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急速に高まる改憲議論 (2016.7.14)

 参院選が終わったとたんに、なんと天皇が退位の意向を示しているとの報道があった。
 これは、政治に権能を有しない天皇の政治的発言(本件では皇室典範の改正要求を含む)。天皇も政治的意思を有する個人なので、発言は自由とせざるを得ない。しかし、たとえば特定の人物を首相として好ましくないなどとする発言を報道すべきでないのと同様に、天皇の政治的発言を報道するのは、ちょっと問題。今までも、このような法律改正に関する発言は、報道を避けるのが慣例だったはず。

 天皇の退位は、現行の皇室典範に規定がないので、この改正が必要なほか、憲法との関係でも問題になる。憲法は、退位を明示的に禁じるものでもないが、現在の皇族の範囲のほかに、元天皇という皇族を作ることにもなり、皇族の範囲拡大につながり、法の下の平等から考えても問題があるほか、摂政を置くとする現憲法の規定との整合性も問題になる。

 時系列から判断すると、皇室典範(旧憲法下では法律でなく憲法と並ぶ欽定の最高規範)とセットで、憲法改正の機運を盛り上げたいらしいが、そのために天皇の発言をリークしたのであれば、天皇の政治利用とせざるを得ない。


北朝鮮の「水爆」 (2016.1.7)

 新年早々に、北朝鮮の核実験のニュース。数時間後には北が水爆実験に成功したと発表した。もっとも、アメリカと韓国の当局は、この発表を疑っているのか、それとも、北朝鮮の技術水準を低く見せたいのか、水爆でなく原爆でないかとの説を流布している。しかし、筆者は、状況から考えて、水爆でないかと判断している。

 水爆には、重水素やトリチウムが必要だが、この分離はウラン濃縮より容易。そして、これらが少量でもあれば(原爆のように臨界量・・最低必要量の制限はない)、原爆の高温で核融合反応を起こすので、「水爆」と言える。
 今回の爆発、TNT100キロトン程度(韓国内の報道では、この数字が出た後、時がたつにつれて、数字が小さくなり、TNT数キロトン同等とする数字もある)とすれば、数十キログラムの濃縮ウランによる原爆と考えるより、ごく小規模な水爆と考えたほうが自然であろう。黒鉛炉停止中らしいのでプルトニウム保有も少量で、大量の濃縮ウランを用いる余裕もないはず。北が言う「小型化した水爆」は、ミサイル搭載などを考慮して軽量化したものではなく、原料不足で仕方なく小規模になった水爆ということだろう。

 ミサイルに搭載できるか否かは不明。そして、大型の爆撃機も保有していないはずなので、現実に他国への攻撃に使用できるとも思ず、、現在のところ、軍事的な意味では、現実の脅威ではない。
 しかし、これで、軍事的な危機感をあおる安倍内閣と支持率低下の韓国の朴政権を喜ばせ、その基盤強化を助けることになりそうで、困ったものとしか申し上げられない。


中国の「抗日行事」 (2015.9.3)

 北京で記念式典と軍事パレードが実施された。これには、ロシアのプーチンや韓国の朴槿恵など、首脳級を含む49カ国の政府代表団や潘基文国連事務総長ら国際機関の代表らが出席している。

 日本の一部マスコミでは、これに関し、「反日」と決めつけている。さらには、日本対中国という構図を作り、国連関係者がこの行事に出席することを「中立性に反する」などと騒ぎ立てる。国際法的な意味では、国連は「中立」でなく、国連軍を組成して戦争当事者にもなるという自明の話はともかく、国連職員の行動として、問題とすべきものとは思えない。(これに乗じて、国連への嫌悪感をあおり、「国連よりニチベイドウメイ」という政治宣伝ですか。)
 そもそも、この行事は、「中国人民抗日戦争と世界反ファシスト勝利70周年」で、抗日といっても、70年も前の日本や今は存在しない日本軍を対象にしたもの。現代日本にも現在の日本国家にも敵意はない(もちろん好意もないが)。
 余談ながら、申し上げておくと、この日(9月3日)は、日本が降伏文書に署名した日なので、アメリカもワシントンで「第二次世界大戦終結70周年」の記念行事を行っている。(奇妙なことに、これを「反日」と報道するマスコミはいないらしい。)

 「取り戻す!」と呼号して、戦前日本を理想化するらしい安倍は、これに反感を覚えるらしいが、戦前の親英米派の流れをくむ往年の自民主流(幣原・吉田・・)らも、日中戦争に反対し、ファシストへの勝利なら歓迎のはず。
 安倍が出席しないなら、祝電でも打っておけばいかがですか。


安保法制 (2015.7.17)

 安保法制が強行採決で衆議院を通過した。政府与党は、中国脅威論をまき散らしながら、日本の防衛に不可欠と称するが、現実には、安保法制と日本防衛とは関係ない。

 現在の国際社会で、核保有を公認されているのは、安保理常任理事国の5か国のみ。非公認だが核保有を確実視されているのは、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮ぐらい。日本は、核兵器を持った中国と戦争できるはずもない。安保法制は、政府与党も認めているように、アメリカ軍を支援するためであり、アメリカ従属の仕掛けのひとつでしかない。
 もちろん、日米安保体制という軍事同盟、というより、アメリカによる軍事支配を前提にすれば、アメリカ軍を支援することが日本の防衛と無関係でない。しかし、仮に、アメリカ軍支援は、こんな法制を作って自衛隊を出動させなくても、事後的な費用分担等でも可能。アメリカ軍支援と自衛隊の軍事行動に、論理的な関連はない。

 アメリカご用達の案件は、政治生命を終わらせても、通さなければならないのが、60年安保の岸内閣以来の伝統・・というか、アメリカ従属国の政治ルール。
 鳩山は、国民向け公約よりアメリカ向けの「トラストミー」を優先して、辺野古受入れで政治生命を失い、野田は、不人気必至のTPPを開始して、民主党政権を再起不能にまで壊滅させ、そして、安倍はアメリカ議会で勝手に約束した安保法制とTPPの強引な妥結でたぶん退陣に追い込まれる。もちろん安倍ご本人も、これはご承知で、この後は、大勲位菊花大綬章でも待つだけの引退老人になるはず。

 安倍後継と目されている政治家は、安倍の手法から距離を置きつつも、安保法制に異を唱えず、アメリカのご機嫌を損ねずない狡猾さを示している。
 安倍内閣の命脈は長くない。しかし、その前に、安保法制(とTPP)というアメリカ案件は、通してしまうと予想せざるを得ない。困ったものではあるが、現実の展望を持ち得ていないことを告白するしかない。


翼賛マスコミ (2015.3.12)

 元首相の鳩山由紀夫が、ロシアが支配するクリミア地域に入域、ロシアによるクリミア併合を支持する発言をしたらしい。これに関して、一部のマスコミは、「クリミア併合をめぐり対露制裁で足並みをそろえる欧米諸国から日本政府への不信感が増幅すれば、今後の外交にも影響しかねない」(産経新聞)などとして、日本がロシア側とみなされ、「欧米諸国」との関係に問題が生じるかのように報道している。

 しかし、冷静に考えれば、この種の懸念はまったくあたらない。鳩山は、元首相として国際的にも知名度がある。しかし、この人の発言によって、日本政府(自公政権と安倍内閣)の政治的意思に、「誤解」が生じる懸念など、ほとんど想定できない。政権が交替して、鳩山が現在の日本政府と関係ないことは知れているはずであるし、仮に、外国の一部に誤解があっても、ロシアにも、ウクライナにもある在外公館を通じて、容易に訂正できる。対日経済制裁などを考慮する「欧米諸国」の国など、あるはずもない。

 鳩山の発言は、ロシア側報道の伝聞にすぎないので、その真意もわからないが、筆者は、ロシアによるクリミア併合を支持するつもりはない。しかし、政治家(元政治家)、あるいは、一般国民が、この問題に関して、いろいろな意見を持つことは想像できる。国際法上の適法性だけでなく、ロシアとEUとの対立構造の問題でもあるからである。この種の意見表明を理由にして、旅券返納命令で出国を禁じるなど、論外であろう。
(ついでに申しあげるなら、「イスラム国」を支持する日本人についても、テロ行為などに従事するおそれがなければ、出国を禁じる理由はないと考えている。)

 自公政権や安倍色に反する多様な意見を許容せず、政治的な意見の相違を、日本への敵対行為と決めつける翼賛マスコミには、嫌悪感を禁じ得ない。


幼稚な愛国主義 (2014.11.11)

 韓国・北朝鮮と中国の「反日」は有名であるが、これには明白な理由がある。韓国・北朝鮮は日本による統治を経験し、中国も、広範囲にわたって、日本による占領を経験している。韓国・北朝鮮と中国の現政権は、日本による支配を打倒して成立したものである。現政権が前代の政権(日本)を非難するのは当然であろう。「前政権のほうがよかった」などと言っていては、政権維持なんか、できないからである。

 この事情は、「親日」と扱われている台湾も変わらない。台湾も、ごく最近まで、厳しい「反日」であった。これが転換したのは、1990年代になってから、蒋父子(蒋介石・蒋経国)の政権が終わり、その後継政権(李登輝などの台湾人)が、前政権(蒋父子)を非難するなかで、「日本統治時代のほうがマシ」というロジックが出てきたのである。

 このように、前政権への非難は、現政権の正統性そのもの。現政権である自公政権が、前代の民主党政権を非難するのと同列で、政治の世界では、ごく自然な現象というほかない。また、「反日」といっても、過去の日本統治を非難しているだけであって、現代日本と直接の関係はない。戦前の日本軍国主義への非難なら、多くの日本国民の生まれる前のことに過ぎず、反論(誤解への訂正欲求)も共感(日本国民の軍国主義被害者も多い)もあるはずだが、現代に生きる日本人の感情を害する問題とは思えない。

 その一方で、日本製品や日本料理店を破壊する反日デモなど愛国心を誇示するためとしか思えないパフォーマンスを繰り広げる個人レベルの「反日」には、感情的にも違和感を覚えることがある。もちろん、嫌韓デモなど、日本で行われていることも、これと同列で、失礼ながら、幼稚な愛国主義とでも申し上げるほかない。


最悪の内閣 (2013.8.15)

 安倍首相は、本年の8月15日の戦没者追悼式の式辞において、「反省」を口にしなかった。安倍の式辞には、「世界の恒久平和に」との文言はあるが、これは第二次世界大戦の対米英宣戦布告詔書の「東亞永遠ノ平和ヲ確立シ」と重なる文言としか思えない。

 ネットウヨ諸氏には、誤解しておられる向きもありそうだが、戦争の被害者には日本国民も含まれる。そして、「反省」は、精神的な内省などではない。生まれる前の戦争について、安倍首相の内省などを求めても意味がないからである。「反省」とは、無謀な戦争に導き、日本の兵士を含む多くの人命を損なうに至った往年の戦争政策(「軍国主義」との標語で語られることもあるが、政策全般を問題にしたい)を厳しく批判して、これと決別することである。植民地支配(第二次世界大戦の直接の原因である)を受けたアジア各国のほか、元兵士を含む日本国民にも、日本政府の「反省」を求める正当な権利があろう。

 この「反省」は往年の戦争政策との決別なので、靖国神社などの往年の戦争推進装置にも目を向けさせることになる。戦争被害者でもある兵士を「英霊」として祭ることは、宗教団体が行うべき宗教行為かもしれないが(同意なく合祀された兵士の遺族から訴訟も起こされていることを忘れてはならない)、往年の政策決定者(東京裁判のA級戦犯を包含するが、それに限らない)を合祀した神社への参拝(安倍本人は参拝しないことを無念として「玉串料」を出したらしい・・確認不能)は、「反省」と相容れるものではない。そして、すべてを否定すべきでないという意味で、その対応には個別の問題があるが、君が代、日の丸、そして天皇制などへの批判も、当然のこととせざるを得ない。

 日本国民の中にも、「二度と戦争を繰り返さない」との強い思いで、たとえば君が代を忌避する人が少なくないはずである。これを安易に「反日」などの標語で攻撃するネットウヨの単純な思考には、筆者としても、辟易とせざるを得ない。

 首相安倍の異様さは、「反省」への不言及など、ネットウヨに迎合したかに見える政策を意図的に推進し、隣国から総スカンを喰らい(中韓とは首脳会談すらできない)、アジアでの緊張を好まないアメリカからの制止で、靖国神社参拝だけを思いとどまったらしい・・など、もちろん、意図的に行っていることであろう。その「意図」については、次の機会に申しあげたいが、とりあえず、この内閣には、戦後「最悪」との標語を奉っておきたい。


