現代中国語の発展

パシフィックエンジニアリング 中国室言語グループ編(文責:亀島
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補足

A1. 現代中国語の成立小史

 我々が相手にしている「中国語」とは何か? 「普通話」は、「北京語音を標準音、北方語を基礎語彙として典型的な白話文(口語文)を語法の規範とする」と定義されている。 言葉を変えると「発音は北京音、 単語は北方語、 文法は『典型的な白話文(口語文)』」と言うことである。
 それなら、「普通話」は「北京土話(現代北京の口語)」と呼ばれているものと同じなのか? 「典型的な白話文」とは現代口語のことなのか? それとも特別な文章語なのか? 疑問が尽きない。
 普通話 (あるいは以前の「国語」)は、 中国近代化のために共通語を創出するという文化運動から生まれた言語で、 それ自体は政治的に全国に推広された一種の人工共通語である。 「中国語とは何か」を明らかにするためには、この共通語の成立史に触れる必要がある。 ここでは、 普通話の成立過程を「現代書面語 (白話文)の成立」 と「漢字読音の統一」に分けて解説する。 この目的では、「漢字簡化」についても述べる必要があるが、 中華人民共和国成立後の漢字簡化は「1.2. 文字(簡化文字、簡体字)」と「A3.漢字の近現代史」で触れるので、ここでは省略する。

A1.1. 現代書面語 (白話文)の成立

 話す言葉は、親から子に受け継がれるもので、 長い年月をかけてゆっくりと連続的に変化する。
 しかし、書く言葉は、正式な文書や教育の「規範」とされるので、いったん「正しい」と定められた語法が長い間保たれる保守性を示す反面、 政治的な権威や社会的な運動によってごく短時間で急激に変えられることがある。 変化が不連続なのである。 最近では、学校教育とマスコミの主導で書く言葉が急激に変化する現象も稀ではない。 日本でも、敗戦後の数年間で、 話す言葉はほとんど変わらなかったが、 書く言葉は「現代かな遣い」、「当用漢字」を使用した口語文が急速に普及し、 旧かな遣いの文語文が駆逐されるという大変化を経験している。
 中国の現代書面語も最近の100年程度の中国近代化の中で急速に形成された新しいものである。

  • 清末の白話運動
     中国の現代書面語は、清末、光緒年間の変法維新運動の時期に始まるとされている。当時の書面語は「文言」といわれる特殊な文語であった。 文言は日本で「漢文」と呼ばれるものとほぼ同じである。
     日本では8世紀頃に宣命体が成立、12世紀頃以降は、漢字かな交じり文が一般化して、 純粋の漢文で作文することは仏教界などを除いて、 ほとんどなくなった。 漢文は古典を読むために必要とされるに過ぎない「死んだ」古典語であった。 しかし、清末の中国では文言は公文書・書籍・新聞で使用されている「生きた」文章語であり、「書く」能力も必要とされた。 もちろん文言は、日常の口語とは、語彙・文法が相当異なる純粋な文章語なので、読み書きに特別の教育が必要であった。
     中国の近代化のためには国民の識字率を上げる必要があると考えた革新的な論者は、 清末の変法維新運動の中で「文言文の廃止、白話*1文(口語体)の採用」を主張した。 変法維新運動そのものは政治的に敗れ、 変法派は弾圧されたが、白話文は19世紀末にはある程度定着した。 1890年代末には白話文の新聞が発行されたことが知られている。
     この時期の白話運動では、「言文一致」が唱えられただけで、 具体的に規範とすべき文法や模範となる文章は示されなかった。 「文言之害」を説き文言文の廃止を主張する論文自体が、立派な文言文で書かれていたありさまである。 口語で文章を作るといっても、方言変異の大きい口語のどの方言に依拠するかも定められなかった。(しかし実際に作られた「白話文」は、語法・基礎語彙ともほぼ官話方言に統一しているようである。)

    1*「白話」は現代中国の辞書では、 「唐宋以来の口語古典を基礎に成立した現代漢語の書面形式」と書かれている。 純粋の「口語」とは違うと認識されている。

  • 五四白話文運動以降
     1917年頃から、胡適*1、陳独秀*2、魯迅*3らが雑誌「新青年」を舞台に白話文運動を展開した。 1919年の五四排日運動が反封建の新文化運動に発展するとともに、白話文運動も勢力を増した。 この時期の白話文運動を「五四白話文運動」と呼んでいる。 五四白話文運動は、 論者たちの多くが北京大学の教員であったため、北京大学を中心に展開された。
     五四白話文運動では、白話文論者たちは、自ら白話による著作を活発に発表しながら文言文を支持する論者と論争した。 また、この時期には、 白話文が依拠すべき規範や方言についても議論された。 現代口語を基準とすべしという意見も強かったが、 胡適などは、「水滸伝」や「紅楼夢」などの明清代の口語古典を模範とした。
     1920年代には、 教科書も白話文で書かれるようになり、 白話文の使用が急速に広まった。 1930年以降も、 「文言文」論者、口語古典に依拠する「旧白話文」論者、そして現代口語をそのまま文章化すべきとする「大衆語」論者が激しく論争し、 容易に決着しなかった。 しかし、依拠すべき模範を争論しながらも、「白話文」が事実上の共通文章語として定着した。

