|
戦争特集 |
BRICSサミット(2024.10.23)本年10月22日から、ロシアのカザンで拡大BRICSサミットが開催された。 BRICSは、その名称の由来となった5か国(ブラジル、ロシア、・・略)のほか、エジプト、エチオピア、イラン、アラブ首長国連邦が加わり、9か国体制の会議体である。 今回のカザンでの拡大BRICSサミットは、加盟国である9か国のほか、招待国を合わせた36か国が参加。プーチンによる「ロシアはBRICSの世界的な影響力を強化し、世界と地域の課題を解決するよう努めている」という演説で開幕した会議だが、注目すべきは、やはりその出席者。参加36か国にうち22か国は首脳が出席。中国の習近平主席、インドのモディ首相、トルコ(現時点で加盟国でない・・インドが加盟拒否)のエルドアン大統領など、影響力のある首脳らが演説し、プーチンと個別会談を行った。国連のグテーレス事務総長も参加して、プーチンと会談するなど、各国がこの会議を重視していることがうかがわれる。 ロシアやプーチンへの好悪はご自由。筆者もプーチン個人を好まない。この人は、鈴木宗男や安倍晋三、そしてトランプなどとウマの合う国家主義者である。しかし、ロシアは、国際社会で孤立した存在では決してない。今や、米国と並ぶ世界の極。ソ連崩壊から30年弱で、大きな存在感で復活した強国である。米国の一極支配ともされた世界の構造を変えたという意味では、ロシアの強大化は、世界史の事件としても数十年に一度レベルの大事件であろう。実際にも、これだけの首脳がロシアに参集し、列をなしてプーチンと握手を求めたことを軽視すべきでない。 さらに申し上げるなら、ロシアのウクライナ侵攻への評価はご随意だが、西側の対ロシア制裁がまったく効果のないことは、認めるほかない。ロシアの景気は絶好調である。 ネトウヨがまき散らす嫌ロシアの言辞に酔って、自尊心を満足させるのは害もないのだが(単なる情弱!)、大手マスコミがまき散らすロシアへの不当な軽視は、情勢を見誤らせるという意味で、日本の国益にも反するものと言わざるを得ない。 [追記:BRICSの拡大(2024.10.24)]BRICSは前日の会議で、パートナー国として、インドネシア、タイ、マレーシアなど13カ国を「パートナー」に追加した。その中には、産油国であるベネズエラやNATOの一角であるトルコも含まれる。その結果、非BRICSの石油輸出国は、実質的には、米国が取り込んで、BRICS加盟を辞退させたサウジアラビアだけとなった。世界の大勢は、米国離れへと進んでいることに疑いない。 再び夫婦同姓(2024.9.15) 自民党総裁選の候補者らの発言が繰り返し報道されている。
選択的夫婦別姓に関して、総裁選候補者らの態度が分かれるのは、自民党のご主人様(アメリカ)の意思と無関係な事項だからである。アメリカの財界にとって、日本が夫婦同姓でも別姓でも、なんの利害もなく、アメリカが夫婦同姓を求め理由はない。日本の財界からは、選択的夫婦別姓を認めるような意見が散見される。隣家の夫婦の姓なんかを気にするより、労働力確保が大事であり、そのために、婚姻で一方の姓を強制的に変えるような制度は不都合ということである。 佐渡金山(2024.8.11)佐渡金山の世界文化遺産への登録が決定した。朝鮮人強制労働の歴史を理由に、世界遺産登録に反対していた韓国の尹錫悦(ユン・ソギョル、n音を挿入すればユン・ソンニョル)政権と折り合ったことで、登録が実現したらしい。 佐渡金山は、江戸時代初期から開発が始まったもので、近世・近代を通じて、最終的には、1989年に操業が中止されるまで、金銀などを産出していた。現在では、一部の鉱坑が公開(近世・近代の採掘現場の再現展示)されているほか、文化財(工作物)や史跡(跡地)など、往年の遺構を見学することができるほか、往年の精錬技術を提示する施設もある。 これらが、世界文化遺産登録に値するかは、構成する遺構などが保存に値するかという観点が第一であろう。世界文化遺産登録は、文化遺産の保全を本義とするからである。 韓国側などが(共和国も)、世界遺産登録に反対していたのは、主として、第二次世界大戦期に、朝鮮半島出身の強制労働が行われたとする主張で、これはおそらく否定できない事実であろう(ネトウヨ諸氏は否認したいらしいが)。 筆者が興味を覚えるのは、むしろ、尹錫悦政権が、佐渡金山の世界文化遺産登録を容認するなど、日本側に対して、妥協的な姿勢を演出していることである。これは、韓国国内では、右派を含めて、評判が悪い。韓国は、李承晩・朴正熙以来、旧日本帝国の植民地支配からの解放を建国の正統性としてきたからである(→日本右翼の混迷)。日韓の対立に手を焼くアメリカのバイデン政権による強要なのか。今後の推移を見守りたい。 円の崩壊(2024.7.11)円安が止まらない。対ドルでは1ドル160円台が定着。対ユーロや対人民元でも円安が進んでいる。その結果、輸入品価格などを通じて、物価高につながり、生活が圧迫されている。 円安は、輸出企業にはプラスとされるが、輸出企業にとっても、輸入原材料は値上がりして、コスト高になる。輸出企業の国際的な競争力が高まるのは、物価高による賃金の目減り分だけ、コスト的に有利になるということにすぎない。何のことはない。要するに労働者から雇用主企業への利益移転。これが、デフレ対策を名目とした安倍元首相や黒田前日銀総裁らが実行した通貨ばらまき政策の正体であった。(→バブル崩壊か?) 安倍政権がネトウヨを動員して、天皇制日本を称賛していたのは、アジアを蔑視しつつ、日本を美化する目的。強い国が発行する通貨(日本円)は、価値が損なわれないはずという幻想を振りまくものであったが、これが事実とは異なり、国際的にはまったく通用しないものであることは、繰り返し申し上げてきた(→極右と保守本流)。 この先、対ドルで1ドル200円超などという事態も考えなければならない。円を持ったまま貧困化するか、それとも、「貯蓄から投資へ」の風潮に乗って、投資信託を通じて、米国株などに資金を移すか。愛国心あふれるネトウヨ氏らの行動が見ものである。 [追記:為替介入(2024.7.12)]11日深夜から12日の早朝の時間帯に、おそらく日本政府による為替介入のドル売り。ドル円相場は、短時間で4円ほど円高(ドル安)に振れて、一時は1ドル157円台。しかし、その日のうちには、159円台後半まで。日本政府の外貨準備を原資とするドルの投げ売り。一過的なものである。 ウクライナとガザ(2024.5.28) ロシアのウクライナへの侵攻は、ロシアの優位が明確になってきた。この点に関して、ロシアの動機を領土欲とする西側の報道に沿って考えていると、事態を見誤ることになる(→ウクライナの敗北、ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎、西欧という価値観)。 過去の例を見ても、ロシアは隣国との領土紛争を、巧妙な妥協で解決してきた。たとえば、中国との間では、アムール川・ウスリー川の島で、国境未画定地があって、中国の文革期に中ソ関係が悪化してからは、激しい戦争も行われたが、ソ連から国境紛争を継承したロシアは、支配地の一部を中国側に引き渡すことで、これを解決している。 一方、ガザ地区に目を転じると、こちらは(筆者から見ると、そして西側にも多いパレスチナ支持者から見ると、残念ながら・・だが)イスラエルの勝利で終わりそうな情勢である。 このようなイスラエルにとっては、ガザ地域を支配下に置き、ラファ検問所を開放し、あるいは、検問所以外のエジプト国境から越境させ、ガザ住民をエジプト側に押し込んでしまえば、それで軍事侵攻の目的を達することになる。本年5月以降のラファでの戦闘で、数十万人規模のガザ住民がラファから避難したと報道されるが、この一部はすでにエジプト領内に入ったのでないかと憶測される。いずれにしても、占領地の面積から考えると、イスラエルの目的(ガザ完全占領と領土化)の完成が近づいているようである。 ロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのガザ侵攻、その違いを見極めるキーワードは、侵攻者の領土欲でないかと思えてくる。 「大東亜戦争」(2024.4.23) 陸上自衛隊のある連隊が4月5日、X(旧ツイッター)の公式アカウントで「大東亜戦争」という用語を使って投稿したとして問題になった。 「大東亜戦争」は、1941年の対米英戦開始後に東条内閣によって閣議決定された名称。その「大東亜」は、対米英戦開戦前に唱えられていた大東亜共栄圏からとられたもので、これは、中国や東南アジアを含む「大東亜」に日本の勢力圏を設定しようとする意図であった(大東亜共栄圏構想)。この呼称を使いたい人たちの一部は、この大東亜共栄圏構想を欧米の植民地支配から解放するものとして賛美する。 大東亜戦争の呼称は、敗戦後の1945年に、GHQ(占領軍総司令部)によって、「国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉」として、使用が禁止された。筆者としても、国家神道や軍国主義の排除には大賛成なのだが、占領軍の主力が欧米列強の一端である米国であったことは皮肉であるし、それが理由で、欧米列強への反感を有する民族系右翼の一部は、大東亜戦争の呼称を使い続けている。 自衛隊は合憲か(2024.3.19)表題の話題、憲法学の教科書に必ず出ている話で、わざわざとり上げるのも、「今さら」なのだが、これをめぐって、いくつかの政党が、その政治的立場を明確にできないまま、袋小路にはまり込んでいるように見える。本稿では、教科書的な法学議論を避けながら、この問題に関する言論の状況を概観しておきたい。 自衛隊の前身は、第二次世界大戦敗戦後の占領中に、設置された警察予備隊・保安隊であり、その武器も米軍から供与されたものだった。この時点では、占領軍の政策は、憲法を含む日本の法秩序を超越するものなので、これらの違憲など最初から議論にならなかった。 その後、サンフランシスコ平和条約による対日講和により、日本は独立を回復した。しかし、同日に発効した日米安保条約により、米軍の駐留は継続された。敗戦後の占領の目的は、いうまでもなく、敗戦国が戦勝国に都合の悪い行動をしないように保障すること。端的にいうなら、日本に反米政権ができたら、これを武力で転覆することである。日米安保条約は、講和条約で終了するはずだった第二次世界大戦敗戦後の占領を事実上継続するための政治的な仕掛けであった(→日米安保体制)。そして、自衛隊(保安隊を改称したもの)は、在日米軍の補完であった。 最近になって、自公政権の人気低迷という状況下、政権奪取を目指す野党による政策議論の中で、安保条約の改廃や自衛隊の合憲・違憲が議論されるようになった。そのひとつ、日本共産党では、自衛隊について、「党としては自衛隊を違憲と考えるが、共産党が参加する連合政権では違憲とせずに、これを活用する」などと主張。その一貫性が問われている。2009年に社民党が旧民主党政権に参加したときも似た状況で、自衛隊合憲・違憲の議論は、これらの政治勢力にとっては、クリティカルなものになっている。 すでにサンフランシスコ平和条約から70年以上が経つ。今まで申し上げてきたことを考え合わせるなら、今でもアメリカによる事実上の占領下と考えるのかなど、現状の認識から議論を始めたほうが建設的なように思える。 北方領土(2024.2.12) ロシアのメドベージェフ前大統領は1月30日、「北方領土についての日本人の感情は知ったことではない。それは係争中の領土でなく、ロシアだ」とSNSで主張した。これは、岸田首相が同日の施政方針演説で、「平和条約締結の方針を堅持する」と表明したことに対するコメントらしい。 しかし、岸田の施政方針演説は、「(対ロシア)制裁圧力を断固としてかけ続ける」とか、「ウクライナ支援を継続する」としている。要するに、制裁とウクライナ支援を続ける姿勢を見せながら、日露平和条約に言及したもの。条約交渉は、アメとムチとしても、本当に交渉に前向きなら、たとえば条約締結の際の制裁解除などに触れるはずだが、それもない。条約を持ち出したのは、北方領土の「返還」を訴える日本国内の勢力へのリップサービスという意味しかない。 それにしても、日本政府のウクライナ側への傾注は異様である。100億円レベルの「支援」が何度も報道されているだけでない。日本政府は、世界銀行(およびその融資機関の国際復興開発銀行)の対ウクライナ融資を「保証」している。保証債務の総額については、予算に計上されているわけでもなく、実際のところよくわからない。複数回の数千億円レベルの融資が報道されているので、これらを累計すると、日本円にして10兆円を超える国民負担となる(20兆円とする意見もある)。この先、ウクライナの破綻により(戦争の帰結と関係なく経済破綻は確実)、この保証債務の履行を求められることになるであろう。 昨年末には、国会審議を経ないまま、武器輸出の原則を緩和。外国メーカーからのライセンスで生産している品目については、「軍事技術の拡散にならない」という理由をつけて、殺傷能力の有無を問わず、輸出可能に。「戦闘中の国の輸出はない」としているが、ウクライナへの迂回輸出が可能になったことに変わりはない。 アメリカの言いなりのウクライナ支援で、大きな国民負担。そして、自らを世界の軍需工場とすることで、戦争への危機。そろそろ日本の方向性を見直す時期でないかと思わざるを得ない。 能登半島地震(2024.1.9)1月1日の地震。被災者にお見舞い申し上げるとともに、政府や石川県当局の対応などについて、筆者の意見を申し上げたい。 今回の地震では、過去の例(直近では2016年の熊本地震など)と比べて、初動の遅さが際立つ。 地震後の対応で奇妙な話を申し上げるなら、石川県と政府は地震翌々日から、「渋滞」を理由に現地入りを自粛するように呼び掛けている。このため、ボランティアなどの現地入りも一部に限られていた。 最後に、万博について申し上げなければならない。関経連と日本維新の会は、被災地の復興と万博は両立するとの考え方を示しているが、リソース(資材、土木・建築の技術者)の奪い合いになることは明らか。中止決定を望みたい。 ウクライナの敗北(2023.12.5) ガザ地区でイスラエルによる最悪のジェノサイドが行われる一方で、ウクライナでは紛争の終結が見えてきた。 紛争の開始時には、制裁によって、ロシア経済がすぐにも崩壊するかのような報道が行われていたが、実際には、制裁に参加したのは、西欧諸国(西欧のほか、米国、オーストラリア、・・)。国の数で考えるなら、世界のごく一部にすぎない。日本を除くアジア・アフリカ諸国は、ほとんどが制裁に参加しなかった。金融システムからも除外され、貿易の決済もできなくなるかのような報道だったが、実際には、ロシア国債などに投資していた西欧諸国の一部が大損しただけ。ロシアは、決済を自国通貨で行うことにより、難なくこの制裁を回避して、ルーブルより円のほうが下落するという事態になっている(→ロシア情勢の混沌、西欧という価値観)。 さらに、12月には、ロシアのプーチンがサウジとUAEを訪問。中東でも、その存在感をアピールしている。日本でのロシア制裁の報道も、いつの間にかフェードアウトしてしまった。というより、もともとが、ロシアの苦境を誇張する政治的で無理な報道だったとせざるを得ない。 2023年12月時点で、アメリカのバイデン政権は、まだウクライナへの軍事援助の姿勢を崩していない。しかし、軍産を背景とする民主党政権とても、イスラエルとウクライナの両方を支えることは不可能であろう。近い将来に、ゼレンスキーの失脚が予想される。 最後に「念のため」であるが、いつものようにお断りを申し上げておかなければならない。筆者は、プーチンを支持しているつもりはない。つい最近も、「国際的なLGBTQ運動」を過激団体と位置付けて、活動を禁止する法律などを制定している。その政治姿勢は、民族性や倫理観を過度に強調する極右のもの。日本で類例をさがすなら、筆者が嫌悪する日本会議に似た側面がある。 西欧という価値観(2023.10.25)当月の7日、ガザ地区を支配していたハマスが、イスラエルを越境攻撃。イスラエル住民に多数の死傷者が出た。イスラエルは、「テロ攻撃」を阻止するためとして、ガザ地区を閉鎖して、これに大規模な爆撃を加え、現時点でも継続中である。 いわゆる西欧諸国(西欧のほか、米国、オーストラリア、日本、・・)は、イスラエル寄りの姿勢を鮮明にした。G7のうち、地理的に離れた日本を除く6か国の首脳は、22日の共同声明で、イスラム組織ハマスと戦闘を続けるイスラエルの自衛権を支持するなどと宣言した。米国は、イスラエルへの軍事供給を増やしたり、空母を地中海に派遣しつつ、国連安保理でガザ停戦決議案に拒否権を発動して、イスラエルの軍事行動を追認した。 ハマスが無警告でイスラエルに越境攻撃を行い、その民間人を殺傷したことは、事実である。もちろん、その背景には、イスラエルが安保理決議に反してパレスチナ国家の樹立を許さず、パレスチナ人をヨルダン川西岸とガザ地区に閉じ込めただけでなく、ヨルダン川西岸には入植者を入れ、ガザ地区には人や物資の移動を厳しく制限し、天井のない監獄といわれる状態に閉じ込めていたという事情があるが、これを「テロ」と呼ぶかはともかくとして、民間人殺傷を正当化するような話でない。 しかし、この点では、非難がそのままイスラエルにも及ぶことになる。イスラエルの爆撃は、医療施設、学校やモスクに及び、報道されているだけでも、ハマス戦闘員といえないガザ住民に5000人近い死者という悲惨な結果になっている。また、ハマスが人質を取ったと非難されるが、イスラエルがガザ地区を封鎖して、出入りを許さないなら、ガザ地区住民の全員がイスラエルの人質になっているのと同じである。仮に、イスラエルが主張するように、「テロ」を予防する目的であったとしても、イスラエルの行為そのものを「テロ」と評するほかなく、イスラエルのみを擁護するのはダブルスタンダードである。 これらの考え方には、強い既視感がある。筆者がこの戦争特集を始めた機縁は、20年前のイラク戦争。当時の米大統領ブッシュが、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を言い立てて、一方的にイラクに侵攻し、結局は、大量破壊兵器が見つからないまま、イラク全土を占領され、アメリカの傀儡政権によってフセインは処刑された。
日本の与党とマスコミは、「民主主義や法の支配、基本的人権の尊重などを価値観として共有している」などと称して、西欧(実際には米国)に追随するのを当然とするらしいが、そろそろ限界でなかろうか。イスラエル擁護のダブルススタンダードから脱して、国際社会の声に耳を傾けるべきと思わざるを得ない。 中華人民共和国建国(2023.10.3) 10月1日は、中国の国慶節。1949年のこの日に、1920年代からの国共内戦に勝利した中国共産党の毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した日。これを記念して、中国では、秋の連休となり、春のメーデーと並んで、行楽シーズンになっている。 1949年春から夏において、軍事的には、国共内戦での人民解放軍(共産党側)の勝利がほぼ確定したが、この時点の国号は中華民国。国民党も共産党も、中華民国の内部に生じた党であり、その国共内戦は、文字通り一つの国の内戦であった。 中華人民共和国の建国宣言。「新中国」を建設するという政治的意気込みはよかったのだが、結果として、中華人民共和国という国号も異なる「新中国」の成立宣言で、自ら「2つの中国」を作ってしまったのは、性急だったのではないか。国共内戦の勝利宣言なら、新国家の建設でなく、中華民国北京中央政府の成立を宣言すべきでなかったかとするのが、冒頭で申し上げた私見である。建国宣言でなく、正統政府宣言で、中央政府の正統性争いに持ち込んでいたら、「一つの中国」の中央政府(北京)と地方政府(台北)という体裁をもっと早く実現できたのでないか・・、国号の変更はその後でもよかったのではと考えざるを得ない。 こんな古い話を今さら持ち出したのだが、今や「一つの中国」は定着した原則。台湾側も、独立を主張する勢力はあるが、大筋ではこれを認めている。すでに「一つの中国」なのだから、一国2制度といっても、現状追認で足りる。現状の変更を望まないなら、香港・マカオのような期限付きでなく恒久的なものを目指せばよい。いずれにしても、「→台湾有事」というアオリは、問題の解決につながるものでない。 解散命令(2023.9.3)旧統一教会への解散命令が話題になっている。政権側は、解散命令を求める国民の声に押されたのか、本年10月にでも、裁判所に対して解散命令を請求するとの報道がある。 統一教会については、今さら申し上げるまでもない。「宗教保守」とするにも特異な存在で、政治的には「国際勝共連合」を傘下にする極右。その政治的傾向は、「旧統一教会と戦後保守(2022.8.18)」に書いたとおりだが、この旧統一教会は、壺や印鑑を商材にした霊感商法、そして、集団結婚式などによる資金集めでも悪名が高い。2022年7月の安倍晋三殺害で、犯人は、家族による統一教会への多額の献金で家庭が崩壊したことについて、安倍に恨みを抱いたと報道されている。 やや問題に思えるのは、解散命令を求める側の人々の間にも、解散命令の効果を見誤ったらしい議論があることである。宗教法人法の解散命令は、宗教法人の法人格を奪うだけで、宗教団体としての活動になんらの制約を与えるものでない。解散命令があっても、布教もできるし、献金もできる。献金先が宗教法人(解散命令で消滅)から教祖などの個人になるだけということである。(この点では、オウム真理教のときに問題になった破防法の解散指定・・団体としての活動が禁じられる・・とは全く異なる。) 解散命令は、実効性に期待できるものでなく(それでも請求すべきだが、なんとも遅すぎる!)、岸田内閣の選挙向けパフォーマンスかと思わざるを得ない。 マイナンバーカード(2023.7.30)マイナンバーカードは、個人番号を表示したものICチップ付きのプラスチックカード。このコラムの主題「戦争特集」としては、やや矮小な話題だが、混迷を極める岸田内閣の政策の一つとして、私見をまとめておきたい。 個人番号(「マイナンバー」と呼称させている)は、国内に居住する個人に割り当てられた12桁の数字。個人番号の目的は、金融取引などで名寄せを容易にすることであり、この意味で、主として課税目的のものであった。マイナンバーカードへの反対論には、この個人番号の問題点を指摘するものがあるが、個人番号は、2015年から全住民に附番済みである。これをカード化したマイナンバーカードに賛成するか否かとは、別に考えなければならない。 マイナンバーカードは、わざわざコストをかけて、作られたプラスチックカード。論理的に考えて、携帯させるという用途以外にあり得ない。中国などの例を考えると、個人の行動を管理するために、カードを携帯させようとしていると推測される。公共交通機関での移動(飛行機や列車チケット)や宿泊で、身分証を提示させれば、個人の行動を完全に記録化できるが(→国民管理に使われるIT技術)、マイナンバーカードは、この身分証の偽装ではないかという疑いである。 自公政権は、健康保険証を廃止し、その機能をマイナンバーカードに統合しようとしている。しかし、健康保険の被保険者(被扶養者)の資格確認という目的なら、現行の健康保険証で足りる。政権側も現行の健康保険証で必要十分なことは熟知しているが、わざわざ健康保険証を廃止するのは、マイナンバーカードを普及させたいからである。これで、建前は任意としているマイナンバーカードの所持を事実上強制することができる。 マイナンバーカードの本来の目的(個人行動管理のための身分証)から考えるなら、健康保険の資格確認という目的(健康保険証の代用)は、副次的なものに過ぎない。そのため、個人の行動管理という政策目的を考えるなら、政権がマイナンバーカードに統合させたいのは、健康保険証でなく、たとえば、交通系ICカードでないか。そのために、駅改札での顔認証なども試行しているのでないか・・などと、想像せざるを得ない。 マイナンバーカードによる健保のオンライン資格確認に反対したり、健康保険証の廃止を先送りさせたりすることは、大きな意味があるとは思えない。それより、マイナンバーカードそのものへの反対の声を上げなければならない。 ロシア情勢の混沌(2023.6.27) 当月には奇怪なニュースが。ロシアにウクライナ侵攻で、ロシア側の兵力の一端を担っていた民間軍事組織「ワグネル」が、前線の物資補給や戦術方針に関して、ロシア国防省と対立し、モスクワに向けて進軍するという「反乱」が伝えられた。 ワグネル創設者のブリゴジンは、プーチンに重用されてきた人物である。これを理由に、今回のワグネルの反乱については、プーチンとプリコジンの共謀による自作自演説がある。プリコジンが、ワグネル傘下の兵員の不満を持て余し、この組織を解体するために、あえて反乱を装ったという可能性は捨てきれない。長引く戦闘で、ワグネルの兵員に不満がたまっていることは確実であろう。プリゴジンとしては、反乱(クーデター未遂)を演出し、あえてロシア政府軍に鎮圧させることで(実際には、ベラルーシの仲介で、反乱は終結した)、この不満分子を排除し、残った兵員をロシア正規軍に合流させられるからである。 ワグネルの反乱が伝えられると、ロシア通貨のルーブルは、一時的に15%ほど下落したが、すぐに回復。いずれにしても、今回の反乱、ロシアにとっては、英米や日本の報道に見れれるような大きな問題でなかったらしい。 サミット(2023.5.22)広島でのG7サミットが、予想どおりの結果というか、なんのサプライズもないまま、終わった。 G7サミットは「先進国首脳会議」と呼ばれるもの。なんらかの決定権を持つ国際機関ではないので、参加国を決める基準や参加資格などが、公然と議論されることはない。ロシアのクリミア占拠(2014年)以前は、これを加えて、G8と称されていたが、現在のG7構成国を見ると、日本のほかは、すべてNATO主要国(米国、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、イタリア)。結局、G7のすべての国は、東西冷戦時の「西側」である。 某公共放送は、これらの「西側」の先進国を「日本と価値観を共有する国」と称して、中国・ロシアなど、それ以外の国との対立図式を描いている。民主主義や法治主義という言葉で美化し、国民が、この価値観を共有することを当然のこととして、刷り込みたいらしい。しかし、法治主義といっても、その言葉が暗黙のうちに仮定するような欧米の近代市民法体系だけでなく、政教合一のイスラム法まで、多様な法体系がある(→タリバンの勝利とイスラム法)。 アジアの国である日本が、欧米の「西側」諸国と、どこまで歩調を合わせるべきか、また、G7に加えられることで、NATOの準加盟国のように扱われることが国益に沿うのか、議論があろう。東京でも広島でも、G7サミットの開催に反対するデモが行われて、機動隊と激しく対立していたが、ほとんど報道されなかった。 G7サミットの首脳会議では、G7の参加国だけでなく、「招待」された国が加わることになる。今回は、インド、ブラジル、オーストラリア、韓国など8か国(ほかに、サミット期間中にゼレンスキーの訪日が発表され、ウクライナを含めるなら、9か国)。中国やロシアと経済的な関係が強い国が多いが、これらの国に、「西側」の価値観を共有させるのが目的だったらしい。しかし、インドのモディ首相のように、対ロ制裁の強化を拒む首脳もいれば、ブラジルのルラ大統領のように、ウクライナを支援する米国のバイデン大統領はロシアへの攻撃をけしかけているとする意見もあった(22日の広島での記者会見)。 国際的な影響力を考えるなら、すでにG7の力は弱まっている。往年はこの先進7か国で世界のGDPの過半だったが、今では3分の1にも満たない。グローバルな問題を解決しようとするなら、G7サミットではなく、中ロを含めた国連などの場で議論したほうが建設的であるとするほかない。なお、国連については、常任理事国に拒否権があるので、これを無力と主張する者もあるが、G7サミットには、そもそもなんの決定権もないので、この代替にはならない。 「台湾有事」(2023.4.18) 軍拡(防衛予算の大幅増額)と憲法改正(緊急事態条項)に熱中している岸田政権。この理由づけとして用いられているのが、「台湾有事」である。中国による台湾への侵攻があると、日本は軍事力で対応しなければならず、そのために、軍事力の増強と憲法改正が必要であるとする論らしい。 台湾(台北政府)は、1949年の中華人民共和国成立時に、台湾に逃れた中華民国政府である。そのため、台湾(少なくとも国民党政権の主流)にとっても、中国はひとつ。台湾側は、中国の正統な中央政府は、北京の中華人民共和国政府でなく、台北の中華民国政府としているだけ。