは議論されなければならないが)。

 信教の自由や政教分離原則は、宗教活動を公権力の干渉から守ることを主眼とする。しかし、神社神道(神社本庁のほか、「國」神社などの一部の単立宗教法人)は、現行憲法下においても、一貫して「皇室の宗教」であることを強調し、国家との関係を求めつづけてきた。靖国神社は、軍人・軍属の死者を「英霊」として礼賛しつつ、「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命(靖国神社ホームページ)」との強烈な政治性を隠そうとしない。靖国神社問題の本質は、この政治性である。

 数ある礼拝施設から、政治性の強い靖国神社を選ぶこと自体が、小泉純一郎の政治活動である。もちろん、マスコミ注視の中での「参拝」は、その支持基盤を意識してのものと考えるほかない。繰り返して申し上げるが、首相といえども、私的礼拝は法的に許される。しかし、これを政治的に許容すべきか、あるいは、非難すべきかは、靖国神社の政治性に共感するか否かという政治的問題である。


テロとの「戦い」 (2005.9.12)

 日本の衆議院選挙では、自民党が圧勝した。小泉の政治手法に反発し、これを議会制民主主義の否定などと称した自民党の抵抗勢力は、国民の支持を得られなかった。抵抗勢力がイメージする「民主主義」は、それぞれの支持基盤を持つ議員が政党を組織し、議員による多数決で政策を決めることであろう。反対派の考え方では、政党は「政策が先」なのではなく、「議員が先」なのである。小泉の政治手法が新鮮に見えたのは、「議員が先」を否定して、内容はともかく、「政策が先」を打ち出したからであろう。この意味では、自民党も、ようやく議員集団を脱皮して、政策中心の近代的な政党となったのかも知れない。

 わかりやすい「敵」を作り、これとの「闘争」や「戦争」を演出すれば、効率的に支持を集められる。小泉は、選挙期間中に、「古い自民党と決別し、国民に訴える」と唱えていたが、これは、郵政関係者などのかつての支持基盤の一部に「敵」としてレッテルを貼っただけで、郵政改革の必要性や有益性の議論と関係ない。「テロとの戦い」を演出し、イラクを占領した某国大統領と同様の手法である。現在に至っては、フセインはただの独裁者で、イスラム原理主義者との関係はないとされている。少なくとも、9.11(北米の同時多発テロ)とフセインを結びつける状況証拠さえない。「テロとの戦い」がなぜイラクと関係するのか、「古い自民党」がなぜ郵政改革と関係するのか、政治家には説明する責任がある。ちゃんと説明できるか否かは、まともな政党政治とファシズムの分水嶺である。

 2年前には、「世論は間違えることもある」などと公言し、世論を無視してアメリカのイラク戦争支持を表明した小泉首相である。選挙結果で世論の支持を得たとして暴走しないようにお願いするしかない。ついでに申し上げておくと、指導者の暴走を食い止められるかも、まともな政党政治とファシズムの分水嶺である。


悪寒を誘う人質事件での日本政府の行動 (2004.4.13)

 報道によると、日本人の市民活動家や報道関係者が、イラクの武装グループに監禁され、自衛隊の撤退を求める人質となっているらしい。家族の心労も察するに余りある。「人質」という手段で、政治目的を達成しようとする武装グループに怒りを感じるとともに、当然ながら、一刻も早い解決を望みたい。

 一方、日本政府の対応は、悪寒を誘うものである。自衛隊の派遣に反対する筆者であるが、「脅しに屈しない」という理由で、自衛隊の撤退を拒むのは、理解できなくもない。衆議院議員でもある首相小泉純一郎が、自分の選挙運動で、自衛隊派遣の正当性を主張するのも、同人のご自由であろう。しかし、政治的背景のある事件で、この「解決」を求めるなら、武装グループに伝えるべきは、「人質は、日本政府と政治的立場が違い、自衛隊派遣に反対している」というメッセージではなかろうか。

 外相川口順子のように、わざわざ衛星放送を通じて、自衛隊派遣の正当性を主張したり、首相小泉純一郎にように、アメリカ副大統領と会談し、「人質救出」に占領軍の協力を求めるなどは、自衛隊を占領軍の一部とみなし、その撤退を求めている武装グループにとっては、「人質を殺せ」というメッセージにしかならない。人命を尊重するためにも、節度ある発言をお願いしたい。というより、政府の対応を見ていると、人質が生還すると都合が悪いので、殺してほしいかのように感じられる。