    1*胡適(1891-1962)、1910年アメリカ留学、 1917年北京大学教授、同年「新青年」に「文学改良芻議」を発表、白話文運動を始める。
    2*陳独秀(1880-1942)、1915年「新青年」の前身「青年雑誌」を創刊、新文化運動を指導、1917年北京大学教授、1921年共産党を結成、のち党総書記になるが除名される。
    3*魯迅(1881-1936)、1918年「新青年」に「最初の現代白話小説」と言われる「狂人日記」を発表、1920年北京大学講師。

  • 典型的な白話文? - 「普通話」が規範とする語法
     中華人民共和国が1955年に公布した「普通話」は、既に述べたように「典型的な白話文(口語文)を語法の規範とする」と定められている。
     「典型的な白話文」とは何か? 「水滸伝」なのか、魯迅の作品なのか、 それとも「人民日報」なのか? 五四白話文運動以来の論争は決着しないまま現在に至っている
     しかし、 白話文の成立から数十年を経た現在、 新聞や文芸作品を通じて自然淘汰されながら「正しい」中国語の基準が一応安定したと考えてよい。 言い換えると、数十年の歴史の中で、口頭語としての北京土語と区別される書面語としての「普通話」という自然言語の実体が成立してきたと考えられる。 (しかし、書面語だけを考えても、たとえば香港とそれ以外の大陸地域では語彙や語法に若干の差異がある。)

  •  口頭語書面語
    清末以前官話方言が優勢だが不統一。公文書、出版物は文言。白話運動起こる。
    1910年代官話方言を「国語」として制定。五四白話文運動起こる。
    1920年代以降教科書を含む大多数の出版物が白話文に。
    1950年代以降「普通話」を制定。



    A1.2. 漢字読音の統一

     普通話あるいは現代共通語の成立で欠かすことのできない話題は、「漢字読音の統一」である。 これは、方言ごとに全く違う漢字の読み方を統一しようという運動である。
     元・明・清朝を通じて首都が北京に置かれたので、 北京音(当時の言葉で「官音」とも呼ばれる)が政府公認の標準音の地位にあった。 標準音といっても、官吏の会話に使われていただけで、 現在のような全国の教育の標準とされることはなかった。 また、明清朝の官吏も北京語を使いこなしていたかどうかは疑問である。 あるいは、文言文を北京音で読み下すだけの人がいたかも知れない。
     「漢字読音の統一」の必要性が主張されたのは、清末の白話運動より少し遅れる。 清朝が「学校教育を官話で」と通達(「学堂章程」)したのが、1903年。 20世紀になってからである。
     辛亥革命後の1913年には、教育部の読音統一会で「国音(統一読音)」が決定された。 北京音を基準にしながらも、濁声母(濁子音)を含めたり、入声字*1に特別の声調を与えたため声調が 5個(現代の普通話は 4個)になるなど、 南方系諸方言に妥協した読音が決定された。 各種方言の音韻体系を混ぜ合わせた「ネイティブスピーカーのいない言語(没有人説的語言)」が標準語とされたわけである。 1918年、この国音による「国音字典」を出版、 教育現場でも使われた。
     しかし、「国音」には異論が続出し、 1926年に至って、 北京音を標準音とするように改められた。 声調も現代の「普通話」と同じ 4種類になった。 1932年には、 この「新国音」を反映した「国音常用字彙」が出版された。
     漢字読音の場合には、 語法の場合のような混乱は見られない。 政府主導で漢字の標準音を定めているからである。多くの場合、同時に表音表記した辞書も出版されている。現在の普通話は、「北京語音を標準音とする」と定められている。 そして、「現代漢語詞典」が現在のところ規範とされているらしい。
     もちろん、「標準音」とされている北京音は、実際に北京で使われている発音である。 発音は時代とともに変化し個人差も大きい。 実際の北京の発音は、規範とされる辞書の発音と異なることが多い。 そのため、北京で現実に使われている発音(北京土話)と政府が追認して規範となる辞書に登載した発音(普通話の発音)との 2重構造*1が見られる。(このような問題は、 民国時代の「国音」のような人工的に定めた発音では起こり得ない。)

    1*「A4. 補足 日本と中国の漢字音」の「1.2. 入声の消滅」の項の説明を参照。
    2*一般に「儿化(捲舌音化)」や「軽声」が北京音の特徴とされている。 実際の北京音では、 辞書に書かれているより広範囲の単語で儿化と軽声が見られる。 北京以外の地域の出身者が北京音を聞いて「この文字が軽声になるのは普通話ではない。」と主張するのを聞いたことがある。