その意味で、北京と台北の争いは、「ひとつの中国」を共通の前提としつつ、どちらを中央政府とするかの争い。両者がこの原則を維持する限りは、中国の内政問題である。 仮に、米国などが、本気で台湾の現状維持を望むなら、北京政府と断交し、台湾との国交を回復させることが現実的な選択肢になる。もちろん、そんなことをすれば、北京との対立が深まり、世界経済にも大きな影響を避けられないが、それでも、台湾側への軍事的支援で、中国への内政干渉とされるよりは、ずっと平穏な結果であろう。 尹錫悦政権の変節(2023.3.15)韓国の尹錫悦(ユン・ソギョル、n音を挿入すればユン・ソンニョル)大統領が訪日し、岸田首相と会談した。これは、徴用工問題で、尹錫悦政権が日本側の政権に妥協して、日本企業の賠償金を韓国側が肩代わりすることを決めたことで、日韓関係の懸案が解決したことによるとされている。ここでは、その背景を考えてみたい。 この問題に関する日本政府側の主張は一貫しないが、最近では、日韓基本条約(1965年)に基づいて締結された請求権協定で韓国側の賠償請求権が消滅したので、日本企業は徴用工へ賠償すべきでないとの見解を主張し、関係する日本企業に対しても、そのような指導をしているようである。 尹錫悦に対して、国内的に不利な政治的選択を迫る勢力は、米国しかない。そう考えると、尹錫悦としては、賠償金を肩代わりして、日本の偏狭なナショナリズムを満足させる代わりに、それより数桁は大きい軍事費を日本側に負担させるという「名を捨てて実を取る」という戦術かもしれない。 そうすると、すべては、中国を敵視する米国のアジア戦略であろう。困ったものだが。 「子育て」という言葉に見える家族観(2023.2.10) 最近、政治家や行政サイドで「子育て」という言葉が使われている。この言葉は、一見すると、育児休業や育児手当などと、法文で使われている「育児」を言い換えただけに思われるが、実はそうではない。 余談ながら申し上げると、「子育て」が「育児」と同義にならないのは、「子」という日本語のあいまいさであろう。子という単語には、年少者という意味と、親子関係での子という異なった意味がある。(育児の「児」は漢文や中国語ならともかく、現代日本語では「幼児」の縮約で年少者の意味しかない。) 付け加えるなら、この言葉は、「ニッポン一億総活躍プラン」(平成28年6月2日閣議決定)が、「子育て支援」という語句を用いたのが政治におけるデビューらしい。その内容は、幼児教育の無償化を含む教育助成などだった。それなら、「児童支援」などと名付けて、子供に対する支援とすればよいのだが、そうではなく、「子育て支援」と呼んで、あえて親に対する支援を装った。ここに、当時の安倍内閣の政治姿勢が表れているし、「こども庁」の名称を「こども家庭庁」に変更させて、その理想とする親子関係や家族像を押し付けようとした統一教会系の影響を見逃すこともできない。 政治的に考えるなら、過去の植民地支配の「贖罪」を求める統一教会などの韓国系右翼、過去を理想視したい民族系右翼、そして、対米従属を宗とする保守本流・・。これらの政治勢力のほとんど唯一の共通項が、儒教的家族観ということであろうか。「子育て」という言葉を安易にまき散らす政治家(自民に限らず立民や共産まで)には、嘆息しかない。 新年・・など(2023.1.14) 冒頭から申し訳ないが、筆者は「新年」を好まない。新年などといっても、人為的に作られた暦で、年の数字を改めて、月と日をリセットし、1月1日とするだけの人為的なイベント。暦の数字を操作するに過ぎないので、本来は好悪と関係ないはず。筆者が好まないのは、暦そのものでなく、マスコミによって演出された新年の雰囲気であろう。 今週には、岸田首相が訪米し、バイデン大統領と会談したらしい。その報道は、岸田が持ち込んだ新安保3文書(国家安全保障戦略、防衛戦略、防衛費倍増計画)をバイデン政権が高く評価したとするもの。 日本右翼の混迷(2022.12.16)統一教会の問題が報道されるようになってから、保守や右翼といわれる層で、矛盾が表面化してきた。ここで、日本の保守層の分析をしておこう。 古いタイプの右翼は、民族派右翼とでもいう人たち。鬼畜米英を叫んだ戦前・戦中の価値観を引き継いで、国粋主義を奉じつつ、日本中心のアジア秩序の構築を夢想していた。現実の政治勢力としては、ほとんど問題にならかったが、ポツダム秩序(戦後のアメリカ覇権)への反感をあらわにしていた三島由紀夫など、思想的には大きな影響を持っていた。通俗的なイメージでいうなら、街宣車を繰る集団も、この民族派右翼に含まれるであろう。 これに対して、自民党主流など、戦後保守派の主流となったのは、対米従属派といえる人たちである。この人たちは、ポツダム秩序に従順で(この点で民族派右翼の対極)、旧ソ連や中国との対抗する意味もあって、日米安保体制を積極的に支持して、アメリカの覇権を積極的に認めてきた。余談ながら、皇室は、対英米開戦の戦争責任を免れるためのフィクションであったが、戦前からの親英米的な傾向を宣伝し、結果として、戦後の保守本流に近い政治的立場になった(→厳しさを増す皇室と日本会議の確執)。 これらの2つのタイプは、第二次世界大戦の結果(ポツダム秩序)を認めるか否か、そして、戦争責任をどう考えるかで、決定的な対立がある。 ここまで、日本の右翼勢力を、民族派右翼と対米従属派という2つのタイプで説明してきたが、個々の政治家は、民族派右翼のフリをした対米従属派などがいて、それなりに複雑である。たとえば、1960年の安保条約改定で日米安保体制を完成させた岸信介は、戦前に満州経営に参画し、対米開戦当初に東条内閣の商工大臣であった。そして、その孫の安倍晋三は、民族派右翼を満足させるような言辞を振りまきながら、トランプとの親密さをアピールする側面もあった。また、保守本流を自認する宏池会を率いる岸田文雄は、この安倍晋三の亜流(安部派・・清和政策研究会)の支持を権力基盤にしている。 こんな混迷が、統一教会系の政治団体である国際勝共連合の勢力伸長の背景である。勝共連合の戦争責任のとらえ方は、朝鮮統治などに関して、日本人の贖罪を求めるなど、日本右翼の2つのタイプのどちらとも異質である。日本右翼との協働は、「反共」だけを共通点とした野合としかいえないのだが、その反共は、いわゆる共産圏が解体した現代となっては、中国や北朝鮮などの社会主義諸国に敵対するというより(現に統一教会は北朝鮮と親和的)、近代的な個人主義への敵対でないかと思われる。LGBTQなどの性的少数者への嫌悪、選択的夫婦別姓への反対(韓国は別姓なのですがね)、男女共同参画社会への反感、・・である。これが、日本においても、封建的な家族観で、旧来の家族倫理を固守する保守層から、一定の支持者を集める理由であろうし(→個人主義を敵視する人たち)、統一教会がその名称を「世界平和統一家庭連合」に変更した動機でないかと考えている。 宗教保守(2022.11.22)トランプが次期大統領選への出馬を表明した。このコラムでも、移民などの少数者を敵視してこれを攻撃する政治手法について、コメントしてきたが(→分断という政治手法)、ここでは、トランプが支持基盤とする福音派などの宗教保守について考えてみたい。 歴史的に考えるなら、フランス革命などの近代市民革命が宗教教団に敵対的であったことや、レーニンなどの戦闘的無神論が社会主義者に与えた影響もあって、反宗教主義は政治的左翼と結びつくことが多い。これらの場合、宗教教団(フランス革命の場合はカトリック、ロシア革命では正教)は、これらの政治変革に対抗する旧勢力として立ち現れた。 西欧社会では、近代を迎える時期に、宗教教義のうち、たとえば天地創造について、歴史的事実でなく、神話とみなすなど、自然科学と軋轢のある部分を実質的に削り落としてきた。日本の場合は、もっと古く、中世においても、来迎往生を否定(極楽世界の実在性に対する相対化)する親鸞が現れ、霊魂や死後世界の存否などの話題まで排除してきた。禅宗などにおいても、仏を実在の唯一神や最高神と考えるのでなく、修行を通して目指すべき理想の人格とするなど、宗教者の倫理的な側面が強調された。 しかし、アメリカのプロテスタント系の宗教保守になると、こんな常識は通じない。彼らにとっては、聖書の記述がすべて。公立学校で、進化論と並列に聖書の天地創造を教えるべきとするなど、現代の感覚では、ちょっと理解できないことを政治的に主張し、また、聖書にないという理由で、同性婚に敵対し、神の教えに反するという理由で妊娠中絶の禁止を求めている。 Jアラート(2022.10.16)月初には、北朝鮮がミサイルを発射したとして、Jアラートと称する警報システムが発せられたが、それに限らず、前月末から、ミサイル発射が異様な頻度で繰り返されている。 あらかじめ申し上げておくが、筆者としては、安保理決議に反する北の核やミサイル開発について、これを断じて容認するものではない。しかし、一連のミサイル発射を、北の「挑発」とする日本のマスコミの論調には賛同できない。北のミサイル発射は、米韓軍事演習を機縁として行われたものだからであり、「挑発」を相手方の軍事行動を誘発することを意図した行為とするなら、北を「挑発」したのは、米韓側と思えるからである。(念のために繰り返すが、これは「挑発」という言葉の問題にすぎず、米韓の徴発があったからといって、北のミサイルが正当化できるものではない。) 米韓の前政権(トランプと文在寅)は、対北融和政策の一環として、米韓合同議運時演習を中止していた。現政権(バイデンと尹錫悦)は、この方針を撤回して、日本海で合同軍事演習を行った。 ついでに申し上げるなら、この人にとって、自分の生命がすべて。国民生活なんか気にもしていない。この点を見誤った米韓の前政権(トランプと文在寅)は、制裁緩和などの経済的なメリットをエサにして、対話を試みたが、金正恩は興味を示さなかった。制裁緩和についても、利権を有するであろう北の高官が要求することもあったが、金正恩本人は言及したこともない。この人は、体制維持を求めているだけである。ミサイルをやめさせるためには、軍事演習でこの人を脅すのではなく、体制を保障するというリップサービスを与えることである。もちろん、その政治的は当否は別問題であるが。 北のミサイル発射は、金正恩の悲鳴である。また、金正恩としても、アメリカと正面戦争で勝利するなどと考えているはずもない。その意味でも、北のミサイルを「挑発」とする日本のマスコミは、事態を意図的に歪めているように思える。もちろん、その背景には、Jアラートなどを報道させ(実際には日本上空・・宇宙空間なので「領空」でない・・を飛び越してからの報道なので、避難などには無意味)、軍事的な危機を演出したがっている政治勢力があるということであろう。 安倍国葬(2022.9.20)あらかじめ断っておくが、筆者は、第一次安部内閣の頃から、安倍を肯定的に評価していなかった(→最悪の内閣)。この人を国家的な称賛に値すると考えないので、当然ながら、国葬に賛成しない。しかし、国葬については、やや見当ハズレな議論も行われているようなので、筆者の意見を申し上げておきたい。 国葬は、国が主催する儀式である。法律上の根拠はないが、それだけに、国葬を規制する法律もない。国民の権利義務に関係する問題でないので、法律の規定や国会の議決が必須でなく、行政権の属する内閣(憲65)の判断だけで行えるものとしてよい。もちろん、国民平等の原則(憲14)があるので、恣意的な特別扱いは許されないが、死後の栄典も憲法の禁じるものではないと考えられる。 また、多額の警備費用などを理由にする批判もあるが、警備は、犯罪を防止して、国の治安を保つための措置に過ぎず、被葬者が受益者というわけではない。また、国葬でなく自民党葬などとしても、国内外の要人が参列する儀式なら、警備に費用がかかるのは同じであるので、警備費用を理由にして、国葬に反対するのは筋違いであろう。費用を削減するなら、国葬か否かにかかわらず、葬儀を簡素化して出席者を減らし、外国要人の参列目的での入国を制限するなどの措置によるしかない。 国葬に関して、国会での議決を求める野党もあったが、これは疑問とせざるを得ない。安倍は、「あんな人たちに負けるわけにはいかない!」などと、公然と口にしていたように、国民の一部を、あえて敵に回して、これを攻撃することで、支持者の歓心を買うという政治手法を用いてきた(→分断という政治手法)。安倍にとって、「敵」への攻撃は、支持者の前で演じるパフォーマンスなので、敵との議論など考えられない。国会論戦などの議論による解決を拒んだのは、皮肉なことに、この国葬の被葬者である安倍自身である(マスコミからは「国会軽視」と非難されていた)。安倍を支持するらしい与党と、安倍の「あんな人たち」とされた人たちが、国会で議論をしても、一定の解決に至ることは期待できない。 費用の問題については、警備費用を議論するのが筋違いとしたが、別の問題もある。それは、巨額の予備費である。往年の予算では、1兆円ないし2兆円、一般会計の1%ほどの予備費が計上されていた。それが、安倍内閣の末期、突然に、2020年の予算で10兆円ほどに膨れ上がった。コロナ対策を名目にしたものであったが、給付金などの費目として予算に計上するのではなく、予備費として計上した。 旧統一教会と戦後保守(2022.8.18)安倍殺害に関連して、旧統一教会とこれに関連した多数の議員の名前がマスコミ各社から報道されている(→安倍殺害)。 旧統一教会について、注目しなければならないのは、霊感商法などの反社会的な経済活動だけでく、その特異な政治主張である。この団体の政治部門である勝共連合は、日本に対して声高に植民地支配の「贖罪」を求めている。旧統一教会の日本人信者もこの立場で、日本人から金銭を巻き上げることをいとわなかった(金銭が本来の場所に移転するという趣旨で「復帰」と称していた)。戦後韓国は、天皇制日本による植民地統治からの解放を建国理念にしているので、戦前の日本統治を美化できるはずもない(「戦前の日本統治」のほうがよかったなどと言いだすと、政権維持もできない。) 改めて申し上げるまでもないが、戦前の天皇制日本を理想化するか、それともこれへの批判を出発点とするかは、戦後政治の主要な左右の対立軸で、50年体制では、前者が自民党などの右派(当時の言葉で保守)で、後者が日本社会党(現社民)などの左派(当時の言葉で革新)であった。その対立軸の中で、「贖罪」を叫んで、戦前の天皇制日本を否定する勝共連合(旧統一教会の政治部門)のような右派政治勢力が入り込む余地はなかったはずである。右派は天皇制を理想視するし、左派は自らを戦前天皇制の暴政の被害者とする。ここに贖罪の余地なんかない。 もう一点、ここで指摘しておきたいことがある。旧統一教会の問題点指摘の合唱に、NHKがまったく参加していないことである。個々の政治家の旧統一教会への関与は報道するが、旧統一教会そのもの、あるいは、霊感商法などには触れたくないらしい。 ついでに申し上げるなら、NHKのテレビ・ラジオの語学番組に、「ハングル」というものがる。この言葉は、本来は文字種(いわゆるハングル文字)の名称だが、NHKは南北を対等に扱いたいのか、言語名として、この呼称を使う。もっとも、南北間の言語差異などには無頓着、実質的には韓国語と称するものと変わらない。 安倍殺害(2022.7.25)7月8日、元首相安倍晋三が、参院選の応援演説中の路上で殺害された。与野党とも声を揃えて、言論の自由への脅威として、非難したが、現時点の報道で、犯人の動機は、宗教団体(世界平和統一家庭連合・・旧統一教会・・韓国系極右)へ恨みを募らせたもの。安倍が標的にされたのは、この宗教団体との関係で安部を恨んだことを理由とするので、政治的なテロとするのは無理がある。 それにしても、殺害など暴力的手段で、国家などの組織に影響を与えられるのは、その組織の指導者が、余人をもって代えがたい場合に限られる。特別な血統を正統化の理由づけとしている君主国(北朝鮮なども)や、そもそも後継者のいない零細企業などがこれにあたる。これらの場合は、その指導者(実権を有する君主、創業社長、・・)を除くことで、組織の方向を変える可能性もある。現代日本の国政において、個人を暴力的に排除しても、意味はない。安倍と政治志向を共通にする政治家などいくらでもいて、権力を求めて、政権与党の内外に群がっている。特定の個人を暴力的に排除しても、このスペアパーツで置き換えられてしまうだけである。この意味で、現代日本では、そもそも、政治テロの余地は限られると考えてよい。 今回の殺害事件の場合、やはり宗教団体(世界平和統一家庭連合・・旧統一教会)と、その傘下の国際勝共連合に注目せざるを得ない。洗脳と信者による霊感商法、そして集団結婚式で悪名をはせた統一教会。安倍殺害の犯人は、家族による統一教会への多額の献金で、家庭が崩壊したらしい。 もう一つの問題は、安倍の国葬であろう。岸田は、吉田茂のほかに前例のない「国葬」を選んだ(当時の内閣は、吉田の「国葬」を将来の前例としない旨を表明している)。安倍への尊崇を強要するものでないとしても、何らかの意味で、安倍を賛美しようとするもの。国葬を強行することで、安倍と政治志向を共通にするグループを味方にしたいらしいが、韓国系の極右とも近い安倍の政治姿勢、野党だけでなく、自民党内からも反発があるはずである。この岸田内閣の政治志向、どんな結果になるか、注目せざるを得ない。 バブル崩壊か?(2022.6.25)前稿「貯蓄から投資へ」の続編である。前稿の後段、日銀による超低金利政策の継続が、FRB(米国準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)の政策に反しているように見えながら、実はアメリカ当局の意向を反映したものらしいという理由だったが、説明がややわかりにくかったので、これへの補充稿としてご理解いただきたい。 2022年3月以降のFRBの利上げで、米国株が下落に転じた。2022年6月時点のマスコミでは、これがバブル崩壊なのか、あるいは、近い将来に破局的な暴落に至るのか、関心が持たれているようである。株価の予想なんか、筆者にできるはずもないが、現在の株式や債券の価格は、空前の金融緩和の中で、形成されてきたものであることは確実であろう。この事情を振り返ってみよう。 2013年ごろから、デフレ対策を名目に、日米のほか、ヨーロッパでもゼロ金利政策とQE(量的緩和)が始まった。日本では、ちょうど第2次安部内閣の時期。日銀総裁黒田東彦による「異次元緩和」として、「アベノミクス」の一環としての金融政策として宣伝された。さらに、2020年からは、コロナ対策のために、日本でもアメリカでも、給付金のバラマキ(財政支出)が行われて、大量の資金が供給された。 FRBやECBなどの先進国の中央銀行が、QEを終了して、引き締めに転じたので、株式や債券に向かう資金が急減するようにも思えるが、実際にはそうではない。日銀が突出して金融緩和を続けているからである。国内外の投資家は、円資金を借り入れてドル転して(この過程で大幅な円安ドル高が進行中)、米国株でも米国債券でも、買い続けることができる。ここで、「借り入れて」と安易に書いているが、実際にも通常の金融取引として、日常的に行われているものである。日常的に借り入れ取引のある事業者なら、買った米国国債などを担保にすれば、容易に購入資金を借りることができる。個人レベルでも、たとえば米国株式価格連動型のETF(日本の証券市場に上場されている上場投信)を信用取引で購入すれば、円資金を証券会社から借りて、間接的にこれをドル転して、米国株式を買い支える取引を行うことになる。(→貯蓄から投資へ)。 貯蓄から投資へ(2022.6.18) 岸田内閣の目玉政策のひとつが「貯蓄から投資へ」らしい。家計の金融資産から、現預金を減らし、株式や投信・債券などを増やすことであると説明されている。 問題は、貯蓄と投資を反義語とするような稚拙な用語法を揶揄することでなく、株式や外債購入などを、預金と区別し、わざわざ「投資」と名付けて、個人向けに推奨する政策である。 この政策は、預金を集めても収益にならない銀行に、手数料収入のチャンスを与えようとするものであった(→銀行ビジネスの変容)。しかし、資金の流れを考えると、それだけの話ではない。今まで銀行預金などとして集めた資金で、株式やアメリカ国債を買っていたのが、これで足りなくなり、あるいは、年金資金運用基金(GPIF)による株式運用で巨額損失が生じたことが明らかになる環境の中で、投資奨励の掛け声の下、個人の資金で、これを補完しようとするものである。 実は、この「貯蓄から投資へ」は、最近の日銀の金融政策とも深くリンクしている。現在のところ、アメリカのFRBやEUのECBなど、各国の中央銀行は、インフレ対策のために、急ピッチで利上げを行っている。その中で、日銀だけが超低金利政策を続けている。日本だけがデフレということであろうか?そんなはずはない。資源や食料などの国際商品の高騰に、円安による輸入物価の値上がりまで加わって、激しい物価上昇であることは、日本国内でも実感できる。 「ウクライナ情勢」(2022.6.6) 連日のニュースで、「次はウクライナ情勢です」と前置きして、断片的な戦況が報じられている。5月末以来、戦線が膠着しているらしく、ロシア側のマリウポリ占領のほかは、大きな変化がなく、戦火にさらされた人たちには申し訳ないが、やや食傷気味に感じられる。 この話題に入る前に、あらかじめ断っておく、というより、この種の話題に不可欠な儀式になるが、筆者はプーチン政権側を支持するつもりはない・・と断言しておかなければならない。 さて、本題にもどるが、果たしてロシアは軍事的に劣勢なのか。そして、制裁で経済的に窮しているのか。これは、こんな好悪や倫理的な非難ではなく、現状認識の問題である。 一方、対ロシアの経済制裁に関しては、明確であろう。これは、まったく効いていない。 プーチン政権への嫌悪感に共感するのはよいが、西欧側の「制裁」は、その少なくとも一部は、アメリカとロシアの談合でないかと疑わざるを得ない。 遠のくウクライナ戦争の終結(2022.5.2) 2月末のロシアによるウクライナ侵攻。前回のコメントでは、中立化に応じるとのゼレンスキーの言動を根拠に、ロシアとウクライナの妥協が近そうとの感触を申し上げた(→自国賛美の報道)。しかし、キエフ(ウクライナ語の現地音では「キーウ」に近いらしいが、ここでは以前からの日本語文献に多用される「キエフ」とする。)郊外の住宅街ブチャで市民の遺体が大量に発見され、ゼレンスキーが態度を硬化させ、停戦は遠のくこととなった。 確実なことは、この虐殺事件がロシア軍の行為であっても、あるいは、ウクライナの民兵組織の犯行であっても、この事件、あるいは、この事件の公表により、ゼレンスキーの政治的選択肢は狭められた。ゼレンスキーにとっては、和平の選択肢はなくなり、武器援助を求めつつ、ロシア軍の撃退を唱える広告塔としての役割を演じるしか、政治的に許されなくなったということである。 最後に、現在の戦況について、コメントしておこう。ロシアは、ウクライナ南東部のマリウポリ(日本の報道に用いられる呼称だがロシア語発音に近い。)の攻略で膠着状態となっているらしい。日本の報道では、ロシア側の発表である「攻略」を虚言とするものがある。しかし、ロシア側の発表でも、マリウポリ郊外の製鉄所(戦争に備えたシェルター装備を有する)を制圧できていないことを認めながら、これへの攻撃を終了して、包囲しながら投降を待つとしている。そして、ウクライナ側は、製鉄所で抗戦を継続していると主張しているだけで、他の場所に残存部隊がいるとの発表はない。これに関しては、双方が同じことを言っている。 自国賛美の報道(2022.4.4) ロシアによるウクライナ侵攻は、ロシア側が苦戦しているとされるが、ウクライナのNATO加盟を阻止して、これを緩衝地帯化する目的とするなら(→ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎)、これが達成されそうな情勢になってきた。 報道で混乱が見えると思われるのは、対ロシア制裁の効果と、それに対するロシア側の対応であろう。たとえば、ロシアは、前月31日に、天然ガスの輸出代金について、ロシアの通貨であるルーブル払いを要求した。これに関しては、報道では、「ルーブルを買い支える目的」などとする評論家の意見を紹介していたが、これは見当はずれ。資金に窮した国とっては、外貨が貴重なので、外貨を欲しがるはずという通念に邪魔されて、制裁に苦しむはずの国が、外貨でなく自国通貨を要求したので面食らったらしい。 国際送金のシステムを理解している人なら、ロシアがルーブル払いを求める本当の理由は容易にわかる。それは、制裁による資金凍結を恐れているからである。メンドウな説明になるが、お付き合いいただきたい。 経済の壊滅などを報じられるロシアだが、日本のマスコミによる操作を疑わせる情報が多い。筆者としても、ロシアの暴挙に対する怒りを共有するにやぶさかでないが、その感情に迎合したマスコミの情報を見て、溜飲を下げるだけでは、自己満足にすぎない。根拠のない他国蔑視と自国賛美は、事態悪化を覆い隠すだけ。実際にも、急速な円安で、JPY(日本円)/RUB(ルーブル)も、すでに侵攻前の水準に完全に戻っている。ルーブルが紙くずになったとする論調の報道もあるが正しくない。この先、日本円は、ルーブルより弱い通貨になり、物価高騰で苦しむのは、ロシアでなく日本という事態もあり得る。また、今回の制裁によって、金融凍結の恐れのある通貨は、国際決済では避けられることが明らかになった。米ドルは、基軸通貨の地位から滑り落ちようとしている。この場合、米国債を大量に抱えた日銀を含む日本の金融機関にも、資産の劣化による信用不安が及ぶことになる。 異様さを極めるバイデン政権(2022.3.24)ロシアのウクライナ侵攻は、その開始から1か月。日本の報道では、軍事作戦は失敗し、欧米からの制裁で、ロシア経済は破綻に瀕しているとの言説が流布されている。しかし、戦況がロシア側の企図どおりかはわからないが、侵攻の目的をウクライナの緩衝地帯化であるとするなら(→ウクライナ情勢の緊迫)、マスコミの報道とは逆に、その目的を達しつつあるように思える。また、欧米の制裁によって、ロシアの経済が破たんに瀕しているようにも見えない。 NATO加盟を求めていたゼレンスキーは、NATO側がこれに消極的であることを理由に、加盟を断念する趣旨の発言をするようになった。これは、ロシアが求める緩衝地帯化への一歩。ゼレンスキーは、ごく近い将来の停戦協定成立に向けて、積極的な発言を行っている。これは、退任を拒みながらも、親ロシアへの転向を約束しているように見える。 今回の侵攻、筆者としても、ロシアの暴挙を非難するにやぶさかでない。人口の集中する都市への攻撃として、このコラムを始める機縁ともなったブッシュ政権によるイラク攻撃と比べても、少なくとも同レベルの非難に値する。(→いつか来た道)。 いずれにしても特筆すべきは、バイデン政権の異様さである。ロシアのウクライナ侵攻を誘発する動きを見せただけでなく(→ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎)、最近では、習近平との電話会談の際に、ロシアに対して援助しないように警告したなどと報道されている。しかし、中国にとっては、欧米の制裁から少し距離を置くだけで、欧米諸国が制裁と称して手放した原油や穀物の利権が自動的に転がり込んでくる。金融についてもロシアを人民元圏に取り込むことができる。何もしなければ、棚からぼた餅。それ以上に、ロシア側に積極的に加担する理由はないし、欧米の制裁が厳しければ厳しいほど、転がり込んでくる利権が大きいので、制裁に反対することもない。ロシアへの援助など、バイデンの言いがかりである。(この事情は、中国に限らず、BRICS各国・・そのうちの一国はロシア自身だが・・がほとんど同じ対応。積極的な対ロシア制裁に同調していない国は多い。) ウクライナ侵攻とこれを利用する魑魅魍魎(2022.3.4) ロシアによるウクライナ侵攻が現実になってしまった。 念のために申し上げておくが、筆者は、プーチンやロシアを擁護するつもりはない。プーチンは民族主義を訴求する独裁者。筆者が最も嫌悪するタイプの政治家。そして、ロシアの行動は、他国領域での軍事行動で殺傷を行うという極めて利己的なものである。ただ、ロシアが考える軍事的な必要性(ウクライナ国境にNATO軍と対峙するのは悪夢!)に整合した合理的な行動なので、プーチンの精神疾患などで説明しようとしても無理。個人の狂気に原因を求めるなど、事態の矮小化でしかない。 日本では、ロシアによる侵攻の報道を受けて、維新の松井が「核共有」を言い出した。アメリカの核兵器を日本に配備させ、これを日米で共同管理するという趣旨らしい。 なお、安倍は、共産党の志位がツイッターで、「プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が憲法9条」としたのに対し、「空想の世界だ」と言い放ったらしい。