 もう一点、気になる兆候を挙げておく。マスコミは、人質家族の「自衛隊撤退要求」を報道しない。家族の記者会見でも、「解放を切に願う」という一節だけを切り取って報道し、家族が「撤退」を要求していることには触れたくないらしい。自衛隊派遣には、賛否両論があるのは当然として、人質の解放を願う家族が、自衛隊の撤退を求めるのは当然であろう。マスコミとしても、武装グループに正しいメッセージを届けることは、当然の責務である。


戦争関与者の心理 (2004.3.15)

 先月末には、地下鉄サリン事件などで殺人罪などに問われたオウム真理教松本智津夫被告に死刑が言い渡された。報道によると、8年近く前の初公判以来、250回以上にも及ぶ公判が重ねられ、とりあえずオウム真理教関係者の一審判決は出そろったようである。

 誤解を招かないため、あえて断っておくが、裁判所の事実認定が正しいとすれば、松本被告その他のオウム真理教信者(元信者)に対する厳刑は当然と考えている。また、筆者は、裁判所の事実認定を覆すような情報を持っているわけではない。その意味で、本稿は、決して、この刑事裁判の「不当」を主張するものではない。

 筆者が違和感を覚えるのは、松本智津夫被告やオウム真理教関係者を異常な人格を持った殺人鬼として描く報道である。一審判決の事実認定を前提とすると、松本智津夫被告は、平気で殺人を命じているが、これは決して人格的な異常ではない。

 たとえば、「軍隊」という集団に投じられたとき、その大多数は、命令に従順に淡々と殺人を犯すことになる。もちろん、多くは民衆あるいは敵兵の殺害にちゅうちょを示すだろう(それでも命令を遂行する)。しかし、信条や正義感に駆られて、主体的に殺人を実行する一部の者がいる。戦争の恐ろしさは、ごく「普通の人」が殺人や放火を犯すことであって、個人の異常な性格ではなく、集団の狂気の問題である。ここまでは、歴史上に多くの例がある。「オウム真理教」の内部も、似たような状況ではなかろうか。

 最初に断ったように、筆者は、殺人犯の厳罰を支持する。殺人は個人の行為である。「集団の狂気」を適当に酌量しつつも、その責任は追求されなければならない。もちろん、命令によって戦闘地域またはその隣接地域に派遣された自衛隊員や、これを命令した者も例外ではない。仮に、イラク国民に発砲する事態が起これば、その責任を追及されなければならないであろう。


自衛隊派遣と武力行使 (2004.2.18)

 イラクに陸上自衛隊が派遣されて1ヵ月になる。日本政府は、昨年のアメリカによる侵略開始とともに、これを支持し、「復興支援」を表明してきた。占領行政は、占領軍の責任であるから、「復興支援」は戦争への非中立的な加担であろうが、政策の当否はともかくとして、ここまでは憲法の問題ではない。誤解されている向きがあるかも知れないが、日本国憲法は、「戦争放棄」を定めるだけで、中立を定めているわけではない。ベトナム戦争の例でもわかるように、アメリカの戦略に対する非中立的援助は、歴代の内閣がとってきた伝統的政策に過ぎない。もっとも、小泉の「復興支援」の表明は、違法な戦争が開始された時期における「支持」の表明として、形式的には、殺人幇助も成立し得る。この法律的な問題については、「小泉と川口の日本刑法による可罰性」を参照していただきたい。

 そして、今回、日本政府は、歴代の内閣によって守られてきた一線をついに踏み越えた。「武力行使」である。小泉は、陸上自衛隊が派遣されたイラク南部を非戦闘地域であると説明し、国会でも「非戦闘地域」の意義について論戦が行なわれた。しかし、これは本質的な問題ではない。イラク南部では、現に、武装勢力による攻撃が絶えない。これを「テロ」と呼び換えてみても、イラクで何らかの武装勢力が活動していることは疑えない。武装勢力が活動する地域、あるいは、これに隣接する地域に、武器を持った自衛隊が存在するだけでも、武力の行使にあたる。自衛隊派遣は、非中立的援助を超える「武力行使」と考えるほかない。