従軍慰安婦 (2013.5.25)

 「維新」という復古調の名称を名乗る政党の「共同代表」が、「従軍慰安婦は強制でない」などと主張し、国際的な非難を浴びている。

 戦前の売春は、いわゆる公娼制度として、公的な管理の下で、適法化されていたが、前借金などで従業者を縛るシステムで、従業者の廃業も、事実上は制約されていた。こんな管理売春を強制でないなどと称することは、人権意識の低さを露呈するだけでなく、元従業者の人格を傷つけるを侮辱的言辞である。

 「従軍慰安婦は強制でない」との論は、小林よしのりなど一部の論者が声高に主張し、産経新聞(イザ!)系の右翼マスコミに乗って、ネットウヨの世界では通説化しつつあるらしい。従軍慰安婦に関して、強制連行などの暴行・脅迫の「証拠がない」というが、これは、警察や軍の管理下で適法な営業を装った従軍慰安婦と、南京などの占領地で日本軍が実際に行った戦時強姦などとを意識的に混同させるスリカエの論であろう。従軍慰安婦に「強制」がなかったかは、往年に適法だった軍隊相手の売春業において、甘言や前借金など、不当に人身を縛るシステムがなかったかの問題。そして、軍が関与したかは、従軍慰安婦を積極的に「利用」したのは自明の(もちろん恥ずべき)事実として、この組織化、そして、その管理売春の運営に、どの程度、主体的に関与したかの問題である。結論は、申し上げるまでもないかと思う。

 戦争犯罪を含む往年の日本帝国の国家犯罪の否認が日本の誇りにつながるとは、とても思えない。また、これを追及することは、決して、「反日(ネットウヨ用語)」ではない。
 ここで、突然に、「日本帝国」という言葉を用いているが、これは、1945年までの国家体制を指称している。戦後の新憲法下の「日本国」と、往年の憲法学の概念を用いるなら、「国体」に同一性はない。「日本帝国」は、現在の日本との違いを強調するために、あえて筆者が用いた言葉である。決して、往年の「帝国」を賛美しているわけではない。
 過去との断絶を強調し、この批判を現国家の正統性とするか(たとえば、ナチの第三帝国との断絶を強調するドイツ連邦共和国)、それとも、これをなし崩し的に認めるか(建国記念日の祝日化、国旗・国歌の法定化・・)の違いが、他国からは、「反省」の有無に見えるのではなかろうか。

 過去の国家犯罪(日本帝国の犯罪を含む)について、厳しい態度を保持することによってのみ、連合国側の戦争犯罪や残虐行為(アメリカによる原爆投下やソ連によるシベリア抑留など、日本人を被害者とするものも多い)を、正当に追及し得る立場に達することができるはずである。過去をあいまいにすることは、日本国民を含む多くの戦争被害者に対する裏切りであろう。


意図的に作られた近隣諸国との緊張関係 (2013.4.25)

 本年3月、靖国神社の春季大祭にあわせて、安倍内閣の閣僚数名と、過去最大数の百数十名におよぶ国会議員が参拝し、安倍首相は真榊(まさかき)を奉納した。

 安倍首相は、「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」と称して、閣僚の靖国神社参拝を奨励ないし容認。「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由を確保している。」とするが、仮に、閣僚がナチスの戦犯やアルカイダのテロリストを賛美すれば、国際的に非難を浴びることは間違いない。問題は安倍首相が「確保している」とする「自由」の内実である。合祀されているA級戦犯等も一括して「英霊」と称しつつ、「尊崇の念を表する」では、「死者にムチを打たない」という日本的な倫理で説明しようとしても、国際的に通用しないであろう。

 批判を「脅かし」とされた韓国・中国、そして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、当然ながら、激烈な怒りのコメント(靖国参拝に関しては、日本国内からの批判・非難も多い)。韓国は予定されていた外相の訪日を中止した。アジア諸国の対日感情は悪化した。北朝鮮問題などで日中韓の足並みが乱れるのを恐る米国が、訪日中の米バーンズ国務副長官を通じて事情説明を求めるほどの事態である。

 ご自分の人気にしか関心のなさそうな一部の国会議員を除いて、閣僚各位はこんな結果を予期していたはずである。諸外国の反応を計算しつくした政治家としての行動と考えるしかない。近隣諸国からの批判は、安倍内閣の閣僚らが自ら望んで招いた結果である。北朝鮮の恐怖を過大に宣伝する操作と合わせて考えると、軍備増強などの口実作りのため、近隣諸国との関係悪化を仕掛けたのではあないかと疑われる。

  やや穏当を欠く比喩かもしれないが、銃撃で死傷者が出た場合に、主として責任を負うべき者は発砲した側であるとしても、銃口が向けられていることを知りながら、その前に立つことは、自ら被害を招く行為と評価するほかない。
 閣僚や国会議員らの行動は、国際的な非難という銃撃を予期しつつ、自らが銃口の前に立つだけでなく、多くの国民を国民を銃口の前に立たて、道連れにする行為である。アジア諸国に進出している日本企業を含め、多くの国民に深刻な被害を及ぼしている。


尖閣諸島 (2013.1.16)

 最初に申し上げておくが、問題の島が日本領なのか、台湾に属する中国領なのか、筆者にその知識はない。日本政府の政治的立場は承知しているつもりだが、領土の帰属を決めるのは、どちらが先に占有したかなどの歴史的事実の問題であり、筆者にはその史料を判読する能力もないからである。
 こんな門外漢の筆者であるが、日本のマスコミや非専門家向け書物などでは、尖閣諸島が日本領であることは自明の真理として語られていることには、違和感を禁じ得ない。日本領であることが、そんなに自明なのだろうか?根拠として、マスコミに流されているのは、主として、次の2点であろう。

 論拠A「1895年に、清朝の支配が及んでいないことを確認し、閣議決定で領土に編入した」
 論拠B「その後、1970年台まで、中国側から領有権の主張がなかった」

 一読すると、説得力があり、尖閣諸島が日本の領土であることは、法的にも疑問がないように感じられる。しかし、少し注意深く考えると、こんな論拠では、「自明の日本領」などとはいえないことがわかる。
 たとえば、論拠Aは、無主地の先占によって領土権を取得したとの主張で、これが成立するなら、尖閣諸島は日本領といえる。しかし、「1895年」は日清戦争中である。この島に「清朝の支配が及んでいないことを確認」といっても、付近の制海権が日本海軍にあったなら、戦争中に清国が実効的な支配などできるはずもない。中国人(清国人)の居住者は退避していたかもしれない。「戦争(日清戦争)のどさくさに紛れて強取」との中国側の主張に反論するには、戦争中の一時点ではなく、それ以前の来歴が問題になるが、この点は日本側で多く語られることはない。
 論拠Bのバリエーションはたくさんある。たとえば、「1950年台に中国で尖閣諸島を日本領とする地図が出版されていた」などである。この種の「事実」の発掘に熱心な人もいるが、これらはすべて状況証拠に過ぎない。仮に、中国側が、ある時期まで、尖閣諸島の領有権を主張しなかったとしても、あるいは、ある時期まで、その紛争の存在すら知らなかったとしても、それによって、当然に領有権を失うということはない。
 なお、論拠Bにいう「1970年台」は、日中の国交が正常化した時期であり、それ以前は、第二次世界大戦(日中戦争)での敵国、そして、東西冷戦での仮想敵国である。領土問題に関する正常な議論がなかったとしても、必ずしも、不自然ではない。あるいは、領土権不主張の言い訳を中国側に許す事情がないとはいえない。
 念のために付言するが、筆者は国内マスコミの決め付け論調に疑問を挟んでいるだけで、中国の領土主張を認めているわけではない。中国側も、論拠Aにいう「1895年」以前に、尖閣諸島を支配していたという確実な証拠を提示できていないようである。仮に、日本が「戦争(日清戦争)のどさくさに紛れて強取」したとの中国側の主張が正しいとしても、それ以前の権利状態を証明できなければ、中国側の領土主張は、その根底から覆ることになる。

 政治的に考えた場合、現実の解決策は、「未来志向」、換言すれば、棚上げしかない。現在のところ、実効支配しているのは日本側である。現状維持は、日本側にとっては不利な選択ではない。無用の紛争回避が「国益」であろう。


人工衛星 (2012.12.12)

 北朝鮮が人工衛星の打ち上げに成功したらしい。「南向き発射」など、人工衛星の打ち上げとしては、やや不利な選択をしていたので、衛星軌道に乗せる目的ではなく、弾道軌道の実験かと疑ったが(北朝鮮の人工衛星(2009.4.2))、この憶測は外れた。

 米軍は、この人工衛星について、「物体を乗せたミサイルが軌道に乗った」などと称している。しかし、英語でも日本語でも、「ミサイル」は標的を想定した飛翔体を指称するのが通常。弾道ミサイルや巡航ミサイルはあっても、たとえば、スペースシャトルを「ミサイル」とはいわない。「ミサイルが(地球周回)軌道に乗った」は、言葉としておかしい。軌道に乗ったなら、それは人工衛星と呼ぶほかない。
 日本の一部マスコミは、「事実上の弾道ミサイル」と称していたのが、「軌道に乗った」とのニュースを流す際に、「事実上のミサイル」に呼称を変更した。しかし、弾道ミサイル、巡航ミサイルのほかに、新種の「ミサイル」があるとしても、「軌道に乗った物体」をこれに含めるのは、やはり言語の乱用である。
 言語的に無理をして、「人工衛星」を「ミサイル」と言い換えても、その本質は変わらない。北朝鮮が世界で何番目かの人工衛星打ち上げ国となったことを認めざるを得ない。打ち上げた人工衛星自体が故障していて、たとえば通信衛星などとして所期の機能を果たさないとしても、ロケットエンジンで、ペイロードを地球周回軌道に乗せたのだから、「人工衛星の打ち上げに成功」という評価は変わらないだろう。

 誤解を招かないために申し上げておくが、筆者は衛星軌道に乗った飛翔体を「人工衛星」と呼ぶべきと主張するだけで、これが「ミサイル」開発の一環であることを否定しない。問題は、北朝鮮の国威発揚にお付き合いすることでもないし、呼称を変えてそれを否認することでもない。核開発も進める危険な国の技術力を正視して、それに対して、適切な措置を講ずることである。人工衛星を打ち上げる技術があれば、地球上のどこにでも、ミサイルを落とすことができるはずである(命中精度を問わなければ、射程距離は無限大)。また、「南向き発射」とすれば、極軌道(北極・南極を通過する軌道で、高緯度地域の上空も通過することができる)への投入に成功し、北朝鮮の偵察衛星なども現実になったと考えるしかない。


歴史認識 (2012.11.11)

 領土問題に劣らずホットな議論となるのは、いわゆる歴史認識の問題である。ここでいう「歴史」は、主として明治維新以降の近代史、特に、第二次世界大戦の時期における日本軍の行動や植民地・占領地の行政を問題にするもので、「南京大虐殺」や「強制連行」、そして、「従軍慰安婦」などが採り上げられている。

 日本側では、これを否定する論調がある。たとえば、南京大虐殺。これを南京市民の死者数が通常の戦闘行為で発生する程度の少数だからという理由で、「存在しない」としたり、「従軍慰安婦」について、朝鮮人を含む業者の営業行為で、軍は通常の公娼制度(「公認」という意味でこの言葉を用いる)を利用しただけなどとする。日本人としては、この種の論調が耳に心地よいかもしれない。
 そればかりではない。「通常の戦闘行為」、「通常の公娼制度」に帰着させてしまうと、中国や朝鮮半島など、一部の地域で発生した特殊な現象とは言えなくなり、これを否定的に評価されることは、日本軍の行動全体が問題とされることとなってしまう。全肯定か全否定か、往年の戦争について、その一部でも肯定的に評価したい論者にとって、これらの問題の否認は、決して譲れない一線になってしまう。

 念のために申し上げておくが、この種の問題は、二国間交渉を有利に進めるために相手国から持ち出されたのであれば、日本としては、誤った事実の訂正を求めるのは当然である。死者数によって賠償額も変わるはずなので、主張すべきは主張すればよい。また、賠償等によって解決済の案件については、再賠償を拒むのも当然で、これは国際政治のテクニックの問題である。
 しかし、これを超えて、国際社会に向けて、「犠牲者は少数」や「軍の慰安所は自発的な営業行為」などと宣伝しても、日本側に有利になるとは思えない。仮に、南京占領時の死者が少数であったとしても、これは日本軍が南京で起こした事件であって、中国軍が東京で起こした事件ではない。一般市民に犠牲者を出すことも(少数としても)、売春婦を従軍させることも(自発的としても)、少なくとも、現代の基準に照らせば、許せない行為とせざるを得ないであろう。従軍慰安婦は「自発的」などの正当化は、売買春が人格を傷つける行為として、その防止に努めてきた近代の常識に反し、論者の人権意識の低さを露呈するだけ。買春は、売春の相手方となる行為を指す近年のマスコミ近年の用語だが、この適法性を声高に叫ぶことが、「日本人の誇り」につながるわけもなかろう。日本人として恥ずかしく思えるだけである。