憲法を改正すべきか否かは別問題だが、政府の行動を限局するのが、近代憲法の本来の使命である。最初から、憲法を遵守する意思もない人にとっては、この憲法の機能など、「空想」かもしれないが。 プーチンの妄動に乗じて、日本でも魑魅魍魎たちが動き出したようである。目を離せない。 山岳遭難(2022.2.22)この季節になると、冬山登山者や山岳スキー(ボード)での遭難が毎週のように報道される。積雪期登山に経験のある記者が少ないのか、時期や積雪状態などを考えると、一般的なハイキングルートでなく、あるいは、スキー場が管理するコース外であることなどが強調され、言外に無謀な行動への非難も感じられる文章が多い。 これらのケース、結果として遭難に至って、救助や遺体搬出にあたる人にまで、大きな負担をかけている。コース選択や状況判断など、当事者にとっても、反省を促される要素はあるはず。当然ながら、死傷などの結果を当事者自らが受け止めなければならず、その意味で自己責任である。 遭難者を非難する論調では、捜索や救助の費用を公費負担とすることへのある種の被害者意識のようなものも見受けられる。しかし、捜索や救助の費用は、もちろん依頼者(遭難の当事者かその近親者のことが多いが、それに限らない)の負担。救助は、依頼者と、これに応じて救助する者との契約だからである。 この問題について、筆者がやりきれないのは、やはり、他人と異なることを試みる少数者を許さない心情であろうか(→安田純平氏の生還とカショギ氏の殺害)。整備された登山道や、管理されたゲレンデの外で、行動する者などは、社会的な規範にしたがわない異端者とされてしまう。ネットで見かける自己責任論も、結果を自分で受け止めるという上述のような意味でなく、このような異端者を非難する言辞となっている。こんな心情からは、多くの人が選ぶ被用者としての人生でなく、新たな分野で起業しようとする人など、生まれようもない。最近になって強まっている排外主義とあわせて(→新型肺炎に見る排外主義)、日本の弱体化を感じざるを得ない。 ウクライナ情勢の緊迫(2022.1.23)ロシアのウクライナへの侵攻が切迫していると報道されている。ロシア軍がウクライナ国境に兵力を集中している。日本のマスコミでは、これを、プーチン政権の領土欲に基づくものととしたり、ロシア拡張主義的傾向の表れとすることが多い。 実際にも、ロシアは、2014年に、それまでウクライナ領であったクリミア半島を併合している。しかし、これを拡張主義の例証とするのは、無理であろう。 ロシアは、1991年のソ連崩壊によって、東西冷戦の中で築いてきた東側の衛星国をすべて失った。東西ドイツの統合で東ドイツが消滅(吸収)、ポーランドからブルガリアまでのソ連邦西縁の旧東側諸国がEUに加盟、・・)。そればかりでなく、ソ連邦の構成共和国であったバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)もEU加盟。そして、これらのEU加盟国はNATO(北大西洋条約機構)にも加盟している。 最近の報道では、すでにイギリスがウクライナに対戦車ミサイルなどを供与しているらしいが、これは、ロシアが最も嫌うことであり、ロシアによる侵攻の可能性を高める危険がある。一方、仮に、ロシアがウクライナに侵攻しても、親ロシア政権ができる可能性は低い。ロシア系住民が多いドンバス地方(ウクライナ東部)だけ奪取しても、ロシアにとっての軍事的脅威は解消しない。そんなことをすると、ウクライナのゼレンスキー政権(ウクライナの民族意識に訴求する右派ポピュリストで、ロシア系住民と対立的)は、NATOへの接近をより進めるだけである。 夫婦同姓(2021.12.23) ご存じのように、民法では、夫婦同姓の原則が定められている(民750、条文では「氏」)。 現代の生活で考えるなら、そもそも大半の家族で、「家」が生産単位にならないのだから、これへの帰属を姓で表示しても、経済活動に資することもない。経済活動のためには、姓を名乗ることでなく、たとえば勤務先企業の名刺のほうが有用である。その意味で、夫婦同姓に合理性はない。 最後に、夫婦同姓を日本古来の美習などと主張し(これは前段までに説明したとおり、近代の制度)、選択的夫婦別姓にも反対する人たちについて言及しておく。どんな人たちがこれを主張しているのかは、今さら申し上げるまでもなかろう。ある自民党議員の発言は、「別姓を認めるとなると、家族のファミリーネームの廃止を意味し、家族のいろんな文化やきずなが壊れていくのではないかと思う。ファミリーが個人個人に分断され・・」である。この発言では、「ファミリー」という単語で婉曲化しているが、同姓集団としての家を個人に対置しているらしい。「個人より国家」ではなく、「個人より家」ということである。筆者などは、隣人の夫婦が、同姓でも別姓でも、そして事実婚でも気にもならないが、そうでない人たちもいるということらしい(→個人主義を敵視する人たち)。 現実となった改憲(2021.11.22)前稿、「牙をむいた維新」の続編である。 前稿の末尾で指摘したように、大阪維新の会は、大阪都構想で二度も住民投票を行った。これは、府と市の並立を二重行政と称して、これを解消するというものであった。しかし、都道府県と市町村の並立など、大阪府と大阪市に限らない。この構想は、実際には、大阪市を複数の特別区に分割するもの。地方公共団体(市)の配置分合なら、住民投票など無用なのに(いわゆる平成の大合併といわれた市町村合併は、一度も住民投票など行われなかった)、大阪維新の会は、わざわざ自民党に働きかけて(維新を取り込みたがっていた安倍はこれに応じた)、住民投票を必要とするように法律を改正。また、さらにいうなら、仮にも法改正によるなら、府と市の権限などを調整して二重行政を解消する道もあったはずなのだが、この政党がやりたかったのは住民投票。「都」という太平洋戦争中の戦時体制で特設された名称を含めて、筆者としてもウンザリしたものである(→大阪都構想)。
これらのやり方を前例とするなら、維新(大阪維新の会、おおさか維新の会、日本維新の会、・・)にとっては、憲法改正についても、改憲のための国民投票で盛り上げて、党勢拡大を図ることが予想される。改憲そのものより、改憲のための国民投票が自己目的になる可能性も高い。 自民党が改憲項目として検討中してきたものは、軍備保有の合憲化などであった。これは、すでに自衛隊による軍備と、いわゆる有事法制の整備で、着々と実績を積み上げ、自民党では、今さら改憲などの必要性を唱える人は、改憲に熱意を持っていたらしい安倍を例外として、多くなかった。 牙をむいた維新(2021.11.7) 総選挙が終わった。野党では、立憲民主党や共産党などが議席減の一方で、日本維新の会が大幅に議席を増やした。 今回の総選挙について、立憲民主党と日本維新の会の議席増減について、簡単な分析をしておこう。 まず、立憲民主党の議席減だが、これはある意味で仕方ない。前回の総選挙(2017年)では、小池百合子が希望の党で野党再編を試みた際に、極右姿勢を鮮明にし、これに同調しない議員らを「排除」すると言明した。その結果、排除された議員らの受け皿(避難先)として、設立されたのが立憲民主党だったからである(今回、小池は病気入院で選挙から逃避)。立憲民主党の前回の当選数は、小池からのを避難によって生じた一過性のものであり、今回の議席減はこれを修正したものと考えられる。 一方、日本維新の会の議席増は、次のような事情である。政権が極右の安倍・菅から、保守本流を自認する岸田へ移り、安倍ロスに陥った極右の票を、維新が集めた。ここまでならよいが、注目しなければならないのは、日本維新の会は、選挙の間、極右的な言動を控えていたために、自民批判票も、これに合流してしまったことである(立憲民主党も、国民民主党も、自民批判票を集めるのに失敗)。この維新の沈黙は、ばらまき型の主張を繰り返していた他の野党や、連立与党内でも公明党の主張と比べても、際立っていた。そして、選挙が終わった途端に、代表の松井が「自民より右の野党になる」と言い出して、「来年の参院選と同時に改憲の国民投票」を打ち上げた。 個人主義を敵視する人たち(2021.10.28) 「寛容さを失う社会」で話題にした内親王の婚姻が成立し、皇籍を離脱した。この結婚に対する反対デモまであったらしい。 ところが、今回の婚姻の成立後に、保守系新聞がまとめている記事(たぶん予定稿として事前に書いてあった論説)で、皇室制度の理想と、個人の自由を対比させた解説があった(この新聞は、皇室制度の理想を説いて、皇族を含む個人の自制を求める論調)。 こんな騒ぎ、距離を置いて観察するなら、皇室崇敬は国民の美徳かもしれないが、他人の結婚に共感できなくても、これに口出ししないのは、個人的自由を尊重する社会人の常識というだけの話であろう。もちろん、マスコミやネットの言論で、傷つけられた婚姻の当事者にとっては、本当に困った話とせざるを得ない。個人的な自由に価値を認めず、あるいは、価値を認めるとしても、自らが理想とする国家観を優先する国家主義的な思考は、個人に対して決して優しくない。(この点では、生活保護受給者への風当たりとも共通する原因、そして、弊害を感じざるを得ない。) ・・と書き連ねたが(選挙期間中なので、生の政治話題は回避)、いずれにしても、今回の婚姻さわぎで、ネトウヨと呼ばれる騒々しい保守層の実体に少し迫り(相変わらず理解不能だが)、この人たちがどれだけ個人の自由に無神経なのか、その醜悪さをじっくり観察できたことが、筆者にとって収穫とするほかない。(→ネトウヨとは)。 極右と保守本流(2021.9.30) 総選挙が近いので、街頭には政治団体のポスターがあふれている。その中には、「強い日本を取り戻す!」などというものまである。 今回の自民党総裁選挙では、宏池会を率いる岸田が新総裁に。臆面もなく国粋主義や復古主義を振りかざす極右の政権は、一応は終わりを迎えそうである。 筆者にとっては、安倍・菅政権のように、その権力基盤がネトウヨを含む新しいタイプの極右であっても、あるいは、岸田のように、古いタイプの利権団体と官僚機構を権力基盤とするものであっても、それ自体は大きな違いに思えない。 財務省官僚も支持基盤に含む保守本流の岸田政権ができると、こんな政策を続けられるはずもない。財政支出を抑制しようとするだけでなく、(困ったことだが)近いうちに消費税増税の声が出てくるであろう。さらに言うなら、アジアからの撤退を進めていたトランプ政権に迎合し、(たぶん意図的に)滞らせていた辺野古の工事などが、促進されることになると予想せざるを得ない。何せ、日米安保体制などの対米従属政策は、保守本流の表看板である。在日米軍を引き留めるために、(これも困ったことだが)沖縄の自然を破壊することなど、この政権にとっては、朝飯前であろう。 タリバンの勝利とイスラム法(2021.8.24)筆者が、この話題を書いている間に、アフガニスタンの情勢は急速に進展。8月15日には、タリバンが首都カブールを掌握し、米国の傀儡とされてきたガニー政権の崩壊がほぼ確定した(情勢把握のためもあって、原稿のアップが遅れた)。これから政権に就くことになるタリバンの過激なイスラム原理主義を危惧されている。実際にも、タリバンは、1990年代、女性の行動制限など、近代的なヨーロッパ風の価値観と相容れない統治をおこなって、非難された前歴がある。イスラム法では、聖典の記述が、信者の倫理規範となるだけでなく、民事・刑事の裁判規範になるなどと聞くと、違和感が大きいはずである。これについて少し説明しておかなければならない。 日本人がなじんでいる法体系は、多かれ少なかれ、国家と宗教団体を分離するという政教分離原則に基づいている。この政教分離原則は、西欧風の民事法典が、非宗教的であった古代のローマ法にその源流を持つという理由もあるが、近代の市民革命が、封建領主でもあったキリスト教会勢力への抵抗という性格もあった。そのため、刑事法などの分野についても、キリスト教会による介入を嫌い、その結果、政教分離が統治の原則として成立した。市民革命を経ず、封建制の実質を残した絶対王政の国家でも、少なくとも表面上は西欧の近代法制に倣った。たとえば、明治の日本は、神道と国家の強い関係にもかかわらず、神道側からの国政への関与は限られていた。 今回のタリバンの勝利は、大きな視点で見るなら、米国のブッシュ政権が一方的に始めた「対テロ戦争」の結末といえる。イスラム原理主義(というより、イスラム教の価値観)への嫌悪感を強調して、西欧風の価値観を押し付けることを表向きの理由として(当時はこれを掲げる右翼政治家や文化人をネオコンと呼んだ)、他国での軍事行動を行ったものだったが、今回の撤退で米国による世界覇権の退潮が明らかになった。そして、米国の穴埋めに、中国などが進出を強めることになる。(この点では、1975年のベトナム戦争終結時に似ているが、当時の中国には、米国の穴埋めとして、進出を強める余裕はなかった。実際にも、ベトナム戦争終結の数年後の中越戦争で、中国は実質的に敗北している。) 公共放送の変質(2021.7.20) 筆者はテレビを持たないが、移動中にラジオを聞くことが多い。NHK(日本放送協会)の最近のニュース報道について、異様な傾向が感じられるので、指摘しておきたい。 例として、当月14日付のニュースを採り上げよう。東京オリンピックの開会式に、アメリカは大統領夫人のジル・バイデンを出席させると報じた。これ自体は、他の媒体もほとんど同旨の報道だが、NHKのニュースで際立っていたのは、NHKのニュース編集者がつけた解説。NHKは、このニュースの本文に含める形式で、「専門家」のコメントとして、「大統領夫人を派遣するのは、バイデン大統領のオリンピックへのとても強い思い入れの表れ」などとしている。 ほかに、NHKが好む解説は、「中国」に関するものであろうか。当月18日付では、外相の茂木が中米を歴訪とのニュース。グアテマラでの会合の記事では「中米でも影響力を強める中国を念頭に・・自由で開かれた国際秩序の維持・強化に向けて連携を呼びかけました。」、パナマでの会談の記事では「パナマが4年前の2017年、台湾と断交し中国と外交関係を結んだことなども念頭に・・連携を呼びかけました。」とある。(アンダーラインは筆者) 最後に申し上げておくなら、NHKのこのような報道姿勢(上段で「政治的な背景」と申し上げたもの)は、ネトウヨに媚びること自体を目的としたものでなく、おそらく官邸というより、安倍前内閣の意向を反映したもの。NHKに対する執拗な人事介入の「成果」であろう。今のところ、NHKは、ネトウヨが一丁目一番地とする嫌韓には、積極的に与しないが、この姿勢にも、戦前体制に批判的な日本国内の勢力(いわゆる左翼から、保守本流まで)を「反日」などと決めつけて敵視しつつ、韓国政府に対する直接の非難を避けたがる安倍などの意向を疑わせる。 ワクチンの効用と副反応(2021.7.3)陰謀論とフェイク情報などの話題は、これを積極的に利用したトランプ前大統領に結びつくものが多い。筆者としては、これらの言説(というより、これに乗せられる人たち)に対して、興味が尽きないが、トランプが言い立てていたアメリカの選挙制度などに、話題を拡大すると筆者の手に負えるものでない。ここでは、トンデモ言説の一例として、そして、ただちに対応しなければならない言説のひとつとして、主として日本国内で出回っている新型コロナのワクチンに関する陰謀論などに、簡単にコメントしておきたい。 ワクチンに関する典型的な陰謀論は、「ワクチンは殺人兵器」や「ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれている」だろうが、これは荒唐無稽である。兵器は、保有や使用によって、相手を屈服させ、何らかの政治目的を達する道具であるが、ワクチンは、商品化して、それも膨大な数量を出荷してしまえば、誰が(どの国が)誰に使用するか、ほとんど制御不能。兵器として使えるものではない。また、ワクチンは化学物質に過ぎない。透明の液体なので、マイクロチップに限らず、ミリ単位のサイズの固形物を入れられるはずもない。マイクロチップを体内に注入するとしたら、マイクロチップは、ワクチンではなく、注射器に仕掛けなければならないが、注射器は、各国が、手持ちのものや、あわてて複数のメーカーに発注したものの寄せ集め。そして、注射を実行するのも、設立母体も多様な病院の医療従事者に自衛隊の医官まで。これらを繰って、マイクロチップを埋め込ませるなど、考えられない。 筆者は、ワクチンに副反応がないなどと申し上げるつもりはない。ワクチンは、体内で抗体を作らせるもの。これは、本物のウイルスに感染したときと同じ経過を、生体内で再現するものなので、発熱などの副反応は想定される。ただ、病原体を弱毒化した通常のワクチンでも、病原体による抗原たんぱく質の生成のみを再現する目的で設計されたmRNAワクチンでも、その副反応は、本物のウイルスに感染したときの症状より軽度。本物のウイルスへの反応の一部(抗体産生)のみを再現するものだからである。 中国の台頭(2021.6.21)本年6月のG7サミット、合意文書に「台湾の防衛・現状維持」を掲げるなど、中国への対決姿勢を示した。これは、バイデンが自由主義と専制主義の対立を演じたものに、G7各国が賛同したものらしい。 今までも、個別の国が対中対決姿勢をとることは珍しくなかった。しかし、中国との決定的な対立になれば、深刻な経済的なダメージを受けるのはどこの国も同じ。対中対決姿勢は、国内政治向けの人気取りと考えられていた。 その文脈で考えるなら、今回のG7サミットの合意文書も、バイデンの国内政治向けのフェイクとも考えられなくはない。実際にも、今のところ、米中貿易額に減少の兆しはない。というより、中国の対米輸出額は、コロナの影響もあって、対前年比で大幅増。米国は、今や中国にとっては、最大の輸出国である。 今回のG7サミットでは、これに首脳が招待された韓国・インドなど(G7の構成国でない)は、積極的な賛同を控えたらしい(日本国内では、韓国の対米従属からの離脱を嫌韓に結び付ける論者もある)、これらの国は、今となっては、対中関係を対米関係以上に重視しなければならないので、今さら米国の覇権主義に追従することなど、現実の選択肢にはならないということであろう。 ネトウヨとは(2021.5.10)このコラムでは、ネトウヨという言葉を、厳格な定義なしに用いてきた。わざわざ定義しなくても、社会的な存在としては明確だし、仮に軽蔑的な評価を含意する単語であったとしても、当のネトウヨがそれを自認することもまれなので(ネット保守などと自称する例はある)、抗議される心配もないという意味で、安易な言葉であるのだが、ネトウヨとは何か、それを特徴づけるものについて、一応の考察をしておこう。 ネトウヨの定義として、よく引用されるのは、古谷経衡氏の論である。同氏は、ネトウヨについて、右翼言論人の言説を受け売りし、これをネットに拡散する存在と説明する。同氏自身もかつては、これに属していたと自認しているので(同氏は「ネット右翼」と称している・・念のため)、その経験にも裏付けされた的確な描写であろう。 この点は、横のつながりが明確でないネット民、それぞれの好みとする言説が千差万別であることは当然であろう。先に挙げた古谷経衡氏は、嫌韓・反中・反朝日新聞で特徴づけるが、これらの属性で右翼を特徴づけるとしたら、異説が多いはずである。 やはり、嫌韓などのノイジーな言説をもって(在特会はこれが専門らしいが)、ネトウヨを特徴づけるのは難しく、その基層にある「大東亜戦争肯定 ― 反東京裁判史観」(ここでは、第二次世界大戦を肯定的にとらえた往年の呼称をあえて用いる)が、ネトウヨをウヨにする所以であろうか。 ネトウヨのノイジーな言説という意味では、生活保護受給者に対する反感(→寛容さを失う社会)や、同調圧力が強いこと(山岳事故などに対して持ち出される「自己責任論」)なども挙げられる。このあたりは、前述の「右翼言論人の言説を受け売りし・・」にあてはまらないであろう(言論を業とするプロは避けたがる話題)。筆者からすると、生活保護受給者への非難(羨望の感情?)など、ちょっと感覚的にも理解できず、これを発するネトウヨが、そんな社会階層なのかも容易に想像できない。人物像について、強いてイメージを申し上げるなら、中年以上の学校教員、町内会役員などかもしれないが、現時点では、憶測に過ぎない。もっとも、菅義偉が唱える「自助、共助、公助」も、これと重なる価値観である。ネトウヨについては、さらに考察する必要がありそうである。 ミャンマーと北朝鮮(2021.4.13)ミャンマーのクーデターで、軍部が政権を掌握してから、2か月になる。軍事政権は、民主化勢力とされる国民民主連盟(NLD)などを弾圧、これに抗議する民衆を殺傷しているので、国際社会の反発を受けている。といっても、制裁などの実質的な措置は、アメリカが軍事政権関係者の資産を凍結したぐらいで、日本などは口先の非難だけにとどまっている。 これに関して、国連安保理が対応を取れないのは、中国が軍部を支持して、ミャンマーへの制裁に反対しているなどという言説が流布されている。中国が積極的にクーデターを非難しないのは、この国の人権意識欠如の問題とする価値判断はともかくだが(筆者も否定しない)、中国は、民主化以前から、軍部を支持してきたわけでもないし、今も積極的に支持しているようにも見えない。中国とすれば、隣国のミャンマーに、外国勢力の介入を望まないだけである。わかりやすく言うなら、アメリカ軍などの外国軍隊がミャンマーに侵攻して、中国との国境でこれらの軍隊と対峙するという事態は避けたいだけである。そのために、軍事制裁などに反対して、情勢が安定することを望んでいるに過ぎない。 この点では、実は日本も同類とするしかない。2010年以降に、当時ミャンマーを支配していた軍事政権が、軟禁中だったアウンサンスーチーを釈放したことを理由に、民主化が進展したとして、ミャンマーへの経済制裁を撤廃。実際には、今回のクーデターでも明らかになったように、軍部が、憲法規定上もそして実力としても、その勢力を保持したままの偽りの民主化だったが、中国やベトナムでの賃金高騰に悩まされていた日系企業が、低賃金労働力を求めて、続々とミャンマーに進出した。すでにヤンゴンには、日系企業がオフィスを並べている。今さら、ミャンマーへの本格的な経済制裁などを行い、これらの企業の存立基盤を失わせることもできない。 ミャンマーと似た状況にあったのは、北朝鮮である。2014年には、北朝鮮への独自制裁のうち、人的往来や送金の規制を解除していた。この時点で、当時の首相安倍は、金正恩との劇的な和解を演出したがっていたらしい(このときの官房長官は菅義偉)。もちろん、背後には、北朝鮮への進出を図っていた日系企業もあったはずだが、その動きが具体化する前に、北朝鮮の核実験などで、和解の動きは雲散霧消してしまった。 最近になって、北朝鮮は、また短距離の弾道ミサイルなどを誇示し始めた。しかし、アメリカにとっては、アメリカ領土まで届くミサイルでなければ、気にもならない。どちらにしても、アメリカは、在日・在韓米軍を含めて、撤退したがっている(アメリカは、以前から一貫して、この問題を、中国を議長とする6カ国協議に委ねようとしている)。わざわざ金正恩と張り合う必要もない。また、韓国にとっては、軍事境界線に並べられた火砲のほうが気になる。数十キロしか離れないソウルを攻撃するのに、ミサイルなんかいらない。短距離の弾道ミサイルなんかに、いちいち反応する気もないらしい。 ミャンマーも北朝鮮も、大きな情勢変化は、すぐには期待できない。 銀行ビジネスの変容(2021.3.15) 最近、メガバンクといわれる大手銀行の一角で、システムトラブルが続発している。サイバーテロなどに言及する人もいるが、報道では、合併を繰り返してきた銀行のシステム統合が、うまく行っていないことを原因とされる。 このシステムトラブルで、要求払い預金の払戻しが適時に受けられないだけでなく(もちろん銀行側の契約違反)、異常を検知したATMが、カードや通帳をロックして、数千人に影響が及んだらしい。そして、その処理を巡って、銀行側に非難が集中することになる。 この銀行に限らないが、近年のゼロ金利政策の下、メガバンクは法人相手の投資銀行業務に傾注し、個人客を意図的に切り捨てようとしている。給与振り込みなどは、雇用主企業との取引が期待できるので歓迎するが、それ以外は排除。今の金利水準なら、数千万円の個人預金を滞留させても、コスト(システム維持費、通帳の印紙税、カード郵送費、・・)に見合わない。特に、高齢者の年金受取口座なんかは、手数料収入も見込めず(年金振込は伝統的に無手数料)、相続でも発生したらメンドウなだけと考えている。 利用者の側でも、早くこれを察して、メガバンクから離れて、ネット専業銀行などに移ったほうがよい。もっとも、ネット専業銀行は、メガバンクなどの出資で作られた別動隊。いまのところはメガバンクから離れる預金者の受け皿になっているが、これも一段落したら、やはり手数料(ネット専業銀行のほとんどすべての収入源)の値上げを予想せざるを得ない。そうすると、店舗数の少ないネット専業銀行。コンビニなどに設置された店外ATMでの入出金ごとに手数料を取られることになるが。 なお、念のために申し上げておくと、普通預金や口座振替など、最低限の金融サービスは、生活に欠かせないものである。その意味で、銀行業務には公共性もありそうだが、日本ではこの公共性を認めない(アメリカなどでは認める)。公共交通機関などは公共性(誰でも一定の条件で平等に利用可)を理由に、暴力団員などの利用も拒まない扱いだが、銀行は、「反社会的勢力」とされる暴力団員との取引を一律に拒否している。これを敷衍すると、銀行の収益に寄与しない個人や零細企業との取引を、公共性を理由に、銀行に強要することもできない。儲からない相手との取引拒否は、銀行のご自由ということである。 メガバンクの目指す「投資銀行業務」は、法規制(銀行本体では証券業ができない)もあって、今のところ、系列証券会社の代理店業務にすぎない。といっても、販売している商品は、国内の上場株式などではなく、もっぱら債券。それも、アメリカ国債などを含めて、アメリカの投資銀行が関与しているものが多い。対米従属に着々と組み込まれていることになる。 破綻する財政(2021.2.28) 現代貨幣理論(Modern Monetary Theory/MMT)という理論がある。政府はいくらでも通貨を発行できるので、財政赤字などは通貨発行で補填すればよく、通貨発行高はインフレ率に基づいて調整すればよいとする言説である。 この現代貨幣理論(MMT)は、アメリカ以外ではほとんど相手にされていないらしいが、前述のステファニー・ケルトンが、日本の財政赤字について、「インフレも金利上昇も起こっていない成功例」と称賛したこともあって、日本においては一定の勢力がある。 理論的にこれを議論するためには、19世紀初頭からの伝統的な経済学の理論を再構築することにもなるので、この場でできる話でない。ただ、結論から申し上げるなら、「悪性インフレ(物価上昇)にならない限り」という限定辞をつける限り、主流となっている経済学から、そんなにかけ離れたものではない。主流経済学でも、節度のない通貨発行は、「悪性インフレを招く」とするからである。同じことを、裏から述べるか(現代貨幣理論)、それとも表から述べるか(主流経済学)の違いしかない。 重要なことは、こんな言説(理論的には伝統的な経済学の言い換え)を理論的に批判することではない。現代通貨理論が賛美する財政支出の拡大が、どんな結末をもたらすかである。現代貨幣理論自体もその可能性を告白するように、金利の急上昇など、悪性インフレそのものであると考えざるを得ない。 [追記:ロシアのインフレ(2021.3.10)] 最近のロシアでの報道は、「物価」が大きな話題。統計の精度を疑う人もいるらしいので、あえて数字には言及しないが、原油高(これも世界的インフレの兆候)を反映したルーブル高にもかかわらず、食料品から住宅に至るまでの広範囲な物価上昇で、明らかな金余り現象。その上昇速度は加速気味である。 スポーツの暗部(2021.2.12)オリンピックの話題が多い。組織委員会の会長森喜朗が、女性蔑視とされる発言で混乱させた責任を取るとして、辞意を表明した。 スポーツファンの人たちには申し訳ないが、筆者は、オリンピックなどを含むスポーツ興業を好まない。 さらに申し上げると、筆者は、スポーツで強調される精神主義や集団主義などになじめない。一部で民族系右翼の様相を呈する体育会系を別格として、これを除いて考えたとしても、学生スポーツでは、学業を「文」に、課外スポーツを「武」にたとえられることが多い。学業とスポーツを対立的に表現するなら、本来なら「知」と「体」であろうが、往年の武士や近代の軍隊に結びつく「武」という表現を好む人がいるらしい。文武両道などという言葉が、平然と用いられている。 