 そもそも、武力行使とはどのようなことなのだろうか。護身のために銃を所持するだけで、銃を「使用」することにはならない。武器を持った自衛隊も、日本国憲法が禁じる「戦力」ではあっても、その存在だけで、「武力行使」とするに足りない。しかし、銃の「使用」は、発砲だけに限らない。銃をつきつけ、相手の抵抗を制圧するのも銃の使い方のひとつである。このような段階にいたれば、銃の「使用」にあたる。自衛隊は、武装勢力に銃を向けている。これは、武装勢力に対する武力行使そのものである。「人道支援」のみが宣伝されているが、「治安維持」も自衛隊派遣の目的のひとつらしい。


ウダイとクサイは戦闘員か? (2003.7.24)

 米軍は、イラク北部のモスルでフセインの2人の息子、ウダイとクサイの殺害したと発表した。この真偽は不明だが、ブッシュはこれを「戦果」として強調した。殺人事件として捜査する意思はなさそうである(アタリマエだが)。

 仮に、ウダイとクサイが、何らかの重罪を犯した「犯罪人」とすれば、占領地の行政を担任する占領軍には、処罰の権限がある。占領行政権の行使として、裁判を経て処罰することができる。しかし、裁判なしに彼らを殺害するのは、単なる殺人である。たとえ、彼らが逮捕を拒んで抵抗したとしても、正当防衛などの要件を満たさない限り、それによって殺害が適法化されるものでもない。逮捕を拒んで逃げるのは、「犯罪人」の当然の権利である。

 この殺害を適法化できる唯一の可能性は、ウダイとクサイを「戦闘員」と考えることである。往時の戦争法規では、戦争を原則として国家の適法行為と考えていて、戦争中に行われる敵国資産の破壊や敵の戦闘員の無警告殺傷は、一定の条件で、正当な戦闘行為とされた。報道によると、ウダイについては、「サダムフェダイーン」と称する民兵組織の指揮官とされている。筆者も、彼らがイラク兵力に属する戦闘員とする考え方を否定する情報は持っていない。アメリカとイラクが戦争状態であり、しかもウダイとクサイがイラク兵力に属する戦闘員とすれば、もちろん戦争そのものの違法性は別論として、この殺害は戦闘行為として正当化し得るであろう。

 しかし、これは、同時に、イラク北部のモスルが現に行われている戦争の戦闘地域であることを証明することになる。自衛隊の派遣を可能とする「非戦闘地域」など、イラクのどこのあるのだろうか。


バグダッド占領 (2003.4.10)

 日本時間の昨日夜に「バグダッド陥落」が伝えられた。侵略軍が首都を含む広範な地域を支配下においたらしい。首都以外の戦況を度外視しても、これによって、占領政権を樹立すべき政治的条件が整ったことは間違いない。お願いしなくても、アメリカ主導の強力な軍事政権を作っていただけるだろう。そして、熾烈な残党狩りが始まる。そして、イラクでもアメリカ人のために、イラク人同士が血を流す事態を恐れざるを得ない。占領政策に抵抗する民衆は、当分の間はすべて「フセインの残党」と呼ばれるであろうから、残党は増えつづけるであろう。アフガニスタン占領も、まだ終結していないことを指摘しておきたい。

 戦争の口実が「大量破壊兵器の脅威」から「武装解除」に、そして、開戦直前には「フセイン排除」に変わるご都合主義を見ていると、これらの口実の裏にある「陰謀」を詮索したくなるのは健全な理性である。しかし、こんな不合理な戦争を仕掛けた人々の、考え方を想像するにも及ばない。ネオコン(あるいは国際金融資本)の陰謀論などは、憶測記事が専門の週刊誌にでも任せておけばよい。侵略軍の言動から確実に判断できることは、イラク全土の占領を目的としていることである。結果は、アメリカに抵抗するアラブ諸国への見せしめとしては、完璧である。周辺の産油国は、「ドル決済」を拒んでイラクの二の舞になることを避けるに違いない。そして、表面上の従順とともに、反米感情はより強化されるに違いない。

 この戦争は、アメリカにとっても多大なリスクを負う。世界最大の債務国を支えてきたドルの信認が、巨額の戦費とアラブ諸国に広がる反米感情のため、今回の戦争でさらにゆらいだ。ドル暴落の危険は高まっている。アメリカは、紙幣を印刷するだけで世界から際限なく借り入れができるという基軸通貨の特権を失う可能性も高い。もっとも、今やドルの過半はアメリカ国外にあるから、ドル暴落で大損失を受けるのは、原油代金をドルでいただくしかない産油国と、日本などのアメリカ衛星国である。これ以上アメリカに追随して、日本経済まで破滅させないように、日本政府にはお願いしておきたい。