 第二次世界大戦の時期の話題とすれば、日本が声を大にして叫ぶべきは、日本側の行為の否認や正当化ではなく、原爆投下や東京大空襲を含む都市爆撃などの被害であろう。これらについては、行為者(主としてアメリカ)の側にも、正当化の論理があろうが、非戦闘員が殺害されたことは、争いようのない事実である。実体不明の「日米同盟」などに遠慮せずに、その不当さを堂々と主張することが、戦争の悲劇を二度と繰り返さないためにも、必要ではないかと思える。


国粋主義 (2012.9.28)

 安部晋三元首相が自民党総裁に就任した。折しも、日中関係は、東京都知事の石原慎太郎の尖閣諸島に対する無責任なお節介が発端で、国交正常化後で最悪の状態となっている。
 本題から外れるが、非国民呼ばわりされるのも心外なので、東京都知事を無責任とする根拠を申し上げておく。東京都知事らの行動は、尖閣諸島の土地所得などを呼びかけることによって、これらが日本の領土であることを、近隣諸国に示すねらいと考えられる。筆者は、これらの島々が、国際法上どちらの領土であるかについて、知識はないが、仮に中国などが、東京都知事を含む日本側の行動に対して、対抗措置を行わず、これを容認すれば、日本による実効支配が認められたことともなり、国益にかなうと考えてもよい。
 しかし、現実には、東京都知事らの目論見は外れ、中国国内での激しい抗議行動だけでなく、中国船の活動などを誘発した。多数の巡視船を繰り出さなければ守れないこと自体、日本側の実効支配が脅かされた証左であり、結果として、国益に反したと評するほかない。
 成功すれば、政治家としてお手柄である反面、失敗したときには責任を取るべきである。しかし、この東京都知事は、日中関係の悪化が表面化してから、沈黙を決め込んでいるらしい。第二次世界大戦当時の戦争扇動者にも例を見ない無責任漢とせざるを得ないのではなかろうか。(街宣車を繰る右翼諸氏にお願いする。筆者の小論などに目クジラを立てるのではなく、国益に反した結果を引き起こした東京都知事らの責任について、ちゃんと追求していただきたい。)

 さて、冒頭に申し上げた安倍晋三の問題に戻ろう。この人が以前に首相だったときの政治スローガンは、「美しい国、日本」。これだけでは、無内容な美辞麗句に聞こえるが、安倍内閣が平成18年当時に国会に提出し、強行採決で成立させた改正教育基本法から語句を拾うと、「伝統を継承し」、「我が国と郷土を愛する」・・で、この言葉は、「国粋主義」を言い換えたものらしい。
 この人が首相になると、靖国神社へのご参拝などで、アジア諸国との関係悪化は必至であろう。困ったものである。


北朝鮮の人工衛星 (2012.3.20)

 北朝鮮が4月中旬に人工衛星を発射すると発表した。日本などの多数の国からは、「ミサイル」として非難されている。北朝鮮の人工衛星打ち上げは、2009年4月以来の、3年ぶり。前回も、「ミサイル」と非難されたが、このときは、衛星軌道に乗せることを目的としたらしいので、その意味では、本物の「人工衛星」であった(迎撃ミサイル(2009.4.2))。
 しかし、今回は、少し違いそうである。

 衛星を打ち上げ、これを周回軌道に乗せるためには、8キロメートル/秒ほどの速度にまで加速しなければならない。このためには、地球の自転方向である東に向けて打ち上げたほうが有利である。自転の速度(北緯40度付近で0.3キロメートル/秒ほど)を利用することができるからである。
 それなのに、今回は南に向けて打ち上げるらしい・・となると、周回軌道に乗せるのが目的でなく、弾道軌道のテストではないかとの疑念を禁じ得ない。特に、打ち上げに「失敗」して、フィリピン付近にでも落下すれば、軌道だけをみれば、弾道ミサイルと区別できない。

 仮に、これが「人工衛星」であったとしても、ミサイル技術を用いたもの、あるいは、ミサイル技術の開発を目的としたものには違いない。しかし、「ミサイル」と決めつけて、過剰に反応べきはなかろう。なお、その破片が日本付近に落下するとしても、「命中」する確率はゼロに等しい。


北方領土 (2011.10.15)

 筆者は、竹島や尖閣の領土問題について、その判断を避けてきた(たとえば、→「竹島」)。先発見や支配実績の証拠されているのは、中世の古文書。筆者には、その真偽判定はもとより、判読もできないからである。たとえ、ナショナリスト諸氏に非難されても、竹島や尖閣の帰属問題は、「わからない」と申し上げるほかない。
 これに対して、北方4島の問題は、近代の条約やポツダム宣言などの問題なので、論理的には明白な結論が導き出せる。過去の条約等に照らせば、これらの島は、日本政府が主張するように、日本領である。しかし、これで話が終わるわけではない。これらの島を自国領とするロシアの主張も、荒唐無稽とはいえないからである。
 ロシア側も、過去の条約等で、北方4島が日本領とされることは百も承知。その上で、これらの島は、第二次世界大戦の結果、ロシア(往時のソ連)領になったと主張しているのである。戦争の結果は、平和条約で定まるのが通例だが、日本とロシア(ソ連)の間には、この条約がない。そして、ポツダム宣言も、降伏条件を定めるだけで、必ずしも、講和条約の内容を拘束するものでない。
 ロシア(ソ連)は、第二次世界大戦の参戦国の中で、死者2000万人という突出して大きな被害を出した国で、これらの島を「戦利品」としなければ、平和条約を締結しないとの立場を一貫してとっている。その当否はともかく、これを一概に否定し去っては、交渉にも入れない。

 戦後、65年以上経過しているが、「第二次世界大戦の結果」は確定したものではない。


見苦しい居座りの功績 (2011.8.24)

 菅首相が、ついに退陣を表明した。この首相については、「思いつき」、「会議の乱立」・・と、評判がよくない。しかし、人気を落とした本当の理由は、潔さを至上とする日本的価値観に反して、居座りを続けてきたことであろう。その結果が、マスコミの調査で15%程度という歴代内閣でもほとんど例を見ない低支持率である。

 この首相は、その不人気を挽回するためか、人気を至上とする政策をつぎつぎに実行してきた。原発関連では、浜岡を停止し、玄海の再開をストップ。その反面、人気に悪影響のありそうな沖縄海兵隊の普天間移転などは、震災対策の影に隠れて、忘れたフリをすることで、凍結し、対米従属を至上とする政治家・官僚に抗してきた。その動機が自らの延命のためであったとしても、結果としては、世論の大勢に沿った政治と評してよい。これは、人気絶大だった小泉元首相が、世論の大勢に逆らって、アメリカの対イラク戦争に加担したのと逆の構造であろう。

 筆者としては、この首相の見苦しい延命を見続けたい気がしていた。残念ながら、菅のほうが、海江田や野田、そして前原などの後継候補たちより、そして、谷垣などの野党党首らより、少しでもマシに思えたからである。

 菅の後継首相には、就任早々に、「辺野古移設の日米合意」などと言い出さないことを願うしかない。


経済の縮小 (2011.5.30)

 報道されている数値では、東電の電力供給量は、最大で4000万kW(キロワット)程度。関東圏の人口で単純に計算すると、人口一人あたり約1kWで、原子力発電の比率を30%とすると、一人あたり300Wほどを原子力に頼っていることになる。発電用原子炉1基あたりの電気出力を60万kW(稼働中のものと、燃料の入れ替えや定期点検のために休止中のものを含めた平均なので、公称最大出力よりは低い値)とすると、人口200万人(出力60万kWを各人が300W使うから60万kW/300Wで200万人)ごとに1基の原子炉が必要という計算になる。

 一方、国内にある発電用原子炉は、60基弱。日本の総人口約1.2億人で60基とすれば、この計算からも、人口200万人ごとに1基の原子炉という結果が導かれる。この数字には、稼働中の原子炉だけでなく、休止中のものも含まれるが、原子炉に連続的に燃料を供給する方法はなく、一定期間の後、運転を止めて、燃料の入れ替えをしなければならない構造。稼働率100%はあり得ないので、休止中の原子炉を算入するのは自然であろう。これが現在の生活水準を維持するために必要な電力量(もちろん産業用電力を含む)らしい。

 さて、この先は仮想の数値。世界の人口は、近い将来、100億人に達するとされている。この人口に、「人口一人あたり1kWの電力」をあてはめると、出力50万kWの発電所が20000箇所必要になる。「人口200万人あたり原子炉1基」を適用すると、原子炉が5000基も必要になる。こんな数を実現するためには、世界の海岸を発電所で埋め尽くさなければならない。全世界のすべての人に、先進国並みの生活水準を考えるなら、この荒唐無稽で危険な数値を想定せざるを得ない。

 日本政府(というより与野党の大半と御用経済学者たち)は、再生可能エネルギーや省エネルギーに関する投資で、経済を拡大させようと提唱する。地球温暖化でも、電力不足でも、何でもビジネスチャンスとする発想だが、その論理的帰結は、「発電所が20000箇所」、「原子炉が5000基」である。(今回の震災に際して、「自粛」という経済縮小策で応えた庶民のほうが、ずっと現実的な経済感覚であろう。)

 「経済学」が社会科学の看板を掲げ続けたいなら、いい加減に、経済成長のドグマから離れ、縮小の経済学でも研究いただきたい。


ビンラディン殺害 (2011.5.7)

 アメリカの特殊部隊がビンラディンを殺害した。最近において、この人物がどのような役割を果たしていたのかわからないが、アルカイダにとっては、せいぜい指揮者ひとり分の損失・・とすれば、その戦力にほとんど影響しないはず。(軍最高司令官のオバマ大統領を殺害しても、アメリカ軍の戦力に影響しないのと同じである。)

 アメリカ司法長官は、武器を持たないビンラディンの殺害について、第二次世界大戦中に、山本五十六(日本海軍の指揮官)の乗機を撃墜して、これを殺害したことを引き合いに出しつつ、戦闘中における敵指揮官の殺害として、正当だったと主張した。敵の戦闘員を無警告に殺傷してよいとする往時の戦時国際法を髣髴とさせる論理だが、今回の殺害に適用しても、失笑を買うだけである。

 というのは、この論理は、アメリカとアルカイダが戦争状態であることを前提とする。しかし、アルカイダは、国家でも交戦団体(国家に準じて戦争当事者となることを承認された内乱兵力)でもなく、これとの戦争状態は、考えられない。アメリカは「テロとの戦い」を標榜するが、これは政治上のスローガンに過ぎず、国際法上の宣戦布告ではない。

 また、仮に、アメリカとアルカイダが「戦争状態」とするなら、アルカイダにとっても、アメリカ軍の戦闘員を殺傷することは正当な戦闘行為となる。その結果、身柄を拘束されても、戦時捕虜の待遇を受け、犯罪者として処罰されることがなくなる・・

 アメリカ司法長官も、こんな論理的帰結を望んでいるわけでもなかろう。「テロリスト」、「犯罪者」とするなら、国際法を無視した他国領土での殺害作戦でなく、正当な裁判を経た処罰を試みていただきたい。こんな殺害は、軍事的にはほとんど無意味だが、政治的には、反米感情を煽り、更なる混乱を惹き起こすだけである。


大阪都構想 (2011.4.14)

 統一地方選挙の前半戦、大阪では、「大阪都」構想を提唱する知事の地域政党が圧勝した。これは、戦争と何の関係なさそうな話題だが、そうでもない。

 現在のところ、「都」は東京都だけ。そして、これは、第二次世界大戦中の1943年に、当時の「東京市」と「東京府」を解体してできたもの。戦時体制整備の一環である。

 戦後においても、東京都の区は、憲法上の地方公共団体でないとされていたが、地方自治強化の流れの中で、首長公選など、市町村に相当する地位を認められるようになった。「市」の存在を認めなかった都制度を、事実上修正してきたわけである。

 行政手腕のある知事にとって、議会や市の存在など、行政の効率化を妨げる元凶にも思えるはず。しかし、意思形成に手間と時間のかかる「非効率」こそ、民主主義の本質ではないのか?これを、安易に上位下達のシステムに置き換えてよいのか?「市」を抹殺する「大阪都構想」は、議会無視の専決処分を繰り返した鹿児島県の某市長を思い起こさせる。