そして、日本の場合は、その「武」への傾注は、儒教倫理や軍隊組織などへの親和性を通じて、政治的には右翼に直結する。それも、現代のネトウヨからも嫌悪される顔役タイプの古い体質の極右(政治的には、妖怪や魑魅魍魎といわれることが多い人たち)である。冒頭で触れた森喜朗の発言も、このような背景で理解せざるを得ない。 一方、ヨーロッパ発祥の近代オリンピック。往年はアマチュアリズムを強調して(無報酬という美辞だが、現実には、余暇としてスポーツを楽しめる階層以外は排除)、貴族主義を色濃く反映したものであった。これは、今日でも、オリンピック関係者に、貴族や旧貴族が多い。日本でも旧皇族竹田宮家の竹田恆和がJOC会長だった。 とりとめなく書いたが、オリンピックに関して申し上げるなら、最近では強烈な商業主義。筆者には、その暗い面が際立つように思える。規模や開催方法を見直しつつ、開催国も、オリンピックを社会インフラ整備の機会にしたいという発展途上国の持ち回りが適切かと思う。 また慰安婦・・(2021.1.16) ソウル中央地裁は、元慰安婦が日本政府に損害賠償を求めた民事訴訟で、本年1月8日、元慰安婦側の請求を認める判決を言い渡した。 筆者は、これまでにも繰り返し慰安婦問題に触れてきたが、再説しておこう。戦前の天皇制日本を理想視する日本会議などにとっては、従軍慰安婦の存在そのものを否認したいらしいが、さすがにそれは無理(人数でいうなら慰安婦の多くはいわゆる日本内地の女性)。そのために、慰安婦は自発的な売春であったと主張し、慰安婦問題の存在そのものを否定するが、実体は前借金などを用いた管理売春であり、この正当化は論者の人権意識の低さを露呈するだけである。(→歴史認識)。 その意味では、いわゆる慰安婦問題、筆者としては、この問題を繰り返し採り上げる韓国側に同調的にならざるを得ないのだが、やや釈然としないのは、韓国側の運動が、愛国心誇示のパフォーマンスと化していることであろう。 一方、日本政府側は、今回の訴訟に対して、積極的に応訴していない。そのため、いわゆる欠席裁判となって、日本政府側の敗訴となってしまった。仮に欠席しても、裁判権の存否など、公益にもかかわる問題については、裁判所は職権で判断して、訴訟を却下することなどができる。しかし、そうだとしても、被告側がまったく争わないとすれば、その不利は明らか。さらに、損害額などの認定については、被告側が争わなければ、原告の主張を認めたことになる。結局、この訴訟では、被告の日本政府が全面的な敗訴の判決となった。 オリンピック(2021.1.9)国内の新型コロナウィルス新規感染者数は、今のところ、1日5000人超で推移している。菅内閣は、再度の緊急事態宣言を発したが、飲食店の営業時間短縮を要請する程度。実際には、感染を積極的に拡大させてきたGoToキャンペーンを、一時的にせよ停止する効果のほうが大きいだろうが、いずれにしても、近い将来には、欧米諸国と同様に、1日数万人の新規感染者と数百人規模の死亡者を予想せざるを得ない。マスクや手洗いを呼びかけるだけで、沈静化するようなものでない。 この状況でも、菅内閣や東京都知事は、東京オリンピック・パラリンピックを本年8月(本来の2020年8月から1年延期)に実施しようとしている。いわく、中止したら経済に影響が大きいと。 マスコミにとっては、スポーツ中継はビジネスチャンス。中止論を盛り上げる様子はないが、ネトウヨを含むネット世論では中止論が大勢。聖火リレーなど、一連の行事は、今春から開始しなければ間に合わない。今の状況で可能か否か、誰の目にも明らかに思える。 また、ワクチン接種に期待する向きもある。大雑把に言うと、ワクチンは、開発に1年。量産に1年。そして、集団免疫レベルの大量接種に数年・・が、最短であろう。新型コロナウィルスが問題になった2020年の初頭から起算すれば、ちょうど1年。すでに、イギリス、アメリカ、中国などで始まっているが、量産はこれからで、東京オリンピック・パラリンピックに間に合うはずもないし、2020年初頭に北京で予定されている冬季大会も間に合わないであろう。 寛容さを失う社会(2020.12.2) 某内親王の結婚をめぐる話題について、一部の媒体が書き立てている。どうやら予定配偶者やその家族の借金に関係する話らしい。ちょっと考えるだけでも、政治家(公選による職)やタレント(目立つことを職業に選んだ人)でもなければ、こんなゴシップを書き立てるなど、ストーカーもどきに思える。少なくとも、他人の恋愛関係を好んで話題にするのは趣味がよいとも思えない。 ただ、この恋愛報道がややメンドウなのは、これを皇籍離脱に際して支払われる皇族費一時金と関連付けて話題にされていることである。皇族費が、予定配偶者の借金返済に使われるとして、嫌悪感を煽る論調。そして、この内親王や、その一家(皇位継承順位1位の親王を含む)が非難されている。 この機会に、皇族制度について、筆者の意見を申し上げておく。日本国憲法には、天皇の規定はあるが、皇族の規定はない。皇室という言葉があるので、皇族という存在を許さないと解釈するのは行きすぎだろうが、平等原則(憲法14条)の例外で、皇位継承との関係で認められたものとするしかない。 この内親王が、婚姻による皇籍離脱に際して受け取るとされる皇族費一時金は、年額で計算されている皇族費の打ち切り支給。皇族制度や皇族費の金額を議論するならともかく、一時金だけを問題にしても仕方ない。また、皇族は営利企業から隔離する慣行で、この内親王も、30歳近くになっても、いわゆる就職の機会がなかったはずである。皇籍離脱に際して、皇族費一時金を支給するとの皇室経済法の規定が不合理とも思えない。 大阪維新の会の代表であった橋下は、(カジノ法案推進の文脈で)「生活保護として支給されるお金はパチンコに使えないように制度改革すべき」などと主張して、生活保護費受給者がパチンコに行くことをやり玉に挙げたが、これは自らの政治目標(カジノ)のために、生活保護への敵意を利用したものである(市町村レベルでは、兵庫県小野市、大分県大分市などが、生活保護受給者のパチンコを制限する条例を制定したが、これも首長の人気取りの性格が強い)。皇族費にしても、生活保護費にしても、受給者を非難する論調は同質のものである。筆者にはちょっと理解できないが、この種の論には、なぜか被害者意識をかき立てられるらしい。他人のことの対して、寛容さを失っているとしか申し上げられない。 日本の感染爆発が始まった(2020.11.18)新型コロナウイルスの感染の拡大が止まらない。新規感染者数が、連日のように、過去最大を更新し、最近では1日あたりの新規感染者が1500人以上の数字になっている。(この原稿を書いている11.18は2000人超えが報じられている。) GoToと称する旅行と外食を補助金で推進するキャンペーン。本年春の緊急事態宣言などの移動制限(タテマエは自粛だが・・)で、影響を受けた業者を救済する名目で、観光旅行や外食に公費補助を行うものであるが、旅行や外食が安くなるので、業者のほか、利用者にも、それなりの人気があるらしい。今回の感染拡大に際しても、このGoToキャンペーンは継続するつもりらしい。 冷静に考えるなら、このキャンペーンは、本年春の移動制限を、巻き戻しているに過ぎない。移動制限は、経済へのダメージを承知で感染症対策を行うものだったが、今度は、経済を名目に感染拡大という代償を見て見ぬふり。ネトウヨを動員して(経済専門家でもないので場違いだが)、その経済効果を声高に宣伝している。マッチポンプという言葉があるが、GoToキャンペーンは1兆円もの公費を投入して、このマッチポンプを行っていることになる。 まともに考えるなら、本年春よりひどい感染拡大なのだから、GoToキャンペーンはただちに中止して、移動制限を復活させるしかないはずである。どうせ、インバウンド需要の一部は、数年間は戻らないと予想されるので、航空関連や宿泊などの業者の一部は、転廃業も避けられない。公金を投入するなら、これらの業界への激変緩和と、雇用維持に向けなければならない。一部業者の転廃業によって、需給関係を改善すれば、これに至らなかった業者にも、中長期にわたって広く恩恵が及ぶはずである。 最後に、この病気に関して、風邪並みで大したことがない。少なくとも、日本では、諸外国と比べても、致死率も非常に低く、せいぜいインフルエンザ程度の病気であるとする言説が、(おそらく意図的に)流布されているので、これにコメントしておく。 病気の危険性について、安易な言説を流すのではなく、正当な対処を行うのが政治の責任である。 分断という政治手法(2020.11.6) 本年の11月になって、重要な投票が2つあった。ひとつは、都構想の是非を問う大阪市の住民投票、そして、他のひとつは、アメリカ大統領選挙である。 都構想は、大阪市を廃止し、特別区を設置するというもの。実質的には市の分割である。本来なら、市町村の合併や分割などの境界変更に住民投票はいらない(地方自治法7条など)。平成の大合併では、一度も住民投票が行われなかった。 およそ政治主張であれば、賛否が分かれるのは当然。多数決原理に基づく民主制を前提とすれば、賛成者を増やすのが政治活動の目的で、敵を作るのは得策でない。しかし、大阪市維新の会(もちろんこれを母体とする日本維新の会も)に特徴的なのは、積極的に分断を作り出すことである。民衆の一部をあえて敵に回し、このマイナスをカバーするだけの支持を、他の民衆から得るという政治手法である。 分断を積極的に作る政治手法では、敵とされた民衆からの支持が期待できるはずもなく、この点では不利になる。そのため、他の部分から、それを補うだけの強い支持を集めなければならないので、どうしても熱狂的な支持者(サポーター)を生んでしまうことになるし、そうでなければ成功しない。そして、その政治主張も、熱狂的な支持者を冷めさせないような過激なものに偏ることになる。二重行政の排除を主張した大阪都構想は、そんなところから生まれてきたと考えるしかない。 大阪都構想は、10年ほど前の大阪維新の会誕生以来、繰り返されてきた(→大阪都構想(2011.4.14))。維新という昭和の街宣車が好む名前を付けた最悪のアオリ政党には、そろそろ退場ただきたいものである。そうでないと、この政党の政治手法なら、何度でも住民投票を繰り返すこともあり得るし、仮に次回の住民投票で大阪市の分割が成立してしまったら、今度はその数年後に、経費削減のため特別区を合併して、「大大阪市」を作ろう!などと言い出しかねない。何しろ、この政党にとっては、人気取りのための住民投票が自己目的なのだから。 国民管理に使われるIT技術(2020.10.8) 菅内閣の看板政策は、はんこ廃止。行政手続きのデジタル化らしい。これだけを聞くと、政府部内の問題に聞こえるが、実際には役所への提出書類のデジタル化などで、国民にも影響がある。一方、菅は首相就任前から、携帯電話料金の値下げを口にしている。これを考え合わせると、この内閣の考えていることを推測することできる。 この点では、中国が世界の最先進国であろう。中国では、IT技術をフルに活用(悪用)して、国民管理を進めている。これをユートピアとするか(治安にはプラスかも)、ディストピアとするかはともかくとして、日本も同じ方向を目指しているらしいので、この国の実情を少し紹介しておこう。 日本では、前の安倍内閣で、消費税増税のタイミングに合わせて、「キャッシュレス化」と称するキャンペーン。クレジットカードなどの現金を使わない小口決済に対して、国費でポイントを付与するという政策であった。ポイントの是非などが話題にされたが、国民がそんなことに気を取られている間に、日常の買い物まで個人別のデータとして記録化されるようになり、その行動管理は着々と進められていると思わざるを得ない。 内閣交替の既視感(2020.9.2) 安倍首相が辞任の意向を示した。表向きの理由は健康状態らしい。 安倍内閣は、旧日本軍の戦争責任を否認するなどの極右言動で、ネトウヨを含む右翼層を支持基盤としてきた(→最悪の内閣(2013.8.15))。一方の鳩山内閣は、一見すると、これと対極に、戦争責任などに関して、アジア諸国との整合性を意識した言動を行ってきた。(もっとも、これは支持基盤を意識した鳩山のパフォーマンスだった可能性もある。鳩山自身は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に属していた。) たとえば、鳩山政権下で叫ばれた政治主導と称した官僚支配の打破と、安倍政権の官僚人事の官邸主導など、見事に符合する。鳩山は、官僚体制から反撃を受け、完全に敗北した。その結果、政権を失っただけでなく、政治生命までも奪われた。その後の選挙に、旧民主党の候補として出馬することもできず、政界から引退せざるを得なくなった。一方の安倍政権は、これに一定程度は成功したようで、森友や加計学園問題などの報道では、「忖度」という単語を用いて、官僚側が官邸の意向に迎合的であったとされる。ただ、安倍は、検察のトップ人事で、検察庁側に敗北し、一気に政権基盤が失われることになった(鳩山も、公設秘書の起訴で政権を失っているので、少なくともこの2人にとっては、検察は踏んではならないトラの尾であった)。 もっと根源的な問題として、鳩山も安倍も、戦後の保守体制(対米従属路線)に抗しようとした形跡がある。 いずれも、対米従属(というより日米安保体制の軍事バランス)から離脱しようとする意図を明確にしたもの。鳩山に対しては、当時のオバマ政権は賛否を示さず静観。安倍に対しては、トランプ政権はむしろアジアから手を引くきっかけとでも思ってるらしく、これに何の反応もないが、トランプが安倍の辞任表明を「残念」とするところから判断すると、安倍に協力させて、在日米軍の撤退をしたかったのかも・・その場合は、駐留経費の増額拒否はトランプの望むところであろう(→アジアから撤退するアメリカ(2019.12.18))。 対米従属からの離脱に抵抗する勢力は、アメリカ側でなく、実は、日本側にいる。やや陰謀論めくが、官僚組織などの隠然たる日本の権力機構がこれにあたるらしい。対米従属路線を築いたのは、幣原・吉田などの戦後自民政権なので、おそらく皇室(戦後の政権によって、対米宣戦を行った昭和天皇まで、戦前からの親英米派にされてしまった)や検察などを含む勢力であろう。だからこそ、対米従属からの離脱を考える鳩山も安倍も、まず官僚組織の制圧を試み、結局は、これに失敗して政権を追われることになったのでないかと考えている。この点は、また、後日に書き加えたい。 自民党内の派閥バランスから考えて、安倍の後継として有力とされるのは、官房長官の菅らしいと報道されている。筆者は、自民党内の情勢に明るくないので、この真偽はわからないが、最後に、この人についてコメントしておく。 新型コロナウイルス感染の第2波(2020.8.1) 7月後半になってから、1日あたりの新規感染者数が1000人規模。緊急事態宣言が発せられていた本年5月頃の数字を上回っている。PCR検査の件数は、最近になってようやく増えてきたらしいが(それでも諸外国に遠く及ばないが・・たとえば韓国より1桁以上少ない)、それを考慮しても、新型コロナウイルス感染拡大の第2波といわざるを得ない。 この感染拡大に対して、政府側の反応は鈍い。・・というより、何の反応もない。政府側が熱心なのは、いわゆる経済対策で、感染症拡大防止に関しては、再度の緊急事態宣言の発出も拒んだままである。 集団免疫によって感染拡大を防止するという汚染国シナリオによるなら(→新型コロナの清浄国と汚染国に二分される世界)、今後数年間は、行動制限を続けざるを得ないはずである。仮に、早期にワクチンができたとしても、それを量産し、人口の過半数ぐらいに接種するには、数年はかかる。安易に日常生活を取り戻せるはずもないし、「コロナ前」に戻ることを前提とした産業界への救済措置は、適切と思えない。 朝鮮半島の緊張(2020.6.19) 新型コロナウイルス感染拡大の第2波について、書こうとしていたら、朝鮮半島軍事境界線の北側、開城(ケソン)で、南北共同連絡事務所(北側は「南北」でなく「北南」と呼んでいる)が「爆破」されたとのニュースが入ってきた。 この爆破については、北朝鮮側の意図が憶測されているが、説得力のある説明はない。金正恩の後継者に擬される金与正の権威を誇示するためとしても、激烈な言辞と行動では、対外的に不興を買うだけ。対内的に考えても、「敬愛する指導者」であることが求められるこの国では、爆破などの破壊行為は、必ずしもプラスにならない。また、北への融和姿勢を維持してきた文在寅政権を敵に回すような行為は、この国にとって有利とは思えない。 日本のマスコミでは、あまり報道されないが、脱北者団体が飛ばしたビラの表現は強烈で、金正恩を「人間白丁(歴史上の賤民の呼称)」などという差別用語で呼ぶだけでなく(この用語は北が南の大統領クラスに使ったこともあるが)、合成写真を用いて、金正恩一族の裸体を表現するなど、卑猥(というより醜悪)なものまで含まれる。筆者が見ても、脱北者団体の政治的な主張や、体制の優位性のプロパガンダなどというレベルでなく、金ファミリーを侮辱して、これを感情的に怒らせることに主眼を置いているとしか言えない。日本刑法で考えるなら、政治主張が含まれるわけでもないので、公益性は認められず、名誉棄損罪がストレートに成立というレベルである。 北の指導部(金正恩、金与正、・・)は、ビラに反発して、激烈な行動を行ったが、その実際の効果は、南の文在寅政権の政治的成果である南北和解の成果物を、物理的に破壊してしまったということである。文在寅政権のダメージは大きい。 [追記:金与正は後継者か?(2020.7.30)] この一連の北の暴挙、金与正の後継者としての地位固めなどと憶測する論者がいる(日本にも韓国にも)。しかし、完全に見当ハズレであろう。(いい加減な評論家に嘆息せざるを得ない。) 新型コロナの清浄国と汚染国に二分される世界(2020.4.20)新型コロナウイルスに関して、筆者は、封じ込められることないと予想した(→新型コロナウイルスに終息はない)。これは、3月初旬時点の判断だったが、その時点ですでに、日本社会には、未検査の感染者が相当数いると見込まれ、積極的な検査でこれを発見し、隔離しなければ、感染者をゼロにすることはできないとする判断である。 論理的に考えるなら、感染症の流行を沈静化させるためには、封じ込めによって感染者をゼロにして、病原体を集団から完全に取り除くか、それとも、感染者の拡大やワクチンによる免疫の集団化によって感染を沈静化させるかしかない。前者は、SARS(重症急性呼吸器症候群、2002年-)の解決法であり、後者は、新型インフルエンザ(2009年のブタ由来のH1N1)の結末である。感染症対策の出口戦略は、基本的にこの2種類。国の政策として考えるなら、病原体の完全な封じ込めを目指す清浄国シナリオか、それとも、封じ込めをあきらめて、感染拡大やワクチンの大量接種によって集団に免疫を獲得させる汚染国シナリオかの二者択一ということになる。 現在のところ、世界のほとんどの国は、少なくとも表向きは、清浄国シナリオを追及している。すでに、中国(本土、香港、マカオ)や台湾、そして韓国では、厳重な行動制限と広範囲の検査で、これらの地域内での封じ込めの成功に、見通しをつけているらしい。たとえば、新型コロナウイルス発祥の地とされる武漢でも、外国からの入国者(一定期間の隔離が強制されている)を除いて、新規の感染者ゼロが報じられている。韓国などの他の国・地域でも、これに近い状況らしい。 一方、アメリカやイギリスを除くヨーロッパ(フランス、北
欧の一部・・)、そしてブラジルなどの政府指導者には、早々と封じ込めをあきらめた言動が見られる。産業の停止などのコストを払うより、適当な速度で感染を広げ、集団に免疫を獲得させるほうが現実的とする考え方である。そうなると、世界は清浄国と汚染国に分けられてしまうことになる。 この稿の最後に、WHO(世界保健機構)の動向に関してコメントしておきたい。日本やアメリカのマスコミの一部では、この組織が中国寄りであるとの話が流されている。トランプに至っては、これを理由に、WHOへの拠出金を支払わないと言い出した。世界的なパンデミックのさなかに、なんとも困ったものである。 興味深いのは、そのWHOが4月中旬になって「ワクチン待望」を言い出したこと。これは免疫に期待するもので、汚染国シナリオの許容と考えられる。清浄国シナリオに成功している中国のハシゴを外し、アメリカにすり寄ろうとしているのか、今後の動向に目が離せない。 日本で現実になる感染爆発(2020.3.20) 新型コロナウイルスの感染者数が、全世界で刻々と増え、本日(2020.3.20)の時点で感染者が約244,500人、死者が1万人超に達しているらしい。これは、もちろん、各国がそれぞれの基準で感染を確定した人数の合計である。 日本政府は当初、感染者を全員、半強制的に指定医療機関に入院させるという政策をとっていた(現時点でも本質的には同じ)。1月下旬の段階で、すばやく政令を改正して、新型肺炎を指定感染症に指定し、強制入院を可能にした。この時点では、外出自粛の呼びかけや感染地域(この時点では中国湖北省など)との交通制限など、それ以外の措置は何もとっていない。 3月に入って、日本政府もさすがに国境管理の厳格化や、イベントの自粛や学校の休校を要請するなど、他の対策らしいことも始めた。しかし、移動制限や行動制限で、感染拡大のスピードは抑えられるが、制限を緩和したら、また大量の感染者発生なので、本質的には時間稼ぎにすぎない。問題は、その稼いだ時間で何ができるかだろう。 それだけならよいが、筆者は、もっと不気味なことを予測せざるを得ない。現時点で無検査の感染者が市中に相当数いることは確実。積極的な検査で、これを隔離(自宅隔離含む)しなければ、週に2倍などのペースで指数関数的に感染者が増えることになる。それに比例して、入院を要する重症者(人工呼吸などの適応)も増えるので、数週間後には本当に医療崩壊が現実になりる可能性がある。イタリアの例で考えるなら、医療が脆弱と報道されているが、先進国レベルの体制があっても、急速な患者数の増大に対応できない医療崩壊が発生し得る。日本でも、同様の事態をを恐れざるを得ない。 新型コロナウイルスに終息はない(2020.3.8)前月の時点で、新型肺炎という名称で報道されていたが、現時点ではその病原体の呼称である「新型コロナウイルス」がよく使われているので、これにしたがうこととする(英語圏では「novel coronavirus」、中国では「新冠病毒」、韓国では「コロナ19(WHOの名称COVID-19によるもの)」が、報道用語として一般的である)。 安倍内閣は、3月以来、イベントの自粛要請、学校の休校要請、中国・韓国などからの入国者への14日間の検疫隔離。そして、これらの国民に発給していたビザの効力停止など、矢継ぎ早に打ち出している。これらの政策(どうやら安倍氏個人、あるいはその側近の思いつきらしいが)の当否は後で考えるとして、ここで確認しておきたいことがある。 これを前提に、安倍内閣の政策の当否を検討しよう。感染者の完全な隔離による終息が無理としても、行動制限で、感染拡大のスピードを抑えることはできる。市中に潜在感染者が相当数いると見込まれるので、今さら水際対策に意味があると思えないが、適当な行動制限で感染拡大のスピードを抑え、それによって、医療体制などを整える時間稼ぎになる。何よりも、医療機関のキャパを超える数の感染者が押し寄せて、対応不能(医療崩壊と呼ばれる)となることを避けなければならない(1月〜2月の武漢市内はこの状況だったらしい)。そのためには、感染地域の封鎖などの移動制限や、学校の休校、集会の自粛などは、感染の機会を減らすという意味で、有効な手段である。中国においては、ほとんど自宅での隔離(外出禁止)レベルで、この移動制限が行われていた。 一方、移動制限は、厳しければ厳しいほど、長期にわたって続けることができないという性格のものである。学校をいつまでも休校にすることもできないし(現時点では「春休みまで」)、また、隣国との往来遮断も長期化すると経済活動に壊滅的な影響を与えることになる(現時点では「3月末まで」)。これらは、いずれも短期間限定の劇薬と考えるしかない 新型肺炎に見る排外主義(2020.2.4) 前月(2020年1月)に入って、中国湖北省の武漢から発生したとされる新型肺炎が話題になっている。2月4日現在で、全世界の感染者数が20000人、死者が400人を超えたらしい。 この新型肺炎の発生を受けて、各国は中国との交通を遮断し、自国民の中国からの退避を始めた。アメリカでは、アメリカ人の中国(武漢や湖北省に限らず中国全土)からの退避勧告と帰国者の米軍基地への隔離、中国に滞在歴のある外国人の入国を禁止した。 この点では、日本と韓国は少し違う対応。日韓はそれぞれチャーター機を派遣して、自国民を武漢周辺から帰国させたが、湖北省を除く中国との交通を遮断していない。日本では、排外主義者が政府の対策を「後手」として騒ぎ、韓国では感染地域からの帰国者(もちろん自国民)に卵を投げつけるなどの暴行にも及んでいるが、日韓政府の対応は、筆者には、少なくともアメリカ政府の対応より合理的に思える。(ネトウヨを支持基盤の一部とする安倍政権だが、政治パフォーマンスより財界への配慮の方が優先なのだろう。) 狭い生活領域を守る生活者にとっては、外来の疫病など、単なる迷惑で、これが排外主義を育てる地盤。この人たちにとって、海外は観光旅行先に過ぎない。自国民の海外での活躍で、自国の経済、そして自分たちの生活が支えられているなど、思いもよらないらしい。チャーター便で感染地域からの引揚者(もちろん自国民)に、高額の費用を負担させて当然とする。普通運賃相当額など、満席近いチャーター機の運賃としては説明できるものでなく、外務省職員の費用(邦人引き揚げのための中国当局との折衝など通常の領事業務のはずだが)や検疫費用(受益者は引揚者でなく日本国内にいる人のはずだが)を、引揚者に負担させるつもりですかね。武漢にいたことは、引揚者の過失といえないはずだが。 [追記:新型コロナウィルス(2020.2.10)] 現時点までの報道などから推測される特徴だが、このウィルス、そんなに強毒性でないらしく、軽症例が多い。潜伏期にも感染するということは、ウィルスが体内で増殖しても、症状がほとんどない例もあるということを示唆している(免疫反応で微熱はあるはずだが)。これが、感染が拡大する要因にもなっている。 カルロス・ゴーンの「逃亡」(2020.1.6)前年末に、保釈中の刑事被告人カルロス・ゴーン氏が、レバノンに逃亡したらしい。 このような事案が発生し、これが、保釈を請求した弁護人や、保釈を認めた裁判所の不祥事とされるようなら、今後は保釈の運用を厳しくするしかない。執行猶予が確実な事案で(逃亡のおそれがない)、自白していて有罪がほぼ確実(証拠隠滅のおそれがない)でない限り、保釈は認められなくなりそうである。 一部のマスコミでは、「桜」の話題から目をそらすための演出などともいわれているが、そうでなくても、この逃亡事件、筆者は日本政府サイド(特に法務省)の意向が影響していることを疑わざるを得ない。日本の刑事司法制度への世界からの批判をかわし(司法制度への批判で逃亡を正当化できないが、逃亡への批判で司法制度を正当化することもできないはずだが・・)、同時に、万一にでも主要な罪状で無罪の判決が出たときに、赤恥をかかされる可能性を排除できる。ゴーン氏側の主張も、その全容が報道されているわけでない。すでに失脚した元経営者に過ぎないゴーン氏に対して、刑事訴訟を続けるメリットより、リスクの方が大きいという判断は合理的。ゴーン氏側にとっても、完全無罪の確信はない(検察のメンツにかけて、証券取引法違反などの微罪でも、有罪判決を取ろうとするはず)。事実上の国外退去に応じる理由はある。 最後に、もうひとつの観点を指摘しておく。ニュースでは、ゴーン氏が逃亡にプライベート・ジェットを使用、大型ケースに隠れて乗り込んだとされている。そうだとすれば、出入国検査や税関検査、そして検疫など(今回は人が隠れられるケースの内容物を確認しなかった)の遺漏である(筆者は官の故意を疑う)。 アジアから撤退するアメリカ(2019.12.18) 北朝鮮をめぐる和平プロセスが停滞している。本年の後半になって、金正恩は飛翔体の発射デモを行い、トランプも北朝鮮上空で無人偵察機を飛ばしているらしい。 しかし、北朝鮮と融和も、その停滞も、実はアメリカの行動として、一貫している。 アメリカにとって、次のプロセスは、間違いなく、在韓米軍の撤退であろう(そのための金正恩との和解)。そして、その次の段階は、在日米軍の撤退。とりあえず、日本と韓国に対して、駐留経費(日本では、いわゆる思いやり予算)の大幅増額を要求しているが、日韓がこれを拒否したことを名目に、在韓・在日米軍を撤退するのが本心と考えるしかない。