国際社会 (2003.4.5)

 一片の大義もない戦争に突入して、17日が経過した。報道される戦況は混沌としている。アメリカの発表では、首都中心部まで侵攻とするが、大規模な戦闘は伝えられない。「短期終結」を唱えるアメリカ側の政治宣伝と考えるべきであろうか。少なくとも、本日現在では、まだアメリカによる完全制圧を伝えられる都市は、ひとつもない。憶測できることは、アメリカ軍は、急速に進撃し、広い無人の砂漠を占領下に置いたが、都市の占領はこれからということであろう。イラク民衆の大半は、フセイン政権が掌握していると考えてよい。この後、アメリカによる兵糧攻めで都市が急速に崩壊するか、それとも待ち受けるイラク軍と猛烈な戦闘になるか、そのうちに結果が出る。

 フセイン排除を唱えて始めた戦争だが、フセインが死んでも戦争は終わらない。戦争開始の数日間のイラク民衆の対応でも、それは明らかである。アメリカが事前に宣伝した、「解放軍」対「独裁者」ではなく、「侵略者」対「イラク民衆」の構図が明確になってしまった。占領地では、激しい抵抗が行われるであろう。どこかの国の首相は、参戦国でもないのに分不相応にも「降伏勧告」などを口にするが、仮にフセインが降伏しようとしたら、反フセイン派がクーデターでこれを殉教者に仕立ててでも継戦の可能性がある。民衆の生命を救う方法は、侵略軍の撤退以外にない。

 いずれにしても、今回の戦争で、アメリカの独善的な態度が全世界に明らかになった。ブッシュの演説では、アメリカ流の「自由と民主主義」が根源で、これの伝道者たるアメリカの行為は正義、そして、その正義を実現すべき国連が機能しないので、アメリカが血を流して実行するとしている。国連(安保理)のみが戦争を発動し得るという国連憲章の規定や確立された国際法である内政不干渉の原則など、まったく無視である。

 「正義」を振りかざしながら、民衆を虐殺するアメリカの独善的な姿勢には、多くの国が憤りながらも、その強大な力に逆らえないと考えているようである。アラブ各国の指導者は、フセインの「次」の標的にされることを極度に恐れている。現に、イラン、シリア、そしてエジプトなど、アメリカの戦争屋に名前をあげられている国はたまらないだろう。その一方で、これらの国の民衆の間では、イラク支持が強まっている。周辺国では嫌悪されていたはずのフセインまで、アラブの英雄になりつつある。一方、アラブ諸国を除くと、確信犯のイギリスとスペイン以外の各国は、戦後処理の分け前にあずかろうとして、アメリカにすり寄る姿勢を見せつつも、不快感を隠さず、おおむね戦争に反対する姿勢を崩していない。

 このような世界の大勢と比べ、ブッシュの参戦演説から数時間で「支持」を表明した日本政府の対応は、国際社会で際立っている。トルコのように、アメリカから巨額の援助を取りつけて、態度を軟化させたのとも異なり、日本の場合は、他国を買収する資金さえ進んで献上しかねないようすである。そのアメリカ追随ぶりは、見ていて恥ずかしくなる。

 なお、本日の報道では、アメリカは、フセインを除くことができなくても、イラクの大部を占領した時点で、「勝利」を宣言し、占領政権を樹立する計画らしい。新政権の首班は、親イスラエル派のアメリカ退役少将ガーナーが噂されている。イラク占領が戦争目的であって、「独裁者を倒す」などは開戦に向けた口実に過ぎなかったことが明確になった。

 日本政府にお願いしたい。「新政権」を承認するなら、首都、その他の大都市の実効支配を確認してからにしていただきたい。砂漠だけを占領して民衆を支配しない「新政権」を、世界に先立って承認するなどのまねを決してしないでいただきたい。恥の上塗りになる。ただでさえ、理性の存在すら疑われている日本を、これ以上、国際社会で孤立させると、海外で仕事をする日本人は、恥ずかしくて街を歩けなくなる。


アメリカを救え (2003.3.28)

 今回は、ちょっと趣向を変えて、アメリカ側の視点で戦争を見たい。決してイラクのことを忘れているわけではないが、ここ数日、報道が途絶えがちである。日本に届く報道は、(質は問題だが)量的にはアメリカ側から発せられたものが圧倒する。アメリカ側からの情報が途絶えると、その戦況悪化を憶測する以外に、イラクで起きていることを知ることもできなくなってしまう。ご了承いただきたい。

