日本語と中国語は、文法構造がまったく異なり、系統的には異なった言語である。しかし、日本語は、古来、漢字とその読み方(読音)を中国から受け入れている。現在、「音読み」といわれている漢字読音は、ある時期の中国語の発音を日本語に音写したもので、多くの「音読み」は、6世紀から9世紀、中国の南北朝から隋唐代の中国語の発音を日本語の音節にあわせて表記したものと考えられている。
もちろん、日本語も中国語も長い年月の間に発音が大きく変わっているので、現代日本語の漢字読音と現代北京語の発音は大きく異なっている。しかし、変化には規則性があるので、中国語および日本語の音韻変化を知ると、 日本語の漢字音からピンイン(Pinyin)配列の辞書を引く程度のことはできるようになる。 また、北京語以外の方言音を理解するためにも、 中国語の歴史的な音韻を知ることが有益であろう。
幸いなことに、日本語が中国から漢字読音を受け入れた隋唐代の中国語の音韻体系は、比較的研究が進んでいる。それは、「広韻」という韻書(発音順に配列した漢字辞典)が現存しているおかげである。「広韻」自体は、宋代に刊行された辞書であるが、 底本は隋の仁寿元年(601年)の序文がある「切韻」という韻書とされる。 また、唐代には、「韻図」あるいは「等韻図」と呼ばれる、日本語の五十音図に相当するものが盛んに作られ、その一部は現存している。 これらの理由から、この時代の漢字字音はよくわかっていて、「中古音」、「隋唐音」、「隋唐代標準音」などと呼ばれている。
一方、日本語の漢字読音(音読み)は、伝統的に「呉音」・「漢音」と呼ばれる2系統*1がある。 呉音の方が少し古い時代(奈良時代前期まで)に輸入された音、 漢音はより新しい時代の音とされている。 どちらも中国の「中古音」または「隋唐代標準音」を反映していると考えられている。これらのほか、宋代以降の音韻を反映するとされる「唐音」と称する系統の読音もあるが、これは、数種の読音の総称であり、漢字読音として組織的に用いられるものではない*2。
1*漢字の呉音/漢音をいくつか例に挙げてみよう。 正(ショウ/セイ)、極(ゴク/キョク)、一(イチ/イツ)、馬(メ/バ)、経(キョウ/ケイ)など。 現代日本語では、一般的に漢音の方が広く使われている。 呉音は仏教に関係する単語に多い。 また、 呉音と漢音は同じ単語に同居しない傾向がある。 もっとも、例外は多々ある。