(以前にも指摘したが、機動力がご自慢の米軍、どこにいても世界の軍事バランスに影響ないので、アメリカとしては、わざわざアジアに駐留させる軍事的な理由はない。) 政教分離原則(2019.11.18) 2019年の当月、新天皇の即位にともなって、大嘗祭が行われた。平成度に続き、現行憲法施行後、2度目の大嘗祭である。 香港の凋落(2019.9.22) アヘン戦争以来のイギリス植民地や租借地であった香港、1997年に返還されて以来、中国の特別行政区とされてきた。 筆者は、香港返還の少し前、1990年代に、所用でこの地域を頻繁に往復していたことがある。地下鉄などのインフラが整い、先進国の体裁をした香港中心部から、九広鉄路で中国本土との境界に着くと、入出境手続き。そして、中国本土に入ると、2階建ての貧弱な駅舎が深セン駅。駅前ロータリーから発着するマイクロバスが、市内の主要交通手段であった。経済特区で、建設中の高層ビルは複数あったが、地下鉄建設も始まっていなかった。せいぜい人口10万人前後の地方都市の雰囲気であった。 香港の今回の民主化騒動、中国の中央政府による直接的な軍事介入はおそらくない。中央政府とすれば、仮に鎮圧部隊を投入するとしても、香港警察の制服で、目立たないように行動させるであろうし、その必要性も高くはないはずである。民主化運動の過激化は、香港の地位低下という危機感を背景にしたものであろうが、香港が鉢植えであるという事実を熟知する香港人(特に財界)が、中国の中央政府と対立する民主化運動に積極的に関与することもない。それだけに、民主化運動、筆者としては心情的には応援したいとしても、その未来には暗い予想をせざるを得ない。 日韓関係の泥沼化?(2019.8.17) 日本の対韓輸出規制を機に、韓国内では、安倍政権を非難する激しい大衆運動が起こっている。 朝鮮半島などのアジアの旧日本植民地や、中国東北部(「満州」)などの日本の旧支配地では、日本の敗戦と同時に、入植者などの日本人を追放し(原則として残留は許されなかった・・引き揚げ)、日本統治に協力した現地の人を、場合によっては民族・国家への裏切りとして処罰したり・・と、旧日本支配の清算が進められた。これは、前政権への批判が、現政権の正当性につながるという政権交替(この場合は国家機構の変更)に際して、よく見られる現象に過ぎない。前政権のほうがよかったなどと言い出すと、政権の維持もできない。前政権を批判するのは政権維持の常套手段である。 日本敗戦後に進められた日本支配の清算、1980年代末になると、少し流れが変わってきた。韓国では民主派の金大中が大統領に就任。この政権にとっては、批判すべき前政権は朴正煕・全斗煥の軍事独裁政権であった(金大中自身も、朴政権によって、日本から不法に拉致されたことがある・・金大中事件)。その批判の理由付けとして使われたのが、まさに日韓請求権協定や日韓基本条約に示された朴正煕の対日姿勢であった。いずれにしても、前政権(朴正煕)への批判が、政権維持の常套手段という政治力学の典型的な表れに過ぎないので、「反日」などと称して、嫌悪感を募らせるにも及ばないはずである。 現在(2019年8月)の韓国の大衆運動は、朴正煕など、過去の政権のあいまいな植民地支配への対応の批判、そして、植民地支配を美化する安倍政権への反感を示すもの。「親日派清算」が叫ばれることがあっても、これは、前述のように、旧日本支配の協力者追求の意味である。韓国では「反日」という言葉は用いられていない。(産経新聞さんは、文在寅を敵視するのはよいが、まさか、朴父娘の政権を賛美しておられるのですかね。) 日米安保体制 (2019.7.14)1951年のサンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安保条約(発効は両方とも1952年4月28日)。この日付を見るだけでも、安保条約が戦後占領の代替であったことは明らかで、アメリカにとっては、日本の自立を形式的に認めつつ、アメリカ軍による占領を実質的に継続させるための仕掛けであった。冷戦時代は、日本はアメリカの世界戦略に組み込まれて、離脱は事実上不可能。その意味で、日米安保条約は、日本防衛の一助にはなったが、仮に(もちろん仮定だが)、ソ連側に近づくなど、アメリカに都合の悪い政権ができたら、アメリカ軍主導のクーデターもあったはずで、そのための戦後占領の事実上の継続であった。 この日米安保体制が、今や終了しようとしている。トランプは東アジアから関心を喪失。北朝鮮とさっさと和解し(どうせアメリカ本土までの運搬手段がないので核の一部は黙認)、日韓の対立なんか気にもしていない。だから安倍は、フッ化水素などの半導体製造に必要な物資の輸出規制という選挙対策のパフォーマンスができた。韓国側は、これを不当とアメリカに訴えたようだが、トランプ政権側は韓国の訴えを無視している。いずれにしても、慰安婦合意を日韓双方に強要したオバマ政権とは様変わりである。 次の段階は、在韓米軍と在日米軍の整理のはず。すでに朝鮮半島での合同演習(軍事演習名目で兵力を集中しそのまま開戦・・が常套手段なので金正恩が緊張する)は無期限中止。日米安保は、4兆円の思いやり予算では不足といいながら、実際には決裂で撤退を目論んでいる。アメリカ軍は、機動力がご自慢の近代軍隊の最たるもの。世界のどこにいても、東アジアの軍事バランスに影響はない。もちろん、いわゆる有事に、日本のために参戦いただけるかは別問題だが、仮に条約上の義務があったとしても(最初に申し上げたように日米安保条約は日本占領のためのフェイク)、消極に考えるしかない。結局、辺野古の海に土砂を投入するという壮大な自然破壊が残るだけだろう。 万世一系のトリック (2019.5.3)5月3日は、日本国憲法の施行を記念する憲法記念日。主権の所在が天皇から国民へ。そして、国家体制も全面的に改められた。いわば、新国家成立の記念日である。論理的に徹底するなら、戦前の大日本帝国と、戦後の日本国は、同名の「日本」という国号を用いるが、法的な連続性のない異質なもの。天皇も、戦前・戦後を通じて同名の国家機関であるが、その性格が異なるので、代数を数えることも、在位年数を通算することもできないはずである。(→今年は明治150年か?)。 今年は、その憲法記念日を含む期間に、一連の天皇代替り儀式。新聞紙上でも、ネットでも、皇室関連の報道であふれ返っている。この報道では、「明治、大正、昭和、・・」の変遷を強調しつつ、国家としての同一性や伝統を強調しているが、このような考え方の極めつけが、「万世一系」であろう。皇位継承に関連して、折に触れてこれに言及する論者もいる。 しかし、この考え方は、単純なトリックにすぎない。およそ、人間(人間に限らず有性生殖をする動物すべて)は、父系と母系の祖先を持つ。それらの祖先を数え上げるなら、誰でも「万世一系」。こんな属性が、決して日本の天皇や皇室に限るものでない。たとえば、筆者にも数百代前の祖先がいるという意味では、筆者も万世一系。・・で、結局、この言葉の言わんとするところは、遠い過去、たとえば古墳時代の日本の支配者が現在の天皇家の祖先であるということらしい(この条件を無視するなら、天皇家でないX家・・たとえば安倍家や麻生家・・も万世一系)。 改元や皇居一般参賀で盛り上がるより、憲法記念日の行事でも報道いただいたほうが、日本国憲法の体制とは整合的でないかと思わざるを得ない。 北朝鮮情勢の急展開 (2019.2.16) 本日になって、やや些末に聞こえるニュースが2件、突然に飛び込んできた。1件は、北朝鮮が拉致被害者とするT氏の生存を2014年に日本政府に伝えていたとする共同通信の報道。もう1件は、安倍がトランプをノーベル平和賞に推薦したとする時事通信の報道である。 まず、2014年に日本政府に伝えたとするT氏の生存。この2014年は、安倍訪朝が話題になっていた時期である。この時点で、安倍は、サプライズ的に訪朝し、拉致問題を解決しようとした形跡がある。制裁の一環として行われていた日本人の渡航自粛も、一時的に解除していた。(その後、核・ミサイル問題が発生し、また渡航自粛に逆戻り・・。そして、T氏生存の情報は、日本政府内で握りつぶされたらしい。) 今までのところ、自公政権は、Jアラートというミサイル警報システムを宣伝するなど、北朝鮮への嫌悪と恐怖を煽ることを政治手法としてきた。 [追記:ハノイ会談の決裂(2019.3.2)] 2019.2.27-28の日程でハノイで行われていたトランプと金正恩の会談について、トランプは合意に達しなかったと発表。トランプにはしごを外されることを恐れていた日本のマスコミには、これを歓迎する論調がある。 安田純平氏の生還とカショギ氏の殺害 (2019.1.7)シリアの反政府勢力に拘束されていた安田純平氏が、昨年の11月に解放された。続報を期待していたが、結局、この人を拘束した勢力の名称すら報道されないまま、この事件が忘れ去られようとしているようでもあるので、あえて、筆者の推測を含めて、コメントしておきたい。 報道によると、安田氏を監禁していたのは、シリアの反政府(反アサド)勢力。その背後は、周知のようにアサド政権の転覆を企図するアメリカとサウジ。日本のマスコミは、アサド政権軍の化学兵器疑惑などを報道して、反アサド勢力に好意的であったが、実際には、ISやアルカイダも含む雑多な集団である。 安田氏の解放は、この対立の力関係の結果と考えるほかない。シリア国内では反アサド勢力が軍事的に劣勢。そして、カショギ氏殺害で国際的に追い詰められたサウジなどが、安田氏を持て余した結果と考えられる(殺害しても政治的なメリットにならず非難を浴びるだけ)。 日本の一部では、解放に際して、身代金が支払われ、あるいは、日本政府(実際には外務省職員)が労力をかけたとの憶測から、安田氏を非難する論調がある。
安田氏とすれば、所期の取材にも失敗しているので、賞賛と無縁かもしれないが、この種の活動に熱心な人がいなければ、真実を報道することもできなくなる。いずれにしても、安田氏を非難するにはあたらない。 Huawei製品の排除 (2018.12.17) 通信機器メーカー、というよりエンドユーザーには、スマートフォンやタブレットのメーカーとして知られる中国のHuawei(華為技術、ファーウェイ)だが、アメリカ政府は同社の製品を政府の調達品目から排除し、民間企業に対しても、取引の自粛を求めている。 あらためて言うまでもないが、通信機器は各国で作られた半導体チップを用いて作られている。価格競争の厳しい民生用の製品の場合、コストが重要なので、Huawei製品もアメリカを含む多様な国で製造されたチップを組み合わせて作られ、また、その従業員の国籍も多様なはずである。日本に工場を設けようとする計画も発表されている。要するに、中国で設立され、中国で登記された中国法人であっても、実際には多国籍企業で、中国敵視の時流に乗って、その製品を排除するのは、それ自体に合理性がない。 その一方で、チップの組込みソフトウェアなどに、通信漏洩などの悪意のある機能を隠すことは、技術的には可能で、いわば、ウィルスソフトに最初から感染した製品を出荷するようなものである。 もっとも、これは、悪意のある機能が隠されているが、それが起動していないだけとの疑惑を完全に排除できるものではない。 Huawei製品の排除は、トランプ政権流の人気取り。本来なら、この機会に、日本政府も、戦闘機などのハイテク機器の調達でも見直したほうがよいと言わざるを得ないが、実際にそんなことをするはずもなく、日本政府のHuawei排除は、アメリカに媚を売るパフォーマンスにすぎないということであろう。 厳しさを増す皇室と日本会議の確執 (2018.11.30) 将来の天皇に擬されている秋篠宮氏が、大嘗祭への公費支出に疑義を示したらしい。 いずれにしても、皇室と日本会議などとの確執、いよいよ厳しくなってきたらしい。昭和天皇のころから、靖国参拝などで対立が見えていたが、戦跡訪問に熱心な天皇と、戦争責任を想起させるような行為に神経質な安倍内閣との確執が先般の退位さわぎ。その上に、大嘗祭(宗教行事)への国費支出などに、皇族(次期天皇)から疑義など、天皇崇敬を看板にする日本会議や、これを支持基盤にする安倍にとっては、自らがかつぐ神輿に反旗を翻されたようなものであろう。 この対立は、日本の国家体制に関して、戦前と戦後を連続する同質のものとするか、それとも、これらを連続しない異質のものと見るかである。 現在は、日本会議などの新しい右翼が、戦後保守本流などの古い右翼を乗り越えようとしているらしい。 徴用工訴訟に関する韓国大法院の判決 (2018.10.31)韓国在住の元徴用工が、戦前・戦中に徴用され、日本で過酷な労働を強いられたとして、慰謝料を含む損害賠償を日本企業に求めた訴訟で、韓国大法院が、個人の請求権は消えていないなどとして、その請求を認める控訴審判決を支持し、日本企業側の上告を退けた。 徴用工が厳しい労働を強いられたことは事実だが、その賠償に関しては、日本政府は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」との立場で、韓国政府もこの立場に合意している。 しかし、これは、他国の裁判所で争われた私人間(韓国人と日本法人)の民事訴訟に関する裁判所の判決であり、日本でも韓国でも、行政機関の権限外。また、国際条約といっても至上のものではなく、日本でも何度も、違憲などの理由をつけて、たとえば日米安保条約の無効が裁判所で争われている(幸か不幸か、日本の場合は、最高裁レベルでは、国際条約を無効とする判決は今のところ出ていないが)。いずれにしても、韓国政府などが行政レベルで対処できない裁判所の判決の問題なので、安倍や河野の「抗議」は、韓国政府を相手とする限り、筋違いと言わざるを得ない。もちろん、安倍や河野も、そんなことは百も承知であろうから、これらの発言は、実質的には、日本国民向けの政治宣伝とするほかない。 50年以上前にさかのぼって考えてみるなら、当時の佐藤内閣が、日韓の請求権交渉で、軍事独裁を強めていた朴正煕政権を相手に、国民の請求権を含めて、「完全かつ最終的に解決」として、3億ドルの無償供与などを行う内容であったが、政治的な理由で、その趣旨をあいまいにしたい日韓双方とも、何の賠償なのか、あるいは、そもそも賠償なのか、単なる経済援助なのかなどについて、国民に向けて説明することはなかった。実質的に考えるなら、ベトナム戦争を含む東西陣営の対立の中で、対米従属を深めていた自民党佐藤政権が、アメリカの意向を受けて、反共の防波堤を自認していた朴正煕政権(もちろん北は交渉からも除外)への援助としたもの。被害者補償に使われることのない金銭を朴正煕の軍事政権に与えたことは、問題を残す結果となってしまったと考えるほかない。 日本の政権にとっては、他国への反感をかきたてつつ、対外強硬策を人気取りの材料にできる千載一遇の機会と考えているかもしれない(いまのところ確証はないが、繰り返し報道する産経新聞などの姿勢を見ていると・・)。しかし、問題の複雑化は、日本企業への影響も大きいのみでなく、安倍が進めようとしている北との対話などにも影響が避けられない(北朝鮮在住の人・・韓国法では法的には韓国人・・にも日韓請求権協定が及ぶのかなど、問題が大きい)。過去の日韓請求権交渉を慎重に振り返りつつも、将来に関しては冷静な対応を望みたい。 成功した朝鮮半島の非核化 (2018.9.20)平壌で会談していた文在寅(ムン・ジェイン)と金正恩(キム・ジョンウン)は、「非核化の方策に合意した」との共同声明を発表した。 例によって、日本のマスコミは、北の核放棄が本当に進むのか、そして、アメリカのトランプが求めるはずの「完全かつ検証可能で不可逆的(CVID)」ができるのかなどで、懐疑的な見方を示している。しかし、筆者が見るところ、朝鮮半島の非核化は、すでにほとんど達成されている。 金正恩が核とミサイルに狂奔してきたのは、斬首作戦などを宣伝され、生命の危機を感じていたからである。戦争になれば敗北必至なことは、理解しているので、体制保証が確実なら核もミサイルも保有する理由はない。(→成功しつつある朝鮮半島の融和(2018.3.8)) 一方のトランプは、6月のシンガポールでの米朝会談で、「完全かつ検証可能で不可逆的(CVID)」に言及しなかった。CVIDは、「(検証可能でないので)大量破壊兵器があるはずだ」という言いがかりを通じて、イラクのフセイン政権を倒す口実にされた。「完全」とはいっても、国土の隅々まで調べることもできないし(フセイン政権のときは大統領官邸に武器を・・という疑惑で開戦。実際にはもちろんなかった。)、「不可逆」とはいっても、少数の技術者がいれば開発を再開することができるので、CVIDは、現実には不可能である。 今回の文在寅の平壌訪問で注目しなければならないのは、サムソン財閥の実質トップなどの財界関係者を同行させたことである。これは、北に対して、制裁解除後の開発プランを見せるためなどと説明されているが、体制保証と生命保持に余念のない金正恩が、そんなことに関心を示すとも思えない。実際にも、財界関係者は同行しただけで、会談に参加したのかもわからない。この同行は、むしろ、韓国財界の融和への期待と考えたほうがよい。韓国の財界にとっては、北の領域を通過して、旅客や貨物が陸路で中国・ロシアと往来できれば、アジア・ヨーロッパ圏との貿易に有利。ソウルから中国・ロシアまで伸びる高速道路や高速鉄道の建設でも受注できれば・・と、夜も眠れないほど期待しているであろう。もちろん、北の安い労働力も・・で、これは、おそらく、中国・ロシアだけでなく、アメリカ企業なども関心を持っているはず。 この点では、世界中で、日本だけが後れを取りそうである。在日米軍の駐留を維持し、陸上イージスを購入してまで、アメリカに媚を売りたがっている日本政府にとっては、マスコミを通じて、「北の脅威」を言い募ることが、重要な国内政治なのだろうが、そんなことをしている間に、平壌には韓国企業やアメリカ企業のオフィスが立ち並ぶことになる。 歴史の客観視 (2018.6.30) 「潜伏キリシタン関連遺産」が文化遺産に登録されるとのニュースが入ってきた。関係する地元にとっては、観光資源ともなるので、素直に喜ぶべきことと思う。 安倍や自民党の一部政治家は、江戸時代のことには冷静に対処するのに(キリシタン遺産の申請は、「明治日本の産業革命遺産」を優先した結果、後回しにされたが)、戦前日本への批判に対しては、激しく反発する。この人たち(というより日本会議)にとっては、理想は戦前の天皇制日本。戦後の民主日本は否認したいらしい。その復古主義が「取り戻す!」という政治スローガンでないかと疑わざるを得ない(→今年は明治150年か?(2018.2.8))。 板門店宣言 (2018.4.27)板門店で南北首脳会談が開かれ、共同宣言が発表された。日本のマスコミでは、例によって、日本政府というより安倍内閣が、かねてから言い募ってきた政治主張に整合するように、都合よく解説しているが、共同宣言を発表する両首脳の記者会見を聞く限り、日本のマスコミの論調は、見当ハズレではないかと思わざるを得ない。 記者会見での文在寅(ムン・ジェイン)の言葉は、朝鮮戦争の終結宣言に向けた強い意欲を語り、それに向けて、将来の首脳会談などに言及するもの。 一方、金正恩は、核やミサイルの放棄について、記者会見では、まったく触れていない。「平和と繁栄」に言及しつつも、制裁の解除を求めることすらない。制裁解除による経済発展、さらに南北統一は、体制の危機にもなるので、望んでいるかも不明。短い記者会見を聞くだけでも、統一への前進を政治的得点にしたい文在寅とは、立場の相違が際立っていた。 筆者は、この会談で緊張が緩和されるなら、素直に評価できると考えているが、「具体的な行動」を条件に圧力緩和とする安倍の発言も、トランプと同様に、状況を見誤っている(あるいは、国内政治向けに、見誤ったふりをしている)。北は制裁解除などの圧力緩和を求めていないし、日本政府は体制保証の相手方にもならない。そして、予想どおりだが、拉致問題(国家犯罪であることは確実だが生存者の存否は疑問)に何の言及もない。 「国民の敵」と愛国心 (2018.4.20) 民進党の参院議員が、国会近くの路上で、現役の幹部自衛官から、「お前は国民の敵だ」と繰り返し罵倒されたらしい。 これは、自らを「国民」の側に置き、これと立場の違う者を、その「敵」と決め付けるというもの。「国民」という言葉は、本来は、国籍で限定される人間の属性であろうが、これに、「理想的な国民」という二重の意義を付与して、反対者はその国籍などを問わず、「国民でない」(往年の言葉では「非国民」)とするものであろう。修辞上の問題として考えるなら、語義の多重性を濫用したトリックである。(念のために断っておくが、こんな語義の多重性の濫用は、文革期の毛沢東が政敵を「人民の敵」とした例もあるように、いわゆる右翼に限らない。もちろん、筆者は、毛沢東の言葉にも違和感を禁じ得ない。) こんな例はいくらでもある。たとえば、日本語の「くに(邦/国)」という言葉は、郷土や国土などの風物と民族を表す意義(漢語では「邦」、英語ではcountry/nationに相当)と、政治機構としての国家を表す意義(漢語で「国」、英語でstate)など、複数の語義が区別できるであろうが、これらの意義を意図的に混同させると、「国」の政策に反対する反政府運動が、「邦」に敵対するものとして、郷土愛の欠如や民族への反逆と同一視されてしまうことになる。さらに、「くに(邦/国)」に現在の国家統治機関としての意義を持たせてしまうと、ある内閣に反対する運動まで、これと同一視されることになろう。安倍内閣が推進する道徳教育において、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を・・」と愛国心を位置づけ、国(国家)と、郷土・文化とを、あえて混同させつつ、「愛国」としているように思えることに、危惧を抱かざるを得ない。 「国民の敵」という自衛官の言葉にコメントするにも、国民という単語の意義を分析して説明しなければならず、それなりに面倒な手続きを要することになる。ここには、日本の国土、戦争被害者も多い民衆、・・など、複雑で重層的な概念構造(基本的には、前段の「くに(邦/国)」と同様)を持つ「日本」を、すべて同一視して、たとえば、戦前の日本軍への批判を「反日」とする日本会議のような安易さはない(→今年は明治150年か?(2018.2.8)、→中国の「抗日行事」(2015.9.3))。筆者が、自衛官の言葉に感じたある種のやり切れなさは、こんなことかもしれない。 成功しつつある朝鮮半島の融和 (2018.3.8)オリンピックを機に急速に韓国と北朝鮮が接近。相互に特使が訪問し、南北朝鮮だけでなく、米朝首脳会談の実施も、お膳立てをしたらしい。 この融和ムード、突然の情勢の変化として、韓国(およびアメリカ)は、金正恩(キム・ジョンウン)に騙されているなどとの論調が、日本のマスコミにある。しかし、筆者などから見ると、この流れは、従来からの延長線上として、至極当然のように思える。 これに慌てているのは、安倍などの日本の一部の政治家。「対話拒否」を政治的アピールとしてきたので、対話を進める文在寅(ムン・ジェイン)やトランプにハシゴを外された格好になっている。しかし、実際にそうなのだろうか?圧力と対話は、ムチとアメで、これらは併用するから効果がある。圧力は対話を有利に進める手段で、圧力を対話と対置させる論法は成り立たない。少なくともアメリカは、「圧力」を口にしつつ、今まで一度も、「対話拒否」などと言ってない。安倍もこのことを知っているので、「対話のための対話」などと、意味不明の語句に言い換えてきた。「対話拒否」は、安倍(と産経新聞などの一部マスコミ)の国内向け政治スローガン(というよりアオリ)に過ぎない。 今回の融和ムード、一時的かもしれないが(北のミサイル発射や、米韓軍事演習などで、一発リセット)、少なくとも、交渉中は核実験などない。軍事衝突となると、地理的に近い韓国と日本で死傷者が予想されるほか、株式の暴落などを通じて、日本経済も壊滅なので、とりあえず歓迎としたい。 今年は明治150年か? (2018.2.8)明治元年は1868年(正確には太陽暦でないので何日かのズレはある)。そこから数えると、2018年は明治150年。これには、なんの疑問もないように感じられるかもしれない。そして、政府主導でイベントなどが企画され、内閣官房は「明治150年ポータルサイト」のWebページまで作っている。 しかし、本当に2018年を明治150年などといえるのだろうか?年数だけを数えるなら、数年前は「大正100年」だったが、公的なイベントは何もなかった。また、「江戸開府400年」など、キリのよい数字を観光振興に活用しようとした地方自治体(23区の一部)はあったが、内閣官房などが関与するものではない。「明治150年」という標語が際立っている。 安倍内閣は、折に触れて、「明治」を強調。たとえば、数年前に安倍が行った「戦後70年」談話(内閣決定)では、その冒頭で明治維新に言及し、これを欧米の植民地支配を打破した偉業とした。そのほか、公共放送(政治的中立を旨とするはずだが、経営委員などに安倍肝いりの面々)では、幕末や明治初年のドラマを積極的に・・と、この動きは、枚挙に暇がない。「明治150年」も、その一環と考えられる。 もうひとつの歴史観とは、戦前の天皇制日本と戦後の日本は、連続性のない異質なものとするもので、たとえば、戦後の憲法学では、この考え方が主流であった。国体(主権の所在・・往年は天皇主権とされた)が変更不能とする憲法学のドグマに基づくものでもあるが(変更不能なはずの主権の所在が変更されたので、以前の国が断絶して、新しい国!)、戦後の国民や政治家たちが、戦禍を引き起こした旧天皇制日本の指導層と、自らを区別する心情にも由来した。 この考え方に基づくなら、天皇を主権者とする大日本帝国は、国家としては敗戦によって断絶し、現代の日本国は、その後に主権を掌握した国民によって作られたものとなる。天皇も、戦前戦後で同名だが、戦前戦後で異質な別の国家機関となろう(連続しないので、「昭和60年」などと考える余地はない)。日本共産党系の勢力は、「新日本」という言葉を好んで用いていたが、左翼勢力に限らず、戦後の保守本流を形成した政治家たちも、戦前との断絶を強調していたはずである。戦争は陸軍などの好戦的な勢力が引き起こしたものとして、保守政治家や皇室までもが、自らを戦争被害者と位置づけていた。この立場からは、自らも戦争責任を追求する側となるので、連合国やアジア諸国からの軍国主義非難などに、同調的であった。(戦後の保守本流とされた政治家は故人になったが、皇室に関しては現在でもこの傾向が見られる。今般の生前退位さわぎも、戦跡訪問などに積極的な天皇と、戦争責任を想起させるような行動を嫌う安倍との軋轢と思われるが、この点は、別に・・) 安倍や日本会議などは、これを乗り越えたいらしい。「明治150年」などという標語で、天皇制日本と現代日本を連続性のあるものとすることによって、天皇制日本の戦争責任を追求するアジア諸国の声などを現代日本への敵意と同視。これを「反日」として、反感を煽るのが安倍の手法である。 戦前日本などをどう評価するかは、各人の政治的な立場の問題であるが、少なくとも、国家予算を使って「明治150年」を宣伝し(Webページだけでも大手広告代理店経由で巨額の費用)、小中学校などの公教育でこれを強調するのは、教育基本法で禁じる政治教育とされるおそれもあることを指摘しておく。 日韓慰安婦合意 (2018.1.6) 2015年末に締結されたいわゆる日韓慰安婦合意は、慰安婦問題の解決を確認するとともに、元慰安婦を支援するために、日本側が10億円を拠出するという内容。合意発表当初は、日韓双方で最悪の評判だったと記憶している。 原子力発電と安全保障 (2017.10.9) 原発は、地元対策や事故後の廃炉まで、税金をバンバン投入しているので、一見すると、火力などより、発電コストは安い。で、これを推進して、地元に金を引いて・・に積極的な知事や議員も多い。 教育勅語 (2017.3.31) 「我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に・・」とする皇国史観に基づき、「緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」として、天皇制国家への服従を求めるこの歴史的文書は、戦前教育の基本理念とされた。戦後においては、一転し、軍人勅諭と並んで、戦前日本を戦争の道に追い込んだ元凶として、国会では、その「失効」が決議された。 急速に高まる改憲議論 (2016.7.14) 参院選が終わったとたんに、なんと天皇が退位の意向を示しているとの報道があった。 天皇の退位は、現行の皇室典範に規定がないので、この改正が必要なほか、憲法との関係でも問題になる。憲法は、退位を明示的に禁じるものでもないが、現在の皇族の範囲のほかに、元天皇という皇族を作ることにもなり、皇族の範囲拡大につながり、法の下の平等から考えても問題があるほか、摂政を置くとする現憲法の規定との整合性も問題になる。 