 アメリカ側は、民衆の蜂起に期待していたとされている。反対派に対するフセインの苛烈な弾圧は悪名高いし、イラク国内には、フセインに対する反感も高いと思われる。しかし、アメリカは反フセイン派などを支持してこなかったし、今も支持していない。占領に好都合な降伏と蜂起に期待しているだけである。アメリカが待望する「反フセイン派」が「原理主義者」や「過激派」であったら、あっさり弾圧されることになる。これだけ国土を蹂躙され、多数の民衆が殺された後である。その可能性が高い。結局は、抵抗する民衆を弾圧し、アメリカによる直接統治、それも銃を背景にした苛烈な軍政しかなさそうである。アメリカは国連の関与も拒んでいる。

 圧倒的な装備を有するアメリカ軍である。その軍事力のモノをいわせれば、自軍兵士だけでも何千人もの人的損害と、世論の非難に耐えられるという条件の下であるが、いずれは、バグダッドのみならず、イラク全土の軍事制圧が可能かも知れない。しかし、その後に待ち受けているのは、解放軍を迎える群衆ではなく、軍事占領に抵抗するゲリラとの戦争である。イラクの抵抗は、フセインの死によっても終わらないであろう。そして、アメリカに対しては、国際社会の賞賛ではなく、国際世論の包囲攻撃である。さらに、悪夢は、サダム・フセインがその生死にかかわらず、「英雄」としてアラブの民衆に祭り上げられる可能性があるということである。

 アメリカの戦争指導者は、開戦前に、このような事態を予想していた可能性がある。開戦直前の「最後通告」で、「武装解除(降伏)」ではなく、「フセイン亡命」を求めた理由も、これで納得が行く。生命・財産と引き換えに国を出た指導者は、英雄の資格を失う。「早期終結」は、開戦を容易にすべく意図的に作られた宣伝に過ぎず、戦争指導者たちは、最初から長期戦と長期の軍事占領を待望し、その方が儲かるとでも考えていたのではなかろうか。アメリカ自身にとっても、決して最終的な利益になるわけもないが、作戦が有利に展開すれば、それでも国内世論の支持が得られると考えていたのであろう。そうだとすれば、この宣伝に乗って、「短期戦」の願望を公言していた某国首相とこれを支える与党各位は、全世界に恥をさらしただけである(退陣をお願いしたい)。

 「意図」や「動機」が問題となると、どうしても憶測と不確実な状況証拠に頼らざるを得ない。憶測を連ねるのはここまでにしよう。苦境に陥ったアメリカを救うために、ブッシュ氏とネオコン戦争屋の「国外亡命」や「殺害」などと無粋なことは申し上げない。政権内部の何人かをスケープゴートとして辞めさせるだけで、収拾がつく。ブッシュ氏は再選をあきらめて次の選挙までおとなしくすればよいし、ブッシュ氏もスケープゴートの諸氏も、生命も財産も保障されて、アラブ諸国の一部に観光旅行をしようなどと思わなければ、何の不自由もない余生を過ごすことができる。アメリカを救う道をよく考えていただきたい。


いつか来た道 (2003.3.25)

 開戦後数日間の米英そして日本政府の発表を聞いていると、1世紀ほども時代を逆戻りしたような感覚を覚える。いわく「悪の枢軸」、「ならず者政権」、「脅威を除くため」、「正義」そして「神の加護」である。ご意見としては賛同できる点もあるが、こんな言葉を並べた宣戦布告で戦争が正当化されたのは、せいぜい20世紀初頭までである。

 往時の国際法では、戦争は国家間の紛争を解決する合法的な手段であり、開戦前の宣戦布告や最後通牒を欠く戦争や、陸戦・海戦の諸規定に反する殺傷行為のみが戦争犯罪とされていた。これに対して、第二次世界大戦後の国際法では、国家間の紛争は、平和的手段による解決が求められ(国連憲章33条)、戦争は、自衛の場合を除き(同51条参照)、安保理が行うもののみが適法とされるに至った。国連や安保理が常備軍を有するわけではなく、安保理決議に基づいて、各国の軍隊が用いられるが(いわゆる「国連軍」)、戦争の主体は、各国ではなく、あくまで安保理である(国連憲章42条参照)。仮に安保理決議に違反する国があっても、これを戦争で解決し得るのは、安保理のみである。換言すれば、一方の当事者が国連軍である場合のみ「合法的」な戦争となり得る。なお、「ならず者政権」の「脅威を除くため」の先制攻撃などが、自衛権の行使でないことは言うまでもない。