 この種の政治手法には、戦争のにおいが・・は、ちょっと言い過ぎかもしれない。しかし、首長個人の人気に頼りつつ、議会などを、首長の「政治」に反対する非効率な団体として敵視していることなどを考え合わせると、「ファシズム」に通じる政治手法であることは否定できないであろう。ついでに申し上げると、問題の知事が率いる地域政党は、「大阪維新の会」で、街宣車が好みそうな「維新」を名乗っている。

 震災を「天罰」と言い放った東京都の困り者知事に続き、特異なキャラクターの大阪府知事、・・と続き、地方政治にも目が離せない。


疑惑を呼ぶマグニチュードの上方修正 (2011.3.23)

 「戦争」特集とは、やや外れた話題だが、ご容赦いただきたい。広島型原爆で使われた放射性物質は、せいぜい数十キログラムだが、発電用の商業原子炉で使われている核燃料は、1基あたり数トンである。ある意味では、核兵器より何百倍も危険なのが原発。世界の関心が集まるのも当然である。

 原発の問題について、日本政府は口先でつくろいつつ(「(検出されている放射性物質は)健康にただちに影響ない!」など)、小手先の遁辞で、責任逃れを図っているように思われる。表題の話題も、この一環ではないか。マグニチュードの値は、地震後しばらくして発表されたが、そのマグニチュードは、「7.9」から「8.4」。そして、「8.8」と何度も上方修正され、ついに「9.0」。日本周辺での観測史上最大の地震とされてしまった。

 マグニチュードには、複数の算出方法があり、大地震では、互いに少し違う値となることはよく知られている(小地震では、同じ数値になるように較正されている)。何度目かの上方修正からは、観測された地震動の強さから算出される「気象庁マグニチュード」でなく、巨大地震で大きな値となる「モーメントマグニチュード」で算出するようになった。大きな値となるように、モノサシを取り替えたわけである。

 そして、「9.0」とされた最後の上方修正は、「3つの巨大な破壊が連続して発生」、「当初は1番目の波形に注目して8.8と発表したが、やや南方で発生したと思われる2、3回目の波形と総合的に再解析した結果」らしい。換言すると、「マグニチュード8.8の地震と、その直後数分間に発生した別の地震のマグニチュードを合算すると9.0になる」ということであろう。こうなると、地震の数の数え方の問題。5分以上もの長時間(単独の地震としては例のない長時間)に発生した複数(当初は「3個」と数えていたらしい)の地震のマグニチュードを合算すれば、数値が大きくなるのは当然。ついでに、その後の余震のマグニチュードまで合算したら、際限なく大きな値になろう。

・・・

 前置きが長くなったが、本題に入りたい。これらの上方修正は、その発表の時期などから判断して、次の「疑惑」を感じざるを得ない。

 気象庁は、何らかの政治的圧力を受けて、マグニチュードの値を上方修正したのではないか?そして、その政治的圧力の根源は、原発事故を不可抗力に見せかけ、これを推進してきた人たちを免責するためではないか?

   今回は、疑惑の提示だけとしておきたい。(筆者は、数値に小手先の細工を加えることで、「想定を超える災害」とする免責のロジックを問題にしているのであって、決して、今回の災害や被害を小さく評価しているわけではない。念のために、付言しておきます。)


「抑止力は方便」 (2011.1.15)

 鳩山前首相は、マスコミとのインタビューで、普天間基地の移設問題に関連して、「辺野古移設しか残らなくなったときに理屈付けしなければならず・・(米海兵隊の抑止力は)方便」と発言したらしい。「米海兵隊の抑止力」を維持するために、沖縄駐留が必要とする公式見解を、前首相自らが否定したことになる。

 短時間で全世界に展開できる海兵隊の機動力を考えると、駐留場所が問題でないことは、軍事的な常識。沖縄駐留と抑止力は関係ないという意味で、「抑止力は方便」である。しかし、政治的に考えると、不用意な発言に見える。辺野古移設の閣議了解を拒んだ社民党の福島党首は、「方便」のために閣僚を罷免されたと、怒り心頭らしい。民主党の国会運営にも大きなダメージとなった。

 これを鳩山氏の政治感覚の悪さに帰するのは簡単。しかし、同氏の政治感覚は、そこまで低レベルなのだろうか?政権についてから、「国外」や「県外」を呼号して時間をかせぎつつ、何ヶ月もの間、辺野古移設の言い訳を考えていたとするのも、想定に無理がある。鳩山氏なりに、「国外」や「県外」を目指したが失敗。今回の発言は、これを阻んだ勢力へのダメージをねらった政治的発言と考えたほうが、ありそうなシナリオである。

 現在の管首相、そして民主党政権は、先が長くないことは、衆目の一致するところ。鳩山氏は、そんな党の利益を考えるより、対米従属を利益とする党内外の勢力に追い詰められたことを暴露して、菅内閣崩壊後の自らの立場を、少しでもよくしたかったのかもしれない(もっとも、沖縄県民の怒りに火をつける結果となり、この思惑は失敗に思える)。

 前代の最高政策責任者の貴重な暴露発言である。民主党攻撃の材料の単なる材料ではない。外国軍隊の基地を国内に維持・・というより、日本を半占領状態に保ちたがっているのは誰なのか?検証のための重要な材料であろう。


軍事演習 (2010.11.25)

 軍事用語というより、政治性を帯びたマスコミ用語は難解である。たとえば「演習」。本来は、「訓練」と似た語義で、兵員の行動や作戦用兵の訓練のはず。純粋の訓練なら、地形や地理的条件が想定される戦場と似ていればよいので、兵力展開にともなう不測の事態を避けるためにも、仮想敵国に近くない訓練場所を確保するのが便宜であろう。

 しかし、実際の「演習」は、仮想敵国に近接した地域で行われることが多い。これは、「演習」を装った兵力展開(開戦準備)か示威行為を疑わせるものである。たとえば、往年の日本軍は、関東軍特別大演習などと称して、旧満州のソ連国境付近に兵力を展開していた。その当否はともかく、これが後日、ソ連による対日参戦の口実に利用された。

 朝鮮半島では、北朝鮮による砲撃で韓国側に死傷者が出たらしい。北朝鮮側は、この砲撃を韓国軍の「演習」への対抗措置としている。そして、先に発砲したのは韓国側であると主張する。日本ではほとんど報道されないが、この点に関しては、韓国側も歯切れが悪い。発砲を自認しながら、「北朝鮮側でなく西に向けた発砲」などとしている。

 仮に韓国側の「演習」に挑発されたとしても、都市・集落への砲撃が絶対に許されるはずもない。しかし、韓国側の「演習」が口実を与えたことは、否定できない。今月末からは、米韓の軍事演習が黄海で行われるらしいが、北朝鮮のみならず、中国も刺激し、更なる軍事衝突の口実とされないことを望むほかない。


「国益」 (2010.9.30)

 領土問題(2010.9.24)で申し上げたことに関して、少し誤解しておられるらしい方から、メールをいただいたので、「国益」に関して補足しておきたい。筆者は、尖閣諸島などの小島を支配することが日本にとって有利と単純に考えるわけでもないが、仮に、これを「国益」としたとき、日本側にとって、最善の行動が何かを思考実験することには、日本政府(もちろん、菅や前原らの民主党政権)の意思を検証するという意味もあろう。

 日本政府は、中国漁船の衝突事件に関し、「東シナ海に領土問題は存在していない。尖閣諸島は日本固有の領土であり、主権をしっかり守っていく(前原)」と主張する。「国益」に敏感な国民の中には「領土問題は存在していない」などの主張を、耳に心地よいと感じる人がいるかもしれない。

 しかし、このような主張は、明らかに国益(もちろん尖閣諸島の領有を日本の「国益」とする)に反する。尖閣諸島に関して、合理的に考えるなら、最善は、「現状維持」である。中国側がその領有権主張を引っ込める可能性がない限り、これ以上の選択肢はあり得ない。領有権を積極的に主張すれば、問題が表面化する。そして、その結果、すでに得ている支配を失う可能性が生じるからである。

 「国益」を考えるなら、ベストの解は「(双方の領有権主張に決着をつけないまま)今後も日本が支配を続けるので、静観してくれ」というスタンスを保つことである。そして、中国側も、強硬な領有権主張とは裏腹に、一貫して要求していたのは、漁船や船長の解放に過ぎず、尖閣諸島そのものの引渡しを求めていたわけではない。

 念のために付言すると、日本が現実に支配していない竹島(韓国などと領有権争い)や北方領土(ロシアが支配)については、これと逆の構造である。これらの領域を、現実に支配していない日本側にとって、問題化させても、失うものはない。「竹島の日」や「北方領土の日」などを制定し、定期的に領土問題を蒸し返すことが、日本の「国益」であろう。尖閣諸島との違いは、「どちらが現実に支配しているか?」、「争ったときに失うものを持っているのはどちら側か?」である。


領土問題 (2010.9.24)

 中国の漁船が、周辺海域にいた日本の巡視艇に衝突したとされる事件が発端で、尖閣諸島の領有権に関して、日中の政府間で緊張が高まっている。

 尖閣諸島は、領有権に争いのある領域だが、仮に中国側の主張を認め、これを中国領であるとしても、そこを平穏に航行する日本の公船に対して、故意に船舶を衝突させる行為は犯罪であり、その処罰など、適切な措置が必要であろう。(もちろん、日本側に違法な先行行為があって、正当防衛などが成立し得る可能性も否定する根拠はない。念のため。)

 日本政府は、「領土問題は存在しない。国内法にのっとって粛々と対応」とする。後段の「国内法」云々は、犯罪処罰の準拠法の問題なら、別段の問題はない。しかし、前段の領土問題の否認は、明らかに事実に反する。領有権争いを前提にすると、領土問題は厳然と存在するとせざるを得ないからである。犯罪処罰が目的なら、「領土問題と関係なく犯罪である。」と主張し、日本自らが処罰、あるいは、中国に引き渡しつつ、厳重な処罰を求めるだけで足りるはずである。犯罪事件に乗じた日本側の政治的な主張と非難されても仕方ない。

 領有権の争いのある領域(尖閣諸島)について、これを支配する側(日本)には、他国と領有権で争いを起こす利益は、一般的にはないはず。争いを棚上げして、領有を続けるだけで足りるからである。支配権を持たない側(たとえば、北方領土に対する日本側)が、折に触れて問題を再燃させたがるのと、逆の構造である。「領土問題は存在しない。」などの言辞で挑発するのは、何か別の動機を考えなければならない。と考えると、菅内閣は、中国との緊張を演出して、アメリカ海兵隊を沖縄に駐留させ続けたいのか?・・などと、邪推したくもなる。


日米同盟 (2010.9.12)

 民主党代表選挙の終盤戦。小沢・菅ともに、「官僚支配の打破」を唱えている。彼らだけではない。みんなの党は、参議院選で「脱官僚」を掲げて大勝している。少し前に戻るなら、例の小泉も「官から民へ」。「官」をたたくパフォーマンスは、ウケがよいらしい。

 官僚組織が効率的とも思えない。しかし、だからといって、「政治主導」にすれば、何かよいことがあるのか、それは政治家が実行しようとする「政策」しだいであろう。もちろん、「官僚支配の打破」は、この文脈では「政策」に含まれない。政策提言なしで、「官」を非難するだけでは、政治家の責任転嫁に過ぎない。

 政策提言があいまいな中で、ひとつだけ、「官僚」と「政治家」で、完全に一致しているらしい政策がある。「日米同盟」である。普天間基地の国外、あるいは県外移設を唱えていた民主党は、鳩山政権の成立後、数ヶ月間、時間かせぎをした後、自公政権の辺野古案に戻った。時間かせぎの間も、当時の岡田外相は、アメリカのご機嫌うかがいに終始していた。傍目からは、政権についたとたんに、「誰か」から因果を含められたように見える。

 この「誰か」を、戦前から続く「親英米派」、戦後の「対米従属派」などと称する陰謀史観もあるが(「ユダヤ」や「フリーメイソン」も!)、筆者は、これにコメントするつもりはない。正体不明の「支配層」などを相手にしても、政治的に意味があると思えないからである。しかし、東アジア共同体構想(鳩山政権が発足時にブチ上げたが、もう忘れ去られている)を封印しつつ、尖閣諸島などで中国との緊張を高めてまで、アメリカ海兵隊に駐留いただきたいのだろうか?政治家には、その提言する「政策」をご説明いただく責任があろう。


哨戒艦沈没 (2010.5.26)