時系列から判断すると、皇室典範(旧憲法下では法律でなく憲法と並ぶ欽定の最高規範)とセットで、憲法改正の機運を盛り上げたいらしいが、そのために天皇の発言をリークしたのであれば、天皇の政治利用とせざるを得ない。 北朝鮮の「水爆」 (2016.1.7)新年早々に、北朝鮮の核実験のニュース。数時間後には北が水爆実験に成功したと発表した。もっとも、アメリカと韓国の当局は、この発表を疑っているのか、それとも、北朝鮮の技術水準を低く見せたいのか、水爆でなく原爆でないかとの説を流布している。しかし、筆者は、状況から考えて、水爆でないかと判断している。 水爆には、重水素やトリチウムが必要だが、この分離はウラン濃縮より容易。そして、これらが少量でもあれば(原爆のように臨界量・・最低必要量の制限はない)、原爆の高温で核融合反応を起こすので、「水爆」と言える。 ミサイルに搭載できるか否かは不明。そして、大型の爆撃機も保有していないはずなので、現実に他国への攻撃に使用できるとも思えず、現在のところ、軍事的な意味では、現実の脅威ではない。 中国の「抗日行事」 (2015.9.3)北京で記念式典と軍事パレードが実施された。これには、ロシアのプーチンや韓国の朴槿恵など、首脳級を含む49カ国の政府代表団や潘基文国連事務総長ら国際機関の代表らが出席している。 日本の一部マスコミでは、これに関し、「反日」と決めつけている。さらには、日本対中国という構図を作り、国連関係者がこの行事に出席することを「中立性に反する」などと騒ぎ立てる。国際法的な意味では、国連は「中立」でなく、国連軍を組成して戦争当事者にもなるという自明の話はともかく、国連職員の行動として、問題とすべきものとは思えない。(これに乗じて、国連への嫌悪感をあおり、「国連よりニチベイドウメイ」という政治宣伝ですか。) 「取り戻す!」と呼号して、戦前日本を理想化するらしい安倍は、これに反感を覚えるらしいが、戦前の親英米派の流れをくむ往年の自民主流(幣原・吉田・・)らも、日中戦争に反対し、ファシストへの勝利なら歓迎のはず。 安保法制 (2015.7.17)安保法制が強行採決で衆議院を通過した。政府与党は、中国脅威論をまき散らしながら、日本の防衛に不可欠と称するが、現実には、安保法制と日本防衛とは関係ない。 現在の国際社会で、核保有を公認されているのは、安保理常任理事国の5か国のみ。非公認だが核保有を確実視されているのは、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮ぐらい。日本は、核兵器を持った中国と戦争できるはずもない。安保法制は、政府与党も認めているように、アメリカ軍を支援するためであり、アメリカ従属の仕掛けのひとつでしかない。 アメリカご用達の案件は、政治生命を終わらせても、通さなければならないのが、60年安保の岸内閣以来の伝統・・というか、アメリカ従属国の政治ルール。 安倍後継と目されている政治家は、安倍の手法から距離を置きつつも、安保法制に異を唱えず、アメリカのご機嫌を損ねずない狡猾さを示している。 翼賛マスコミ (2015.3.12)元首相の鳩山由紀夫が、ロシアが支配するクリミア地域に入域、ロシアによるクリミア併合を支持する発言をしたらしい。これに関して、一部のマスコミは、「クリミア併合をめぐり対露制裁で足並みをそろえる欧米諸国から日本政府への不信感が増幅すれば、今後の外交にも影響しかねない」(産経新聞)などとして、日本がロシア側とみなされ、「欧米諸国」との関係に問題が生じるかのように報道している。 しかし、冷静に考えれば、この種の懸念はまったくあたらない。鳩山は、元首相として国際的にも知名度がある。しかし、この人の発言によって、日本政府(自公政権と安倍内閣)の政治的意思に、「誤解」が生じる懸念など、ほとんど想定できない。政権が交替して、鳩山が現在の日本政府と関係ないことは知れているはずであるし、仮に、外国の一部に誤解があっても、ロシアにも、ウクライナにもある在外公館を通じて、容易に訂正できる。対日経済制裁などを考慮する「欧米諸国」の国など、あるはずもない。 鳩山の発言は、ロシア側報道の伝聞にすぎないので、その真意もわからないが、筆者は、ロシアによるクリミア併合を支持するつもりはない。しかし、政治家(元政治家)、あるいは、一般国民が、この問題に関して、いろいろな意見を持つことは想像できる。国際法上の適法性だけでなく、ロシアとEUとの対立構造の問題でもあるからである。この種の意見表明を理由にして、旅券返納命令で出国を禁じるなど、論外であろう。 自公政権や安倍色に反する多様な意見を許容せず、政治的な意見の相違を、日本への敵対行為と決めつける翼賛マスコミには、嫌悪感を禁じ得ない。 幼稚な愛国主義 (2014.11.11)韓国・北朝鮮と中国の「反日」は有名であるが、これには明白な理由がある。韓国・北朝鮮は日本による統治を経験し、中国も、広範囲にわたって、日本による占領を経験している。韓国・北朝鮮と中国の現政権は、日本による支配を打倒して成立したものである。現政権が前代の政権(日本)を非難するのは当然であろう。「前政権のほうがよかった」などと言っていては、政権維持なんか、できないからである。 この事情は、「親日」と扱われている台湾も変わらない。台湾も、ごく最近まで、厳しい「反日」であった。これが転換したのは、1990年代になってから、蒋父子(蒋介石・蒋経国)の政権が終わり、その後継政権(李登輝などの台湾人)が、前政権(蒋父子)を非難するなかで、「日本統治時代のほうがマシ」というロジックが出てきたのである。 このように、前政権への非難は、現政権の正統性そのもの。現政権である自公政権が、前代の民主党政権を非難するのと同列で、政治の世界では、ごく自然な現象というほかない。また、「反日」といっても、過去の日本統治を非難しているだけであって、現代日本と直接の関係はない。戦前の日本軍国主義への非難なら、多くの日本国民の生まれる前のことに過ぎず、反論(誤解への訂正欲求)も共感(日本国民の軍国主義被害者も多い)もあるはずだが、現代に生きる日本人の感情を害する問題とは思えない。 その一方で、日本製品や日本料理店を破壊する反日デモなど愛国心を誇示するためとしか思えないパフォーマンスを繰り広げる個人レベルの「反日」には、感情的にも違和感を覚えることがある。もちろん、嫌韓デモなど、日本で行われていることも、これと同列で、失礼ながら、幼稚な愛国主義とでも申し上げるほかない。 最悪の内閣 (2013.8.15)安倍首相は、本年の8月15日の戦没者追悼式の式辞において、「反省」を口にしなかった。安倍の式辞には、「世界の恒久平和に」との文言はあるが、これは第二次世界大戦の対米英宣戦布告詔書の「東亞永遠ノ平和ヲ確立シ」と重なる文言としか思えない。 ネトウヨ諸氏には、誤解しておられる向きもありそうだが、戦争の被害者には日本国民も含まれる。そして、「反省」は、精神的な内省などではない。生まれる前の戦争について、安倍首相の内省などを求めても意味がないからである。「反省」とは、無謀な戦争に導き、日本の兵士を含む多くの人命を損なうに至った往年の戦争政策(「軍国主義」との標語で語られることもあるが、政策全般を問題にしたい)を厳しく批判して、これと決別することである。植民地支配(第二次世界大戦の直接の原因である)を受けたアジア各国のほか、元兵士を含む日本国民にも、日本政府の「反省」を求める正当な権利があろう。 この「反省」は往年の戦争政策との決別なので、靖国神社などの往年の戦争推進装置にも目を向けさせることになる。戦争被害者でもある兵士を「英霊」として祭ることは、宗教団体が行うべき宗教行為かもしれないが(同意なく合祀された兵士の遺族から訴訟も起こされていることを忘れてはならない)、往年の政策決定者(東京裁判のA級戦犯を包含するが、それに限らない)を合祀した神社への参拝(安倍本人は参拝しないことを無念として「玉串料」を出したらしい・・確認不能)は、「反省」と相容れるものではない。そして、すべてを否定すべきでないという意味で、その対応には個別の問題があるが、君が代、日の丸、そして天皇制などへの批判も、当然のこととせざるを得ない。 日本国民の中にも、「二度と戦争を繰り返さない」との強い思いで、たとえば君が代を忌避する人が少なくないはずである。これを安易に「反日」などの標語で攻撃するネトウヨの単純な思考には、筆者としても、辟易とせざるを得ない。 首相安倍の異様さは、「反省」への不言及など、ネトウヨに迎合したかに見える政策を意図的に推進し、隣国から総スカンを喰らい(中韓とは首脳会談すらできない)、アジアでの緊張を好まないアメリカからの制止で、靖国神社参拝だけを思いとどまったらしい・・など、もちろん、意図的に行っていることであろう。その「意図」については、次の機会に申しあげたいが、とりあえず、この内閣には、戦後「最悪」との標語を奉っておきたい。 従軍慰安婦 (2013.5.25)「維新」という復古調の名称を名乗る政党の「共同代表」が、「従軍慰安婦は強制でない」などと主張し、国際的な非難を浴びている。 戦前の売春は、いわゆる公娼制度として、公的な管理の下で、適法化されていたが、前借金などで従業者を縛るシステムで、従業者の廃業も、事実上は制約されていた。こんな管理売春を強制でないなどと称することは、人権意識の低さを露呈するだけでなく、元従業者の人格を傷つけるを侮辱的言辞である。 「従軍慰安婦は強制でない」との論は、小林よしのりなど一部の論者が声高に主張し、産経新聞(イザ!)系の右翼マスコミに乗って、ネトウヨの世界では通説化しつつあるらしい。従軍慰安婦に関して、強制連行などの暴行・脅迫の「証拠がない」というが、これは、警察や軍の管理下で適法な営業を装った従軍慰安婦と、南京などの占領地で日本軍が実際に行った戦時強姦などとを意識的に混同させるスリカエの論であろう。従軍慰安婦に「強制」がなかったかは、往年に適法だった軍隊相手の売春業において、甘言や前借金など、不当に人身を縛るシステムがなかったかの問題。そして、軍が関与したかは、従軍慰安婦を積極的に「利用」したのは自明の(もちろん恥ずべき)事実として、この組織化、そして、その管理売春の運営に、どの程度、主体的に関与したかの問題である。結論は、申し上げるまでもないかと思う。 戦争犯罪を含む往年の日本帝国の国家犯罪の否認が日本の誇りにつながるとは、とても思えない。また、これを追及することは、決して、「反日(ネトウヨ用語)」ではない。 過去の国家犯罪(日本帝国の犯罪を含む)について、厳しい態度を保持することによってのみ、連合国側の戦争犯罪や残虐行為(アメリカによる原爆投下やソ連によるシベリア抑留など、日本人を被害者とするものも多い)を、正当に追及し得る立場に達することができるはずである。過去をあいまいにすることは、日本国民を含む多くの戦争被害者に対する裏切りであろう。 意図的に作られた近隣諸国との緊張関係 (2013.4.25)本年3月、靖国神社の春季大祭にあわせて、安倍内閣の閣僚数名と、過去最大数の百数十名におよぶ国会議員が参拝し、安倍首相は真榊(まさかき)を奉納した。 安倍首相は、「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」と称して、閣僚の靖国神社参拝を奨励ないし容認。「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由を確保している。」とするが、仮に、閣僚がナチスの戦犯やアルカイダのテロリストを賛美すれば、国際的に非難を浴びることは間違いない。問題は安倍首相が「確保している」とする「自由」の内実である。合祀されているA級戦犯等も一括して「英霊」と称しつつ、「尊崇の念を表する」では、「死者にムチを打たない」という日本的な倫理で説明しようとしても、国際的に通用しないであろう。 批判を「脅かし」とされた韓国・中国、そして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、当然ながら、激烈な怒りのコメント(靖国参拝に関しては、日本国内からの批判・非難も多い)。韓国は予定されていた外相の訪日を中止した。アジア諸国の対日感情は悪化した。北朝鮮問題などで日中韓の足並みが乱れるのを恐る米国が、訪日中の米バーンズ国務副長官を通じて事情説明を求めるほどの事態である。 ご自分の人気にしか関心のなさそうな一部の国会議員を除いて、閣僚各位はこんな結果を予期していたはずである。諸外国の反応を計算しつくした政治家としての行動と考えるしかない。近隣諸国からの批判は、安倍内閣の閣僚らが自ら望んで招いた結果である。北朝鮮の恐怖を過大に宣伝する操作と合わせて考えると、軍備増強などの口実作りのため、近隣諸国との関係悪化を仕掛けたのではあないかと疑われる。 やや穏当を欠く比喩かもしれないが、銃撃で死傷者が出た場合に、主として責任を負うべき者は発砲した側であるとしても、銃口が向けられていることを知りながら、その前に立つことは、自ら被害を招く行為と評価するほかない。 尖閣諸島 (2013.1.16) 最初に申し上げておくが、問題の島が日本領なのか、台湾に属する中国領なのか、筆者にその知識はない。日本政府の政治的立場は承知しているつもりだが、領土の帰属を決めるのは、どちらが先に占有したかなどの歴史的事実の問題であり、筆者にはその史料を判読する能力もないからである。 論拠A「1895年に、清朝の支配が及んでいないことを確認し、閣議決定で領土に編入した」 一読すると、説得力があり、尖閣諸島が日本の領土であることは、法的にも疑問がないように感じられる。しかし、少し注意深く考えると、こんな論拠では、「自明の日本領」などとはいえないことがわかる。 政治的に考えた場合、現実の解決策は、「未来志向」、換言すれば、棚上げしかない。現在のところ、実効支配しているのは日本側である。現状維持は、日本側にとっては不利な選択ではない。無用の紛争回避が「国益」であろう。 人工衛星 (2012.12.12)北朝鮮が人工衛星の打ち上げに成功したらしい。「南向き発射」など、人工衛星の打ち上げとしては、やや不利な選択をしていたので、衛星軌道に乗せる目的ではなく、弾道軌道の実験かと疑ったが(北朝鮮の人工衛星(2009.4.2))、この憶測は外れた。 米軍は、この人工衛星について、「物体を乗せたミサイルが軌道に乗った」などと称している。しかし、英語でも日本語でも、「ミサイル」は標的を想定した飛翔体を指称するのが通常。弾道ミサイルや巡航ミサイルはあっても、たとえば、スペースシャトルを「ミサイル」とはいわない。「ミサイルが(地球周回)軌道に乗った」は、言葉としておかしい。軌道に乗ったなら、それは人工衛星と呼ぶほかない。 誤解を招かないために申し上げておくが、筆者は衛星軌道に乗った飛翔体を「人工衛星」と呼ぶべきと主張するだけで、これが「ミサイル」開発の一環であることを否定しない。問題は、北朝鮮の国威発揚にお付き合いすることでもないし、呼称を変えてそれを否認することでもない。核開発も進める危険な国の技術力を正視して、それに対して、適切な措置を講ずることである。人工衛星を打ち上げる技術があれば、地球上のどこにでも、ミサイルを落とすことができるはずである(命中精度を問わなければ、射程距離は無限大)。また、「南向き発射」とすれば、極軌道(北極・南極を通過する軌道で、高緯度地域の上空も通過することができる)への投入に成功し、北朝鮮の偵察衛星なども現実になったと考えるしかない。 歴史認識 (2012.11.11)領土問題に劣らずホットな議論となるのは、いわゆる歴史認識の問題である。ここでいう「歴史」は、主として明治維新以降の近代史、特に、第二次世界大戦の時期における日本軍の行動や植民地・占領地の行政を問題にするもので、「南京大虐殺」や「強制連行」、そして、「従軍慰安婦」などが採り上げられている。 日本側では、これを否定する論調がある。たとえば、南京大虐殺。これを南京市民の死者数が通常の戦闘行為で発生する程度の少数だからという理由で、「存在しない」としたり、「従軍慰安婦」について、朝鮮人を含む業者の営業行為で、軍は通常の公娼制度(「公認」という意味でこの言葉を用いる)を利用しただけなどとする。日本人としては、この種の論調が耳に心地よいかもしれない。 念のために申し上げておくが、この種の問題は、二国間交渉を有利に進めるために相手国から持ち出されたのであれば、日本としては、誤った事実の訂正を求めるのは当然である。死者数によって賠償額も変わるはずなので、主張すべきは主張すればよい。また、賠償等によって解決済の案件については、再賠償を拒むのも当然で、これは国際政治のテクニックの問題である。 第二次世界大戦の時期の話題とすれば、日本が声を大にして叫ぶべきは、日本側の行為の否認や正当化ではなく、原爆投下や東京大空襲を含む都市爆撃などの被害であろう。これらについては、行為者(主としてアメリカ)の側にも、正当化の論理があろうが、非戦闘員が殺害されたことは、争いようのない事実である。実体不明の「日米同盟」などに遠慮せずに、その不当さを堂々と主張することが、戦争の悲劇を二度と繰り返さないためにも、必要ではないかと思える。 国粋主義 (2012.9.28) 安倍晋三元首相が自民党総裁に就任した。折しも、日中関係は、東京都知事の石原慎太郎の尖閣諸島に対する無責任なお節介が発端で、国交正常化後で最悪の状態となっている。 さて、冒頭に申し上げた安倍晋三の問題に戻ろう。この人が以前に首相だったときの政治スローガンは、「美しい国、日本」。これだけでは、無内容な美辞麗句に聞こえるが、安倍内閣が平成18年当時に国会に提出し、強行採決で成立させた改正教育基本法から語句を拾うと、「伝統を継承し」、「我が国と郷土を愛する」・・で、この言葉は、「国粋主義」を言い換えたものらしい。 北朝鮮の人工衛星 (2012.3.20) 北朝鮮が4月中旬に人工衛星を発射すると発表した。日本などの多数の国からは、「ミサイル」として非難されている。北朝鮮の人工衛星打ち上げは、2009年4月以来の、3年ぶり。前回も、「ミサイル」と非難されたが、このときは、衛星軌道に乗せることを目的としたらしいので、その意味では、本物の「人工衛星」であった(迎撃ミサイル(2009.4.2))。 衛星を打ち上げ、これを周回軌道に乗せるためには、8キロメートル/秒ほどの速度にまで加速しなければならない。このためには、地球の自転方向である東に向けて打ち上げたほうが有利である。自転の速度(北緯40度付近で0.3キロメートル/秒ほど)を利用することができるからである。 仮に、これが「人工衛星」であったとしても、ミサイル技術を用いたもの、あるいは、ミサイル技術の開発を目的としたものには違いない。しかし、「ミサイル」と決めつけて、過剰に反応べきはなかろう。なお、その破片が日本付近に落下するとしても、「命中」する確率はゼロに等しい。 北方領土 (2011.10.15) 筆者は、竹島や尖閣の領土問題について、その判断を避けてきた(たとえば、→「竹島」)。先発見や支配実績の証拠されているのは、中世の古文書。筆者には、その真偽判定はもとより、判読もできないからである。たとえ、ナショナリスト諸氏に非難されても、竹島や尖閣の帰属問題は、「わからない」と申し上げるほかない。 戦後、65年以上経過しているが、「第二次世界大戦の結果」は確定したものではない。 見苦しい居座りの功績 (2011.8.24)菅首相が、ついに退陣を表明した。この首相については、「思いつき」、「会議の乱立」・・と、評判がよくない。しかし、人気を落とした本当の理由は、潔さを至上とする日本的価値観に反して、居座りを続けてきたことであろう。その結果が、マスコミの調査で15%程度という歴代内閣でもほとんど例を見ない低支持率である。 この首相は、その不人気を挽回するためか、人気を至上とする政策をつぎつぎに実行してきた。原発関連では、浜岡を停止し、玄海の再開をストップ。その反面、人気に悪影響のありそうな沖縄海兵隊の普天間移転などは、震災対策の影に隠れて、忘れたフリをすることで、凍結し、対米従属を至上とする政治家・官僚に抗してきた。その動機が自らの延命のためであったとしても、結果としては、世論の大勢に沿った政治と評してよい。これは、人気絶大だった小泉元首相が、世論の大勢に逆らって、アメリカの対イラク戦争に加担したのと逆の構造であろう。 筆者としては、この首相の見苦しい延命を見続けたい気がしていた。残念ながら、菅のほうが、海江田や野田、そして前原などの後継候補たちより、そして、谷垣などの野党党首らより、少しでもマシに思えたからである。 菅の後継首相には、就任早々に、「辺野古移設の日米合意」などと言い出さないことを願うしかない。 経済の縮小 (2011.5.30)報道されている数値では、東電の電力供給量は、最大で4000万kW(キロワット)程度。関東圏の人口で単純に計算すると、人口一人あたり約1kWで、原子力発電の比率を30%とすると、一人あたり300Wほどを原子力に頼っていることになる。発電用原子炉1基あたりの電気出力を60万kW(稼働中のものと、燃料の入れ替えや定期点検のために休止中のものを含めた平均なので、公称最大出力よりは低い値)とすると、人口200万人(出力60万kWを各人が300W使うから60万kW/300Wで200万人)ごとに1基の原子炉が必要という計算になる。 一方、国内にある発電用原子炉は、60基弱。日本の総人口約1.2億人で60基とすれば、この計算からも、人口200万人ごとに1基の原子炉という結果が導かれる。この数字には、稼働中の原子炉だけでなく、休止中のものも含まれるが、原子炉に連続的に燃料を供給する方法はなく、一定期間の後、運転を止めて、燃料の入れ替えをしなければならない構造。稼働率100%はあり得ないので、休止中の原子炉を算入するのは自然であろう。これが現在の生活水準を維持するために必要な電力量(もちろん産業用電力を含む)らしい。 さて、この先は仮想の数値。世界の人口は、近い将来、100億人に達するとされている。この人口に、「人口一人あたり1kWの電力」をあてはめると、出力50万kWの発電所が20000箇所必要になる。「人口200万人あたり原子炉1基」を適用すると、原子炉が5000基も必要になる。こんな数を実現するためには、世界の海岸を発電所で埋め尽くさなければならない。全世界のすべての人に、先進国並みの生活水準を考えるなら、この荒唐無稽で危険な数値を想定せざるを得ない。 日本政府(というより与野党の大半と御用経済学者たち)は、再生可能エネルギーや省エネルギーに関する投資で、経済を拡大させようと提唱する。地球温暖化でも、電力不足でも、何でもビジネスチャンスとする発想だが、その論理的帰結は、「発電所が20000箇所」、「原子炉が5000基」である。(今回の震災に際して、「自粛」という経済縮小策で応えた庶民のほうが、ずっと現実的な経済感覚であろう。) 「経済学」が社会科学の看板を掲げ続けたいなら、いい加減に、経済成長のドグマから離れ、縮小の経済学でも研究いただきたい。 ビンラディン殺害 (2011.5.7)アメリカの特殊部隊がビンラディンを殺害した。最近において、この人物がどのような役割を果たしていたのかわからないが、アルカイダにとっては、せいぜい指揮者ひとり分の損失・・とすれば、その戦力にほとんど影響しないはず。(軍最高司令官のオバマ大統領を殺害しても、アメリカ軍の戦力に影響しないのと同じである。) アメリカ司法長官は、武器を持たないビンラディンの殺害について、第二次世界大戦中に、山本五十六(日本海軍の指揮官)の乗機を撃墜して、これを殺害したことを引き合いに出しつつ、戦闘中における敵指揮官の殺害として、正当だったと主張した。敵の戦闘員を無警告に殺傷してよいとする往時の戦時国際法を髣髴とさせる論理だが、今回の殺害に適用しても、失笑を買うだけである。 というのは、この論理は、アメリカとアルカイダが戦争状態であることを前提とする。しかし、アルカイダは、国家でも交戦団体(国家に準じて戦争当事者となることを承認された内乱兵力)でもなく、これとの戦争状態は、考えられない。アメリカは「テロとの戦い」を標榜するが、これは政治上のスローガンに過ぎず、国際法上の宣戦布告ではない。 また、仮に、アメリカとアルカイダが「戦争状態」とするなら、アルカイダにとっても、アメリカ軍の戦闘員を殺傷することは正当な戦闘行為となる。その結果、身柄を拘束されても、戦時捕虜の待遇を受け、犯罪者として処罰されることがなくなる・・ アメリカ司法長官も、こんな論理的帰結を望んでいるわけでもなかろう。「テロリスト」、「犯罪者」とするなら、国際法を無視した他国領土での殺害作戦でなく、正当な裁判を経た処罰を試みていただきたい。こんな殺害は、軍事的にはほとんど無意味だが、政治的には、反米感情を煽り、更なる混乱を惹き起こすだけである。 大阪都構想 (2011.4.14)統一地方選挙の前半戦、大阪では、「大阪都」構想を提唱する知事の地域政党が圧勝した。これは、戦争と何の関係なさそうな話題だが、そうでもない。 現在のところ、「都」は東京都だけ。そして、これは、第二次世界大戦中の1943年に、当時の「東京市」と「東京府」を解体してできたもの。戦時体制整備の一環である。 戦後においても、東京都の区は、憲法上の地方公共団体でないとされていたが、地方自治強化の流れの中で、首長公選など、市町村に相当する地位を認められるようになった。「市」の存在を認めなかった都制度を、事実上修正してきたわけである。 行政手腕のある知事にとって、議会や市の存在など、行政の効率化を妨げる元凶にも思えるはず。しかし、意思形成に手間と時間のかかる「非効率」こそ、民主主義の本質ではないのか?これを、安易に上位下達のシステムに置き換えてよいのか?「市」を抹殺する「大阪都構想」は、議会無視の専決処分を繰り返した鹿児島県の某市長を思い起こさせる。 この種の政治手法には、戦争のにおいが・・は、ちょっと言い過ぎかもしれない。しかし、首長個人の人気に頼りつつ、議会などを、首長の「政治」に反対する非効率な団体として敵視していることなどを考え合わせると、「ファシズム」に通じる政治手法であることは否定できないであろう。ついでに申し上げると、問題の知事が率いる地域政党は、「大阪維新の会」で、街宣車が好みそうな「維新」を名乗っている。 震災を「天罰」と言い放った東京都の困り者知事に続き、特異なキャラクターの大阪府知事、・・と続き、地方政治にも目が離せない。 疑惑を呼ぶマグニチュードの上方修正 (2011.3.23)「戦争」特集とは、やや外れた話題だが、ご容赦いただきたい。広島型原爆で使われた放射性物質は、せいぜい数十キログラムだが、発電用の商業原子炉で使われている核燃料は、1基あたり数トンである。ある意味では、核兵器より何百倍も危険なのが原発。世界の関心が集まるのも当然である。 原発の問題について、日本政府は口先でつくろいつつ(「(検出されている放射性物質は)健康にただちに影響ない!」など)、小手先の遁辞で、責任逃れを図っているように思われる。表題の話題も、この一環ではないか。マグニチュードの値は、地震後しばらくして発表されたが、そのマグニチュードは、「7.9」から「8.4」。そして、「8.8」と何度も上方修正され、ついに「9.0」。日本周辺での観測史上最大の地震とされてしまった。 マグニチュードには、複数の算出方法があり、大地震では、互いに少し違う値となることはよく知られている(小地震では、同じ数値になるように較正されている)。何度目かの上方修正からは、観測された地震動の強さから算出される「気象庁マグニチュード」でなく、巨大地震で大きな値となる「モーメントマグニチュード」で算出するようになった。大きな値となるように、モノサシを取り替えたわけである。 そして、「9.0」とされた最後の上方修正は、「3つの巨大な破壊が連続して発生」、「当初は1番目の波形に注目して8.8と発表したが、やや南方で発生したと思われる2、3回目の波形と総合的に再解析した結果」らしい。換言すると、「マグニチュード8.8の地震と、その直後数分間に発生した別の地震のマグニチュードを合算すると9.0になる」ということであろう。こうなると、地震の数の数え方の問題。5分以上もの長時間(単独の地震としては例のない長時間)に発生した複数(当初は「3個」と数えていたらしい)の地震のマグニチュードを合算すれば、数値が大きくなるのは当然。ついでに、その後の余震のマグニチュードまで合算したら、際限なく大きな値になろう。