 また、ゲリラ戦に苦しむアメリカは、これを「戦争法違反」と言い出す始末である。往時の陸戦法規では、戦闘員による非戦闘員の殺傷が違法であることは当然であるが、非戦闘員による戦闘行為も違法とされていた。「ゲリラ戦」は、戦闘員が行った場合は間諜として処罰の対象となり、非戦闘員が行った場合は反乱として戦争犯罪とされた。今日でも、この陸戦法規が無効化したとは言えないが、このような考え方は、制服を着た正規軍同士が正々堂々と戦うことを理想とした時代を背景にした思想である。ゲリラ戦によって、圧制あるいは侵略に対抗した歴史を持つ国も多い。イラクの市民の上に爆弾をばらまくという、往時の戦争法規に照らしても最悪の戦争犯罪に対抗する道は、もし可能とすればゲリラ戦しかない。アメリカは、アメリカ軍を歓迎しながら従順に白旗を挙げるか、それとも、旧式戦車に乗ってハイテク兵器に簡単に撃破される敵を想像していたのであろうか。笑止である。

 1941年の「対米開戦」の詔書は、中国や米英を非を唱えつつ、「皇祖皇宗ノ神霊」を持ち出し、「東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス」と締めくくっていた。ブッシュ氏の開戦演説とほとんど同じ言葉と思うのは、筆者だけであろうか。ブッシュ氏が往時の戦争マナーをお好みなら、この戦争の解決のために、「イラクからの即時無条件撤退」のみではなく、「イラクに対する賠償」もお願いしたい。それが20世紀初頭までの戦争マナーである。


「協調関係」 (2003.3.19)

 対等の関係では、「好意」や「謙譲」、あるいは「相手に対する遠慮」は、肯定的に評価されるとは限らない。たとえば、相手の経済状態に配慮して、貸金の返済を厳しく督促しなかった場合、突然にこれを訴求すると、「時効」や「黙示の贈与」などと言われて対抗される。そのときになって、「恩を仇で」などと怒っても、相手からは、「権利の濫用」などと言われることになる。相手に譲歩し、あるいは援助するなら、「どこまで」と「見返りに何を」を明確にし、これを相手にも知らせることが、対等の関係を保つために必要である。言外の見返りを期待した甘い好意などは、相手に通じないばかりでなく、信頼関係を損なう原因となる。

 アメリカの武力行使を「支持」するという小泉首相の会見を見て、言葉を失うほどの怒りを感じつつも、失笑を禁じ得なかった。小泉氏は、支持する理由として、次のように説明する。

 (1)アメリカの武力行使は国連決議に照らして正当化が可能、
 (2)アメリカ大統領も苦渋の決断、
 (3)日米同盟関係の重視、
 (4)アジアの隣国との緊張関係

 (1)は、その「国連決議」が武力行使を内容とするものか否かという解釈の問題である。安保理決議1441のどの章句が武力行使の根拠となるのか。10年以上前の安保理決議によって、停戦を経た後でも武力行使が正当化されるのか。結論は、小泉氏自身が数週間前に主張したように、武力行使を内容とする「新たな決議」を求めるほかない。イラクに決議違反があったとしても、これは新たな決議を求める理由ではあっても、イラク国内に爆弾を落とす根拠とはならない。
 (2)以下は論外である。純心情的な(2)は噴飯ものであるが、(3)または(4)についても、仮に、「日米同盟」のために対イラク攻撃を支持するなら、たとえば安保条約のどの条項に基づくのか明確に示さなければ意味がないし、某隣国との「緊張関係」を理由にするなら、その脅威を除くべく、どのような軍事的な約束がアメリカ軍とあるのか、これを説明しなければならない。それを説明していただけるなら、日本国民は、戦争犯罪に手を染める得失を自ら判断するであろう。
 まさか、小泉氏自身、そして小泉会見の原稿を作った官僚諸氏が、尻尾を振って大国に甘えたら可愛がってもらえるなどと、本気で信じているわけでもなかろう。国際社会では、相手にもされない不可解な理由でも、日本国民には通用すると考えているのだろうか。


Pacific Engineeringのページ