 2010年3月に発生した韓国の哨戒艦沈没について、韓国政府はその原因を北朝鮮の魚雷と断定した。物証もありそうなので、韓国側の発表が真実に近いと思われる。ただ、動機の点で、不自然な点があるほか、水中音響をモニターしているはずの哨戒艦に探知されず、浅海で標的に向けて発射するという高度な潜水艦の運用が、北朝鮮にとって可能かなど、軍事面でも疑念が残る。

 これらについて、ここで断定することはできない。ただ、確実にいえることは、韓国・北朝鮮とも、「制裁」や「反発」など、緊張を激化させる方向を選んだことである。そして、何らかの理由で、沖縄にアメリカ海兵隊を駐留させたい日本政府にとって、この緊張は好都合らしい。「日米同盟」や「抑止力」という空虚で抽象的な文言に、何らかの裏づけを与えるような錯覚を誘う効果が見込めるからである。しかし、冷静に考えれば、緊張が高まっているのは、朝鮮戦争の休戦ラインであって、琉球列島や東シナ海ではない。貧弱な海軍力や航空兵力の北朝鮮軍が、沖縄上陸作戦を考える可能性はない。また、仮にテポドンが発射されても、海兵隊にその防御能力はない。

 蛇足であるが、この緊張に対する最善の解は、普天間のアメリカ海兵隊に、朝鮮半島へ移動していただくことであろう。海兵隊は本質的に陸上部隊なので、想定戦域に近いほうが実力を発揮できる。もちろん、機動力を重視するので、安全な滑走路が必要だが、韓国軍の航空基地を共用すれば、この問題も解決する。訓練施設にしても、仮に、北朝鮮を仮想敵国とするなら、できるだけ地形や植生の似た場所での訓練が望ましいので、朝鮮半島内がベストである。そして、韓国政府にも歓迎されるだろう。当然ながら、中国などが反発する可能性もある。しかし、アメリカの実戦部隊がソウル近郊に復活すれば(現在、在韓米軍は、司令部要員とごく少数の兵力のみを残し、朝鮮半島から撤退の計画)、現実の軍事衝突の危険性が下がることは間違いなかろう。北朝鮮などがアメリカ軍基地を直接に攻撃することは、軍事的な実力から判断しても、ちょっと想定できないからである。これが「抑止力」ではないのか?

 朝鮮半島の緊張を国内政治に利用して、「辺野古」などと拙速に決めることは許されない。


普天間基地 (2010.5.2)

 鳩山政権は、普天間基地の移設先について、訓練施設を鹿児島県に・・などと苦心しつつも、辺野古沿岸に滑走路を新設するという前政権と大差ない結論に達したらしい。

 鳩山は、就任直後に「抑止力の観点から、国内に基地が必要」と明言している。鳩山本人が気づいていたのか否かわからないが、何ヶ月かけても、他の移設先が国内に容易に見つかるはずもない。こんな発言をすれば、最初から海外移設の可能性が封じられる。「辺野古沿岸」は、ほとんど予測された結論だろう。うがった見方をすれば、最初から決まっていた結論を、時間をかけて小出しにして、世論の反応をさぐっていただけかもしれない。

 機動力を活用し、小兵力を効率的に運用し、できるだけ広範囲の戦面を確保するのが近代的軍隊の用兵である。もちろん、普天間基地も、宜野湾市や沖縄島を防衛する要塞ではない。アジア全域を含む広大な戦面を制圧すべく設置された米軍の軍事拠点のひとつである。これが、グアムやカリフォルニアでなく、沖縄や徳之島でなければならないかは、制圧すべき戦面と機動力との関係である。

 「県民の負担」やその「軽減」の問題は、鳩山なんかに説明してもらわなくても、現地にとっては明らかである。そんなことに言を費やすより、日本政府が説明すべきは、基地の軍事上の必要性である。仮想される敵は誰なのか?どのような軍事情勢を想定しているのか?この設問を抜きにして、沖縄に基地を置くべき必然性など、説明できるはずがない。

 たとえば、ありえない想定だが、北朝鮮による沖縄上陸作戦が現実に迫っていて、その防衛に海兵隊が有効なら、珊瑚礁の保護より軍事基地建設を優先すべきという結論もある。その一方で、少女強姦事件を惹き起こすような他国軍隊を沖縄県内に受け入れるよりは、中国の軍艦が尖閣諸島付近にご来航いただくのを甘受した方がマシという選択肢もあろう。その判断基準は、軍事上の必要性しかない。「日米同盟」や「抑止力」などというあいまいな言葉で、具体的な説明を回避しても、誰も「理解」しないし、「負担のお願い」を承諾することもなかろう。


迎撃ミサイル (2009.4.2)

 北朝鮮の「ミサイル」に関して、発射台に3段ロケットらしい物体が設置された衛星写真が公開されている。長射程の弾道ミサイルとしても2段式で足りるから、3段式ロケットとすれば、本物の人工衛星の可能性が高い。

 迎撃については、「日本に激突しそうな場合」とトーンダウンした。正常に飛行すれば、日本上空の飛び越すだけなので、迎撃の対象にはならない。打上げ失敗による落下物が心配といっても、日本国内、それも人家のある都市や集落に落下する確率はゼロに等しい。航空機が空港周辺に落ちる確率のほうがずっと高い。沖縄県では、ヘリコプターが学校に落下したことがある。横田基地でも、昨年には機体の部品脱落事故があった。国民の生命・財産を落下物から守る目的なら、羽田空港の航空路の下にでも迎撃ミサイルを配備したほうが役に立つはずである。

 報道では「人工衛星名目によるミサイル」と決め付けられているが、標的に激突させることを目的にしない人工衛星を「ミサイル」とするのは、適切な表現ではない。ミサイル開発を目的とすることを疑えないとしても、「人工衛星打上げによるミサイル技術の開発」が正確な表現である。

 ミサイル技術の開発が好ましくないのは当然としても、その機会を利用して、今にも日本国内に落下してくるかのような言辞で、迎撃ミサイルを陳列するのは止めていただきたい。


再びテポドン (2009.3.25)

 「人工衛星」の打ち上げを予告している国がある。日本政府は、「仮に人工衛星としても国連決議違反」などと称していたが、最近では、これを「ミサイル」と決め付ける論調になっている。

 「衛星」なのか「ミサイル」なのかは、打上げの角度と速度の微妙な違いに過ぎない。衛星打上げ用のエンジンを使っても、推力を少し小さく調整すれば、あるいは、燃料を少なめに搭載すれば、弾道軌道で地表に激突することになる。弾道ミサイル用のエンジンでも、重い弾頭のかわりに、たとえば最終段のロケットを搭載すれば、小さな衛星を地球周回軌道に乗せることもできる。ロケットの外見では、これらの違いを判別することはできない。人工衛星と軍事技術は極めて密接、というより、ほとんど同義。「テポドン」と同じ時期に、「日本人宇宙飛行士」が宣伝されているのは、皮肉としかいえない。

 仮に、某国の飛翔物体が「人工衛星を装ったミサイル」とするなら、計画通りであったとしても、数千キロ先の太平洋に落ちるはず。そして、これは、その軌道を注視している全世界に対して、衛星打上げ失敗の外観を与えることになる。この結果は、メンツを重んじる某国には堪えがたいであろう。このような理由からも、某国の飛翔物体が「ミサイル」とは、単純に考えることはできない。

 日本政府は、ミサイル防衛(MD)システムを使って、これを破壊することを決めたらしい。MDシステムは、命中率が非常に低いとされているが、今回のように、日付や発射地点まで、ほとんど判明しているケースで、迎撃に失敗すれば、巨額の税金を投入して購入したシステムの無能さが明らかになり、政治問題にもなる。

 もし、日本政府に迎撃の自信があるとすれば、発射時刻の事前通知など、何らかの密約もありそうに思える。うがった見方をすれば、衛星打上げの「失敗」を日本政府の責任にしたい某国と、MDシステムの実証に成功させたい日本政府との競演も疑われることになる。「脅威」を宣伝しても、軍事産業を利するだけであろう。冷静に「衛星」の失敗を見定めるべきである。


「竹島」 (2008.7.15)

 文部科学省は、日本と韓国が領有を争っている竹島について、「わが国が正当に主張している立場に基づいて」との記述で、中学校地理の指導要領解説書に記載するらしい。

 この日本海に浮かぶ小島が、どちらの国の「固有の領土」かは、(その後に割譲などの条約がないとすれば)「先に発見」あるいは「先に占有」という問題。日本側がその証拠としているのは、毛筆に造詣のない筆者にとっては、読解も困難な古文書。もちろん、韓国側にも韓国側の主張があり、その証拠とする文書などがあるはずである。

 そう考えるなら、この問題は、国際法で考えるなら、歴史上の事実認定の問題で、真偽があるはずだが、それを確かめるのは歴史学者の専門的な仕事。歴史学の高等教育以外では、教育現場に持ち込むに適しない。一方、政治的に考えるなら、日本と韓国の政府見解の不一致で、これは、政治的な意見なので、どちらが「正しい」などという問題にならず、そもそも真偽なんか決められないはずである。教育現場でも、一方の政治的見解に沿った教育ではなく、両方の見解を平等に紹介しなければならない(学校の政治的中立性。教育基本法14条)。

 中学校では、こんな専門的な問題について、日本政府の見解に沿わない意見を「誤り」と教えるのだろうか。日本国民には、あるいは、中学生には、政府見解に反する政治的意見を持つ自由はないのか?また、日本の中学校には、韓国国民である中学生も多数通学している。これらにも、日本政府の見解を押し付けるつもりなのだろうか?適切な教育行政をお願いしたい。


チベット問題(2008.5.2)

 このページでは、マスコミで話題の「聖火リレー」に触れなかった。ビジネスへの支障を恐れたわけではない。また、中国政府に近い関係者の反目を恐れたわけでもない。中国に関する知識があるつもりでも、チベットに関してはまったくの門外漢。チベット専門家諸氏の失笑を恐れたというのが本音に近い。しかし、「中国」を表題とするページである。このようなホットな問題に対する「沈黙」は、それ自体、一定の政治的主張と理解される可能性もある。このスペースを借りて、沈黙を破っておきたい。

 中国政府側は、1959年のチベット侵攻を「農奴解放」としている。そして、その後のチベット統治をすべて「内政問題」として、国外からの批判に耳を貸さない。その一方で、ダライラマ14世を暴動の扇動者のように言い募っている。

 「農奴」云々は、たぶん一面の真理を含む主張。欧米の一部では、「解放」以前のチベットを「理想郷」と漠然と考えているようだが、往時のチベットは、近代以前の社会であったことは確実である。また、ダライラマは、歴史的に考えると、チベットを支配した複数の氏族の妥協の産物で(有力氏族から交替で後継者を出せるから)、民主的に選ばれた指導者ではない。こんな事情で、侵攻を正当化できるかは別論だが、侵攻は半世紀前の事件である。決して歴史を忘れてはならないという意味と、そして、歴史を戻すことはできないという二重の意味において、(現在の問題なく)歴史上の問題である。

 一方、現在に目を転じると、抵抗運動(中国側は「暴動」とする)とそれに対する厳しい弾圧は、進行中の問題である。ダライラマ14世を扇動者とする主張には、何の根拠もない。ダライラマ14世は、公然と「非暴力」を唱えている。仮に、ダライラマ14世を含むチベット亡命政府が、裏で暴動を扇動していたとしても、ダライラマ自身の言動でその効力を減殺していることになる。そんな「扇動」に呼応するチベット人などいないだろう。抵抗運動は、自発的に行われていると考えるほかない。

 チベットの「独立」は、現在の国際情勢では、現実的と思えない。これは、経済的に考えると、中国からの投資を拒絶して、インドの衛星国となる途であろうし、そんなチベットの選択を、インドと友好的ともいえない中国政府が許すはずもない。「自治」なら、中国政府との妥協の余地もありそうだが、それでは解決しない。チベット人は、政治的自治だけではなく、漢人を進出させ、固有の文化を破壊する経済的な「改革」のストップを求めているように感じられる。

 ・・・ここまで、中国政府とチベット人(亡命政府)など、双方の主張にコメントしただけになったが、「聖火リレー」には、もっと興味深く、そして「戦争」とも深く関係する問題がある。少し日を置いてから書きたい。


イラク派遣に違憲判断(2008.4.18)

 わけのわからない「改革」で人気を得て、郵政解散時の総選挙で大勝した小泉内閣も、イラク戦争への対応では、国民の賛同を得られなかった。それでも、小泉元首相は「世論は間違えることもある」と称して、戦争支持を積極的に表明。開戦の口実とされた大量破壊兵器が見つからないことを問われると、「フセイン大統領が見つからないから、イラクにフセイン大統領が存在しなかったとはいえない」と詭弁を弄していた。