・・・ 前置きが長くなったが、本題に入りたい。これらの上方修正は、その発表の時期などから判断して、次の「疑惑」を感じざるを得ない。 気象庁は、何らかの政治的圧力を受けて、マグニチュードの値を上方修正したのではないか?そして、その政治的圧力の根源は、原発事故を不可抗力に見せかけ、これを推進してきた人たちを免責するためではないか? 今回は、疑惑の提示だけとしておきたい。(筆者は、数値に小手先の細工を加えることで、「想定を超える災害」とする免責のロジックを問題にしているのであって、決して、今回の災害や被害を小さく評価しているわけではない。念のために、付言しておきます。) 「抑止力は方便」 (2011.1.15)鳩山前首相は、マスコミとのインタビューで、普天間基地の移設問題に関連して、「辺野古移設しか残らなくなったときに理屈付けしなければならず・・(米海兵隊の抑止力は)方便」と発言したらしい。「米海兵隊の抑止力」を維持するために、沖縄駐留が必要とする公式見解を、前首相自らが否定したことになる。 短時間で全世界に展開できる海兵隊の機動力を考えると、駐留場所が問題でないことは、軍事的な常識。沖縄駐留と抑止力は関係ないという意味で、「抑止力は方便」である。しかし、政治的に考えると、不用意な発言に見える。辺野古移設の閣議了解を拒んだ社民党の福島党首は、「方便」のために閣僚を罷免されたと、怒り心頭らしい。民主党の国会運営にも大きなダメージとなった。 これを鳩山氏の政治感覚の悪さに帰するのは簡単。しかし、同氏の政治感覚は、そこまで低レベルなのだろうか?政権についてから、「国外」や「県外」を呼号して時間をかせぎつつ、何ヶ月もの間、辺野古移設の言い訳を考えていたとするのも、想定に無理がある。鳩山氏なりに、「国外」や「県外」を目指したが失敗。今回の発言は、これを阻んだ勢力へのダメージをねらった政治的発言と考えたほうが、ありそうなシナリオである。 現在の管首相、そして民主党政権は、先が長くないことは、衆目の一致するところ。鳩山氏は、そんな党の利益を考えるより、対米従属を利益とする党内外の勢力に追い詰められたことを暴露して、菅内閣崩壊後の自らの立場を、少しでもよくしたかったのかもしれない(もっとも、沖縄県民の怒りに火をつける結果となり、この思惑は失敗に思える)。 前代の最高政策責任者の貴重な暴露発言である。民主党攻撃の材料の単なる材料ではない。外国軍隊の基地を国内に維持・・というより、日本を半占領状態に保ちたがっているのは誰なのか?検証のための重要な材料であろう。 軍事演習 (2010.11.25)軍事用語というより、政治性を帯びたマスコミ用語は難解である。たとえば「演習」。本来は、「訓練」と似た語義で、兵員の行動や作戦用兵の訓練のはず。純粋の訓練なら、地形や地理的条件が想定される戦場と似ていればよいので、兵力展開にともなう不測の事態を避けるためにも、仮想敵国に近くない訓練場所を確保するのが便宜であろう。 しかし、実際の「演習」は、仮想敵国に近接した地域で行われることが多い。これは、「演習」を装った兵力展開(開戦準備)か示威行為を疑わせるものである。たとえば、往年の日本軍は、関東軍特別大演習などと称して、旧満州のソ連国境付近に兵力を展開していた。その当否はともかく、これが後日、ソ連による対日参戦の口実に利用された。 朝鮮半島では、北朝鮮による砲撃で韓国側に死傷者が出たらしい。北朝鮮側は、この砲撃を韓国軍の「演習」への対抗措置としている。そして、先に発砲したのは韓国側であると主張する。日本ではほとんど報道されないが、この点に関しては、韓国側も歯切れが悪い。発砲を自認しながら、「北朝鮮側でなく西に向けた発砲」などとしている。 仮に韓国側の「演習」に挑発されたとしても、都市・集落への砲撃が絶対に許されるはずもない。しかし、韓国側の「演習」が口実を与えたことは、否定できない。今月末からは、米韓の軍事演習が黄海で行われるらしいが、北朝鮮のみならず、中国も刺激し、更なる軍事衝突の口実とされないことを望むほかない。 「国益」 (2010.9.30)領土問題(2010.9.24)で申し上げたことに関して、少し誤解しておられるらしい方から、メールをいただいたので、「国益」に関して補足しておきたい。筆者は、尖閣諸島などの小島を支配することが日本にとって有利と単純に考えるわけでもないが、仮に、これを「国益」としたとき、日本側にとって、最善の行動が何かを思考実験することには、日本政府(もちろん、菅や前原らの民主党政権)の意思を検証するという意味もあろう。 日本政府は、中国漁船の衝突事件に関し、「東シナ海に領土問題は存在していない。尖閣諸島は日本固有の領土であり、主権をしっかり守っていく(前原)」と主張する。「国益」に敏感な国民の中には「領土問題は存在していない」などの主張を、耳に心地よいと感じる人がいるかもしれない。 しかし、このような主張は、明らかに国益(もちろん尖閣諸島の領有を日本の「国益」とする)に反する。尖閣諸島に関して、合理的に考えるなら、最善は、「現状維持」である。中国側がその領有権主張を引っ込める可能性がない限り、これ以上の選択肢はあり得ない。領有権を積極的に主張すれば、問題が表面化する。そして、その結果、すでに得ている支配を失う可能性が生じるからである。 「国益」を考えるなら、ベストの解は「(双方の領有権主張に決着をつけないまま)今後も日本が支配を続けるので、静観してくれ」というスタンスを保つことである。そして、中国側も、強硬な領有権主張とは裏腹に、一貫して要求していたのは、漁船や船長の解放に過ぎず、尖閣諸島そのものの引渡しを求めていたわけではない。 念のために付言すると、日本が現実に支配していない竹島(韓国などと領有権争い)や北方領土(ロシアが支配)については、これと逆の構造である。これらの領域を、現実に支配していない日本側にとって、問題化させても、失うものはない。「竹島の日」や「北方領土の日」などを制定し、定期的に領土問題を蒸し返すことが、日本の「国益」であろう。尖閣諸島との違いは、「どちらが現実に支配しているか?」、「争ったときに失うものを持っているのはどちら側か?」である。 領土問題 (2010.9.24)中国の漁船が、周辺海域にいた日本の巡視艇に衝突したとされる事件が発端で、尖閣諸島の領有権に関して、日中の政府間で緊張が高まっている。 尖閣諸島は、領有権に争いのある領域だが、仮に中国側の主張を認め、これを中国領であるとしても、そこを平穏に航行する日本の公船に対して、故意に船舶を衝突させる行為は犯罪であり、その処罰など、適切な措置が必要であろう。(もちろん、日本側に違法な先行行為があって、正当防衛などが成立し得る可能性も否定する根拠はない。念のため。) 日本政府は、「領土問題は存在しない。国内法にのっとって粛々と対応」とする。後段の「国内法」云々は、犯罪処罰の準拠法の問題なら、別段の問題はない。しかし、前段の領土問題の否認は、明らかに事実に反する。領有権争いを前提にすると、領土問題は厳然と存在するとせざるを得ないからである。犯罪処罰が目的なら、「領土問題と関係なく犯罪である。」と主張し、日本自らが処罰、あるいは、中国に引き渡しつつ、厳重な処罰を求めるだけで足りるはずである。犯罪事件に乗じた日本側の政治的な主張と非難されても仕方ない。 領有権の争いのある領域(尖閣諸島)について、これを支配する側(日本)には、他国と領有権で争いを起こす利益は、一般的にはないはず。争いを棚上げして、領有を続けるだけで足りるからである。支配権を持たない側(たとえば、北方領土に対する日本側)が、折に触れて問題を再燃させたがるのと、逆の構造である。「領土問題は存在しない。」などの言辞で挑発するのは、何か別の動機を考えなければならない。と考えると、菅内閣は、中国との緊張を演出して、アメリカ海兵隊を沖縄に駐留させ続けたいのか?・・などと、邪推したくもなる。 日米同盟 (2010.9.12)民主党代表選挙の終盤戦。小沢・菅ともに、「官僚支配の打破」を唱えている。彼らだけではない。みんなの党は、参議院選で「脱官僚」を掲げて大勝している。少し前に戻るなら、例の小泉も「官から民へ」。「官」をたたくパフォーマンスは、ウケがよいらしい。 官僚組織が効率的とも思えない。しかし、だからといって、「政治主導」にすれば、何かよいことがあるのか、それは政治家が実行しようとする「政策」しだいであろう。もちろん、「官僚支配の打破」は、この文脈では「政策」に含まれない。政策提言なしで、「官」を非難するだけでは、政治家の責任転嫁に過ぎない。 政策提言があいまいな中で、ひとつだけ、「官僚」と「政治家」で、完全に一致しているらしい政策がある。「日米同盟」である。普天間基地の国外、あるいは県外移設を唱えていた民主党は、鳩山政権の成立後、数ヶ月間、時間かせぎをした後、自公政権の辺野古案に戻った。時間かせぎの間も、当時の岡田外相は、アメリカのご機嫌うかがいに終始していた。傍目からは、政権についたとたんに、「誰か」から因果を含められたように見える。 この「誰か」を、戦前から続く「親英米派」、戦後の「対米従属派」などと称する陰謀史観もあるが(「ユダヤ」や「フリーメイソン」も!)、筆者は、これにコメントするつもりはない。正体不明の「支配層」などを相手にしても、政治的に意味があると思えないからである。しかし、東アジア共同体構想(鳩山政権が発足時にブチ上げたが、もう忘れ去られている)を封印しつつ、尖閣諸島などで中国との緊張を高めてまで、アメリカ海兵隊に駐留いただきたいのだろうか?政治家には、その提言する「政策」をご説明いただく責任があろう。 哨戒艦沈没 (2010.5.26)2010年3月に発生した韓国の哨戒艦沈没について、韓国政府はその原因を北朝鮮の魚雷と断定した。物証もありそうなので、韓国側の発表が真実に近いと思われる。ただ、動機の点で、不自然な点があるほか、水中音響をモニターしているはずの哨戒艦に探知されず、浅海で標的に向けて発射するという高度な潜水艦の運用が、北朝鮮にとって可能かなど、軍事面でも疑念が残る。 これらについて、ここで断定することはできない。ただ、確実にいえることは、韓国・北朝鮮とも、「制裁」や「反発」など、緊張を激化させる方向を選んだことである。そして、何らかの理由で、沖縄にアメリカ海兵隊を駐留させたい日本政府にとって、この緊張は好都合らしい。「日米同盟」や「抑止力」という空虚で抽象的な文言に、何らかの裏づけを与えるような錯覚を誘う効果が見込めるからである。しかし、冷静に考えれば、緊張が高まっているのは、朝鮮戦争の休戦ラインであって、琉球列島や東シナ海ではない。貧弱な海軍力や航空兵力の北朝鮮軍が、沖縄上陸作戦を考える可能性はない。また、仮にテポドンが発射されても、海兵隊にその防御能力はない。 蛇足であるが、この緊張に対する最善の解は、普天間のアメリカ海兵隊に、朝鮮半島へ移動していただくことであろう。海兵隊は本質的に陸上部隊なので、想定戦域に近いほうが実力を発揮できる。もちろん、機動力を重視するので、安全な滑走路が必要だが、韓国軍の航空基地を共用すれば、この問題も解決する。訓練施設にしても、仮に、北朝鮮を仮想敵国とするなら、できるだけ地形や植生の似た場所での訓練が望ましいので、朝鮮半島内がベストである。そして、韓国政府にも歓迎されるだろう。当然ながら、中国などが反発する可能性もある。しかし、アメリカの実戦部隊がソウル近郊に復活すれば(現在、在韓米軍は、司令部要員とごく少数の兵力のみを残し、朝鮮半島から撤退の計画)、現実の軍事衝突の危険性が下がることは間違いなかろう。北朝鮮などがアメリカ軍基地を直接に攻撃することは、軍事的な実力から判断しても、ちょっと想定できないからである。これが「抑止力」ではないのか? 朝鮮半島の緊張を国内政治に利用して、「辺野古」などと拙速に決めることは許されない。 普天間基地 (2010.5.2)鳩山政権は、普天間基地の移設先について、訓練施設を鹿児島県に・・などと苦心しつつも、辺野古沿岸に滑走路を新設するという前政権と大差ない結論に達したらしい。 鳩山は、就任直後に「抑止力の観点から、国内に基地が必要」と明言している。鳩山本人が気づいていたのか否かわからないが、何ヶ月かけても、他の移設先が国内に容易に見つかるはずもない。こんな発言をすれば、最初から海外移設の可能性が封じられる。「辺野古沿岸」は、ほとんど予測された結論だろう。うがった見方をすれば、最初から決まっていた結論を、時間をかけて小出しにして、世論の反応をさぐっていただけかもしれない。 機動力を活用し、小兵力を効率的に運用し、できるだけ広範囲の戦面を確保するのが近代的軍隊の用兵である。もちろん、普天間基地も、宜野湾市や沖縄島を防衛する要塞ではない。アジア全域を含む広大な戦面を制圧すべく設置された米軍の軍事拠点のひとつである。これが、グアムやカリフォルニアでなく、沖縄や徳之島でなければならないかは、制圧すべき戦面と機動力との関係である。 「県民の負担」やその「軽減」の問題は、鳩山なんかに説明してもらわなくても、現地にとっては明らかである。そんなことに言を費やすより、日本政府が説明すべきは、基地の軍事上の必要性である。仮想される敵は誰なのか?どのような軍事情勢を想定しているのか?この設問を抜きにして、沖縄に基地を置くべき必然性など、説明できるはずがない。 たとえば、ありえない想定だが、北朝鮮による沖縄上陸作戦が現実に迫っていて、その防衛に海兵隊が有効なら、珊瑚礁の保護より軍事基地建設を優先すべきという結論もある。その一方で、少女強姦事件を惹き起こすような他国軍隊を沖縄県内に受け入れるよりは、中国の軍艦が尖閣諸島付近にご来航いただくのを甘受した方がマシという選択肢もあろう。その判断基準は、軍事上の必要性しかない。「日米同盟」や「抑止力」などというあいまいな言葉で、具体的な説明を回避しても、誰も「理解」しないし、「負担のお願い」を承諾することもなかろう。 迎撃ミサイル (2009.4.2)北朝鮮の「ミサイル」に関して、発射台に3段ロケットらしい物体が設置された衛星写真が公開されている。長射程の弾道ミサイルとしても2段式で足りるから、3段式ロケットとすれば、本物の人工衛星の可能性が高い。 迎撃については、「日本に激突しそうな場合」とトーンダウンした。正常に飛行すれば、日本上空の飛び越すだけなので、迎撃の対象にはならない。打上げ失敗による落下物が心配といっても、日本国内、それも人家のある都市や集落に落下する確率はゼロに等しい。航空機が空港周辺に落ちる確率のほうがずっと高い。沖縄県では、ヘリコプターが学校に落下したことがある。横田基地でも、昨年には機体の部品脱落事故があった。国民の生命・財産を落下物から守る目的なら、羽田空港の航空路の下にでも迎撃ミサイルを配備したほうが役に立つはずである。 報道では「人工衛星名目によるミサイル」と決め付けられているが、標的に激突させることを目的にしない人工衛星を「ミサイル」とするのは、適切な表現ではない。ミサイル開発を目的とすることを疑えないとしても、「人工衛星打上げによるミサイル技術の開発」が正確な表現である。 ミサイル技術の開発が好ましくないのは当然としても、その機会を利用して、今にも日本国内に落下してくるかのような言辞で、迎撃ミサイルを陳列するのは止めていただきたい。 再びテポドン (2009.3.25)「人工衛星」の打ち上げを予告している国がある。日本政府は、「仮に人工衛星としても国連決議違反」などと称していたが、最近では、これを「ミサイル」と決め付ける論調になっている。 「衛星」なのか「ミサイル」なのかは、打上げの角度と速度の微妙な違いに過ぎない。衛星打上げ用のエンジンを使っても、推力を少し小さく調整すれば、あるいは、燃料を少なめに搭載すれば、弾道軌道で地表に激突することになる。弾道ミサイル用のエンジンでも、重い弾頭のかわりに、たとえば最終段のロケットを搭載すれば、小さな衛星を地球周回軌道に乗せることもできる。ロケットの外見では、これらの違いを判別することはできない。人工衛星と軍事技術は極めて密接、というより、ほとんど同義。「テポドン」と同じ時期に、「日本人宇宙飛行士」が宣伝されているのは、皮肉としかいえない。 仮に、某国の飛翔物体が「人工衛星を装ったミサイル」とするなら、計画通りであったとしても、数千キロ先の太平洋に落ちるはず。そして、これは、その軌道を注視している全世界に対して、衛星打上げ失敗の外観を与えることになる。この結果は、メンツを重んじる某国には堪えがたいであろう。このような理由からも、某国の飛翔物体が「ミサイル」とは、単純に考えることはできない。 日本政府は、ミサイル防衛(MD)システムを使って、これを破壊することを決めたらしい。MDシステムは、命中率が非常に低いとされているが、今回のように、日付や発射地点まで、ほとんど判明しているケースで、迎撃に失敗すれば、巨額の税金を投入して購入したシステムの無能さが明らかになり、政治問題にもなる。 もし、日本政府に迎撃の自信があるとすれば、発射時刻の事前通知など、何らかの密約もありそうに思える。うがった見方をすれば、衛星打上げの「失敗」を日本政府の責任にしたい某国と、MDシステムの実証に成功させたい日本政府との競演も疑われることになる。「脅威」を宣伝しても、軍事産業を利するだけであろう。冷静に「衛星」の失敗を見定めるべきである。 「竹島」 (2008.7.15)文部科学省は、日本と韓国が領有を争っている竹島について、「わが国が正当に主張している立場に基づいて」との記述で、中学校地理の指導要領解説書に記載するらしい。 この日本海に浮かぶ小島が、どちらの国の「固有の領土」かは、(その後に割譲などの条約がないとすれば)「先に発見」あるいは「先に占有」という問題。日本側がその証拠としているのは、毛筆に造詣のない筆者にとっては、読解も困難な古文書。もちろん、韓国側にも韓国側の主張があり、その証拠とする文書などがあるはずである。 そう考えるなら、この問題は、国際法で考えるなら、歴史上の事実認定の問題で、真偽があるはずだが、それを確かめるのは歴史学者の専門的な仕事。歴史学の高等教育以外では、教育現場に持ち込むに適しない。一方、政治的に考えるなら、日本と韓国の政府見解の不一致で、これは、政治的な意見なので、どちらが「正しい」などという問題にならず、そもそも真偽なんか決められないはずである。教育現場でも、一方の政治的見解に沿った教育ではなく、両方の見解を平等に紹介しなければならない(学校の政治的中立性。教育基本法14条)。 中学校では、こんな専門的な問題について、日本政府の見解に沿わない意見を「誤り」と教えるのだろうか。日本国民には、あるいは、中学生には、政府見解に反する政治的意見を持つ自由はないのか?また、日本の中学校には、韓国国民である中学生も多数通学している。これらにも、日本政府の見解を押し付けるつもりなのだろうか?適切な教育行政をお願いしたい。 チベット問題(2008.5.2)このページでは、マスコミで話題の「聖火リレー」に触れなかった。ビジネスへの支障を恐れたわけではない。また、中国政府に近い関係者の反目を恐れたわけでもない。中国に関する知識があるつもりでも、チベットに関してはまったくの門外漢。チベット専門家諸氏の失笑を恐れたというのが本音に近い。しかし、「中国」を表題とするページである。このようなホットな問題に対する「沈黙」は、それ自体、一定の政治的主張と理解される可能性もある。このスペースを借りて、沈黙を破っておきたい。 中国政府側は、1959年のチベット侵攻を「農奴解放」としている。そして、その後のチベット統治をすべて「内政問題」として、国外からの批判に耳を貸さない。その一方で、ダライラマ14世を暴動の扇動者のように言い募っている。 「農奴」云々は、たぶん一面の真理を含む主張。欧米の一部では、「解放」以前のチベットを「理想郷」と漠然と考えているようだが、往時のチベットは、近代以前の社会であったことは確実である。また、ダライラマは、歴史的に考えると、チベットを支配した複数の氏族の妥協の産物で(有力氏族から交替で後継者を出せるから)、民主的に選ばれた指導者ではない。こんな事情で、侵攻を正当化できるかは別論だが、侵攻は半世紀前の事件である。決して歴史を忘れてはならないという意味と、そして、歴史を戻すことはできないという二重の意味において、(現在の問題なく)歴史上の問題である。 一方、現在に目を転じると、抵抗運動(中国側は「暴動」とする)とそれに対する厳しい弾圧は、進行中の問題である。ダライラマ14世を扇動者とする主張には、何の根拠もない。ダライラマ14世は、公然と「非暴力」を唱えている。仮に、ダライラマ14世を含むチベット亡命政府が、裏で暴動を扇動していたとしても、ダライラマ自身の言動でその効力を減殺していることになる。そんな「扇動」に呼応するチベット人などいないだろう。抵抗運動は、自発的に行われていると考えるほかない。 チベットの「独立」は、現在の国際情勢では、現実的と思えない。これは、経済的に考えると、中国からの投資を拒絶して、インドの衛星国となる途であろうし、そんなチベットの選択を、インドと友好的ともいえない中国政府が許すはずもない。「自治」なら、中国政府との妥協の余地もありそうだが、それでは解決しない。チベット人は、政治的自治だけではなく、漢人を進出させ、固有の文化を破壊する経済的な「改革」のストップを求めているように感じられる。 ・・・ここまで、中国政府とチベット人(亡命政府)など、双方の主張にコメントしただけになったが、「聖火リレー」には、もっと興味深く、そして「戦争」とも深く関係する問題がある。少し日を置いてから書きたい。 イラク派遣に違憲判断(2008.4.18)わけのわからない「改革」で人気を得て、郵政解散時の総選挙で大勝した小泉内閣も、イラク戦争への対応では、国民の賛同を得られなかった。それでも、小泉元首相は「世論は間違えることもある」と称して、戦争支持を積極的に表明。開戦の口実とされた大量破壊兵器が見つからないことを問われると、「フセイン大統領が見つからないから、イラクにフセイン大統領が存在しなかったとはいえない」と詭弁を弄していた。 今さら、5年近く前の小泉元首相の国会答弁を採り上げたのは、昨日(4/17)の名古屋高裁判決の報道で、あらためて無責任な発言を思い起こされたからである。報道によると、自衛隊が現にイラクで行っている「後方支援」活動について、憲法違反とする判断が示された。違憲確認と派遣の差止め、そして損害賠償を求める請求を却下ないし棄却しつつ、その理由中の判断で、「他国による武力行使と一体化した行動」であり、「武力行使を禁止した憲法9条1項とイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反」とする判決らしい。 イラク特措法は、「戦闘行為が行われておらず」云々で「非」戦闘地域を定めるが、その対立概念であるべき戦闘地域を定義することがない。これは、戦闘行為の現場でなければ派遣可能というトリックだろうが、そんな現場に軍用機で他国の兵員や武器を輸送すること自体が「戦闘行為」である。もっと申し上げるなら、仮に何も輸送しなくても、軍用機が上空を通過するだけでも、戦闘行為となり得る。武器は、それで殺傷するだけでなく、その存在で相手を威嚇することも、その本来の用法だからである。 今回の判決については、「結論に関係ない傍論で憲法判断を行うのは、下級審として越権」とする意見が流布されている。「蛇足判決こそ違憲」などとする一部マスコミ(もちろん、学者先生の言葉の引用)と、映画「靖国」を問題視した例の国会議員(-->「映画『靖国』」)などが、この判決の影響を減殺しようとしているらしい。「具体的な権利や義務に関する紛争ではなく、訴えは不適法」などとする判断なら、本案(訴えの実質的内容)に踏み込んだ判断は無用。しかし、損害賠償請求に関しては、「違法性」と「損害」の両方を審理し、判断しなければならない。本件では、「損害」を否定されて、原告の請求が棄却されているが、自衛隊派遣の違法性を先に審理したとしても、「蛇足」とはいえないだろう。 政府は、判決で示された意見に反論があるなら、その内容に反論していただきたい。そして、その内容に正面から向き合っていただきたい(「自衛隊のいる場所が非戦闘地域」などという小泉流の詭弁は勘弁いただきたい)。 映画『靖国』(2008.4.3)本日までの報道では、複数の映画館がこの作品の上映を取りやめ、上映予定は、ついに大阪市の1館のみになったらしい「靖国」(表題の映画ではなく東京の神社の名称)は、政治的な問題(-->「靖国神社」)。これに関する「ドキュメンタリー」と称する映画なら、内容に賛否があって当然であろう。しかし、東京在住の筆者としては、国際的にも評価の高い作品を、できれば東京で見る機会を与えていただきたかった。 上映をとりやめた映画館では、「近隣商業施設に迷惑が及ぶ」などとしている。「表現の自由」の問題ともされるが、映画館の側も上映作品を選ぶ自由がある。仮に、まったく理由を示さないまま、上映を拒否しても、それ自体を不当とすることはできない。(契約と裁判所の仮処分命令に反して、教研集会の会場提供を拒否した某ホテルとは、規模も、公共性の程度も違う。) この作品に関しては、自民党の国会議員らが公費助成を問題視していたらしい。国会議員によって、「反日的で中立性に問題がある」などとレッテルを張られた映画など、街宣車を動員する勢力にとっては格好の標的になる。国会議員の側も、この種の勢力からの支持を期待していることを疑われる。 そもそも、助成金が「中立性」なんかと関係あるのか?助成金は、大学などの教育機関などに広く配布されているが、これらの研究発表の内容も、国会議員殿にチェックいただかなければならないのか?米軍基地に反対する自治体には、補助金を交付しないというやり方そのものを改めるべきでないのか?当の国会議員は、「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。」としているが、歯の浮くような白々しさを感じるのは、筆者だけだろうか?映画館などを責めるのではなく、この議員殿の政治行為を検証するほうが建設的であろう。 「国際公約」とは、憲法違反の密約 (2008.1.20)新テロ特措法が成立した。これでインド洋での給油が再開されることになる。筆者は、この是非には言及しないが、インド洋での給油を「国際公約」あるいは「対外公約」としてきた政府与党の説明には、疑念を禁じえない。 筆者の理解では、「公約」とは、国会議員など公選による職に就くものが選挙民に対して行うもの。これがおそらく「公約」の原義であろう。この意味の公約は、選挙民の意思を実現する手段として機能している。もちろん、現実には、公約を守ったかどうかを判定する公的な機関があるわけでなく、また、国会議員の場合には、公約に違反したからといって、選挙民によるリコール(解職)もない。それだけに、公約の遵守は、政治家の責任である。 しかし、安倍氏や福田氏は、国際社会の選挙で選出されたわけではない。選挙民に対する約束という意味では、「国際公約」など、ありえない。「公約」という言葉を、「公的な場での約束」と拡大解釈するなら、外国との公的な約束は、「条約」として国会の承認を必要とするはず(憲法73条3号)。この手続きなしに、たとえばアメリカと密約をしたなら、それは憲法違反と評するほかない。 政治家各位は、ブッシュとの密約などでなく、選挙民との公約を遵守していただきたい。 核実験 (2006.10.13)北朝鮮の「核実験」発表によって、アジアの緊張が高まっている。イラクのフセイン政権が、大量破壊兵器の「疑惑」だけで崩壊させられた一方で、国際社会から核武装を認められた常任理事国は、他国からの軍事攻撃にさらされたことがない。アメリカが開戦の口実としてきたのは、海外ににいる船舶への攻撃(第2次トンキン湾事件など)や国内のテロ。いずれも、今日では、アメリカ側の捏造(当時の国防長官マクナマラの著書)や自作自演(WTCビル爆破説もある)が疑われている。 このような「現実」に接したとき、核保有によって戦争を未然に防止するという「核抑止論」にリアリティー感じる国家の存在も、残念ながら否定できない。しかし、仮想敵国の核保有を理由とした核武装は、自国の防衛のために、人類を破滅させる兵器を保有するという背理に過ぎない。核の拡散を防止しつ、核保有国にはその廃絶を求めていく以外に解決の道はない。 安倍首相は、「最も影響を受けるのは日本」などと発言しているが、難民の流入についても、軍事的脅威についても、「影響」は韓国に突出して表れる。韓国は、首都ソウルが以前から北朝鮮の火砲の射程内である。一方、北朝鮮のもうひとつの隣国中国は、仮に北朝鮮体制が崩壊すれば、中朝国境でアメリカ軍と対峙することになる。 国の意思を示すため、政治的なパフォーマンスも必要であろう。ドル紙幣偽造に接したアメリカが、金融制裁にこだわるのがわからなくはない。しかし、経済制裁で北朝鮮国民を困窮に陥れるだけでは解決しない。この種の体制が、国民の飢餓などで崩壊しないことは、中国からの撤退を拒みつつ、石油禁輸で開戦し、その後食糧難に陥っても戦い続けた第二次世界大戦当時のの日本を見ても明らかであろう。国際社会は、北朝鮮の暴発と自滅など望んでいない。日本政府に求められるのは、アサリやマツタケの輸入停止ではなく、緊張緩和への努力ではなかろうか。 