    A2. 中国語の表音方法 - ピンインと注音字母

     中国の現在でも使われている表音方法のなかでもっとも古いものは、「ウェード(Wade、韋氏)式ローマ字」と呼ばれる方法である。 Thomas Wadeが1867年に発表した北京音のローマ字表記で「朱」が「Chu」、「謝」が「Hsieh」となる。 現在でも香港や東南アジア華僑圏や中国系アメリカ人の人名表記などに散見される。*1
     その後、 清末に識字率向上のため、日本語のカナ文字類似の表音文字を作字する気運が生じ、 多数の学者が様々な表音文字を作成した。
     中華民国成立後、注音字母と国語ローマ字、 中華人民共和国成立後にピンイン(Pinyin)*2が政府主導で推進され、共通語普及の手段となった。
     なお、 Wade式ローマ字から最近のピンインに至るまで、 ここに挙げる表音方法はすべて北京音の表音を目的としたものである。 北京音以外の方言の音素を記述する方法は発達していない。

    1*日本での使用例は少ないが、 諸橋轍次「大漢和辞典」(大修館)で現代中国音の表音に使われている。
    2*中国では、漢字の表音表記一般を「(pinfa、 ピン法)」と呼んでいる。 広義ではウェード式ローマ字や下記の注音字母などをすべて含まれるので、 ここでは中国政府が1958年に公布した「」による表音表記を「ピンイン(Pinyin、 大文字表記)」として紹介する。

  • 注音字母
     中国語音を表記するための表音文字で Bopomofoとも呼ばれる。辛亥革命後の1913年決定され、1918年に教育部より公布された。 1930年、「注音符号」と改称されたが、後に「注音字母」の名称で定着した。 漢字の字画を省略して作られた独特の40種類の字母 (声調記号つき) で構成されている。 たとえば、「朱」は「」、 「謝」は「」となる。 (-->「用語集」)
     注音字母は、ピンイン(Pinyin)が普及するまで広く使われた。 台湾では現在でも、この注音字母を教育現場や辞書の表音などで全面的に使用され、ピンインは使用していない(ただし、下記、「ピンイン」の項参照)。 辞書も台湾で出版されたものは、文字が注音字母順に配列されている。

  • 国語ローマ字(国語羅馬字)
     ウェード式ローマ字を改良したローマ字表記。 「朱」が「Chu」、「謝」は「Shieh」となる。 特別な声調記号を使わずに声調の違いを表現できるように工夫されている。 1923年に「国語羅馬字(国語ローマ字、略称:国羅)」として成立、 1928年に「注音字母第 2式」として教育部より公布された。 しかし、 欠点が多く、 公布直後の 1929年に中国語の全面ラテン文字化を目標にする「中国拉丁化新文字(略称:北拉)*1」が発表されるなどの事情で、 国語羅馬字はほとんど普及しなかった。 中国大陸では、 ピンイン(Pinyin)の普及とともに姿を消し、 現在では台湾の一部の言語学者が利用しているにとどまる。

    1*瞿秋白が漢字廃止運動として提唱。 1930年代に延安を中心とする共産党支配地域で識字運動に使われたほか、 日本では倉石武四郎が「ラテン化新文字による中国語辞典」(岩波「中国語辞典」の前身) を編集した。 ピンイン(Pinyin)の直接の前身。

  • ピンイン(Pinyin)
     現在もっとも広く使われているローマ字表記で、ラテン文字(声調記号つき)と隔音記号(')で構成されている。 1958年に公布された。 中国内外の教育現場で広く使われているほか、中国語の辞書の大半がピンインのアルファベット順で配列されている。 1980年代以降、 中国の地名・人名をラテン文字で表記するときも、ピンインに統一された。
     なお、1960年代に「漢字廃止、ピンイン全面採用」の計画があったが、 漢字廃止には反対が多く、計画は「無期延期」とされて現在に至っている。

     台湾では、1990年代以降において、道路標識・駅名標やパスポートなどに用いる人名に関して、ピンインに準じたローマ字が用いられることが多い。声調記号を省くのが通常なので、漢字の表音表記としての注音方法ではなく、固有名詞を欧文で表記するための便法と考えられる。

  • 現代中国語とは?」の補足として本稿のほかに「A3.漢字の近現代史」、「A4. 日本と中国の漢字音」、 「用語集」があります。
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    References

    何九盈「中国現代語言学史」1995年、広東教育出版社
    孫仁生他「現代漢語新編」1996年、大連理工出版社
    銭乃栄「漢語語言学」1995年、北京語言学院出版社
    趙元任(丁邦新訳)「中国語的文法」民国83年、台湾学生書局
    Li, Charles N. and Thompson, Sandra A. "Mandarin Chinese", 1989, University of California Press
    顔逸明「呉語概説」1994年、華東師範大学出版社
    中国地名委員会編「外国地名訳名手冊」1989年、商務印書館
    倉石武四郎「中国語辞典」1963年、岩波書店