 今さら、5年近く前の小泉元首相の国会答弁を採り上げたのは、昨日(4/17)の名古屋高裁判決の報道で、あらためて無責任な発言を思い起こされたからである。報道によると、自衛隊が現にイラクで行っている「後方支援」活動について、憲法違反とする判断が示された。違憲確認と派遣の差止め、そして損害賠償を求める請求を却下ないし棄却しつつ、その理由中の判断で、「他国による武力行使と一体化した行動」であり、「武力行使を禁止した憲法9条1項とイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反」とする判決らしい。

 イラク特措法は、「戦闘行為が行われておらず」云々で「非」戦闘地域を定めるが、その対立概念であるべき戦闘地域を定義することがない。これは、戦闘行為の現場でなければ派遣可能というトリックだろうが、そんな現場に軍用機で他国の兵員や武器を輸送すること自体が「戦闘行為」である。もっと申し上げるなら、仮に何も輸送しなくても、軍用機が上空を通過するだけでも、戦闘行為となり得る。武器は、それで殺傷するだけでなく、その存在で相手を威嚇することも、その本来の用法だからである。

 今回の判決については、「結論に関係ない傍論で憲法判断を行うのは、下級審として越権」とする意見が流布されている。「蛇足判決こそ違憲」などとする一部マスコミ(もちろん、学者先生の言葉の引用)と、映画「靖国」を問題視した例の国会議員(-->「映画『靖国』」)などが、この判決の影響を減殺しようとしているらしい。「具体的な権利や義務に関する紛争ではなく、訴えは不適法」などとする判断なら、本案(訴えの実質的内容)に踏み込んだ判断は無用。しかし、損害賠償請求に関しては、「違法性」と「損害」の両方を審理し、判断しなければならない。本件では、「損害」を否定されて、原告の請求が棄却されているが、自衛隊派遣の違法性を先に審理したとしても、「蛇足」とはいえないだろう。

 政府は、判決で示された意見に反論があるなら、その内容に反論していただきたい。そして、その内容に正面から向き合っていただきたい(「自衛隊のいる場所が非戦闘地域」などという小泉流の詭弁は勘弁いただきたい)。


映画『靖国』(2008.4.3)

 本日までの報道では、複数の映画館がこの作品の上映を取りやめ、上映予定は、ついに大阪市の1館のみになったらしい「靖国」(表題の映画ではなく東京の神社の名称)は、政治的な問題(-->「靖国神社」)。これに関する「ドキュメンタリー」と称する映画なら、内容に賛否があって当然であろう。しかし、東京在住の筆者としては、国際的にも評価の高い作品を、できれば東京で見る機会を与えていただきたかった。

 上映をとりやめた映画館では、「近隣商業施設に迷惑が及ぶ」などとしている。「表現の自由」の問題ともされるが、映画館の側も上映作品を選ぶ自由がある。仮に、まったく理由を示さないまま、上映を拒否しても、それ自体を不当とすることはできない。(契約と裁判所の仮処分命令に反して、教研集会の会場提供を拒否した某ホテルとは、規模も、公共性の程度も違う。)

 この作品に関しては、自民党の国会議員らが公費助成を問題視していたらしい。国会議員によって、「反日的で中立性に問題がある」などとレッテルを張られた映画など、街宣車を動員する勢力にとっては格好の標的になる。国会議員の側も、この種の勢力からの支持を期待していることを疑われる。

 そもそも、助成金が「中立性」なんかと関係あるのか?助成金は、大学などの教育機関などに広く配布されているが、これらの研究発表の内容も、国会議員殿にチェックいただかなければならないのか?米軍基地に反対する自治体には、補助金を交付しないというやり方そのものを改めるべきでないのか?当の国会議員は、「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。」としているが、歯の浮くような白々しさを感じるのは、筆者だけだろうか?映画館などを責めるのではなく、この議員殿の政治行為を検証するほうが建設的であろう。


「国際公約」とは、憲法違反の密約 (2008.1.20)

 新テロ特措法が成立した。これでインド洋での給油が再開されることになる。筆者は、この是非には言及しないが、インド洋での給油を「国際公約」あるいは「対外公約」としてきた政府与党の説明には、疑念を禁じえない。

 筆者の理解では、「公約」とは、国会議員など公選による職に就くものが選挙民に対して行うもの。これがおそらく「公約」の原義であろう。この意味の公約は、選挙民の意思を実現する手段として機能している。もちろん、現実には、公約を守ったかどうかを判定する公的な機関があるわけでなく、また、国会議員の場合には、公約に違反したからといって、選挙民によるリコール(解職)もない。それだけに、公約の遵守は、政治家の責任である。

 しかし、安部氏や福田氏は、国際社会の選挙で選出されたわけではない。選挙民に対する約束という意味では、「国際公約」など、ありえない。「公約」という言葉を、「公的な場での約束」と拡大解釈するなら、外国との公的な約束は、「条約」として国会の承認を必要とするはず(憲法73条3号)。この手続きなしに、たとえばアメリカと密約をしたなら、それは憲法違反と評するほかない。

 政治家各位は、ブッシュとの密約などでなく、選挙民との公約を遵守していただきたい。


核実験 (2006.10.13)

 北朝鮮の「核実験」発表によって、アジアの緊張が高まっている。イラクのフセイン政権が、大量破壊兵器の「疑惑」だけで崩壊させられた一方で、国際社会から核武装を認められた常任理事国は、他国からの軍事攻撃にさらされたことがない。アメリカが開戦の口実としてきたのは、海外ににいる船舶への攻撃(第2次トンキン湾事件など)や国内のテロ。いずれも、今日では、アメリカ側の捏造(当時の国防長官マクナマラの著書)や自作自演(WTCビル爆破説もある)が疑われている。

 このような「現実」に接したとき、核保有によって戦争を未然に防止するという「核抑止論」にリアリティー感じる国家の存在も、残念ながら否定できない。しかし、仮想敵国の核保有を理由とした核武装は、自国の防衛のために、人類を破滅させる兵器を保有するという背理に過ぎない。核の拡散を防止しつ、核保有国にはその廃絶を求めていく以外に解決の道はない。

 安部首相は、「最も影響を受けるのは日本」などと発言しているが、難民の流入についても、軍事的脅威についても、「影響」は韓国に突出して表れる。韓国は、首都ソウルが以前から北朝鮮の火砲の射程内である。一方、北朝鮮のもうひとつの隣国中国は、仮に北朝鮮体制が崩壊すれば、中朝国境でアメリカ軍と対峙することになる。

 国の意思を示すため、政治的なパフォーマンスも必要であろう。ドル紙幣偽造に接したアメリカが、金融制裁にこだわるのがわからなくはない。しかし、経済制裁で北朝鮮国民を困窮に陥れるだけでは解決しない。この種の体制が、国民の飢餓などで崩壊しないことは、中国からの撤退を拒みつつ、石油禁輸で開戦し、その後食糧難に陥っても戦い続けた第二次世界大戦当時のの日本を見ても明らかであろう。国際社会は、北朝鮮の暴発と自滅など望んでいない。日本政府に求められるのは、アサリやマツタケの輸入停止ではなく、緊張緩和への努力ではなかろうか。


テポドン (2006.7.6)

 北朝鮮のミサイルが発射された。同国は、これを「国の権利」と主張している。その言葉にウソはない。直接の殺傷行為でもない限り、ミサイルの発射実験など、各国が自由に行うべき問題で、今までも行われてきた。バグダッドの人口密集地帯にミサイルを落したアメリカような明白な国際法違反はない。

 こんなことを書いているが、筆者は決して北朝鮮を擁護しているわけではない。「国際法」という観点では、北朝鮮の貨客船の入港を禁止するのも各国の自由。貿易や送金を制限するのも自由。もちろん、北朝鮮に「食糧支援」をする義務など、どこの国にもない。ミサイル発射の現実の効果は、厳しい「経済制裁」による報復である。当然ながら、ミサイル発射が国際法違反でないのと同じレベルで、経済制裁も国際法違反でない。ついでに申し上げると、北朝鮮が軍事力をアピールすればするほど、ブッシュや小泉のような戦争屋を喜ばせるこことになる。

 中国外交部ではないが、双方に冷静な対応を望みたい。「脅威」を宣伝して利益になるのは軍需産業だけであろう。


イラク撤退 (2006.6.28)

 日本政府もついに、陸上自衛隊をイラクから撤退させ始めた。地上軍派兵は、どんな成果を挙げたのかまったくわからない。報道されたのは、宿営地の建設と給水活動の訓練だけ。まあ、宿営地建設と解体にイラク人労働者を雇用したらしいので、雇用対策にはなったかも知れない。結局、ばら撒いた金だけが評価されたということなのだろうか?

 一方、日本国内では、大戦果。首相小泉は、1945年の敗戦後はじめての「海外派兵」という実績を作ることに成功した。

 撤退の理由も疑念を誘う。報道では、「治安権限のイラクへの委譲」にともなう措置とされている。しかし、派兵理由は、治安維持なんかではなかったはず。治安維持は、同地域を占領する他国軍に任せ、日本の陸上自衛隊は、「復興を支援」するはずではなかったのか?

 ブッシュ政権が徹底的に破壊したイラクである。わずか3年で復興が完成したなどとは、到底いえるはずもないだろう。復興を支援する気があるなら、治安権限を回復したイラク軍に、武器弾薬の管理を委ね、自らは武装を解除して、イラク人のために、郵便配達でもさせたらどうなのだろうか?その方がイラク人に喜ばれるはずである。

 最初から、国内向けの「実績作り」であった地上軍派兵は終わった。しかし、航空自衛隊は、今後も活動範囲を拡大させて、アメリカ軍の物資を運び続けるそうである。


少子化 (2005.10.19)

 日本の人口が減少に転じた。労働人口の減少など、少子化の弊害が指摘されている。小泉内閣は、少子化担当大臣まで設置したが、「富国強兵」を想起するのは筆者だけだろうか。「進め一億火の玉だ」と呼号された1940年代の日本の人口は、せいぜい8000万人台。誇大な数字を並べたのか、それとも当時の植民地の人口を加算したのか、真相はわからない。そして、この標語は、戦争末期には「一億玉砕」に変わる。

 少子化は、ほとんどの先進国に共通の現象らしい。18世紀末に、人口の指数関数的増大を予言した経済学者(?)がいたが、実際には経済発展にともなって、食糧に比例して人口増加。そして、ある段階で、増加がストップするのが世界史的な法則なのだろうか。

 ヒトには、子を作ろうとする欲求があるはず。これは、倫理観や価値判断でなく、「仮に子を作りたがらなかったら、種として絶滅しているはず」という生物学的な問題。これに反して、人口が減少するのは、社会のゆがみ(社会の一部で食料不足)も疑われるが、日本で餓死者はほとんどない。生物学的なレベルで考えるなら、「増えすぎた人口を調整する欲求」とでも考えておくしかない。

 一方、世界的に考えると、現在の人口は推計で60億人程度。増加の一途で、人口対策の方が話題になっている。少子化担当大臣閣下のご活躍も結構だが、「先進国の身勝手」は、長い目で見て、国にとってもマイナスとならないか、心配である。


靖国神社 (2005.10.19)

 10月17日、小泉純一郎が靖国神社を「参拝」した。国内のほか、中国や韓国などから強い非難を浴びることに配慮してか、恒例であった記帳などを行わず、拝殿前で礼拝するだけという一般参拝者と同じ形式の礼拝となった。

 首相も個人として、内心の信仰に限らず、礼拝や布教の自由を有する(信教の自由)。首相であるという理由で、宗教施設での礼拝を制約すべきではない。また、個人としての礼拝が、ただちに政教分離原則に反するとも思えない。神道を信仰しない筆者であるが、この点には異論がない。憲法訴訟などで「首相公式参拝」が争われてきたが、今回のように「一般参拝者と同じ形式の礼拝」までを、「違憲」とするには無理があろう(公用車を使用したことなどは議論されなければならないが)。

 信教の自由や政教分離原則は、宗教活動を公権力の干渉から守ることを主眼とする。しかし、神社神道(神社本庁のほか、「國」神社などの一部の単立宗教法人)は、現行憲法下においても、一貫して「皇室の宗教」であることを強調し、国家との関係を求めつづけてきた。靖国神社は、軍人・軍属の死者を「英霊」として礼賛しつつ、「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命(靖国神社ホームページ)」との強烈な政治性を隠そうとしない。靖国神社問題の本質は、この政治性である。