テポドン (2006.7.6)北朝鮮のミサイルが発射された。同国は、これを「国の権利」と主張している。その言葉にウソはない。直接の殺傷行為でもない限り、ミサイルの発射実験など、各国が自由に行うべき問題で、今までも行われてきた。バグダッドの人口密集地帯にミサイルを落したアメリカような明白な国際法違反はない。 こんなことを書いているが、筆者は決して北朝鮮を擁護しているわけではない。「国際法」という観点では、北朝鮮の貨客船の入港を禁止するのも各国の自由。貿易や送金を制限するのも自由。もちろん、北朝鮮に「食糧支援」をする義務など、どこの国にもない。ミサイル発射の現実の効果は、厳しい「経済制裁」による報復である。当然ながら、ミサイル発射が国際法違反でないのと同じレベルで、経済制裁も国際法違反でない。ついでに申し上げると、北朝鮮が軍事力をアピールすればするほど、ブッシュや小泉のような戦争屋を喜ばせるこことになる。 中国外交部ではないが、双方に冷静な対応を望みたい。「脅威」を宣伝して利益になるのは軍需産業だけであろう。 イラク撤退 (2006.6.28)日本政府もついに、陸上自衛隊をイラクから撤退させ始めた。地上軍派兵は、どんな成果を挙げたのかまったくわからない。報道されたのは、宿営地の建設と給水活動の訓練だけ。まあ、宿営地建設と解体にイラク人労働者を雇用したらしいので、雇用対策にはなったかも知れない。結局、ばら撒いた金だけが評価されたということなのだろうか? 一方、日本国内では、大戦果。首相小泉は、1945年の敗戦後はじめての「海外派兵」という実績を作ることに成功した。 撤退の理由も疑念を誘う。報道では、「治安権限のイラクへの委譲」にともなう措置とされている。しかし、派兵理由は、治安維持なんかではなかったはず。治安維持は、同地域を占領する他国軍に任せ、日本の陸上自衛隊は、「復興を支援」するはずではなかったのか? ブッシュ政権が徹底的に破壊したイラクである。わずか3年で復興が完成したなどとは、到底いえるはずもないだろう。復興を支援する気があるなら、治安権限を回復したイラク軍に、武器弾薬の管理を委ね、自らは武装を解除して、イラク人のために、郵便配達でもさせたらどうなのだろうか?その方がイラク人に喜ばれるはずである。 最初から、国内向けの「実績作り」であった地上軍派兵は終わった。しかし、航空自衛隊は、今後も活動範囲を拡大させて、アメリカ軍の物資を運び続けるそうである。 少子化 (2005.10.19)日本の人口が減少に転じた。労働人口の減少など、少子化の弊害が指摘されている。小泉内閣は、少子化担当大臣まで設置したが、「富国強兵」を想起するのは筆者だけだろうか。「進め一億火の玉だ」と呼号された1940年代の日本の人口は、せいぜい8000万人台。誇大な数字を並べたのか、それとも当時の植民地の人口を加算したのか、真相はわからない。そして、この標語は、戦争末期には「一億玉砕」に変わる。 少子化は、ほとんどの先進国に共通の現象らしい。18世紀末に、人口の指数関数的増大を予言した経済学者(?)がいたが、実際には経済発展にともなって、食糧に比例して人口増加。そして、ある段階で、増加がストップするのが世界史的な法則なのだろうか。 ヒトには、子を作ろうとする欲求があるはず。これは、倫理観や価値判断でなく、「仮に子を作りたがらなかったら、種として絶滅しているはず」という生物学的な問題。これに反して、人口が減少するのは、社会のゆがみ(社会の一部で食料不足)も疑われるが、日本で餓死者はほとんどない。生物学的なレベルで考えるなら、「増えすぎた人口を調整する欲求」とでも考えておくしかない。 一方、世界的に考えると、現在の人口は推計で60億人程度。増加の一途で、人口対策の方が話題になっている。少子化担当大臣閣下のご活躍も結構だが、「先進国の身勝手」は、長い目で見て、国にとってもマイナスとならないか、心配である。 靖国神社 (2005.10.19)10月17日、小泉純一郎が靖国神社を「参拝」した。国内のほか、中国や韓国などから強い非難を浴びることに配慮してか、恒例であった記帳などを行わず、拝殿前で礼拝するだけという一般参拝者と同じ形式の礼拝となった。 首相も個人として、内心の信仰に限らず、礼拝や布教の自由を有する(信教の自由)。首相であるという理由で、宗教施設での礼拝を制約すべきではない。また、個人としての礼拝が、ただちに政教分離原則に反するとも思えない。神道を信仰しない筆者であるが、この点には異論がない。憲法訴訟などで「首相公式参拝」が争われてきたが、今回のように「一般参拝者と同じ形式の礼拝」までを、「違憲」とするには無理があろう(公用車を使用したことなどは議論されなければならないが)。 信教の自由や政教分離原則は、宗教活動を公権力の干渉から守ることを主眼とする。しかし、神社神道(神社本庁のほか、「國」神社などの一部の単立宗教法人)は、現行憲法下においても、一貫して「皇室の宗教」であることを強調し、国家との関係を求めつづけてきた。靖国神社は、軍人・軍属の死者を「英霊」として礼賛しつつ、「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命(靖国神社ホームページ)」との強烈な政治性を隠そうとしない。靖国神社問題の本質は、この政治性である。 数ある礼拝施設から、政治性の強い靖国神社を選ぶこと自体が、小泉純一郎の政治活動である。もちろん、マスコミ注視の中での「参拝」は、その支持基盤を意識してのものと考えるほかない。繰り返して申し上げるが、首相といえども、私的礼拝は法的に許される。しかし、これを政治的に許容すべきか、あるいは、非難すべきかは、靖国神社の政治性に共感するか否かという政治的問題である。 テロとの「戦い」 (2005.9.12)日本の衆議院選挙では、自民党が圧勝した。小泉の政治手法に反発し、これを議会制民主主義の否定などと称した自民党の抵抗勢力は、国民の支持を得られなかった。抵抗勢力がイメージする「民主主義」は、それぞれの支持基盤を持つ議員が政党を組織し、議員による多数決で政策を決めることであろう。反対派の考え方では、政党は「政策が先」なのではなく、「議員が先」なのである。小泉の政治手法が新鮮に見えたのは、「議員が先」を否定して、内容はともかく、「政策が先」を打ち出したからであろう。この意味では、自民党も、ようやく議員集団を脱皮して、政策中心の近代的な政党となったのかも知れない。 わかりやすい「敵」を作り、これとの「闘争」や「戦争」を演出すれば、効率的に支持を集められる。小泉は、選挙期間中に、「古い自民党と決別し、国民に訴える」と唱えていたが、これは、郵政関係者などのかつての支持基盤の一部に「敵」としてレッテルを貼っただけで、郵政改革の必要性や有益性の議論と関係ない。「テロとの戦い」を演出し、イラクを占領した某国大統領と同様の手法である。現在に至っては、フセインはただの独裁者で、イスラム原理主義者との関係はないとされている。少なくとも、9.11(北米の同時多発テロ)とフセインを結びつける状況証拠さえない。「テロとの戦い」がなぜイラクと関係するのか、「古い自民党」がなぜ郵政改革と関係するのか、政治家には説明する責任がある。ちゃんと説明できるか否かは、まともな政党政治とファシズムの分水嶺である。 2年前には、「世論は間違えることもある」などと公言し、世論を無視してアメリカのイラク戦争支持を表明した小泉首相である。選挙結果で世論の支持を得たとして暴走しないようにお願いするしかない。ついでに申し上げておくと、指導者の暴走を食い止められるかも、まともな政党政治とファシズムの分水嶺である。 悪寒を誘う人質事件での日本政府の行動 (2004.4.13)報道によると、日本人の市民活動家や報道関係者が、イラクの武装グループに監禁され、自衛隊の撤退を求める人質となっているらしい。家族の心労も察するに余りある。「人質」という手段で、政治目的を達成しようとする武装グループに怒りを感じるとともに、当然ながら、一刻も早い解決を望みたい。 一方、日本政府の対応は、悪寒を誘うものである。自衛隊の派遣に反対する筆者であるが、「脅しに屈しない」という理由で、自衛隊の撤退を拒むのは、理解できなくもない。衆議院議員でもある首相小泉純一郎が、自分の選挙運動で、自衛隊派遣の正当性を主張するのも、同人のご自由であろう。しかし、政治的背景のある事件で、この「解決」を求めるなら、武装グループに伝えるべきは、「人質は、日本政府と政治的立場が違い、自衛隊派遣に反対している」というメッセージではなかろうか。 外相川口順子のように、わざわざ衛星放送を通じて、自衛隊派遣の正当性を主張したり、首相小泉純一郎にように、アメリカ副大統領と会談し、「人質救出」に占領軍の協力を求めるなどは、自衛隊を占領軍の一部とみなし、その撤退を求めている武装グループにとっては、「人質を殺せ」というメッセージにしかならない。人命を尊重するためにも、節度ある発言をお願いしたい。というより、政府の対応を見ていると、人質が生還すると都合が悪いので、殺してほしいかのように感じられる。 もう一点、気になる兆候を挙げておく。マスコミは、人質家族の「自衛隊撤退要求」を報道しない。家族の記者会見でも、「解放を切に願う」という一節だけを切り取って報道し、家族が「撤退」を要求していることには触れたくないらしい。自衛隊派遣には、賛否両論があるのは当然として、人質の解放を願う家族が、自衛隊の撤退を求めるのは当然であろう。マスコミとしても、武装グループに正しいメッセージを届けることは、当然の責務である。 戦争関与者の心理 (2004.3.15)先月末には、地下鉄サリン事件などで殺人罪などに問われたオウム真理教松本智津夫被告に死刑が言い渡された。報道によると、8年近く前の初公判以来、250回以上にも及ぶ公判が重ねられ、とりあえずオウム真理教関係者の一審判決は出そろったようである。 誤解を招かないため、あえて断っておくが、裁判所の事実認定が正しいとすれば、松本被告その他のオウム真理教信者(元信者)に対する厳刑は当然と考えている。また、筆者は、裁判所の事実認定を覆すような情報を持っているわけではない。その意味で、本稿は、決して、この刑事裁判の「不当」を主張するものではない。 筆者が違和感を覚えるのは、松本智津夫被告やオウム真理教関係者を異常な人格を持った殺人鬼として描く報道である。一審判決の事実認定を前提とすると、松本智津夫被告は、平気で殺人を命じているが、これは決して人格的な異常ではない。 たとえば、「軍隊」という集団に投じられたとき、その大多数は、命令に従順に淡々と殺人を犯すことになる。もちろん、多くは民衆あるいは敵兵の殺害にちゅうちょを示すだろう(それでも命令を遂行する)。しかし、信条や正義感に駆られて、主体的に殺人を実行する一部の者がいる。戦争の恐ろしさは、ごく「普通の人」が殺人や放火を犯すことであって、個人の異常な性格ではなく、集団の狂気の問題である。ここまでは、歴史上に多くの例がある。「オウム真理教」の内部も、似たような状況ではなかろうか。 最初に断ったように、筆者は、殺人犯の厳罰を支持する。殺人は個人の行為である。「集団の狂気」を適当に酌量しつつも、その責任は追求されなければならない。もちろん、命令によって戦闘地域またはその隣接地域に派遣された自衛隊員や、これを命令した者も例外ではない。仮に、イラク国民に発砲する事態が起これば、その責任を追及されなければならないであろう。 自衛隊派遣と武力行使 (2004.2.18)イラクに陸上自衛隊が派遣されて1ヵ月になる。日本政府は、昨年のアメリカによる侵略開始とともに、これを支持し、「復興支援」を表明してきた。占領行政は、占領軍の責任であるから、「復興支援」は戦争への非中立的な加担であろうが、政策の当否はともかくとして、ここまでは憲法の問題ではない。誤解されている向きがあるかも知れないが、日本国憲法は、「戦争放棄」を定めるだけで、中立を定めているわけではない。ベトナム戦争の例でもわかるように、アメリカの戦略に対する非中立的援助は、歴代の内閣がとってきた伝統的政策に過ぎない。もっとも、小泉の「復興支援」の表明は、違法な戦争が開始された時期における「支持」の表明として、形式的には、殺人幇助も成立し得る。この法律的な問題については、「小泉と川口の日本刑法による可罰性」を参照していただきたい。 そして、今回、日本政府は、歴代の内閣によって守られてきた一線をついに踏み越えた。「武力行使」である。小泉は、陸上自衛隊が派遣されたイラク南部を非戦闘地域であると説明し、国会でも「非戦闘地域」の意義について論戦が行なわれた。しかし、これは本質的な問題ではない。イラク南部では、現に、武装勢力による攻撃が絶えない。これを「テロ」と呼び換えてみても、イラクで何らかの武装勢力が活動していることは疑えない。武装勢力が活動する地域、あるいは、これに隣接する地域に、武器を持った自衛隊が存在するだけでも、武力の行使にあたる。自衛隊派遣は、非中立的援助を超える「武力行使」と考えるほかない。 そもそも、武力行使とはどのようなことなのだろうか。護身のために銃を所持するだけで、銃を「使用」することにはならない。武器を持った自衛隊も、日本国憲法が禁じる「戦力」ではあっても、その存在だけで、「武力行使」とするに足りない。しかし、銃の「使用」は、発砲だけに限らない。銃をつきつけ、相手の抵抗を制圧するのも銃の使い方のひとつである。このような段階にいたれば、銃の「使用」にあたる。自衛隊は、武装勢力に銃を向けている。これは、武装勢力に対する武力行使そのものである。「人道支援」のみが宣伝されているが、「治安維持」も自衛隊派遣の目的のひとつらしい。 ウダイとクサイは戦闘員か? (2003.7.24)米軍は、イラク北部のモスルでフセインの2人の息子、ウダイとクサイの殺害したと発表した。この真偽は不明だが、ブッシュはこれを「戦果」として強調した。殺人事件として捜査する意思はなさそうである(アタリマエだが)。 仮に、ウダイとクサイが、何らかの重罪を犯した「犯罪人」とすれば、占領地の行政を担任する占領軍には、処罰の権限がある。占領行政権の行使として、裁判を経て処罰することができる。しかし、裁判なしに彼らを殺害するのは、単なる殺人である。たとえ、彼らが逮捕を拒んで抵抗したとしても、正当防衛などの要件を満たさない限り、それによって殺害が適法化されるものでもない。逮捕を拒んで逃げるのは、「犯罪人」の当然の権利である。 この殺害を適法化できる唯一の可能性は、ウダイとクサイを「戦闘員」と考えることである。往時の戦争法規では、戦争を原則として国家の適法行為と考えていて、戦争中に行われる敵国資産の破壊や敵の戦闘員の無警告殺傷は、一定の条件で、正当な戦闘行為とされた。報道によると、ウダイについては、「サダムフェダイーン」と称する民兵組織の指揮官とされている。筆者も、彼らがイラク兵力に属する戦闘員とする考え方を否定する情報は持っていない。アメリカとイラクが戦争状態であり、しかもウダイとクサイがイラク兵力に属する戦闘員とすれば、もちろん戦争そのものの違法性は別論として、この殺害は戦闘行為として正当化し得るであろう。 しかし、これは、同時に、イラク北部のモスルが現に行われている戦争の戦闘地域であることを証明することになる。自衛隊の派遣を可能とする「非戦闘地域」など、イラクのどこのあるのだろうか。 バグダッド占領 (2003.4.10)日本時間の昨日夜に「バグダッド陥落」が伝えられた。侵略軍が首都を含む広範な地域を支配下においたらしい。首都以外の戦況を度外視しても、これによって、占領政権を樹立すべき政治的条件が整ったことは間違いない。お願いしなくても、アメリカ主導の強力な軍事政権を作っていただけるだろう。そして、熾烈な残党狩りが始まる。そして、イラクでもアメリカ人のために、イラク人同士が血を流す事態を恐れざるを得ない。占領政策に抵抗する民衆は、当分の間はすべて「フセインの残党」と呼ばれるであろうから、残党は増えつづけるであろう。アフガニスタン占領も、まだ終結していないことを指摘しておきたい。 戦争の口実が「大量破壊兵器の脅威」から「武装解除」に、そして、開戦直前には「フセイン排除」に変わるご都合主義を見ていると、これらの口実の裏にある「陰謀」を詮索したくなるのは健全な理性である。しかし、こんな不合理な戦争を仕掛けた人々の、考え方を想像するにも及ばない。ネオコン(あるいは国際金融資本)の陰謀論などは、憶測記事が専門の週刊誌にでも任せておけばよい。侵略軍の言動から確実に判断できることは、イラク全土の占領を目的としていることである。結果は、アメリカに抵抗するアラブ諸国への見せしめとしては、完璧である。周辺の産油国は、「ドル決済」を拒んでイラクの二の舞になることを避けるに違いない。そして、表面上の従順とともに、反米感情はより強化されるに違いない。 この戦争は、アメリカにとっても多大なリスクを負う。世界最大の債務国を支えてきたドルの信認が、巨額の戦費とアラブ諸国に広がる反米感情のため、今回の戦争でさらにゆらいだ。ドル暴落の危険は高まっている。アメリカは、紙幣を印刷するだけで世界から際限なく借り入れができるという基軸通貨の特権を失う可能性も高い。もっとも、今やドルの過半はアメリカ国外にあるから、ドル暴落で大損失を受けるのは、原油代金をドルでいただくしかない産油国と、日本などのアメリカ衛星国である。これ以上アメリカに追随して、日本経済まで破滅させないように、日本政府にはお願いしておきたい。 国際社会 (2003.4.5)一片の大義もない戦争に突入して、17日が経過した。報道される戦況は混沌としている。アメリカの発表では、首都中心部まで侵攻とするが、大規模な戦闘は伝えられない。「短期終結」を唱えるアメリカ側の政治宣伝と考えるべきであろうか。少なくとも、本日現在では、まだアメリカによる完全制圧を伝えられる都市は、ひとつもない。憶測できることは、アメリカ軍は、急速に進撃し、広い無人の砂漠を占領下に置いたが、都市の占領はこれからということであろう。イラク民衆の大半は、フセイン政権が掌握していると考えてよい。この後、アメリカによる兵糧攻めで都市が急速に崩壊するか、それとも待ち受けるイラク軍と猛烈な戦闘になるか、そのうちに結果が出る。 フセイン排除を唱えて始めた戦争だが、フセインが死んでも戦争は終わらない。戦争開始の数日間のイラク民衆の対応でも、それは明らかである。アメリカが事前に宣伝した、「解放軍」対「独裁者」ではなく、「侵略者」対「イラク民衆」の構図が明確になってしまった。占領地では、激しい抵抗が行われるであろう。どこかの国の首相は、参戦国でもないのに分不相応にも「降伏勧告」などを口にするが、仮にフセインが降伏しようとしたら、反フセイン派がクーデターでこれを殉教者に仕立ててでも継戦の可能性がある。民衆の生命を救う方法は、侵略軍の撤退以外にない。 いずれにしても、今回の戦争で、アメリカの独善的な態度が全世界に明らかになった。ブッシュの演説では、アメリカ流の「自由と民主主義」が根源で、これの伝道者たるアメリカの行為は正義、そして、その正義を実現すべき国連が機能しないので、アメリカが血を流して実行するとしている。国連(安保理)のみが戦争を発動し得るという国連憲章の規定や確立された国際法である内政不干渉の原則など、まったく無視である。 「正義」を振りかざしながら、民衆を虐殺するアメリカの独善的な姿勢には、多くの国が憤りながらも、その強大な力に逆らえないと考えているようである。アラブ各国の指導者は、フセインの「次」の標的にされることを極度に恐れている。現に、イラン、シリア、そしてエジプトなど、アメリカの戦争屋に名前をあげられている国はたまらないだろう。その一方で、これらの国の民衆の間では、イラク支持が強まっている。周辺国では嫌悪されていたはずのフセインまで、アラブの英雄になりつつある。一方、アラブ諸国を除くと、確信犯のイギリスとスペイン以外の各国は、戦後処理の分け前にあずかろうとして、アメリカにすり寄る姿勢を見せつつも、不快感を隠さず、おおむね戦争に反対する姿勢を崩していない。 このような世界の大勢と比べ、ブッシュの参戦演説から数時間で「支持」を表明した日本政府の対応は、国際社会で際立っている。トルコのように、アメリカから巨額の援助を取りつけて、態度を軟化させたのとも異なり、日本の場合は、他国を買収する資金さえ進んで献上しかねないようすである。そのアメリカ追随ぶりは、見ていて恥ずかしくなる。 なお、本日の報道では、アメリカは、フセインを除くことができなくても、イラクの大部を占領した時点で、「勝利」を宣言し、占領政権を樹立する計画らしい。新政権の首班は、親イスラエル派のアメリカ退役少将ガーナーが噂されている。イラク占領が戦争目的であって、「独裁者を倒す」などは開戦に向けた口実に過ぎなかったことが明確になった。 日本政府にお願いしたい。「新政権」を承認するなら、首都、その他の大都市の実効支配を確認してからにしていただきたい。砂漠だけを占領して民衆を支配しない「新政権」を、世界に先立って承認するなどのまねを決してしないでいただきたい。恥の上塗りになる。ただでさえ、理性の存在すら疑われている日本を、これ以上、国際社会で孤立させると、海外で仕事をする日本人は、恥ずかしくて街を歩けなくなる。 アメリカを救え (2003.3.28)今回は、ちょっと趣向を変えて、アメリカ側の視点で戦争を見たい。決してイラクのことを忘れているわけではないが、ここ数日、報道が途絶えがちである。日本に届く報道は、(質は問題だが)量的にはアメリカ側から発せられたものが圧倒する。アメリカ側からの情報が途絶えると、その戦況悪化を憶測する以外に、イラクで起きていることを知ることもできなくなってしまう。ご了承いただきたい。 アメリカ側は、民衆の蜂起に期待していたとされている。反対派に対するフセインの苛烈な弾圧は悪名高いし、イラク国内には、フセインに対する反感も高いと思われる。しかし、アメリカは反フセイン派などを支持してこなかったし、今も支持していない。占領に好都合な降伏と蜂起に期待しているだけである。アメリカが待望する「反フセイン派」が「原理主義者」や「過激派」であったら、あっさり弾圧されることになる。これだけ国土を蹂躙され、多数の民衆が殺された後である。その可能性が高い。結局は、抵抗する民衆を弾圧し、アメリカによる直接統治、それも銃を背景にした苛烈な軍政しかなさそうである。アメリカは国連の関与も拒んでいる。 圧倒的な装備を有するアメリカ軍である。その軍事力のモノをいわせれば、自軍兵士だけでも何千人もの人的損害と、世論の非難に耐えられるという条件の下であるが、いずれは、バグダッドのみならず、イラク全土の軍事制圧が可能かも知れない。しかし、その後に待ち受けているのは、解放軍を迎える群衆ではなく、軍事占領に抵抗するゲリラとの戦争である。イラクの抵抗は、フセインの死によっても終わらないであろう。そして、アメリカに対しては、国際社会の賞賛ではなく、国際世論の包囲攻撃である。さらに、悪夢は、サダム・フセインがその生死にかかわらず、「英雄」としてアラブの民衆に祭り上げられる可能性があるということである。 アメリカの戦争指導者は、開戦前に、このような事態を予想していた可能性がある。開戦直前の「最後通告」で、「武装解除(降伏)」ではなく、「フセイン亡命」を求めた理由も、これで納得が行く。生命・財産と引き換えに国を出た指導者は、英雄の資格を失う。「早期終結」は、開戦を容易にすべく意図的に作られた宣伝に過ぎず、戦争指導者たちは、最初から長期戦と長期の軍事占領を待望し、その方が儲かるとでも考えていたのではなかろうか。アメリカ自身にとっても、決して最終的な利益になるわけもないが、作戦が有利に展開すれば、それでも国内世論の支持が得られると考えていたのであろう。そうだとすれば、この宣伝に乗って、「短期戦」の願望を公言していた某国首相とこれを支える与党各位は、全世界に恥をさらしただけである(退陣をお願いしたい)。 「意図」や「動機」が問題となると、どうしても憶測と不確実な状況証拠に頼らざるを得ない。憶測を連ねるのはここまでにしよう。苦境に陥ったアメリカを救うために、ブッシュ氏とネオコン戦争屋の「国外亡命」や「殺害」などと無粋なことは申し上げない。政権内部の何人かをスケープゴートとして辞めさせるだけで、収拾がつく。ブッシュ氏は再選をあきらめて次の選挙までおとなしくすればよいし、ブッシュ氏もスケープゴートの諸氏も、生命も財産も保障されて、アラブ諸国の一部に観光旅行をしようなどと思わなければ、何の不自由もない余生を過ごすことができる。アメリカを救う道をよく考えていただきたい。 いつか来た道 (2003.3.25)開戦後数日間の米英そして日本政府の発表を聞いていると、1世紀ほども時代を逆戻りしたような感覚を覚える。いわく「悪の枢軸」、「ならず者政権」、「脅威を除くため」、「正義」そして「神の加護」である。ご意見としては賛同できる点もあるが、こんな言葉を並べた宣戦布告で戦争が正当化されたのは、せいぜい20世紀初頭までである。 往時の国際法では、戦争は国家間の紛争を解決する合法的な手段であり、開戦前の宣戦布告や最後通牒を欠く戦争や、陸戦・海戦の諸規定に反する殺傷行為のみが戦争犯罪とされていた。これに対して、第二次世界大戦後の国際法では、国家間の紛争は、平和的手段による解決が求められ(国連憲章33条)、戦争は、自衛の場合を除き(同51条参照)、安保理が行うもののみが適法とされるに至った。国連や安保理が常備軍を有するわけではなく、安保理決議に基づいて、各国の軍隊が用いられるが(いわゆる「国連軍」)、戦争の主体は、各国ではなく、あくまで安保理である(国連憲章42条参照)。仮に安保理決議に違反する国があっても、これを戦争で解決し得るのは、安保理のみである。換言すれば、一方の当事者が国連軍である場合のみ「合法的」な戦争となり得る。なお、「ならず者政権」の「脅威を除くため」の先制攻撃などが、自衛権の行使でないことは言うまでもない。 また、ゲリラ戦に苦しむアメリカは、これを「戦争法違反」と言い出す始末である。往時の陸戦法規では、戦闘員による非戦闘員の殺傷が違法であることは当然であるが、非戦闘員による戦闘行為も違法とされていた。「ゲリラ戦」は、戦闘員が行った場合は間諜として処罰の対象となり、非戦闘員が行った場合は反乱として戦争犯罪とされた。今日でも、この陸戦法規が無効化したとは言えないが、このような考え方は、制服を着た正規軍同士が正々堂々と戦うことを理想とした時代を背景にした思想である。ゲリラ戦によって、圧制あるいは侵略に対抗した歴史を持つ国も多い。イラクの市民の上に爆弾をばらまくという、往時の戦争法規に照らしても最悪の戦争犯罪に対抗する道は、もし可能とすればゲリラ戦しかない。アメリカは、アメリカ軍を歓迎しながら従順に白旗を挙げるか、それとも、旧式戦車に乗ってハイテク兵器に簡単に撃破される敵を想像していたのであろうか。笑止である。 1941年の「対米開戦」の詔書は、中国や米英を非を唱えつつ、「皇祖皇宗ノ神霊」を持ち出し、「東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス」と締めくくっていた。ブッシュ氏の開戦演説とほとんど同じ言葉と思うのは、筆者だけであろうか。ブッシュ氏が往時の戦争マナーをお好みなら、この戦争の解決のために、「イラクからの即時無条件撤退」のみではなく、「イラクに対する賠償」もお願いしたい。それが20世紀初頭までの戦争マナーである。 「協調関係」 (2003.3.19)対等の関係では、「好意」や「謙譲」、あるいは「相手に対する遠慮」は、肯定的に評価されるとは限らない。たとえば、相手の経済状態に配慮して、貸金の返済を厳しく督促しなかった場合、突然にこれを訴求すると、「時効」や「黙示の贈与」などと言われて対抗される。そのときになって、「恩を仇で」などと怒っても、相手からは、「権利の濫用」などと言われることになる。相手に譲歩し、あるいは援助するなら、「どこまで」と「見返りに何を」を明確にし、これを相手にも知らせることが、対等の関係を保つために必要である。言外の見返りを期待した甘い好意などは、相手に通じないばかりでなく、信頼関係を損なう原因となる。 アメリカの武力行使を「支持」するという小泉首相の会見を見て、言葉を失うほどの怒りを感じつつも、失笑を禁じ得なかった。小泉氏は、支持する理由として、次のように説明する。
(1)アメリカの武力行使は国連決議に照らして正当化が可能、 (1)は、その「国連決議」が武力行使を内容とするものか否かという解釈の問題である。安保理決議1441のどの章句が武力行使の根拠となるのか。10年以上前の安保理決議によって、停戦を経た後でも武力行使が正当化されるのか。結論は、小泉氏自身が数週間前に主張したように、武力行使を内容とする「新たな決議」を求めるほかない。イラクに決議違反があったとしても、これは新たな決議を求める理由ではあっても、イラク国内に爆弾を落とす根拠とはならない。 |