 数ある礼拝施設から、政治性の強い靖国神社を選ぶこと自体が、小泉純一郎の政治活動である。もちろん、マスコミ注視の中での「参拝」は、その支持基盤を意識してのものと考えるほかない。繰り返して申し上げるが、首相といえども、私的礼拝は法的に許される。しかし、これを政治的に許容すべきか、あるいは、非難すべきかは、靖国神社の政治性に共感するか否かという政治的問題である。


テロとの「戦い」 (2005.9.12)

 日本の衆議院選挙では、自民党が圧勝した。小泉の政治手法に反発し、これを議会制民主主義の否定などと称した自民党の抵抗勢力は、国民の支持を得られなかった。抵抗勢力がイメージする「民主主義」は、それぞれの支持基盤を持つ議員が政党を組織し、議員による多数決で政策を決めることであろう。反対派の考え方では、政党は「政策が先」なのではなく、「議員が先」なのである。小泉の政治手法が新鮮に見えたのは、「議員が先」を否定して、内容はともかく、「政策が先」を打ち出したからであろう。この意味では、自民党も、ようやく議員集団を脱皮して、政策中心の近代的な政党となったのかも知れない。

 わかりやすい「敵」を作り、これとの「闘争」や「戦争」を演出すれば、効率的に支持を集められる。小泉は、選挙期間中に、「古い自民党と決別し、国民に訴える」と唱えていたが、これは、郵政関係者などのかつての支持基盤の一部に「敵」としてレッテルを貼っただけで、郵政改革の必要性や有益性の議論と関係ない。「テロとの戦い」を演出し、イラクを占領した某国大統領と同様の手法である。現在に至っては、フセインはただの独裁者で、イスラム原理主義者との関係はないとされている。少なくとも、9.11(北米の同時多発テロ)とフセインを結びつける状況証拠さえない。「テロとの戦い」がなぜイラクと関係するのか、「古い自民党」がなぜ郵政改革と関係するのか、政治家には説明する責任がある。ちゃんと説明できるか否かは、まともな政党政治とファシズムの分水嶺である。

 2年前には、「世論は間違えることもある」などと公言し、世論を無視してアメリカのイラク戦争支持を表明した小泉首相である。選挙結果で世論の支持を得たとして暴走しないようにお願いするしかない。ついでに申し上げておくと、指導者の暴走を食い止められるかも、まともな政党政治とファシズムの分水嶺である。


悪寒を誘う人質事件での日本政府の行動 (2004.4.13)

 報道によると、日本人の市民活動家や報道関係者が、イラクの武装グループに監禁され、自衛隊の撤退を求める人質となっているらしい。家族の心労も察するに余りある。「人質」という手段で、政治目的を達成しようとする武装グループに怒りを感じるとともに、当然ながら、一刻も早い解決を望みたい。

 一方、日本政府の対応は、悪寒を誘うものである。自衛隊の派遣に反対する筆者であるが、「脅しに屈しない」という理由で、自衛隊の撤退を拒むのは、理解できなくもない。衆議院議員でもある首相小泉純一郎が、自分の選挙運動で、自衛隊派遣の正当性を主張するのも、同人のご自由であろう。しかし、政治的背景のある事件で、この「解決」を求めるなら、武装グループに伝えるべきは、「人質は、日本政府と政治的立場が違い、自衛隊派遣に反対している」というメッセージではなかろうか。

 外相川口順子のように、わざわざ衛星放送を通じて、自衛隊派遣の正当性を主張したり、首相小泉純一郎にように、アメリカ副大統領と会談し、「人質救出」に占領軍の協力を求めるなどは、自衛隊を占領軍の一部とみなし、その撤退を求めている武装グループにとっては、「人質を殺せ」というメッセージにしかならない。人命を尊重するためにも、節度ある発言をお願いしたい。というより、政府の対応を見ていると、人質が生還すると都合が悪いので、殺してほしいかのように感じられる。

 もう一点、気になる兆候を挙げておく。マスコミは、人質家族の「自衛隊撤退要求」を報道しない。家族の記者会見でも、「解放を切に願う」という一節だけを切り取って報道し、家族が「撤退」を要求していることには触れたくないらしい。自衛隊派遣には、賛否両論があるのは当然として、人質の解放を願う家族が、自衛隊の撤退を求めるのは当然であろう。マスコミとしても、武装グループに正しいメッセージを届けることは、当然の責務である。


戦争関与者の心理 (2004.3.15)

 先月末には、地下鉄サリン事件などで殺人罪などに問われたオウム真理教松本智津夫被告に死刑が言い渡された。報道によると、8年近く前の初公判以来、250回以上にも及ぶ公判が重ねられ、とりあえずオウム真理教関係者の一審判決は出そろったようである。

 誤解を招かないため、あえて断っておくが、裁判所の事実認定が正しいとすれば、松本被告その他のオウム真理教信者(元信者)に対する厳刑は当然と考えている。また、筆者は、裁判所の事実認定を覆すような情報を持っているわけではない。その意味で、本稿は、決して、この刑事裁判の「不当」を主張するものではない。

 筆者が違和感を覚えるのは、松本智津夫被告やオウム真理教関係者を異常な人格を持った殺人鬼として描く報道である。一審判決の事実認定を前提とすると、松本智津夫被告は、平気で殺人を命じているが、これは決して人格的な異常ではない。

 たとえば、「軍隊」という集団に投じられたとき、その大多数は、命令に従順に淡々と殺人を犯すことになる。もちろん、多くは民衆あるいは敵兵の殺害にちゅうちょを示すだろう(それでも命令を遂行する)。しかし、信条や正義感に駆られて、主体的に殺人を実行する一部の者がいる。戦争の恐ろしさは、ごく「普通の人」が殺人や放火を犯すことであって、個人の異常な性格ではなく、集団の狂気の問題である。ここまでは、歴史上に多くの例がある。「オウム真理教」の内部も、似たような状況ではなかろうか。

 最初に断ったように、筆者は、殺人犯の厳罰を支持する。殺人は個人の行為である。「集団の狂気」を適当に酌量しつつも、その責任は追求されなければならない。もちろん、命令によって戦闘地域またはその隣接地域に派遣された自衛隊員や、これを命令した者も例外ではない。仮に、イラク国民に発砲する事態が起これば、その責任を追及されなければならないであろう。


自衛隊派遣と武力行使 (2004.2.18)

 イラクに陸上自衛隊が派遣されて1ヵ月になる。日本政府は、昨年のアメリカによる侵略開始とともに、これを支持し、「復興支援」を表明してきた。占領行政は、占領軍の責任であるから、「復興支援」は戦争への非中立的な加担であろうが、政策の当否はともかくとして、ここまでは憲法の問題ではない。誤解されている向きがあるかも知れないが、日本国憲法は、「戦争放棄」を定めるだけで、中立を定めているわけではない。ベトナム戦争の例でもわかるように、アメリカの戦略に対する非中立的援助は、歴代の内閣がとってきた伝統的政策に過ぎない。もっとも、小泉の「復興支援」の表明は、違法な戦争が開始された時期における「支持」の表明として、形式的には、殺人幇助も成立し得る。この法律的な問題については、「小泉と川口の日本刑法による可罰性」を参照していただきたい。

 そして、今回、日本政府は、歴代の内閣によって守られてきた一線をついに踏み越えた。「武力行使」である。小泉は、陸上自衛隊が派遣されたイラク南部を非戦闘地域であると説明し、国会でも「非戦闘地域」の意義について論戦が行なわれた。しかし、これは本質的な問題ではない。イラク南部では、現に、武装勢力による攻撃が絶えない。これを「テロ」と呼び換えてみても、イラクで何らかの武装勢力が活動していることは疑えない。武装勢力が活動する地域、あるいは、これに隣接する地域に、武器を持った自衛隊が存在するだけでも、武力の行使にあたる。自衛隊派遣は、非中立的援助を超える「武力行使」と考えるほかない。

 そもそも、武力行使とはどのようなことなのだろうか。護身のために銃を所持するだけで、銃を「使用」することにはならない。武器を持った自衛隊も、日本国憲法が禁じる「戦力」ではあっても、その存在だけで、「武力行使」とするに足りない。しかし、銃の「使用」は、発砲だけに限らない。銃をつきつけ、相手の抵抗を制圧するのも銃の使い方のひとつである。このような段階にいたれば、銃の「使用」にあたる。自衛隊は、武装勢力に銃を向けている。これは、武装勢力に対する武力行使そのものである。「人道支援」のみが宣伝されているが、「治安維持」も自衛隊派遣の目的のひとつらしい。


ウダイとクサイは戦闘員か? (2003.7.24)

 米軍は、イラク北部のモスルでフセインの2人の息子、ウダイとクサイの殺害したと発表した。この真偽は不明だが、ブッシュはこれを「戦果」として強調した。殺人事件として捜査する意思はなさそうである(アタリマエだが)。

 仮に、ウダイとクサイが、何らかの重罪を犯した「犯罪人」とすれば、占領地の行政を担任する占領軍には、処罰の権限がある。占領行政権の行使として、裁判を経て処罰することができる。しかし、裁判なしに彼らを殺害するのは、単なる殺人である。たとえ、彼らが逮捕を拒んで抵抗したとしても、正当防衛などの要件を満たさない限り、それによって殺害が適法化されるものでもない。逮捕を拒んで逃げるのは、「犯罪人」の当然の権利である。

 この殺害を適法化できる唯一の可能性は、ウダイとクサイを「戦闘員」と考えることである。往時の戦争法規では、戦争を原則として国家の適法行為と考えていて、戦争中に行われる敵国資産の破壊や敵の戦闘員の無警告殺傷は、一定の条件で、正当な戦闘行為とされた。報道によると、ウダイについては、「サダムフェダイーン」と称する民兵組織の指揮官とされている。筆者も、彼らがイラク兵力に属する戦闘員とする考え方を否定する情報は持っていない。アメリカとイラクが戦争状態であり、しかもウダイとクサイがイラク兵力に属する戦闘員とすれば、もちろん戦争そのものの違法性は別論として、この殺害は戦闘行為として正当化し得るであろう。

 しかし、これは、同時に、イラク北部のモスルが現に行われている戦争の戦闘地域であることを証明することになる。自衛隊の派遣を可能とする「非戦闘地域」など、イラクのどこのあるのだろうか。


バグダッド占領 (2003.4.10)

 日本時間の昨日夜に「バグダッド陥落」が伝えられた。侵略軍が首都を含む広範な地域を支配下においたらしい。首都以外の戦況を度外視しても、これによって、占領政権を樹立すべき政治的条件が整ったことは間違いない。お願いしなくても、アメリカ主導の強力な軍事政権を作っていただけるだろう。そして、熾烈な残党狩りが始まる。そして、イラクでもアメリカ人のために、イラク人同士が血を流す事態を恐れざるを得ない。占領政策に抵抗する民衆は、当分の間はすべて「フセインの残党」と呼ばれるであろうから、残党は増えつづけるであろう。アフガニスタン占領も、まだ終結していないことを指摘しておきたい。

 戦争の口実が「大量破壊兵器の脅威」から「武装解除」に、そして、開戦直前には「フセイン排除」に変わるご都合主義を見ていると、これらの口実の裏にある「陰謀」を詮索したくなるのは健全な理性である。しかし、こんな不合理な戦争を仕掛けた人々の、考え方を想像するにも及ばない。ネオコン(あるいは国際金融資本)の陰謀論などは、憶測記事が専門の週刊誌にでも任せておけばよい。侵略軍の言動から確実に判断できることは、イラク全土の占領を目的としていることである。結果は、アメリカに抵抗するアラブ諸国への見せしめとしては、完璧である。周辺の産油国は、「ドル決済」を拒んでイラクの二の舞になることを避けるに違いない。そして、表面上の従順とともに、反米感情はより強化されるに違いない。

 この戦争は、アメリカにとっても多大なリスクを負う。世界最大の債務国を支えてきたドルの信認が、巨額の戦費とアラブ諸国に広がる反米感情のため、今回の戦争でさらにゆらいだ。ドル暴落の危険は高まっている。アメリカは、紙幣を印刷するだけで世界から際限なく借り入れができるという基軸通貨の特権を失う可能性も高い。もっとも、今やドルの過半はアメリカ国外にあるから、ドル暴落で大損失を受けるのは、原油代金をドルでいただくしかない産油国と、日本などのアメリカ衛星国である。これ以上アメリカに追随して、日本経済まで破滅させないように、日本政府にはお願いしておきたい。


国際社会 (2003.4.5)

 一片の大義もない戦争に突入して、17日が経過した。報道される戦況は混沌としている。アメリカの発表では、首都中心部まで侵攻とするが、大規模な戦闘は伝えられない。「短期終結」を唱えるアメリカ側の政治宣伝と考えるべきであろうか。少なくとも、本日現在では、まだアメリカによる完全制圧を伝えられる都市は、ひとつもない。憶測できることは、アメリカ軍は、急速に進撃し、広い無人の砂漠を占領下に置いたが、都市の占領はこれからということであろう。イラク民衆の大半は、フセイン政権が掌握していると考えてよい。この後、アメリカによる兵糧攻めで都市が急速に崩壊するか、それとも待ち受けるイラク軍と猛烈な戦闘になるか、そのうちに結果が出る。

 フセイン排除を唱えて始めた戦争だが、フセインが死んでも戦争は終わらない。戦争開始の数日間のイラク民衆の対応でも、それは明らかである。アメリカが事前に宣伝した、「解放軍」対「独裁者」ではなく、「侵略者」対「イラク民衆」の構図が明確になってしまった。占領地では、激しい抵抗が行われるであろう。どこかの国の首相は、参戦国でもないのに分不相応にも「降伏勧告」などを口にするが、仮にフセインが降伏しようとしたら、反フセイン派がクーデターでこれを殉教者に仕立ててでも継戦の可能性がある。民衆の生命を救う方法は、侵略軍の撤退以外にない。

 いずれにしても、今回の戦争で、アメリカの独善的な態度が全世界に明らかになった。ブッシュの演説では、アメリカ流の「自由と民主主義」が根源で、これの伝道者たるアメリカの行為は正義、そして、その正義を実現すべき国連が機能しないので、アメリカが血を流して実行するとしている。国連(安保理)のみが戦争を発動し得るという国連憲章の規定や確立された国際法である内政不干渉の原則など、まったく無視である。

 「正義」を振りかざしながら、民衆を虐殺するアメリカの独善的な姿勢には、多くの国が憤りながらも、その強大な力に逆らえないと考えているようである。アラブ各国の指導者は、フセインの「次」の標的にされることを極度に恐れている。現に、イラン、シリア、そしてエジプトなど、アメリカの戦争屋に名前をあげられている国はたまらないだろう。その一方で、これらの国の民衆の間では、イラク支持が強まっている。周辺国では嫌悪されていたはずのフセインまで、アラブの英雄になりつつある。一方、アラブ諸国を除くと、確信犯のイギリスとスペイン以外の各国は、戦後処理の分け前にあずかろうとして、アメリカにすり寄る姿勢を見せつつも、不快感を隠さず、おおむね戦争に反対する姿勢を崩していない。

 このような世界の大勢と比べ、ブッシュの参戦演説から数時間で「支持」を表明した日本政府の対応は、国際社会で際立っている。トルコのように、アメリカから巨額の援助を取りつけて、態度を軟化させたのとも異なり、日本の場合は、他国を買収する資金さえ進んで献上しかねないようすである。そのアメリカ追随ぶりは、見ていて恥ずかしくなる。

 なお、本日の報道では、アメリカは、フセインを除くことができなくても、イラクの大部を占領した時点で、「勝利」を宣言し、占領政権を樹立する計画らしい。新政権の首班は、親イスラエル派のアメリカ退役少将ガーナーが噂されている。イラク占領が戦争目的であって、「独裁者を倒す」などは開戦に向けた口実に過ぎなかったことが明確になった。

 日本政府にお願いしたい。「新政権」を承認するなら、首都、その他の大都市の実効支配を確認してからにしていただきたい。砂漠だけを占領して民衆を支配しない「新政権」を、世界に先立って承認するなどのまねを決してしないでいただきたい。恥の上塗りになる。ただでさえ、理性の存在すら疑われている日本を、これ以上、国際社会で孤立させると、海外で仕事をする日本人は、恥ずかしくて街を歩けなくなる。


アメリカを救え (2003.3.28)

 今回は、ちょっと趣向を変えて、アメリカ側の視点で戦争を見たい。決してイラクのことを忘れているわけではないが、ここ数日、報道が途絶えがちである。日本に届く報道は、(質は問題だが)量的にはアメリカ側から発せられたものが圧倒する。アメリカ側からの情報が途絶えると、その戦況悪化を憶測する以外に、イラクで起きていることを知ることもできなくなってしまう。ご了承いただきたい。

 アメリカ側は、民衆の蜂起に期待していたとされている。反対派に対するフセインの苛烈な弾圧は悪名高いし、イラク国内には、フセインに対する反感も高いと思われる。しかし、アメリカは反フセイン派などを支持してこなかったし、今も支持していない。占領に好都合な降伏と蜂起に期待しているだけである。アメリカが待望する「反フセイン派」が「原理主義者」や「過激派」であったら、あっさり弾圧されることになる。これだけ国土を蹂躙され、多数の民衆が殺された後である。その可能性が高い。結局は、抵抗する民衆を弾圧し、アメリカによる直接統治、それも銃を背景にした苛烈な軍政しかなさそうである。アメリカは国連の関与も拒んでいる。

 圧倒的な装備を有するアメリカ軍である。その軍事力のモノをいわせれば、自軍兵士だけでも何千人もの人的損害と、世論の非難に耐えられるという条件の下であるが、いずれは、バグダッドのみならず、イラク全土の軍事制圧が可能かも知れない。しかし、その後に待ち受けているのは、解放軍を迎える群衆ではなく、軍事占領に抵抗するゲリラとの戦争である。イラクの抵抗は、フセインの死によっても終わらないであろう。そして、アメリカに対しては、国際社会の賞賛ではなく、国際世論の包囲攻撃である。さらに、悪夢は、サダム・フセインがその生死にかかわらず、「英雄」としてアラブの民衆に祭り上げられる可能性があるということである。

 アメリカの戦争指導者は、開戦前に、このような事態を予想していた可能性がある。開戦直前の「最後通告」で、「武装解除(降伏)」ではなく、「フセイン亡命」を求めた理由も、これで納得が行く。生命・財産と引き換えに国を出た指導者は、英雄の資格を失う。「早期終結」は、開戦を容易にすべく意図的に作られた宣伝に過ぎず、戦争指導者たちは、最初から長期戦と長期の軍事占領を待望し、その方が儲かるとでも考えていたのではなかろうか。アメリカ自身にとっても、決して最終的な利益になるわけもないが、作戦が有利に展開すれば、それでも国内世論の支持が得られると考えていたのであろう。そうだとすれば、この宣伝に乗って、「短期戦」の願望を公言していた某国首相とこれを支える与党各位は、全世界に恥をさらしただけである(退陣をお願いしたい)。

 「意図」や「動機」が問題となると、どうしても憶測と不確実な状況証拠に頼らざるを得ない。憶測を連ねるのはここまでにしよう。苦境に陥ったアメリカを救うために、ブッシュ氏とネオコン戦争屋の「国外亡命」や「殺害」などと無粋なことは申し上げない。政権内部の何人かをスケープゴートとして辞めさせるだけで、収拾がつく。ブッシュ氏は再選をあきらめて次の選挙までおとなしくすればよいし、ブッシュ氏もスケープゴートの諸氏も、生命も財産も保障されて、アラブ諸国の一部に観光旅行をしようなどと思わなければ、何の不自由もない余生を過ごすことができる。アメリカを救う道をよく考えていただきたい。


いつか来た道 (2003.3.25)

 開戦後数日間の米英そして日本政府の発表を聞いていると、1世紀ほども時代を逆戻りしたような感覚を覚える。いわく「悪の枢軸」、「ならず者政権」、「脅威を除くため」、「正義」そして「神の加護」である。ご意見としては賛同できる点もあるが、こんな言葉を並べた宣戦布告で戦争が正当化されたのは、せいぜい20世紀初頭までである。

 往時の国際法では、戦争は国家間の紛争を解決する合法的な手段であり、開戦前の宣戦布告や最後通牒を欠く戦争や、陸戦・海戦の諸規定に反する殺傷行為のみが戦争犯罪とされていた。これに対して、第二次世界大戦後の国際法では、国家間の紛争は、平和的手段による解決が求められ(国連憲章33条)、戦争は、自衛の場合を除き(同51条参照)、安保理が行うもののみが適法とされるに至った。国連や安保理が常備軍を有するわけではなく、安保理決議に基づいて、各国の軍隊が用いられるが(いわゆる「国連軍」)、戦争の主体は、各国ではなく、あくまで安保理である(国連憲章42条参照)。仮に安保理決議に違反する国があっても、これを戦争で解決し得るのは、安保理のみである。換言すれば、一方の当事者が国連軍である場合のみ「合法的」な戦争となり得る。なお、「ならず者政権」の「脅威を除くため」の先制攻撃などが、自衛権の行使でないことは言うまでもない。

 また、ゲリラ戦に苦しむアメリカは、これを「戦争法違反」と言い出す始末である。往時の陸戦法規では、戦闘員による非戦闘員の殺傷が違法であることは当然であるが、非戦闘員による戦闘行為も違法とされていた。「ゲリラ戦」は、戦闘員が行った場合は間諜として処罰の対象となり、非戦闘員が行った場合は反乱として戦争犯罪とされた。今日でも、この陸戦法規が無効化したとは言えないが、このような考え方は、制服を着た正規軍同士が正々堂々と戦うことを理想とした時代を背景にした思想である。ゲリラ戦によって、圧制あるいは侵略に対抗した歴史を持つ国も多い。イラクの市民の上に爆弾をばらまくという、往時の戦争法規に照らしても最悪の戦争犯罪に対抗する道は、もし可能とすればゲリラ戦しかない。アメリカは、アメリカ軍を歓迎しながら従順に白旗を挙げるか、それとも、旧式戦車に乗ってハイテク兵器に簡単に撃破される敵を想像していたのであろうか。笑止である。

 1941年の「対米開戦」の詔書は、中国や米英を非を唱えつつ、「皇祖皇宗ノ神霊」を持ち出し、「東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス」と締めくくっていた。ブッシュ氏の開戦演説とほとんど同じ言葉と思うのは、筆者だけであろうか。ブッシュ氏が往時の戦争マナーをお好みなら、この戦争の解決のために、「イラクからの即時無条件撤退」のみではなく、「イラクに対する賠償」もお願いしたい。それが20世紀初頭までの戦争マナーである。


「協調関係」 (2003.3.19)

 対等の関係では、「好意」や「謙譲」、あるいは「相手に対する遠慮」は、肯定的に評価されるとは限らない。たとえば、相手の経済状態に配慮して、貸金の返済を厳しく督促しなかった場合、突然にこれを訴求すると、「時効」や「黙示の贈与」などと言われて対抗される。そのときになって、「恩を仇で」などと怒っても、相手からは、「権利の濫用」などと言われることになる。相手に譲歩し、あるいは援助するなら、「どこまで」と「見返りに何を」を明確にし、これを相手にも知らせることが、対等の関係を保つために必要である。言外の見返りを期待した甘い好意などは、相手に通じないばかりでなく、信頼関係を損なう原因となる。

 アメリカの武力行使を「支持」するという小泉首相の会見を見て、言葉を失うほどの怒りを感じつつも、失笑を禁じ得なかった。小泉氏は、支持する理由として、次のように説明する。

 (1)アメリカの武力行使は国連決議に照らして正当化が可能、
 (2)アメリカ大統領も苦渋の決断、
 (3)日米同盟関係の重視、
 (4)アジアの隣国との緊張関係

 (1)は、その「国連決議」が武力行使を内容とするものか否かという解釈の問題である。安保理決議1441のどの章句が武力行使の根拠となるのか。10年以上前の安保理決議によって、停戦を経た後でも武力行使が正当化されるのか。結論は、小泉氏自身が数週間前に主張したように、武力行使を内容とする「新たな決議」を求めるほかない。イラクに決議違反があったとしても、これは新たな決議を求める理由ではあっても、イラク国内に爆弾を落とす根拠とはならない。
 (2)以下は論外である。純心情的な(2)は噴飯ものであるが、(3)または(4)についても、仮に、「日米同盟」のために対イラク攻撃を支持するなら、たとえば安保条約のどの条項に基づくのか明確に示さなければ意味がないし、某隣国との「緊張関係」を理由にするなら、その脅威を除くべく、どのような軍事的な約束がアメリカ軍とあるのか、これを説明しなければならない。それを説明していただけるなら、日本国民は、戦争犯罪に手を染める得失を自ら判断するであろう。
 まさか、小泉氏自身、そして小泉会見の原稿を作った官僚諸氏が、尻尾を振って大国に甘えたら可愛がってもらえるなどと、本気で信じているわけでもなかろう。国際社会では、相手にもされない不可解な理由でも、日本国民には通用すると考えているのだろうか。


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